六☆【前編】喫茶……えんじぇる……道しるべ……。
吐露した真情……。
あれからコウはマスターへの交渉の為、マスターを追いかけ手伝いをしつつ、コミュニケーションを取りつつ、判断材料となる情報を収集していた。
他のメイド達の動き、マスターの役割、お客の視線や動き等を観察しつつ、客の出入りの多い時間とかも気になる。言うなれば相手はそれを解った上でのシフトを組めるわけだ。この時点でまたもや別の不利な条件が増えたようにも思えていた。
上手くやらなきゃな。まぁ策は用意してあるんだが。このワクワクに似た感覚はなんだろう。これも一つの充実感なのか……と思いつつ、マスターとの会話のチャンスを伺っていた。先ずは無難な質問を投げかける。
「でもここ雰囲気いいよな。ピリピリしてないし。この喫茶店はもう長いのか?」
「わしが二十代の頃から始めたんじゃ。ざっと五十五年くらいかのぅ」
半世紀をこの喫茶店で過ごしているマスターに素直に敬意を表すコウ。
「凄いな。半世紀か。長いよな……マスターとこの喫茶店に興味が湧いてきた。この店に対する思いや、熱意みたいなものも聞かないままで好き勝手にやろうとは思えなくなった。空いてる時間でいいから、少しだけ話を聞かせて欲しい」
コウは最初はいつものペテンまがいの策を進めることだけを考えていた。ただ純粋な気持ちを踏みにじりたくない思いが生まれ、次第にその気持ちの方が勝り、そのままの真情を吐露していた。
「おまえさん。一見適当に見えるが。中々の器じゃのぅ」
「それがそうでもないんだよ。正直に言うとおれはおれ達の学校のメンバーでこの喫茶店の指名数でナンバーワンになれるようにと、色々と情報を得たいと思いマスターとコミュニケーションを取りに来たくらいだ。今となれば罪悪感さえ感じている。おれたちの部活動……はたから見たら遊んでいるようにしか見えないと思う……今までは前がどっちかも分からなく、進む意味さえも失い、他人を疑うようになってしまった奴も、今こうしてこっちが前だって全力で走ったりなんかし始めて……あ、あれ。おれ……なにいってんだろう……」
コウが本心を打ち明け始めると、客観的に自分を見つめることが出来ていたようで、最近の自分を冷静に分析することができていた……
客観的にみたその困惑した思いが待ち侘びた一つの目的を持ち、ゴールを目指し向かうだけではなく、迷い無く全力で走り向かっていることに感極まり、その思いがとめどなく溢れ感情の雫となり身体の外へ出ていった……
珈琲を淹れる器具の手入れをしながら静かに耳を傾け続けるマスター。
「おれ達の部活……ここで一番を取れないと存続させられないんだ。できることなら続けさせてやりたい。こんなおれなんかにでも、期待をし、頼ってくれている仲間ができた。おれと同じように皆困惑していた。それが今は共通の目的を持ち全力でそれに向かっている……こちらの事情を飲んで欲しい訳ではない。きっとマスターの事情を聞き、話し合い、擦り合わせれば互いに有益な答えや何かを探せるのではないかと思うんだ……」
こんなにも……気持ちを揃えることを願ったことはなかった。思いが深まるに連れ身体の体温が上がって行くのがわかった。目頭が熱い。想いや感情が姿を表す方法を探しているようだった……
その想いや感情は形にもなれずに、言葉にも上手くは変わらずに、液体となり外に漏れていくばかりだった……
その思いが伝わったのだろうか……マスターが口を開き始める。
「この店はのぉ……あいつの願いで始めた店なんだ……二人でずっと一緒に居ようと言いあいつは嫁いでくれた。自分達の店を構えれば一緒にいる時間をより増やせるだろうと考え、この喫茶店を始めたんじゃ……あいつはコーヒーが好きだった。だから喫茶店にした。笑顔の素敵な天使のようなやつじゃった……だからえんじぇるという名にした……来る日も来る日も一緒にいた……それは幸せな毎日じゃった……」
マスターはきっと二人の色々な記憶を思い返しているのだろう……
顔の角度は僅かに上方に向かいその先を見つめ言葉を紡いでいた……
マスターにはきっと見えているのだろう……より優しい表情になりマスターは続ける。
「今もわしはこの店をあいつのように思っておる……わしにとってはこの店はお前達の信じ進もうとしている『前』と一緒なんじゃ……この店を守ってやりたいと今も本気で思い続けておる……」
コウはもうボロボロの涙でぐしゃぐしゃになった顔をもうそのままにするしかなかった。誤魔化せる程ではない涙にもう溺れるしかなかった……
何故だろうか……
きっと羞恥心よりも守りたい思いが優っていた……。
「おれは思うんだが、この店の利益をより出さなきゃいけない理由は見えた。ただおれ達から一番を出すことは必須条件では無い筈だ。極論だが、おれ達からこの店で一番になれた奴がいたとしても、利益をより出せていなければ意味をなさない筈だ。逆におれ達から一番になれた奴がいなくてもこの店の利益を著しく出せていれば問題は無い筈だ。校長にこの部分を掛け合ってみたいんだが……旧友のマスターならなんとかならないか?」
コウの熱意は確実に届いていた。仏のような優しい顔で頷くマスター。
「わしが掛け合ってみる……任せろ」
マスターのその『任せろ』の言葉は、コウには多くの説得力を引き連れ届いた。コウはホームページ作成の件と今後のイベント企画の案をマスターに共有した。その際にコウに向けて見せたマスターの笑顔は、上方を見つめながら話してくれた笑顔と変わらない優しさを感じ、コウはまた目頭が熱くなり、この日はどうかしてるんじゃないかと思う程に熱い思いを涙にしか変えられない日になった……。