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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

気になるあの娘

 西日が射し込み、橙色に染まった教室。窓際の一番後ろの席に座る彼女の頬に映し出された夕焼けは、この世で一番美しいと断言できるほど暖かくも刺激的な光景だった。

 瞳は対照的に翳った色を抱え、窓の外を目を細めることも無く、ひたすらに眺めている。

 教室の入り口に立つ僕のことに気付く様子も全く感じられず、声を掛けるのも惜しいと思えるほどの横顔をまじまじと見せ付けて。

「ねえ、申し訳ないんだけど、そろそろ教室の鍵を締めたいんだ」

 確実に聞こえるであろう声の大きさだったにも関わらず、彼女は僕の声掛けにも微動だにすることなく、石像のようにその場にただ存在しているだけたった。

「ねえってば」

 気怠い日直の仕事をいち早く終わらせたい欲求が勝り、キツめな物言いで彼女に投げかける。

 しかし、それでも一向に動くことすらなく、彼女の周囲だけ別の空間に切り取られているようだ。

 仕方が無いと、渋々ながら僕は折れることにした。

 教室の中に足を踏み入れると、廊下とはまるで違う世界。オレンジ色に自らも染まり、日差しが肌に当たるとシュワシュワと弾けだし、まるでオレンジソーダの中に落ちたかのような刺激を感じる。

 上履きは歩く度に床と擦れ、ゴムの摩擦音を奏でていく。

 彼女に近付くにつれて、彼女の刺激的な横顔は毒となり僕から酸素を奪っていった。

 キュッと音を立て立ち止まると、初めから僕がここに来ることをわかっていたような余裕の笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに視線を戻す。

 机に肩肘をつき、手の甲で気だるげに頬を支える様は、ありふれたポーズであるに関わらず、どこか妖艶な雰囲気を纏っていた。

 肩へと不規則にかかる薄ピンクの髪の毛は日の光を反射し、キラキラと輝く。顔には影が押し寄せ、その暗さが翡翠色の瞳を際立たせていた。

 僕は蛇に睨まれたネズミだ。立ってる僕を見つめる目線は、自然と上目遣い気味なる。だが、決して甘いだけではなく、逃がさない意思を感じさせるものだった。

「そこに立っていないで座ったら?」

「いや、僕は鍵を閉めに来ただけで」

「いいから座ったら?」

 座ることが当然だといった様子で僕の言葉にかぶせ気味に再度促す。きっと僕が席に着くまで話すこともしないし、耳を貸すこともないだろう。

「早く帰りたいんだけどなあ」

「少しくらいいいじゃない、せっかちは嫌われるわよ?」

 僕はしぶしぶといった感じで椅子を引く。零れた愚痴は彼女の耳にばっちり届いていたようで、目を細めながら棘がある言葉が投げ付けられた。

「少しだけお話ししていかない?」

「僕に拒否権はないんだろう?」

「御名答」

「それなら疑問形で聞かないでくれよ、虚しさが増すだけだ」

「あら、命令形を御所望かしら」

「そういう訳じゃなくてさ」

 続くはずだった言い返す言葉を息に乗せて深く吐き出し、椅子におとなしく腰を下ろした。彼女はどこか勝ち誇った笑みを浮べている。

「私ね、貴方にずっと聞きたかったことがあったの」

 改めて同じ目線の高さで目を合わせた彼女は美しかった。まつげは上向きで長く、肌は雪原のように白く透き通っている。人間離れした美貌、そんな言葉は彼女の為にあるのではと錯覚してしまうほどだ。

 僕はなんだかまじめに話を聞かなくてはいけない気がして、改めて背筋を伸ばし体制を整える。膝をそろえて、思わず制服のスカートをギュッと堅く握った。

「女の子同士の恋愛ってどう思う?」

「えっ!?」

 あまりに突拍子のないセリフに僕は驚き、勢い余ってガタリを大きな音をたてながら椅子を倒してしまう。そんな光景に眉間に皺を寄せ、怪訝そうな顔つきをした彼女が目につき、さらに慌ててしまった。

