10.結婚の理由
結婚式の翌日、実家では早く起きて朝食を作っていたルチアは習慣で早く目が覚めた。
朝食を作るにしても、厨房の場所が分からないし、この屋敷に料理人がいないとは考えられない。ルチアが役に立つ事は無いだろう。
取り敢えず着替えるかと彼女はクローゼットを開けた。
見覚えのない服を着る事は躊躇われたので、ルチアは持ち込んだお気に入りの青のワンピースに着替える。
着替えが終わると、いいお天気だった為ルチアは窓から外を眺めた。
昨日は暗くて気がつかなかったが、部屋から庭が一望出来る。
色とりどりの花が咲き誇り、美しい庭園だ。
四阿もあり、あそこでお茶でもすれば気持ちいいだろう。
暫く眺めていると木々が生い茂ったその奥に、小さな家がある事に気がつく。全容は見えないが、白い壁にオレンジの屋根、二階建てくらいの家だ。
誰か住んでいるのだろうか?
そんな事を考えていると扉がノックされる。
「はい」
「おはようございます奥様、リリーです。入っても宜しいですか?」
「どうぞ」
「失礼します」
扉が開き、リリーが中に入ってきた。
「お目覚めでしたか。よく眠れましたか?」
「ええ、ありがとう」
ルチアが答えると、リリーはニコリと微笑む。
「奥様、食べ物で好きなものや嫌いなものはございますか?」
「……いえ、嫌いなものはないわ。好きなものは……果物かしら」
「畏まりました。では、朝食も果物をメインで用意させて頂きますね」
「ありがとう。あ、でもあまり量は多く食べられないから少な目でいいわ。今日からが無理なら明日からでもいいから」
「はい、畏まりました。朝食まで暫く時間がございますが、何かご要望はございますか?」
リリーの質問に、ルチアは考える。
「そうね。時間があるなら屋敷内を少し案内して欲しいわ。忙しいのなら良いけれど」
「いえ、大丈夫です。朝食の要望を伝えに行ってからでもよろしいですか?」
「もちろん。急いでないからゆっくりでいいわ」
「畏まりました。少々お待ち下さい」
そしてリリーが戻ってきた後、ルチアは彼女の案内で屋敷内を散策する事になった。
時間的に全てを回る事は出来ないので、主人家族が生活する二階部分を中心に案内してもらう。
居間、食堂、寝室、執務室など。
一階は、昨日通ってきた玄関ホールや広間、晩餐室、遊戯場、応接室など社交を目的とした部屋が多く、地下には厨房や使用人の休憩室、作業場などがある。
そして三階には使用人達の寝室などがあると説明を受けた。
「リリーは、どれくらいこの屋敷で働いているの?」
「私ですか?18歳から働いておりますので、今年で三年になります」
「少し歳上なのね」
「はい。この屋敷には女主人が長らくいらっしゃらなかったので、奥様が来て下さって嬉しいです」
「そうなの?」
「はい。奥様の化粧や髪結い、衣装の管理をするのが楽しみだったんです。この3ヶ月間、旦那様に指示されて奥様に似合う衣服を準備するのがとても楽しかったです」
「あ。あのクローゼットに入ってた服?」
「はい。是非とも明日はそちらの服を着てくださると嬉しいです。普段使いの出来る衣服はクローゼットに入っていますが、衣装部屋に社交用のドレスも沢山ありますから、宜しければ是非見て下さい」
幸せそうなリリーの表情に明日は用意してもらった服を着ようとルチアは思った。
だが衣装部屋と恐ろしい単語が聞こえたが今は忘れる事にする。
「そういえば、レオ様はまだお休み中かしら?」
「いえ……今の時間だと鍛錬場だと思います」
「鍛錬?」
「はい。コンスタンツィ侯爵家が元々騎士の家柄とご存知ですか?」
「ええ。確か蛮族から国を守った英雄がその褒賞として与えられた爵位が始まりと聞いたわ」
ルチアはこの結婚が決まった後、コンスタンツィ侯爵家について調べていた。
数百年前、まだ国が成り立って間もない頃蛮族が攻め込んで来た。
それを倒し追い返したのがレオポルトの先祖で、英雄と讃えられた彼は国王から爵位を頂いた。
コンスタンツィ侯爵家は、建国始め頃から存在する実に歴史深い家なのである。
「そうです。ですからコンスタンツィ侯爵家の方々は、幼い頃から剣術を嗜んでおられるそうです。旦那様は毎日朝起きた後、鍛錬をなさっています」
「すごいのね」
「宜しければ、見学に行かれますか?」
「……お邪魔ではないかしら?」
「奥様を邪魔だなんてありえません」
「そう?……なら、見てみたいかも」
こうしてルチアはリリーの案内で鍛錬場に向かう事にした。
鍛錬場は庭の端の一画にあるそこそこ大きな建物だった。
建物の横には、剣の練習に使うのか木製の人形などが置かれている。
