十九☆【後編(上)】楠高祭……誇りの大翼……。
第三章 十九☆挿入詩 秋蜩の鳴く頃
重ねた指から伝わり始めていた
「愛する」と言う願いが
その繋いだ絆を気付かぬ位にゆっくりと
解き始めた頃
今では優しく語りかけてくるから
小さな記憶までも覚まされ
ほほ笑みの数よりも僅かに多い
沈黙を刻みつけて擦り抜けて行く
秋蜩静まることを知らずに
君の面影を思わせ
時を止めた夕凪
壊れてしまいそうな二人は…
love…love……
「あの日のように見つめていられたら」と
迫り来る思いに掴まれた
胸元は痛みを残しているから
「愛情」が虚しさを
表しているように聞こえた…音色
秋蜩鳴く頃に…
夜に揺られるすすきに
揃えていた歩幅…夕凪に
掠われてしまいそうな…足跡
なゆりの想い……。
「これからもう少ししたら卒業でしょ?桐宮くんは進路は決めてる?」
「あ、あぁ……それが全く決まってないんだよな。取り敢えず逃げの大学受験……っぽい」
「桐宮くんならきっと大学も選べそうだもんね」
「そんなことはないだろ」
「私ね。音大に行くつもりなの。ピアノやっぱり好きだから。失くしていた記憶で初めて桐宮くんが家に来た時に私のピアノを褒めてくれたこと覚えてる?私、それが凄く嬉しかったんだよ。それがきっかけだと思う。それまでは何となく楽しくて好きだから続けていたんだけど、このピアノで楽しんでもらったり笑顔にすることが出来たらいいなって夢を描き始めたの。それからはピアノが親友のようになり、もっとピアノが好きになったわ」
なゆりが目を細めながら告げる好きが鼓膜と脳裏をノックするように心地良く響いた。自分の胸の奥から鼓動が聞こえる……コウは何も言えずにいた……。
「ずっとずっと続けているとね。今まで見えなかったのに次第に見えてくるものがあるの。見えるといっても目に見えるものではなくて、それは普通の人だと感じることができない感覚。ピアノで言えば歌っているような、会話をしているような……その辺りの景色や感情を音で魔法をかけるように塗り替えてゆく感覚。笑わないで聞いて欲しいんだけど、大きな勇気の翼が生えたみたいに空を飛んでいるように思えることだってあるの。今迄頑張って来たことが感覚として備わる……翔べなかった私が翔べるようになる感覚。私にしか感じることが出来ない大翼が私の心を羽ばたかす……そんな心が満たされている感覚が私を照らし、導き……そして勇気付けてくれるの」
なゆりはこっちへ振り向きながら言葉を言い放った。眼球に輝くものを浮かべながら。表情は今までで一番の迷いの無い自信に溢れた顔をしていた。
なゆりの言う翼は誇りに似ているのかもしれない。信念を持っている時の真直ぐな思い。揺らがない強さ。その源はきっと信じて挑み続けた後に自身にのみ備わり、その見えない誇りが翼になり心を羽ばたかせるのだろう。決して他人に見せることのできない当事者のみが感覚として知ることのできる『誇りの大翼』
「いいな。そう言うの。おれにはまだその感覚は想像することしかできないけど、柊が言うならきっとそれは想像以上にいいんだろうな……」
「うん。私ね……もう二つあってね。引っ込み事案な性格は自分でもわかってはいるんだけど、実は歌を歌うことが好きで、自分で詩を作ってそれにメロディーをのせてピアノの伴奏を付けて曲にして……」
「詩も曲もって!柊は凄いな……」
コウは寂しげに応える。自身の進路への曖昧さがそうさせたのだろう。
「ううん、好きでやっているだけでね。まだ全然大したものではないの。でもね。それをやっている時はあっという間に時間が過ぎて、とっても充実しているように感じるの」
なゆりの輝く笑顔が眩しいくらいだった。人並みにある程度のことはできるコウは逆を言えば突出して何か一つができる訳ではないので、何か好きな一つを追求することに興味はあった。
「好きなことを見つけてそれに没頭する……それも楽しいんもんなんだろうな」
「その作詞の延長上でね。最近は物語を書いているんだけど……」
「まじか!柊!作家志望なのか?」
「えっと……まだそんな大層なものではないんだけど、物語を書こうと想像していることと曲を弾く時にその曲の情景や心境をイメージして起伏を付けて弾くことってすごく似ているの。今はでもね。物語を書くことも同じくらいに好きになっているの」
もう一度。なゆりの言葉が脳裏に響いた。魔法にでもかかっているようになゆりの『好き』は特別にコウを叩く。刺激する。その響きに平然を装いコウは応える。
「そうか。何か完成したら一番に教えてくれよな」
「うん。まだ恥ずかしいから皆には秘密にしててね」
「おう。そう言えば。前も秘密の共有から始まったんだよな」
「うん。あー!思い出すの禁止っ!」
両手をコウに向かい伸ばしその手を左右に振り必至に掻き消そうとしているなゆり。
「お?おう。大丈夫。止まった止まった。思考回路を絶ったから全然思い出してない!」
「なんか。少し大袈裟であやしいなぁ」
瞳の奥を覗き込もうとしてくるなゆりのその視線にドキッとなる。コウにはそんな胸を撃ち抜くようななゆりの視線が今は苦しかった。暗闇に溶け込んだ一人の影がこちらに近付いて来た。月明かりが照らし、数メートルの近さになり誰か認識できる距離になった。
「ちょっと二人でなにしてんのよ?まさか逢い引きではないでしょうね?」
「滅相もございません」
柚葉が二人を探しに来てくれたようだ。
「ん?あんた妙におとなしいじゃない。あやしいわ……」
「考え過ぎでございます」
聡明な柚葉がつまらない応答をするコウではなくなゆりをロックオンし始めた。
「あら?何でなゆりの顔がほのかに赤くなっているのかしら。コウ?……なんかしたでしょ?」
ロックオンがコウへ向けられビクッとなるコウ。腰に両手を添えツンモードに移行する柚葉。コウはさわらぬ神に祟りなしモードを継続。
「考え過ぎでございます」
「あやしいわ!返しがいつにも増して全く面白くないわ!それじゃあんたには何も残らないじゃない!」
「仰る通りでございます」
「あー。もうわかったわ。わたしもコウと少し話をさせてもらうわ。なゆり!少しだけ外しててもらってもいいかしら?」
「う、うん。わかったわ」
「あんたはさっさと普通に戻りなさいよね」
「おう。ちょっとスイッチを入れ直す」
「何の為にさっきまではスイッチを他に入れてたのかはもう聞かないわ!」
なゆりが声の届かなそうな離れたベンチに座り柚葉にわかるように大きく手を振り合図をした。柚葉が「多分数分で済むから」となゆりに大声で告げた。柚葉の表情が真剣になってゆくのに気付き、コウも自然と真剣さを取り戻していた。




