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Muse Night:origin  作者:
ラウン編『人造ペシミズム』
8/25

メンセツ

 大変長らくお待たせしました! ラウン編開始となります!

 三枝トオルが冷たいベッドから這い出たとき、狭い窓から見える太陽は雲に隠れていた。彼は時計を確認し、床の上に転がる缶ビールのむくろに小さく舌打ちをした。

「頭痛てぇ……」

 昨日の記憶がないが、忘れたいだけだろう。中古のブラウン管テレビは青い画面を写し続け、『劇団アルカトピア』と書かれたテープの貼られた小さなビデオカメラがテレビ台に堂々と鎮座する。トオルはその光景に顔をしかめながら、胃のあたりから湧き上がってくる嫌悪感を便器に吐き戻した。

 時計の針は五時を指していた。午前か、午後か、ふと彼はそれを気にしたが、すぐに思い直した。そんなことどうだって良いじゃないか。どちらにしろ今日の練習はないのだから。

 ワンルームの穴蔵に潜む猛獣は、心の奥に怠惰を飼っていた。


 電話の音は、彼のもやのかかった意識を現実に振り戻すには十分すぎる音量だった。トオルは欠伸あくびを噛み殺すと、受話器の前で何回か発声練習をする。

「もしもし?」

『もしもし、三枝?』

「あー、おー……。久しぶりだな……」

 電話の向こうの声は、トオルに強烈なノスタルジーを感じさせた。十数年前から変わらない友人の声が緩やかだった青春をフラッシュバックさせ、彼の口元を少し綻ばせる。

『お前さ、今何やってんの?』

「俺? 劇団員……」

『劇団員!? あー、お前昔から俳優やりたいって言ってたもんな! いやー、凄いな……。俺なんてしがないサラリーマンだぜ?』

 一体何が凄いのだろう。トオルは、旧友の言葉と無造作に転がった缶ビールを交互に見比べる。

『あのさ、その歳で夢追える奴ってホント凄いよ! 収入は……あっ、お前んとこの親御さん金持ってたもんな。まったく、俺もお前みたいになりたいよ〜! 夢追い続けてぇよ!』

 その声は、素直なリスペクトの中に潜む微かな悪意を浮かび上がらせた。ミルクにタバスコを一滴落としたような悪意のスパイスは、トオルの内蔵にするりと染み込み、気分を落ち込ませる。

 夢を追いかけてるんじゃなく、現実から逃げてるんだよ。彼はその言葉をぐっと飲み込んだが、意味はあったのだろうか?

『でも、そろそろ自分で金稼いだらどうだ? いい稼ぎ先紹介してやるからさ!』

 旧友の言葉に促されるまま、彼は耳に入った情報を脳内で反復した。



 電車とバスを乗り継ぎ、どれだけ歩いただろう。モータリゼーションの波に乗ったついでに舗装された郊外の歩道を歩けば、視界は中心部の喧騒とは程遠いのどかな街並みに変わっていく。土地代は安そうだが、ベッドタウンとしての利便性はそこまでなさそうな町だ。それを考慮しても、そこのはずれにある大きな屋敷は、彼の想像を優に超える費用がかかっているだろう。

「マジで幽霊屋敷って感じだな……」

 伸び放題の芝生や葉の全て落ちた柳、カーテンによって夕陽さえも遮られた外観を観ると、近所の人に道を尋ねた時の怪訝な顔の意味もなんとなく理解出来た。

「大丈夫かよ……。廃墟とかじゃなきゃいいけど……」

 彼はリクルートスーツのネクタイを締め直し、獅子の装飾が施されたドアに近づく。そして、意を決して、力の限りドアノッカーを叩いた。


「成程。君が昨日の電話の相手か」

「はい! 三枝さえぐさトオルと申します。今日はよろしくお願いします!」

 開け放したドアの向こうから応対した長身の男は、トオルがアポ取りの電話をした時と同じような事務的な早口で彼を迎える。継ぎ接ぎだらけの白衣を着崩した男だ。鷲鼻の陰に鎮座する瞳はトオルをドキリとさせ、往年の映画スターを想起させた。

「挨拶はいらない。無駄なことは嫌いなんだ……」


 燃え盛る燭台が取り囲まれるように配置されたエントランスを通過し、正面の階段脇にある応接室に入る。

「さて、面接を始めようか」

 トオルの眼前で椅子に腰掛ける男は、玄関先でアルベルト・ボルゾーと名乗った。白髪混じりの金髪を一つに束ね、眉間に皺を寄せながら手元の履歴書を確認している。

「君は……なぜここに来たんだい?」

「はい、友人の紹介で……」

「過程を聞いてるんじゃないんだよ。目的は何かな?」

「すいません、住み込みで高い給料が払われると聞きまして……」

 トオルは焦っていた。狼狽していた、そう言い換えてもいいかもしれない。彼の人生に面接は無縁のものであったし、準備もほとんどしてこなかったのだ。念のため買っていたスーツが慣れない。

