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Muse Night:origin  作者:
ラウン編『人造ペシミズム』
10/25

セケンバナシ

オヒサシブリデス! 年始一発目!

「ですから、芝居をやめたいんです」

「そうか。残念だけど、生活のためなら仕方ないね」

 受話器の向こうの声が他人行儀に聞こえたので、トオルは通話をやめた。座長は人の名前を覚えない。端役ばかり割り振られる大根役者の名前など、覚える価値が無いとでも思っているのだろうか。トオルは無表情で受話器を置く。

 この部屋のものに価値はない。逃避が形となったガラクタばかりだ。或いは、この部屋の住人すら数多のガラクタの中の一つかもしれない。とにかく、引越し先に持っていくものは古びたキャリーバッグの中にすべて収まってしまった。あとはみんな捨ててしまおう。トオルはそう思い、父親から譲り受けたスポーツカーの鍵を手に取った。

 トオルが小さな頃、彼の父親はスポーツカーを買った。下品なほどに鮮やかなレッドの車体は見るからにステロタイプな成金趣味で、酒が回ると熱く語りだす父親の姿は彼の脳裏に強く焼き付いている。

 そんな父親の愛車を、彼は慣れない手つきで操縦する。ペーパードライバーの彼にとって、左ハンドルの暴れ馬を乗りこなすには骨が折れる。交通量の多い五車線道路だとなおさらだ。後ろの窓に貼った若葉マークに羞恥心を刺激されながら、彼は軽自動車を買わなかったことをひどく後悔した。


 高速道路を利用するには、この街は入り組みすぎている。初心者泣かせの環状道路を通過するのは諦め、国道を経由して目的地に着いた頃には、夕方近くなっていた。

 トオルは苦心しながら駐車場らしき庭の空きスペースに車を止め、周囲をキョロキョロと確認する。そう広くもない庭には、先客がいた。

 黒いワゴン車の中は、スモーク加工された窓のせいで見えない。一見なんの変哲もない乗用車に見えるが、それが却って不安な感情を増幅させた。脳の危機意識を司る器官がそれ以上の詮索を全力で止めている。

 彼が職場に入ろうとした瞬間、そこから出てきた男とすれ違う。

「今日は祝杯だな……!」

 ニットキャップを目深に被った男は封筒を片手にそう呟き、トオルの前を通り過ぎる。首を傾げる彼の後ろで、エンジン音が響いていた。


「ボルゾーさん、あの人って一体……?」

「あぁ、トオルくん。帰ったんだね……」

 ボルゾー氏は汚れた麻袋を片手に、いつもの事務的な早口でトオルを迎える。さながら季節外れのサンタクロースのようだと彼は思ったが、すぐに質問を繰り返した。

「そうだ、実験の材料を受け取ったんだよ。出資者スポンサーの知り合いで、彼のモノは鮮度がいいんだ」

 袋の中の『何か』たちは薄青く発光しながら、ぎっしりとその中に詰まっている。

「スポンサーって……。一体なんの研究をされてるんですか?」

「そうだねぇ、完成すれば世界がひっくり返る発明、とでも言っておこうか」

 ボルゾー氏は薄く微笑み、階段の陰に消えていく。トオルはその様子をじっと見つめ、首をかしげた。


「地下室?」

「うん、地下室。この家、そういうギミックはしっかりしてるんだよね」

 ベッドに腰掛けた少女は足をバタバタと動かしながら、枕元のぬいぐるみを振り回している。話し相手にあまり目を合わせないのは、長らく家から出なかったためなのだろう。トオルはそう納得する。

 彼の仕事はこの少女と話すことだ。彼女は仕事初めに緊張しているトオルを笑い飛ばし、敬語をやめさせた。

「地下室って……。あの大きい階段の近くに入り口が?」

「まぁね、あそこエレベーターになってるから」

「エレベーター!?」

「半年ほど前に知らないおじさんがいっぱい来て、めちゃくちゃうるさい音たてて帰っていったんだよね……」

「この家、リフォームとかしてあるんだ……」

 幽霊屋敷めいた洋館で仕事をするリフォーム業者の受難を想像し、彼は思わず失笑する。確かに、電気やガスなどのライフラインがこの家にだけ整備されていないのは違和感がある。だとしても、エントランスに置かれた燭台は本物だし、昔ながらの暖炉が未だに残っていそうな風格すら漂わせている。そのアンバランスさの局地が、このロココ調の小部屋に不釣り合いに置かれたボロボロのブラウン管テレビだ。

