十五・五☆【前編(上)】エピソードゼロ……。
プロローグ……。
長い雨が続いた梅雨のある日の夕方。
紫陽花が背伸びをしながら嬉しそうに咲く頃、真逆の退屈な気分を晴らそうと少女は思い付いた遊びをもう一人の少年に半ば強引に提案する。
「じゃあ落とした方が負けよ」
「部屋の中でボールで遊んだら怒られるよ……」
「もう。あんたはホント意気地なしね!いつも言いなりなんだから。たまにはアバンギャルドに出来ないのかしら?」
小学生とは思えない会話だ。
「そんなこと言われても分かんないよ」
「親に許されたり造られた道を歩くだけではなくて開拓者になってみなさいってことよ」
腰に両手を添えた姿勢で罵る幼き頃の柚葉。相手は幼馴染の泰斗。
「ボール遊びになんの関係があるんだよ」
「恐れてばかりいたら経験出来ないことや、手に入れられない物もあるって話しよ」
「そうやって怒られるのはいつも俺なんだからな……」
「当たり前じゃない。男の子でしょ?」
「また無茶苦茶言って……」
そう言って柚葉が投げて来たボールを落とさないようにしっかりキャッチし、なんだかんだで柚葉の言う通りにちゃんと投げ返す泰斗。
「ふふ。あんたのそう言うところは可愛いのよね」
「もうその言い方やめろって!もう俺たち小六なんだからな」
「またあんたはそうやって大人ぶって。でもそんなところも嫌いじゃないわ」
泰斗が投げた球筋が大きく逸れた。
「あ!ちょっと!それは無理よ!」
「ごめん!ミスった!」
動揺からか泰斗の暴投。廊下の奥の方へ転がって行くボールを柚葉が追う。
「もう。どんだけヘタなのよ。あ……」
入ってはダメよと言われていた母の部屋のドアが開いていて、ボールはその中へ入り込んでしまった。恐る恐る部屋を覗く柚葉。
「おじゃましまーす……いや~ボールが入っちゃったからしょうがなく……しょうがなーくココに足を踏み入れてるだけなの……」
誰かに言い訳をしながら部屋に入る柚葉。それに気づき泰斗が部屋の外から柚葉に小声の掠れ声で呼び掛ける。
「まずいって!しおんダメだって!」
「何言ってるのか聞こえないわ。あんたにも勇気があるならこっちに来てみなさいよ」
「バカしおん!勇気はあるに決まってるだろ!」
泰斗は柚葉の思惑通りに誘いに乗り母の部屋へ足を踏み入れてしまう。
「あはは。これで共犯ね」
入室を禁じられていた部屋だからか妙に静かで緊迫している……勇気というワードを掲げられている為に強がりからか、何も喋ることをしない泰斗。口を開けば弱音を晒してしまいそうなことを自覚しているからだ。
そんな中、柚葉はあることに気づいた。
「それにしても変ね。ぱっと見は何も怪しいものはないわ。ではなぜ入ってはダメと言ったのかしら……」
好奇心を抑えきれずに部屋を見渡す……母の部屋と言うよりはこの部屋は書斎のようだ。座りやすそうなしっかりとした椅子が在り、作業をする机が在る。その机を挟むように両壁には本が棚にぎっしりと列んでいる。古い書物なのか図書館のような本の香りがする。その香りが故か視線は本棚へ向かい一冊一冊入念に調べ始めた。一際大きな本に目が止まり棚から取り出す。すると表紙にヘキサグラムが描かれていて重量感のあるその本には鍵まで掛かっていた。いつの間にか辺りを不穏な空気が包んでいた……。
「まさかこの本の鍵がテーブルの引き出しに入っているとかは無いわよね?……」
その言葉を言い終えると同時に引き出しを開ける柚葉。すると古びれた大きな鍵が横たわっていた……。
「これはマズいよ……」
泰斗がおじ気付き柚葉に耳打ちをする。流石の柚葉も緊迫感からかゴクリと喉を鳴らした。
「あんたバカなの?ここまで来て何もなかったことに出来る?わたしはこのままではきっと眠れなくなるわ」
「それはそうかもだけど……」
まだ乗り気でない泰斗をそのままに柚葉は鍵穴に鍵を挿し込みゆっくりと回す……小さく『カチャ』と言う音と共に鍵が開いた勢いで表紙が多少浮き上がる……。
