13.クッキーと招待状
ある晴れた日、レオポルトは執務室で仕事をしていた。
結婚して一週間、思っていた以上にルチアと話す時間が取れていない。朝食と夕食は共にしているものの、仲が深まっているとはとても言えなかった。
彼女を目の前にしても緊張する事なく慣れてきたレオポルトは、それなりに会話ができるようになっていた。だがそれなりでは不十分である。
「疲れたー。なあ、レオ……ちょっと休憩しようぜ」
執務室にあるもう一つの机で、仕事を手伝っていたセスがそんな事を言う。
「さっき休んだばかりだろ」
「もう二時間も前の話だぞ」
「そうだったか?」
レオポルトはペンを机の上に置くと、疲れた目を押さえる。
「……もう少し、人を雇うか」
「え!?本気か?」
「ああ。今のままだとルチアとゆっくり話をする時間も取れない」
「おお!仕事一筋のお前がそんな事を言うなんて……」
大仰に驚いた表情を見せるセスだが、彼の言葉に一理あるとレオポルトは思った。両親が亡くなってからずっと彼は仕事漬けだった。
普通ならば、学校を卒業後父を手伝いながら領地経営を学び、父の引退と共に侯爵位を継ぐはずだった。
ところが、16歳で突然両親が亡くなり、学校を辞めどうして良いのか分からないまま爵位を継ぎ何とかここまでやって来た。
色々な事に余裕がなかったのだ。
「俺、お前がいきなり結婚相手を決めたって言い出した時に、吃驚したんだよ」
考え事をしていると、セスの言葉がレオポルトの耳に入ってきた。
「全然女に興味持たなかったお前が変な女に騙されてんじゃないかとかさ。
……母さんの事で、無理して決めたんじゃないかって」
「アラーナの事は、無関係だとは言えないが別にそれだけで決めた訳じゃない」
レオポルトがルチアに興味を持ったのは、アラーナが大ファンのカファロ織の名産地であるカファロ家の令嬢だったからという事は確かに事実だ。
だがそれ以上にレオポルト自身が彼女を好ましく思ったのだ。
三年ほど前、ずっと仕事漬けのレオポルトに、そろそろ身を固めたらどうかと最初に提案したのはアラーナだった。
別に結婚したくないというわけではなかったのだが、惹かれる女性も見つからずアラーナにも誤魔化しながら過ごしていた。
ところが一年前、アラーナが倒れた。
どれだけ金がかかっても良い、彼女を助けたかった。だが、どれだけ名医に診てもらっても、もう手遅れだと……そんな診断が下った。
顔には出さないがアラーナもリカルドもセスも疲弊していた。
レオポルトの実の両親は、良くも悪くも貴族らしい人達だった。父は仕事で忙しく、母は社交に忙しく、殆ど家にいなかった。
だからといって二人の愛情を疑った事はない。
レオポルトの誕生日には家族で食事をし、一日中一緒に居てくれていたし、時間があれば話をしたり出掛けたりしてくれた。
けれど常に側に寄り添ってくれない不満はあった。代わりにレオポルトに寄り添ってくれたのが、アラーナ達だった。
同じ頃に生まれたセスは、レオポルトにとって兄のような存在であったし、様々な事を教えてくれるリカルドは父の様な存在であった。そして愛情深く共に過ごしてくれたアラーナは母の様な存在なのだ。
16歳で突然両親を亡くして、辛かった時期もその後も、彼女ら家族はレオポルトの側にいてくれた。彼女らがいなければ、レオポルトは潰れていただろうと思っている。
だからこそ、アラーナの事を助けたかった。リカルドに妻を失う辛さを味わって欲しくなかった。
セスに自分と同じように親を失くす悲しさを知って欲しくなかった。そして自分自身、彼女を失いたくなかった。
けれど、レオポルトには何も出来なかった。
レオポルトに出来たことは、最後の時を穏やかに暮らせるように離れ家を提供する事くらいだったのだ。
それと同時にアラーナを安心させる事が出来るならと、自分の結婚についても本格的に考えるようになった。
結局なかなか相手が見つからなかったが、そんな時に思い出したのがルチアのことだ。
最初はとにかく会って話してみたいだけだった。
ルチアの状況を知り、カファロ家存続の助けをと思ったのも、元を辿ればアラーナがカファロ織の大ファンな事も大きい。
ルチアに惹かれたのは確かだったが、殆ど一目惚れでろくに話しもしていない間柄。
二度目に会った瞬間、二度目惚れくらいの状態だったレオポルトがなんとか婚姻を勝ち取り、今に至る。
実際に彼女と手紙のやり取りや話をしてみて、自分の直感は正しかったと思えた。
ルチアは家族と領地を大切に思い、自らを犠牲にしてでも守りたいと思う愛情深い女性で、アラーナに語っていたように、自分の仕事……カファロ織のデザインに誇りを持って取り組んでいた誇り高い女性だとレオポルトは思う。
アラーナもレオポルトの結婚を喜んでくれたし、ルチアとも気が合うようだった。
だから、これで良かったのだとレオポルトは思っている。
「貧乏伯爵家のお嬢さんって話だったから、もっと田舎の女の子っぽいのかなと思ってたけど、所作も綺麗だし、マナーも申し分ない。立派な侯爵夫人になれると思うぞ」
「ああ、そうだな」
セスの言葉に、レオポルトも同意する。
ルチアはレオポルトが思っていた以上に立派な淑女だった。
礼の仕方一つ見ても完璧な所作で、食事のマナーも申し分無い、婚礼の宴で多くの招待客が訪れて挨拶してきても笑顔一つ崩さなかったし、会話も卒なくこなしていた。
「それに、良い子だよなぁ。この前、母さんにお菓子を持って来てくれたんだ。手作りのクッキーだって。美味かったなぁ」
「何だと……?」
聞き捨てならないセスの言葉に、レオポルトは彼を睨む。
「何だよ?」
「手作りのクッキー?」
「そうだよ。ルチアちゃん、料理長のおっちゃんといつの間にか仲良くなっててさ、母さんにクッキー作るって厨房に籠ってたらしい」
「私は食べてない」
「母さん用だったからな。俺はお零れで食べただけだぞ」
レオポルトは納得がいかなかった。自分もルチアの手作りクッキーを食べたかった。
「セス、これらの書類の作成を今日中にな」
レオポルトは、必要な書類の一覧が載った紙をセスの目の前に置いた。
「え!?ちょ、こんなに??無理に決まってるだろ!」
「お前なら大丈夫だ」
ちょっぴり大人気ないレオポルトは、手作りクッキーを食べたセスに八つ当たりした。
項垂れるセスを横目に、レオポルトは今日届いた手紙の束を確認する。
その中の一つに目が止まり、レオポルトは手紙を開封した。ひと通り目を通した彼は思わずため息を漏らした。
「どうしたんだ?」
「……ああ、ブルネッタ卿からの呼び出しだ」
「ああ、カジェロのオヤジ」
セスが気の毒そうな目でレオポルトを見てくる。
「結婚式に行けなかったから、一度妻を連れてうちに挨拶に来いと」
「あのオヤジの事だから、行けなかったんじゃなくて、行かなかったんだろ」
「まあ、そうだろうな。これは、二週間後の晩餐会への招待状だ」
「そっか……行くしかないだろうなぁ」
「ああ。ルチアに同席を頼まねばならん」
「ルチアちゃんなら問題ないだろ」
セスの言葉に、レオポルトは頷いた。