「車の免許などは?」

「持ってますけど、ペーパードライバーでして」

「そうか。君は夢を持っているかい?」

「はい?」

「夢だよ。野望とか、欲望とか、そういう物だ……」

「夢ですか……。一応、『俳優になりたい』と志してまして、劇団員やってました」

「一応、ね……」

 ボルゾー氏はさらに眉根を寄せた。なんだろう、何か不手際をやらかしてしまったのかな。トオルの鼓動が速くなる。

「因みに、何をやっていたんだ?」

「『ラ・マンチャの男』をやらせて頂いてます」

「成程」

 履歴書が裏返された。ボルゾー氏は大きく息を吐くと、唐突な質問を投げる。

「君、私の肩に乗っているものが何かわかるかい?」

「えっ、あっ、えっ……? 何も見えませんけど……」

 彼は目を凝らし、面接官の肩を見つめる。何も見えない。目を瞬き、もう一度注視しても、視界に変化はない。彼は透視能力に使うESPカードを思い出した。

「見えないか……。素質なし、と」

 そう呟く男の表情を見て、トオルは顔をしかめる。緊張はピークに達し、発した言葉が部屋の隅から聞こえだす始末だ。相手の反応も芳しくなければ、採用される自信もない。今はただ、すぐにこの場から離れたいという思いが彼の心臓を縮める。


「これが最後の質問になる。ある思考実験をしてもらいたいんだ」

「思考実験」

 ボルゾー氏はそう言うと、床に置いたかばんをごそごそと探った。

「ここに、二百万の札束と自動小銃がある。装填されている弾丸は一発だけだ」

 インクの匂いが部屋に充満する。二つの札束の上に無造作に置かれた銃は、その身にトオルの青い顔を映している。

「例えば、『これをすべて使い切って最大多数を幸福にしろ』と私が言ったとする。君なら、どうする?」

 今のトオルは何も考えられない状態にある。頭が真っ白になる、という陳腐な表現がそのまま当てはまってしまうほどに、彼は余裕をなくしていた。

「この質問をされた聖人は、『銃を売り、その金と二百万円を寄付する』と答えた。だが、売られた銃は人殺しに使われるだろう。それに、たったこれだけの金で誰を幸福にできる?」

 トオルは答えない。否、答えることができない。

「ある悪党は、『銃を片手に金持ちを襲い、得た金を一晩で使う』と答えた。経済を回してやるんだ、そう言っていた。今の奴は強盗殺人で服役しているよ。さぁ、君はどうする?」

 彼は真っ白になった頭で思考を巡らせ続ける。意図のわからない質問に、最適な回答などあるはずがない。それをわかっているはずなのに、彼の脳細胞は最適解を考え続けている。

「いいか? この質問は思考実験だ。モラルだとか、道徳観だとか、そういった物はどうでもいいんだ。掃いて捨てるほどの価値もないんだよ、そんな物には。だから、君ならどうするか、それだけを聞かせて欲しい」


 その瞬間、トオルの緊張の糸はぷつりと切れた。彼は男を睨み付け、唇を歪めて笑顔を作った。

「私なら? そうですねぇ……。『出題者に銃を突きつけて財産を有るだけ降ろさせ、二百万とともに全部燃やす』なんてどうでしょう?」

「ほう……。その心は?」

「この社会は下手に動かさない方が良いんですよ。それがわかった上で誰かを幸せにしようとする偽善者だとか、そいつらを焚きつける暇なブルジョワどもは痛い目見るべきだと思いませんか?」

 言ってしまった。心と頭が出した結論を自らの口が言い放った筈であるのに、口から離れた瞬間に後悔となって返ってくる。今のトオルの表情が滑稽であることは彼自身が痛覚していたし、思考実験に詭弁で対抗したことになる。でも、これが彼の本音であるのだ。彼の見ている世界は、天国でもなければ地獄でもない。現状に不満はあるが、変えようとは思っていない。むしろ、世界は自分ひとりの努力ではどうにもならないほどに肥大化している。無理に変えるのはバカがやることだ。

「成程、君は私の仕事を全否定してくれるわけだ。まったく……気に入ったよ!」

「はい?」

「採用だよ、採用! その思想、最低だね! 向上心もなければ、ハングリー精神も無い。素質もないし、野望もない。私はこういう若者が一番嫌いで、大好きだ!」

 ニコニコと笑うボルゾー氏の姿を直視し、トオルは困惑を隠しきれない。

「さて、さっそく今日から仕事をやってもらおうか……!」

「えっと、仕事は確か……」

「あぁ、うちの娘の話し相手になって欲しい!」

次回投稿は早めに……

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