「開いたわ……」
ゆっくりと表紙を開き真剣に書物に目を通し始めた二人……
気味の悪い挿し絵がちらほらと何枚も入っている……
息を飲みページを一枚一枚丁寧に捲っていく……
どうやらこの書物は魔術の書のようだ……。
そしてさっと二人で目を通した数分後に泰斗が柚葉に声を掛ける。
「ねえ。これ、魔術だよね?やってみない?」
「あんた随分とガラっと変わって乗り気ね。訳わかんないわ……」
泰斗が魔術に対して乗り気なのは二つの理由があった。泰斗が見たアニメでは魔術はカッコ良く映されていた。主人公が魔術を使い悪に立ち向かう姿は輝かしく、正義のヒーローのようにさえ映っていた。その憧れが勝っていたのだろう。もう一つはさっきの柚葉の「意気地なしね」と言う言葉がひっかかっていたようで、柚葉に強いところを見せたい男心が拍車を掛けていた。
「怖いもの知らずなしおんならできない訳はないでしょ?」
強がりな柚葉にはその言葉は決定的だった。
「あたり前じゃない……わたしよ?」
二人は柚葉の父に勘付かれないように念のため書物を持ち出し、本棚の空いた隙間を本の間隔を少しずつ開き上手くごまかすと、書斎のドアを大きな音を立てないようにゆっくりと閉め、二つ隣に位置する柚葉の部屋へ入り内側から鍵を掛けた。
書物に書かれている通りに線と文字を描き並べる柚葉……その線が繋がりやがて魔法陣を描いた……。
この空間はたちまち儀式の部屋となり禍々しい気配が部屋中に漂う……。なによ……怖くなんて無いわ。どうせ未来を少し見るだけじゃない。そう自分に言い聞かせる。
柚葉が選んだのは未来を覗く魔術だった。比較的に無難だし、効力を確かめるには時間さえ経てば簡単に確かめられる。勇気を示すには丁度いい度合いだと考えたからだ。そもそもこんなモノで未来なんて覗ける訳がないわ……そう思いながら半信半疑で柚葉が最後の工程を済ませた直後……地震のような揺れが部屋中を襲う。
「きゃっ!なによこれっ!……んっ……」
地響きのような低い音と共に、吹くはずの無い風が二人を吹き付ける。瞼を閉じてしまいたくなる程の風に吹き飛ばされてしまいそうになりながらも泰斗は近くの棚にしがみついた。
柚葉が描いた魔法陣から風が強く吹き続けている……
急に風が止み青白い光が柚葉を包み込み柚葉の髪が重力に逆らい天井から吊られているようにふわふわと浮かび始めた。無音の空間が一時的に辺りを包んだ。
何かに意識が吸い込まれそうな感覚に陥る柚葉……
「しおん!……しおん!!……」
泰斗は必死に柚葉を呼び続ける。柚葉が脱力し横たわると同時に髪だけでなく体ごと浮かび始めた……
柚葉は全く応答が無い。泰斗は茫然自失している……
何分くらい経ったのだろう……
一際眩しく青白い光が輝いた直後に柚葉の体はゆっくりと床に降りる。全ての異変は収束していく……
泰斗も我に返り柚葉に近寄っていった。柚葉が目を覚ますと泰斗が強張った表情で何度も話し掛けていた。
「……おん!しおん!しおん!!大丈夫か?」
「……んっ……何よ。うるさいわね。何なのよ。ここにいるじゃない!」
「お前今、浮いてたんだぞ!」
「そんなことどうでもいいわ!とにかくこのことは誰にも内緒よ!」
「……うん。それで。見えたの?」
事態が不測過ぎて平静を装えない柚葉。柚葉の顔色は明らかに変わっていた。小刻みに震える柚葉の指先……それを隠すように柚葉は寒さを堪える時のように肩を窄めていた。
「ええ。細かいことは教えられないけど……最悪の未来だったわ……」
柚葉の見た未来の柚葉は『ある記憶』を無くしていた。未来の自分の暗い表情や仕草や生活をみて柚葉は『最悪』と表現をした。尚、この記憶を無くしていることを漏らしてはいけない理由が在り、それを一人で抱え込み、怯え過ごす日々が訪れた。