「これさ、映るの?」

「うーん……。付けてみて!」

 トオルが電源を点けた瞬間、砂嵐が一面に表示される。鼓膜に直接訴えかけるようなノイズに彼は顔をしかめ、そのまま電源を切った。

「まぁ、こういうことだよね」

「映らないテレビ観て何が楽しいんだよ……」

「えっ、意外と落ち着くよ。こうやって砂嵐に耳を傾けてたら、ざわざわした感情の波がすーっと落ち着いてくるんだよね……」

 この音を聞いた方がざわざわするよ、そう言いたいのをトオルはぐっと堪えた。

「それに、ちゃんと暇つぶしもできるから!」

 ラウンはそう言うと、ブラウン管の下のビデオデッキをゴソゴソと弄った。吐き出されるビデオテープのラベルには、洋画のタイトルが書かれている。

「好きなんだよね、映画とか演劇とか」

「演劇……」

 思わず見つかった共通点だったが、トオルは思わず苦い顔をする。彼に背を向けて語るラウンの背中を見つめる視界がぼやけていく。

「ところでお嬢様、ひとつ聞きたいことが……」

「また急だね。どうしたの?」

「あぁ、なにか悩み事とかがあるのかなって……」

「悩み事……? なんで?」

 トオルは言葉に詰まり、遠まわしな表現を諦めた。

「その……なんで死にたがるのかな、って」

「あー、これ? これね、病気!」

「病気?」

「うん、『ペシモイド』。慢性的悲観主義症候群って言えばわかるかな?」

「ごめん、病気には詳しくなくて」

「だろうね、知らないよね。だって、そんな病気ないもん」

「えっ……?」

 ラウンは悪戯のばれた子どものように、にやりと笑った。

「人間ってさ、カテゴリ分け出来ないものを恐れるんだよ。だから名前を付ければ、納得してもらえるし納得できる。そうでしょ?」

「そういうものかな……」

「そういうものだよ!」

 やっぱりこの子は独創的だ。トオルはそう思い、小さくため息をついた。

「なんで死にたいか、ねぇ……。うーん、強いて言うなら……人生に飽きたんだよね」

「人生に飽きた?」

「うん。自虐的でもなんでもなく、ただそれだけ。この部屋で、おばあちゃんになるまで過ごすって耐えられなくない?」

 カゴの中の鳥が見る世界は、狭いまま完結してしまったのだろうか。トオルは返す言葉が見つからず、黙り込んだ。

「こうやってボクが君と話してる間、外の世界では誰かが死んでるんだよね? まだ14年しか生きてないんだけど、こんなつまらない世界でも死ねないボクは何なんだろうね?」

 彼は何も返すことができない。

「あっ、イカれてるとか思ってるんじゃない? こんなの、狂気とは呼ばないよ。僕は死ぬために全力を尽くしてる。『一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。』」

「セルバンテス……?」


 その言葉に、彼は劇団員だった昨日を思い出す。この台詞は、参加していた練習で嫌というほど聞いたものだ。座長扮する主人公が言った台詞だ。

 トオルは考える。狂気的なのはどちらだろう。昨日までの自身なら、彼女に指を突きつけて「狂気的だ」と罵っていただろう。しかし、彼女が引用した言葉を借りるなら、現実を諦め、追い求めていた夢さえ諦めた宙ぶらりんな自身こそが『憎むべき狂気』ではないだろうか。胸が痛くなる。上がってきた胃液が喉を侵す。

 ドン・キホーテは、風車を巨人だと信じ込んで突撃した。滑稽な話だ。身の程を知らないし、敵が見えていない愚者だ。ただ、騎士は確かに戦っていた。それはくだらない現実かもしれないし、周囲の冷ややかな視線かもしれない。その戦っていた姿勢こそが、彼の物語を物語たらしめる理由なのだろう。彼は逃げなかったし、自分を偽らなかった。決して打算的ではなかったし、決まりきった人生を受け入れることはなかった。むしろ、そのような人生を少しでも楽しもうとしていたのではないだろうか。


「なんか重くなっちゃったね……ごめんね?」

 少女の一言で我に返る。

「いや、こちらこそごめん。それより、お嬢様は『ラ・マンチャの男』をご存知で?」

「うん、好きな映画だよ。トオルも知ってるの!?」

「まぁ、知ってるというか演じてたというか……」

「へー、良いな! 舞台に立ったことあるの?」

「台詞のない役をカウントしていいなら……」

「あぁ……なるほどね! 今は、舞台は辞めちゃったの?」

「俺じゃ続けられる気がしなくて……」

「えーっ、勿体ない!」

 ラウンはトオルの傷口を容赦なく抉るが、彼は何故か苦痛ではなかった。むしろ、彼女の少し空虚な言葉は、彼の心の隙間をシェーブクリームのように覆い尽くしてすらいる。

「あとさ、そのお嬢様って呼び方……なんかむず痒いんだけど」

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

「あれ! めっちゃ憧れてたんだけどさ、一回『お嬢』って呼んでみて!」

「…………? お嬢……。」

「あぁぁ!! 良いねぇ……!」

 少女は嬉しそうにベッドで跳ね、スプリングを軋ませた。

筆が進んだり進まなかったり

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