大きな世界樹の木の下で
ルーシュ達の話に戻ります。
イヴェール王国で勇者の実家調査を終えた後、セドリック国王と話し合い、難民避難の手伝いをする事になったルーシュ達。イヴェール王国の東にある大森林を越えて、ミストラル王国へと向かう事になります。時間軸的には前話より少し戻ってます。
ルーシュ、レナ、レヴィアの3名は空を飛んで世界樹へとやって来ていた。
ミストラルへは大森林の上空を飛んでいこうという話から、ならば途中で世界樹にでも寄って行こう…という話になったのだった。飛ぶ途中に世界樹は無いので遠回りになるのだが、空を飛べば1日で辿り着ける距離だったので、途中に休憩を入れながら休み休み飛んで行く事にした。
実はレナがお父さんには会わないという事を言っていたが、ルーシュとしては一度会わせておいた方が良いだろうという配慮で、レヴィアもそれに乗っかっただけである。
3人は世界樹まで歩ける距離になると着地する。そして、歩いて世界樹の麓にある村の方へと向かう。
さすがに飛んで行くのは問題なようだが、もはやダンタリウスに言われた『飛ぶの禁止』という約束は無視されていた。ルーシュも『人前で飛ぶの禁止』に書き換えたほどである。
「それにしても冒険者協会って凄い優れてたんだねぇ。どこに行ってもちょっとしたお金をかければ簡単に引っ越して同じ商売が出来る。セイも色々と便利な使い方を教えてくれて助かるよぉ」
ポヤポヤと森の中の道を歩きながらルーシュはぼやく。
「というよりも、セイがそのシステムを作ったらしいの。冒険者協会でアイテムを売って、少しお金を継ぎ足せば同じレベルのものが購入可能になるという訳か。このシステムはある意味で暗黒世界の魔族に応用したい所じゃの」
「確かに、暗黒世界の魔族は居住を頻繁に変えるもんね」
レナは納得と言った顔で頷く。
「さて、アシュタールがどこで何をしているか見ものじゃのお」
「全くだよ。あのポンコツ魔公。自分の父親とは思えないよ」
レヴィアとレナは容赦なくアシュタール2世を断罪する。
「僕としては地上に来ていたことの方が問題なんだけどね。ウチの父も来ているらしいし、どうなってんだ、あのダメ魔公達は」
ルーシュは膨れっ面でぼやく。とはいえ、軽口をたたいているあたり、裏切られたというよりは、何かしら事情があってやらかしてしまったという信頼が両父親にあるからこそ言えるのだが。君主放棄や娘の売却なんてよほどの事情がないと起こらない事だという信頼があった。
3人が森を抜けると、天をも貫くような巨木が伸びていた。
無論、彼らはこの巨木を目標に飛んでいたのである程度の大きさは把握していた。しかし、一度森に降りてしまったので、巨木が見えなくなっていた為、いきなり近づいて見上げる格好となり、その大きさに圧倒される事となる。
頂上は雲によって見えず、その幹の太さは魔王城よりも大きく、巨木の足元に広がる山村は城下町のようにも見える。畑があちこちにあり種族に関係なく農民達が仕事に励んでいた。
「ほえー、それにしてもでかいなぁ。前に銀の林檎を取りに行った時も驚いたけど、暗黒世界と違って木々が大きいねぇ」
ルーシュは巨木を見上げる。
「本で読んだけど、木や草って太陽の光を受けて育つみたいだよ?魔力を吸って育つ木や草もあるみたいだけど、その種類って暗黒世界にもある草木だった」
レナは乱読家で、グランクラブにやって来ても色々と本を買っては読んでいた。その為か、最近ではめっきりルーシュも知らないようなこの世界の知識をつけてきていた。その前は神聖教団の聖書だとかも読んでいた。聖書はただで配布されているから丁度良いなんて言っていた程だ。
布教用が無料で配られている為か、ラフィーラ教会や神聖教団自由派の聖書なども読んでいた。
ルーシュ達が世界樹の入り口と思われる場所に向かう。
そこには、美しい鎧を纏う緑色の髪をしたエルフの男達が世界樹の麓に立っていた。恐らく警備兵なのだろう。
とはいえ、そんな事よりも世界樹の入り口として存在している樹の中に続く穴の方に興味が引くのだった。
「樹に穴がある!?」
「世界樹は初めて来たが、どうも樹の中に街があるらしいぞ?」
「本にも書いてあったよ」
驚きの声を上げるルーシュに対して、レヴィアとレナが知っている事を説明する。
「マジ!?」
ホワアアアアアアアッと目を輝かすルーシュは入り口が何かのアトラクションかのように感じて楽し気に視線を送る。
「そんなに興味あるの?」
「昔、異次元図書館でそんな感じの物語を読んだ事があるけど、まさか実在したとは。暗黒世界にそんな大きい木々は無かったからなぁ」
ルーシュは羨ましそうに高々と聳える樹を見上げる。
3人が世界樹の中に入ろうと歩いて行くと
「待て!お前ら、許可なく世界樹に入る事を禁じている」
2人のエルフの警備兵が、ルーシュ達に槍を向けながら近付いてくる。
「はれ、許可がないと入れ無いの?」
ルーシュは目を丸くして警備兵と思しき2人のエルフを見る。
緑色の長髪を伸ばした2人のエルフは、絵本に出てくるような美しい容姿をしていた。
