Twitterでテーマを募集して短編小説を書こう!企画(仮)
黒板
こちらはTwitterで短編小説のテーマを募集した際に頂いたテーマをもとに書いた作品です。
ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです
私の父は黒板を作ることが仕事だった。
私が小学校に入学して間もない頃、父は私にこう言った。
「黒板はな、間接的にも国を支えているんだ。将来国を支える子どもたちが楽しく学ぶ場を作っているのは他でもない俺達なんだ」
町の小さな町工場で自慢げにそう話す父は私にとっても誇りで、憧れだった。
私が少し成長し、入学した高校には黒板がなかった。全ての授業が生徒個人で持つパソコンによって行われるのだ。まぁ高等学校というくらいだし、デジタル的な何かで高度な学習をするためだろう、とその時には特に気にすることも無かった。このときの私は父と高校の進路で大喧嘩し口もきかなくなっていた。
そのわずか2ヶ月後だっただろうか。父が死んだのは。
父は殺されたのだ。社会に。父が人生を賭けて必死に支えてきた国家に。大きすぎる時代の流れに。
死因はストレス性の病気だったそうだ。高校だけではない。全国の学校で黒板を使う場所が減り、経営も厳しくなり、とても思い悩んでいたそうだ。
私は父が二度と目を開かなくなるまで、そのことを知らなかったし、父と仲直りすることもできなかった。
私が父の反対も頼みもお願いも全く耳を貸さず、学費の高い私立高校に入学したせいで父は死んだのではないか、あのとき素直に父の願いを聞いていれば…と後悔し、自分を殺しそうになったこともある。なぜ父はこの後すぐに残り少なかった黒板の需要が皆無となり、私が私立高校に入学すると破綻すると教えてくれなかったのか、相談してくれれば学費の安い高校を選んだのに…と意味もなく父を恨んだこともある。
私は父の保険金や、奨学金制度を利用し、高校、大学を卒業し、今は教師として小学生に勉強を教えている。父の作ろうとしていたものを確かめるために。
今の小学生は黒板が何かということさえも知らないのか…と時代の残酷さに衝撃を受けつつもそれなりに充実した生活を送っている。
今の授業はパソコン内に教材があり、それを見ながら教師がキーボードで打つ文字を写す。それが基本となっている。
数年後には生徒は家で授業を受けるとも言われている。
本当に科学とは、技術とはすごいなぁと日々感心しているが、代わりに数々のものを犠牲にしているのではないかとも思う。
パソコンをただ見つめるだけ。荷物がパソコン1台なのだから忘れ物なんて絶対しないしわからないことがあったらメールで聞けばいいし最悪インターネットで調べればいい。忘れ物をしたから友人に借りる、わざわざ先生を探し、自分の疑問を解決するために労力を費やす。休み時間に落書き大会をして盛り上がることもない。
たった1つ、授業形態が変わっただけ、「黒板」という学校と呼ばれる場所には絶対にあった大きい道具が世の中から消え去り、過去の物になっただけ。それだけで子どもたちはコミュニケーション能力や積極性、ユーモアが無くなり、死んだ魚のような、ロボットのような人間になってしまうのではないか。
私は、父が作ろうとしていた、守ろうとしていたものを追い続けている間に、そう感じてしまった。
変えるんだ。父が守ろうとした生き生きと楽しそうに勉強をする子どもたちを取り戻すんだ……。そう決意したとき、ようやく父に許されたような、そんな気持ちになった。
いかがでしたでしょうか。
私自身が受験生なので、自由作文が出たときのための練習兼ストレス発散として作った作品でもあります。学校のテストに出る作文をかなり意識しました…。ラストの部分をもう少し良いものにできないか…と模索しましたが、これが1番だと感じましたので投稿させていただきました。
ご通読ありがとうございました!