十五☆【後編(下)】葬る思い……歴史に残る収穫……新しい日常……じゃおれ言っちゃうからね……。
沈黙の部屋……。
別荘の扉を開け中へ入る。大きな音をたてないようにゆっくりと歩いた。柚葉が椅子に膝を抱え込んで座り、顔をその膝の上に伏せ表情を隠していた。
コウは柚葉の涙の理由に触れることを躊躇っていた。
何も話さないままで真っ暗なリビングで二人は距離を取り途方に暮れていた。コウは壊れてしまいそうな柚葉をこのまま一人にすることはできなかった。
特に会話のないままで一時間くらいが経った頃、ようやく柚葉の寝息が聞こえてきた。コウは安堵の為かもう休んでもいいのかと思った途端に睡魔に襲われ、そのままリビングで眠ってしまっていた……柚葉は打ち明けられない想いを一人抱え込んでいた……。
『わたしは記憶を取り戻す為に誰かの幸せを奪うの?……』
『今のコウは誰を守ろうとしたの?……』
『六年前のわたしはコウに守られていたの?……』
やり切れない思いで一杯になる思いが熱く流れ出ていた……
愛することが出来ない筈の今でも……こんな風に憂い悩むことはできるみたいね……
疲れ果てた心は涙に濡れたまま倒れ込むように眠りに落ちていた……。
「はっ!……」
柚葉は椅子から落ちそうになり目を覚ました。
耳を澄ますとコウの寝息が聞こえてきた……
頬はまだ涙で濡れていた……
無心にコウの近くへ歩み寄っていた……
柚葉はコウを見つめている……。
『あなたに……守られるのはどれくらいの安らぎがあるの?……』
『わたしは……どんな思いであの木に名前を掘ったの?……』
『あなたは……どれくらいわたしを好きで居てくれたの?……』
『あなたは……んうっ……っ……』
思いの塊が柚葉の中の何かを破壊した音がした……
声を上げて泣き叫びそうな程の号泣で、目の前の全てが滲んでいた……
ただただ声を押し殺すことだけに意識を集中させていた……
『辛い……悲しい……戻りたい……』
『愛したい……』
その思いはもう柚葉に何も想像を許さなかった。
倒れ込むようにコウを抱き締めた柚葉。
乾いた水分を身体が欲し、喉を潤そうとするのが必然であるように、涙で水分を失い続けた乾いた心が潤いを求めコウだけを求めた……
その腕の中の温もりは想った以上に暖かく……想った以上に安らぎを奏でていた……
そしてその温もりは想っていた通りに素敵なものだった……
ただただ……涙が止まらなかった……。
涙で何もかもが見えなくなったまま……
目隠しでコウの顔に近づくようになり、柚葉の唇は先ずコウの頬へ触れた……
温かい体温を唇で感じる……
反射的に離れてしまいそうになった。
心は唇を求めた……
無意識に無心に本能がコウの唇を探す……
涙のベールが視界を覆っていた為、頬を伝うように唇は進んだ……
そしてやっと柚葉の唇は望むところへ辿り着いた……
柔らかい感触にはっとする……
温かい体温を感じる……
心が満たされてゆく……
意識がぼーっとしてゆく…………。
その瞬間脳内に記憶が爆発をしたような勢いで湧き出した。
うるさい位に湧き出てくる記憶に頭を抱え込む柚葉。
大地震で大地が揺れる。頭の中だけがそんな異変を起こしている。
幾つもの記憶が早口で語りかけて来る。その中の一つの記憶だけが心に引っかかった……。
六年前の記憶の断片……。
真っ暗な中に輝く星を見上げている二人。
遠くも近くもない距離で間隔を保っている。
柚葉が気持ちを伝える前なのか、柚葉が気持ちを伝えた直後が故の距離なのか。
地面に座る訳ではなく、大木に寄り掛かり膝を曲げ腰は地面から浮かせている柚葉。
何かを思い立ったように急に立ち上がり大木に向かって何かをし始めた……。
「柚葉ー。何してるんだ?」
「こんなに大きな木ならずっと無くなることはないのかなぁと思ったの。このわたしの好きな場所にコウが忘れないように彫って残しておこうかなぁって……あとはちょっと自慢したいのかな?今日の約束の記念よ」
「おれが忘れるわけないだろ。しかぁーし!おれもかーく!……こーしてー。こーしてー。あ。いつも呼んでる苗字の方かいちった……」
「ふふっ。でもその方が自然なんじゃない?」
柚葉の彫った字の隣にコウが『柚葉』と彫った。
「明日や明後日のことではなくて、これからずっと先の十年、二十年と時が経った時にこの日を忘れてしまわないように刻んでおくの……今日の日付を入れて……よしっ!」
「そうだな……でも二十年経ったらそれこそ忘れないだろ」
「まぁ確かにコウなら忘れないでいてくれそうだわ」
「なんだよ……それいい意味??」
「どうだろうね〜?教えなーい」