「こちらが鍛錬場です」
鍛錬場に近づくと、金属がぶつかるような音が響いてきた。
ルチアが建物の中を覗くと、二人の男性が剣で打ち合ってる。
一人は言わずと知れたレオポルト、そしてもう一人は赤茶毛の若い男性だった。
ルチアは彼に見覚えがあった。昨日侯爵家まで車を運転していた男性だ。
「リリー、レオ様の相手をされてるのは……?」
「はい。セスさんです。旦那様の専属執事兼護衛もされている方です。昨日挨拶したリカルドさんの息子さんなんですよ」
「へぇ、執事兼護衛の方だったのね。お二方ともすごく強そうね」
ルチアは彼らの動きはよくわからなかったが、凄い気迫だけは伝わってきた。
「そうですね。旦那様もセスさんもとてもお強いと聞いています」
「そう……」
暫く二人の打ち合いを見ていたが、それが終わりを告げた。
剣を下ろしたセスがレオポルトに近づき、一言二言喋りかけるとレオポルトが笑顔を浮かべた。
ルチアはその笑顔に衝撃を受けた。今までルチアに見せたことがない屈託のない笑顔だ。レオポルトは心底あのセスという男性を信頼していることが分かる。
なんてことでしょう。
ルチアは気がついた。あれは、ただならぬ関係だと。
レオポルトの秘密の恋人はきっとセスなのだ。
身分と性別の壁を乗り越えて、愛を育む二人。
ルチアはそういった趣味嗜好のある方々がいる事を知っている。
これも領地の若い女の子達に聞いた話だ。
なるほど、絶対に婚姻関係を結ぶことが出来ない二人、期間限定の妻が必要になるわけだ。
恐らくルチアと離婚した後は、養子でも迎えてその子を後継として育てつつ残りの人生を二人で歩む約束でもしているのだ。
ルチアは今まで恋愛をした事が無かったが、恋や愛が尊いものだと理解している。例え身分や性別の壁があったとしてもだ。
ならばルチアのとる選択肢は一つ、二人の愛を見守る事だ。
恩人レオポルトの為に、怪しまれないように対外的な妻を一生懸命務めるのだとルチアは決意した。
「ルチア?」
決意したルチアはレオポルトと目が合った。その瞬間にはもう彼は無表情になっている。早業である。
「おはようございます。レオ様」
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい」
ルチアは今スッキリした気分だ。
そんな事とは知らないセスが、ルチアに挨拶する。
「おはようございます、奥様。きちんとご挨拶させて頂くのは初めてだと思いますが、私はセス・モートンと申します。
旦那様の執事兼護衛をしております。よろしくお願い致します」
セスは綺麗なお辞儀をする。
さすが侯爵家の執事である。恋人の妻に対してもきちんと礼儀正しく出来る、出来た人だとルチアは感心した。
感心していると、セスがニヤリと笑みを浮かべる。
「堅苦しい挨拶はこれくらいにして……。ルチアちゃん、本当に可愛いな。レオの奥さんじゃなかったら俺が狙ってたよ」
いきなり口調が変わったセスにルチアは目を丸くする。
「セス!お前何言ってるんだ!ふざけるな」
「まあまあ、余裕がないなぁ、レオは」
ルチアはレオポルトが大きな声を出した事に驚愕した。いつも彼女と話す時は、小さな声とはいわないが穏やかで静かな音量だ。
やはり愛する人に対しては感情が大きく揺れ動いてしまうのかも知れない。
しかしルチアは先ほどのセスの言葉は聞き流す事は出来なかった。
レオの奥さんじゃなかったら、俺が狙ってたよという言葉。
恋人が側にいるのに言っていい言葉ではない。
そこで彼女は重大な真実に気がついたのだ。
二人は恋人同士ではなく、レオ様の片思い?
ルチアの思った通りだとしたら、彼女がするべき事はレオポルトとセスの恋の橋渡しである。
「ルチア?」
「は、はい!」
「大丈夫か?」
考え事をしていた為、レオポルトがジッとルチアを見ていた事に気が付かなかった。
「大丈夫です。申し訳ございません。あの……お二人はとてもお強いんですね。私驚きました、とてもカッコ良かったです」
ルチアはとにかく褒めた。事実強いしカッコいいと思ったのだが、褒めるという小さな事でもコツコツと積み重ねれば、レオポルトの良さをセスが分かってくれるかも知れないとルチアは思ったのである。
ルチアよりも長年の付き合いのあるセスの方がよほどレオポルトの事を知っているのだが、彼女はその事実に気が付いていなかった。
「旦那様、奥様、そろそろ朝食の時間です」
リリーに言われ、二人はハッとする。
「そうだな……では、食堂に行くか?」
「はい、そうですね」
その後二人は食堂に向かった。




