欠乏したもの
不定期で過去編書いていきます。まずはライくん
深い霧が街行く人々の視界を遮る夜、少年は辺りを不安げに見渡しながら歩いている。月は顔を隠し、周りにぼんやりと浮かぶ儚げな街灯の火だけが足元を照らしていた。
「坊や、迷子かい?」
石畳の歩道に胡坐をかいた男は、ネイビーのニットキャップに半分隠した瞳を少年に向けた。
「この辺、一人で歩いてると危ないよ。人攫いが出るんだ……。怖いよね?」
無精髭に隠れた薄い唇の端をニッと歪めながら、男は少年に近づく。ポケットから取り出したレモン・キャンディーを手渡し、通りの向かいに停めてあるワゴン車を指さした。
「家まで送ってくよ! 歩くと時間かかるだろ?」
少年はコクリと頷き、ワインレッドの瞳を嬉しそうに細めた。
「父さん……もうちょい仕送り用意してくれよ!」
頭を抱える少年の目の前の机には預金通帳が置かれている。一ヶ月の振り込み額は5桁で、彼ら兄弟の生活費を補填するには少し厳しい。
「食費に洋服代、光熱費だろ? こんだけ引かれて……えっ、残金少なすぎない!?」
そんな彼らの余裕のない生活には理由がある。母親は弟が生まれて間もなく病死し、父親は不治の放浪癖で長らく宿無しである。すなわち、二人の生活は兄である夕澄ライの双肩にかかっていた。
「兄さん、もうすぐクリスマスだよね……」
黒縁メガネを掛けた少年、夕澄ハクトは頭を抱える兄の背中におずおずと話しかけた。
「あぁ……何か欲しいものあるか?」
「いや、要らないよ。なんにも要らない……」
ハクトは右眉を上げ、ポケットの紙片を乱雑にゴミ箱に捨てた。ライは弟の『嘘吐きのサイン』を見定める。
「あのさ、お兄ちゃんちょっと銀行行ってくるから……! 留守番しててな?」
ライは歯痒さを隠すように、逃げるように家を出た。
地下鉄に吸い込まれていく人々を目で追いながら、ライは自身のお気に入りの場所へ向かった。オフィスビルが立ち並ぶ幹線道路を抜け、コンビニとレンタルビデオ店の間の小道を通り抜ける。コンクリートの壁が窮屈な道をさらに圧迫する都会の隙間で、彼はポータブルMDプレイヤーから流れるロックバンドの歌声を聴いていた。
「欠落感……何が俺に足りないんだろ?」
彼の自問には明白な答えがあるはずだ。お金が無い、それ自体はひどく単純な悩みであるはずだ。しかし、彼の幼さはその不幸な欠落の正体を知らなかった。生活のために資金が必要だということはわかってはいるものの、彼には羅生門の下人になる覚悟はなかったのである。家族のために命を賭し、修羅になる覚悟が。
『ねぇ、なんの曲聴いてんの?』
不意に聞こえた声は、小さなコウモリの姿をしていた。ライは顔を上げずにMDの手書きラベルを声の主に向ける。
『へぇ、いいセンスしてるじゃん!』
「このリリック良くない? めっちゃ共感できるんだよな……」
ライはお気に入りのバンドについてのあれこれをコウモリに向けて語りだす。コウモリは一頻り頷いたあと、静かに疑問を呈した。
『あのさ、未知の生物が近くにいることにもうちょっと驚いてよ……!』
「大丈夫、昔からお前みたいな奴は見えてるから」
『えっ、素質持ち? この街でよく寄生されなかったね!?』
「父さんに『このタイプの生物は悪魔だから近づくな』って昔から言われてるんだよ……!」
『親子揃って素質持ちですか……』
コウモリはライの隣にふわりと着地すると、少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
『ねぇねぇ、なんか願い事とかない? ディークの特性なら知ってるでしょ? 叶えられるよ〜……?』
「願い叶えたら精神乗っ取られるんだろ?」
『うっ、その辺は……善処します……!』
「下心見え見えなんだよ!」
彼女は諦めない。別のアプローチをライに仕掛けていく。
『例えばさ! “ヒーローになりたい”的な願いはどう? この年代の男の子ってみんなそういう願望あるでしょ!?』
「却下。悪いヤツらだって賢くなってきてるんだから、滅多に姿なんて見せないでしょ?」
『この街にはいっぱい居るんだけどなー……』
「それに、世のため人のために自己犠牲するなんてバカバカしいだろ! “みんなを守る”願いなんてする奴居る?」
『うっ……!』
ライはきっぱり断ろうとしたが、少し思い悩んで呟いた。
「でも、ちょっとお金は欲しいかな? 弟のクリスマスプレゼントを買えるだけの金が……」