「もーう。あ。そろそろあいつら待ってるから帰るか?」
「うーん。もうちょっと居たい」
コウを正面から覗き込みながら前のめりの姿勢で満面の笑みで柚葉がそう答えた。その後にコウの方が照れながらはにかんで答える。
「お、おう……」
そのコウを見てからかおうとする柚葉。
「あら〜?てーれたっかな〜?」
「っばか!照れてねーし!!……あっはははっ」
「ふふっ……あははっ」
二人で他愛のない会話で笑い合い、遠くも近くもない二人の距離が寄り添いそうな位に少しだけ縮まった……そんな一時だった。
星、樹木、空、雲、草、虫……花、鳥、風、月、人……
明け方の小鳥のさえずりも、溢れる涙のような雨も、夜空の藍色も……。
それらが急に呼吸をしだしたかのように鮮明に彩り、愛を奏でているようで、美しさを纏っていた……
柚葉にとって今まで全くの無意味だったモノまでが意味を持ち始めた……。
その頃には胸の中に暖かい何かが生まれていた……
時にそれに締め付けられたり、熱い鼓動の高鳴りを上げている時はその音が体の外に漏れ、周りに聞こえてしまっているのではないかと思うこともあった。
押し寄せた記憶の波が収束した……
だが柚葉は状況を上手く整理できないでいた……
唇に残る感触……
頬が焼けるように熱い……
止まらない涙……。
居ても立ってもいられなくなり、この場から離れようと玄関の扉を開け外へ出ていた……
一人の男を愛した記憶は現在には苦し過ぎる程に華やかで純朴なものだった。
柚葉は現在のコウにキスをしてもらおうとしたが叶わなかったことを覚えている……
忘れられない……。
胸に何かが刺さっているように痛く……苦しかった……
眠れない夜を過ごした……
涙は枯れることが無いものだとさえ思う夜だった……。
星と月と太陽から産まれた子★
八★涙の理由
急な坂道を戻る途中に休めそうな小屋があり、そこで月の子の応急処置をした二人。
責任を感じているのか太陽の子は星の子を気遣います。
「これで良しっと。あなたも少し休むといいわ。わたしが見てるから」
「うん。ありがとう……」
隅へ寄り掛かり布に包まる星の子。
星の子は気疲れからか、直ぐに眠ってしまいました。
太陽の子は月の子の手を握り、祈るように目を閉じて呟きます。
「わたしなんかの為に……ほんっと、バカなんだから。もう……」
込み上げてくる後悔と感謝の思いが熱い涙に変わり零れる。
「またあなたに涙してるじゃない……あれ?え?これって……」
太陽の子は大切なものを奪われた時に脳内に響いた声を思い出します。
——我は魔術に住まう王——
——『愛する思い』と『愛する思いに関わる記憶全てを奪う』儀式の最終工程——
——奪われたもの甲は奪われた自覚はある。ただし、奪われたものが愛した相手側乙は、愛された思いに関わる記憶だけを奪われていてその自覚はない。乙は誰かを愛することは可能——
——甲が奪われたものが『愛する思い』だということを他のものに明かすと、二度と戻ることは無い——
——甲が愛した相手の乙に会ったとしても、互いに何も解らなく初対面と同等——
——『愛する思い』と『愛する思いに関わる記憶全て』を戻す条件は、術者の消滅又は、甲と乙による真の接吻——
——これを以て魔術発動の最終条件成立と見做す——
「もしかして……」
太陽の子は確信に近い想いを抱きました。
「ちょっとあの子には気が引けるけど……わたしの勘が間違っていなければ……確かめたい」
流れ行く涙をそのままで太陽の子は眠ったままの月の子にそっとくちづけをしました。
その唇と唇が触れ合うのと同時に頬を滑り落ちる感情の雫も唇と唇を繋ぐように触れたその時……。
頭の中にテレパシーのような電気の流れに似た衝撃が走る……
驚き、戸惑い、困惑……そして状況整理……
「なによ……なんなのよ。これ……」
太陽の子は頭を抱えながら小屋の外へと駆け出しました。
第二章ED詩 幻想世界
抱きしめたくなる思いが生まれてはただ……留めた
触れていたくなる思いさえ気付かぬふりをして言葉を並べていた
時の歯車を止められずに二人は
期待と少しの不安と夢を拾い集めて
曇りの無い瞳に映され心を焦がしていた
混ざりの無い澄んだ思いを届けよう……
浮かぶ月と光漂う幻想の世界へ誘う
藍色と闇が表すのは悲しみだけではないと……
君は教えてくれた
無数の愛が描いて行く……それは幻の様で……
可憐で儚く優しく愛おしく
君を照らし支えながら守る……心を飾る名画を
曇りの無い瞳に映され焦がしていた
混ざりの無い澄んだ思いを届けよう……
浮かぶ月と光漂う幻想の世界へ誘う
藍色と闇が表すのは悲しみだけではないと……
君は教えてくれた