「もう、ちゃんと座ってよ」

 はあ、と深い溜息が意識しなくても僕の耳に届く。流し目気味に僕を捕らえる瞳は、侮蔑を孕んでいたものの、痛々しさを感じることはなかった。

「ねえ、聞いているの?真面目な質問なんだけれど」

「聞いているさ、ただ突然だからびっくりして」

「ふーん」

 彼女は再び頬杖を付きながら窓の外を見つめている。

 日が翳るのは早いものだ。裏側から透けて見える程度の満月が紺色の空に、肩身が狭そうに佇んでいる。

 光りの当たり加減が原因だろうか、彼女の横顔は幼く、刺激などあった痕跡もなかった。

「私が今から言うこと、冗談なんて一つも無いから」

 先程とは打って変わって目を合わせることも無く、ぽつりぽつりと控えめに唇が言葉を紡ぐ。

 儚く、不安げな言葉は、僕が拾い上げなければそのまま夜空に吸い込まれてしまいそうで、彼女の唇から目を逸らすことができなかった。

「もしも、私が恋愛の神様だって言ったらどうする?」

「大黒様の生まれ変わりだって言いたいのかい?」

 僕の返しが予想外だったのか、不意を付かれた表情を一瞬見せる。しかし、瞬きした後にはすでに余裕の表情でにやりと口角をあげていた。

 そうね、と呟きながら彼女は右手の小指を立て、腕を伸ば目線の位置へと掲げる。二人の間には丁寧に形を整えられた、淡い桜色の爪がひらりと舞い込んだ。

「私には小指に繋がる赤い糸が見えるの」

「それは視界が混線して、目が回ってしまいそうだ」

「ちょっと!?」

「はいはいそれで」

 僕は少しだけ優位に立った気持ちで茶々を入れた。

 ドンと大きな音をたてながら彼女は両手を机に強くつき、その力の反動のまま立ち上がる。椅子は足を浮かせるものの、揺れるだけに留まった。

 衝撃音が教室から廊下へと響き渡り、沈黙を呼び起こしている。

 目線を彼女に戻すと、僅かにつり上がった眉の下にある瞳は、彼女の感情を偽り無く示しており、ゆらゆらと揺らいでいた。

 僕はそんな彼女をみつめることしか、まだできないのだ。

 目を閉じる動作を静かに見守り、睫毛の長さに気をとられながらも視線を逸らさず見つめ続ける。

 大きく胸を膨らませ深呼吸をすると、僕のより数段短いスカートを丁寧に直しながら腰を下ろした。

「見苦しいところを見せたわね」

 顔はこちらに向いているが俯いていて表情を確認することができない。しかし、僕は彼女のことを感じ取れている、確実に。顔を赤くしている、確実に。

 そして、伏し目のまま何も無かったように話を再開させた。

「赤い糸は色々な人、生き物、物同士を無造作に繋げているわ」

「それは違う種族同士ってこと?」

「そう、例えば人間と私がいま使っている机とが繋がれていても、不思議なことは全くないってこと」

「それはすごい関係性だ」

「もちろん性別も例外じゃないわ」

 赤い糸で繋がっている、もちろんこの繋がれた間に存在する感情は好意だ、これは誰しもが知っている一般常識に近しい事柄だろう。

 無機物とも繋がっている、これに関してはどうだろうか。

 僕は当然のことだと思っている、誰しも経験があることだと。

 思い返してみると僕自身、経験のあることだ。子供の頃、ぬいぐるみに思いを寄せた、これもまた懐かしい、微笑ましい出来事。

 だが、赤い糸で繋がれるということはそれが未来まで続く感情、いわゆる運命の人にあたる。

 そうなると話は違うものになってくるだろう。大人になってからの一般論から外れてしまうのだ。

「それで女の子同士の恋愛について聞いてきたのかい?」

 彼女は大きく頭を縦に振り、僕の答えをいまかいまかと待っている。

「僕には経験のないことだからわからない、これが素直な答えかな」

 否定とも肯定ともとることのできない僕の答えに落胆する訳でもなく、歓喜する訳でもない。漠然とした答えを咀嚼することも、飲み込む事もできずに、戸惑っているように見えた。