『兄弟愛ですか……。何があったか知らないけど、その願いを叶えましょう! 君の心の欠乏、埋めてあげましょう!』
ライの胸にコウモリの影が流れ込んでくる。魂の半分を割譲したような感覚の中、ライは血に染まる二丁拳銃のビジョンを感じてしまう。
「えっと、これで願いが叶うのか?」
『よし、まずは銀行強盗でもする?』
「合法的な手段で稼がせろよ!!」
『えー、手っ取り早く乗っ取れるのに……』
「そうやって何でも簡略化する風潮嫌い! とりあえず銀行寄って帰るから、それまでに稼ぐ方法考えとけよ!」
『はいはい……』
都市銀行の広いロビーでは、老若男女さまざまな人が思い思いの時間を過ごしていた。不機嫌な子供をあやす母親や、携帯を肩で挟みながら苛ついて話すサラリーマン、眼鏡をかけた長身の男と背筋をぴんと伸ばした恰幅のいいロマンスグレーの紳士など、バラエティに富んだ群衆の中にライはいた。彼は行列のできたATMに並んでいる。
「そういえばさ、お前って名前あんの?」
『んー、私はオリジナルだから名前は……。それがどうしたの?』
「いや、名無しさんじゃ呼びにくいだろ?名前を付けようかなって……」
『えっ、カワイイ名前にしてよ!?』
「よし、メキシコに吹く熱風! という意味でサンタナ……」
『却下』
「はいはい、了解……! 夕澄……ユウズミ……ミューズ……! ミューズでいこう!」
『ミューズ……。ダサくはないね……』
ライたちが名付けに関する熱い議論を小声で交わしていた時、背後から悲鳴が響いた。
「おい! てめぇら動くんじゃねぇぜ!!」
目出し帽を被った男は、ハンドガンを構えながらそう叫んだ。その傍らに浮いているのは小さなイタチである。
『おいおい、手荒な真似は寄せよ……。逮捕されちまったら乗っ取る意味ないじゃねぇか……』
イタチの忠告を意に介さず、男は受付の係員に銃を突きつける。
「金だ……!! このバッグに金をありったけ詰め込むんだ!」
ほとんど顕になっている目を血走らせながら、男は唾を飛ばしてまくし立てる。恐怖による静寂が訪れる構内に、眼鏡の男が椅子を引く音が響いた。
『おお! 同じ悩みだよライくん! 先にやられちゃったね!』
「ちょっと黙ってて!」
パンパンに詰まったボストンバッグに満足そうな笑みを向け、男は少し思案した。
「おい、もうすぐ警察が来るんだろ!? お前らは人質だ! 解放されたきゃ、警察に身代金を払ってくれって泣きついてみろよ!」
男は銃の安全装置を解除しつつ、サラリーマンの客に110番をするよう脅した。泣き声混じりの通報をするサラリーマンの声は、銃を突きつける度に上擦っていく。
「あー……あのさ、早く帰ってくれない?かわいい弟が家で待ってんだよ……」
ライはひらりと銃口の先に立ちふさがり、少し怒りの声を上げた。
「あぁ!? なんだガキ……俺に文句あるのか、てめぇ……?」
「いやさ、マジで邪魔。テンプレすぎるモブ強盗さんはそろそろ退場していただけないですかね?」
口の端に余裕の色を残しながら、ライはミューズに尋ねる。
「なぁ、前言撤回していい? ヒーローになるのも悪くないかなって!」
「ガキ、喧嘩売る相手間違えたな? 俺は拳銃持ってんだぜ? 丸腰のお前がどうやって勝つんだよ……!」
『おい、アイツもお前と同類だぞ!? 同類のディークノアだぞ!?』
イタチの焦りより男の慢心が勝ったようだ。余裕ぶる男の眼前には、強く握った拳を男の方へ向けるライの姿があった。
「何がしてぇんだよォォォ!!」
ズガァァァァン……!!
男の叫びは銃声にかき消された。吹き飛んで落ちる刹那のハンドガンを視認し、そこに大穴が空いていることを確認した時には、男は見えない“何か”に殴られていた。
「よーし、帰ろっか!」
『アンタ、なんで二丁拳銃なんて使えんの……?』
「エアガンで練習してたんだよ!」
近接格闘を用いて銃床で強盗を殴った彼は、清々しい表情でそう答える。
「君……。もしかしてディークノアかい?」
赤色灯のサイレンが殺到しだす銀行前を抜けようとしたライに、恰幅のいい老紳士がそう聞く。振り向いた彼は、警察手帳を向けた眼鏡の男に挙動不審になった。
「あー、罪状は何ですか? 暴行罪? 銃刀法違反? 正当防衛ってことになりませんかね……?」
焦るライに紳士は笑って答える。
「いや、君を逮捕しに来たわけじゃないんだ。実は、捜査協力をお願いしたいんだ……」
今回はパロネタの明記はしません。ファ○通の攻略本チックにしてます。