「ただ、その質問自体が僕には後付けされたものに聞こえるよ」

 目を見開き、大きくなった黒目には煌めく星が映り込んでいる。驚きの中に潜む期待があらわれているようだった。

「まず先に質問について僕の考えを述べよう」

 僕は彼女の使う机に肘を置き、顎に手を乗せ顔を近づける。目をそらされていてもお構い無しに、ニコニコと笑い話を続けた。

「生物学的な振り分け、それは関係のないことだと思う」

「関係ないってどういうこと?」

「赤い糸、そうだな運命の人っていう時点で上書きされるってこと」

「それは自分自身が当事者になっていても同じことが言えるかしら?」

 泳いでいた目は居場所を見つけたようにピタリと中央で止まり、揺らぐこともなかった。

 僕の右手を下から上にかけ優しくなぞり、手をとる。そして、一本ずつ指を解いていき、互いの小指を絡ませる。

「私が赤い糸を結び直してあげる」

 僕は一息も尽く隙も無く返事をした。

「いや、結構」

「同性や無機物と繋がっていたとしても?」

 お互いの吐息を感じられる距離、狭い隙間を縫って沈黙が行き渡り、肌に張り付き不快感を感じさせる。

 僕のものよりも色が白く、すっと直線に近いか弱い指をゆっくりと引き付け、口付けを落とした。

「君も意地悪だな、いや、計算高いと言うべきか」

「あら、お褒め頂き光栄だわ」

 狐のように笑い、僕に倣って口元に絡ませた手を近づけている。その様子を目の端で捕らえつつ、大きな溜息をついた。

「僕が断ったら君はがっかりするんだろう?」

「良くわかっているじゃない」

 首を斜めにかしげ、自分自信が一番良く映える角度だと、そう自信に満ちた表情が物語っている。

 先程までの不安は何処に逃げてしまったのか、夕焼けに照らされていた彼女に戻っていた。計算で導き出された自信を身に纏い、自信を携えた彼女に。

 僕は世界で一番幸せな微笑を浮かべる、さあ、答え合わせをはじめよう。



「まったく、僕に見えていることも、僕たちが繋がっていることも何処で調べたんだか」

「それは内緒に決まっているでしょう?」

「そう言うと思ったよ」

「ふふふ、察しが良いのも嫌いじゃないわ」

 絡められた手は抵抗する間もないまま自然に解かれ、僕の頬にひんやりとした感覚がゆらりと這う。

 そして、お互いの額をそっと合わせる。くすぐったさも心地良く、離れたくない感情を抑え付けた。

「察しが良すぎるのも考え物だけどね」

 僕はすかさず帰ってくる皮肉を紡ぐことができないように、唇を封じた。これが僕からのささやかな復讐だ。

 壊してしまうことの無いように、赤く火照った花びらから離れ、じっと見つめ合う。

 合わせ鏡のように映り込む僕達は皆、本能を律することに苦労した表情をしていた。

「続きの話は紅茶でも飲みながらしようか。帰り道にテラスが素敵なカフェがあるんだ」

「今宵は満月だし、おまじないでも試す気?」

「ああ、君はそういう話、好きだろう?」

「好きよ、でも──」

「でも?」

「私に願いを叶える妖精はもういらないわ」

 席を立ち、足元に置かれた鞄を持ち上げる。そしてスカートを翻しながら口にした。

「だから、ミルクを入れて頂くの」

 すでに暗くなった廊下へとなんも迷いもなく足を進める彼女の無用心さと危うさを、愛し守り続けると、暗闇に射し込む満月へと誓った。


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