だが、そんな彼らも、ルーシュの言葉に対しては眉間に皺を寄せて汚い物でも見るような表情になって答える。
「当然だ。ここは偉大なる預言者様の治める世界樹だ!貴様らのような下賎な魔族が入って良い場所では無い!」
「高貴なる我々の大樹に足を踏み入れるなど大罪に等しい!」
エルフ族にも貴族というものがあるのだろうか?ルーシュは不思議そうに2人の警備兵を見ると
「ルーシュはどこに行っても下賎だねぇ」
レナはケラケラと腹を抱えて笑う。
ルーシュは不本意そうな表情でレナを恨めしそうに見る。
「空から行くかの?」
レヴィアが遥か上空にも、あちこち穴が開いていて中に入れる入口があることを指摘する。
ルーシュはこの世界樹がまるで洞窟の様になっているのを見て、地平山の上にある地上へ繋がっていると言われている洞窟に似ているなぁと関係ないことを思い出す。
「いや、中に入っちゃいけないのではなく、世界樹に足を踏み入れるなといわれたからね。でも、困ったな。預言者のお祖母ちゃんに会いにきたのに」
レナは困ったという表情で空を見上げる。
「き、貴様!預言者様に向かって何と言う暴言を!」
自身の主でもある存在をお祖母ちゃん扱いするレナに対して警備兵達は怒り狂う。
「そういえば、あの人、自称17歳だったよね」
ルーシュは思い出したように口にする。
だが警戒している警備兵達は3人に強い敵意を向けてくる。
すると空より警備兵と3人の間に落雷が起こる。青い空に白い雲が浮かぶ天気であるにも関わらず。
落雷した場所には青い髪を長く伸ばした白いレースのローブを着ている美しい青い瞳の女性が立っていた。
「誰が自称17歳ですか!誰がお祖母ちゃんですか!レディに対しての暴言は禁則事項です!」
ゴンゴンッ
突如現れた女性による正義のゲンコツがルーシュとレナの頭頂部に叩きつけられる。
キュウと涙目で頭を抱えて蹲るルーシュとレナ。一同が驚いているが、何者かとレヴィアが問うまでもなく
「よよよよよよよ、預言者様!?」
警備兵達は後に物凄い勢いで下がって、頭を打ちつけるような勢いでひれ伏すように跪くのだった。つまり目の前の女性こそが会いに来た相手である預言者であると理解される。
「あはははは、びびられてやんの」
ルーシュは愉快そうに空から落ちて来た預言者を指差して笑う。
「魔公王子であらせられる貴方ほどではありませんよ」
「いえいえ、謙遜せずに。預言者様にはかないませんよ」
ルーシュと預言者の二人は回りに恐れられている度合いを謙遜し合う。
「両方嫌われてるって事で良いから、くだらない目くそ鼻くそごっこは辞めようよ」
レナの身も蓋も無い言葉に2人はがっくりと肩を落とす。
だが跪いている男達は如何すれば良いのか分からなくなっていた。預言者はこの世界樹の主である。
「面を上げなさい。貴方達は引き続き警備に当たること。私の事は気にしないで下さい」
「「は、はい」」
エルフの男達は慌てて世界樹の入口の方へと戻っていく。持ち場に戻る警備兵を見送ると、預言者はルーシュ達の方に向き直る。
「さてと、貴方達は中に入れないので、そこら辺の酒場にでも入りますか」
「えー、入れないの?」
ルーシュは凄くガッカリした表情で預言者を見る。そして悲しげな視線を預言者から世界樹へ向ける。だが、預言者はそんな捨てられた子犬のような目をされても頑として言い切る。
「ええ、入れません。別に私が通せんぼしようと言うのではありませんよ。わたしにそういう権限がないだけです」
「樹の主に権限がないとかどうなってる、世界樹?」
ルーシュは引き攣った表情で世界樹を指差して預言者に抗議する。
「まあ、樹の主であっても村の実権は無いんですよ。全く、これっぽちも。そうですね、シンボルみたいな?」
「暗黒世界の魔王みたいな人だ!?」
レナはふと思い出して口にする。
「多分、暗黒世界の魔王にシンボルみたいな立場を押し付けたの、うちの子でしょうね」
うんざりといった顔で預言者は溜息をつく。
預言者に連れられて入ったのは冒険者の館。小さなテーブルにレナと預言者が横に並び、その対面にルーシュとレヴィアが座る。
ルーシュとレヴィアとレナはミルクで、預言者はキンキンに冷えたエールであった。
「くはーっ…やっぱりこれよねー」
「聖職者とは思えない」
「えー?ルーシュ様、私が聖職者な訳ないでしょう?」
「そーなの!?」
ラフィーラ教の教祖だと聞いていた。教祖が聖職者じゃないというので、ルーシュ達は頭の上にクエッションマークが浮かぶ。ちなみにルーシュも魔神信仰者からすれば魔神の子孫である魔王家の一員に数えられているので、本来であれば強制的に聖職者なのだが、当人に全く自覚がなかった。
「私はただの孤児でした。ラフィーラ様はかつては放浪癖がありまして、私は神とも知らず街で出会い、とても仲良くさせて貰いました。ですが私はエルフ達の戦争に巻き込まれて死ぬ事になりました。そんな私にラフィーラ様は奇蹟を起こし、偶然が重なって、私はハイエルフへと進化したのです。通常、ハイエルフになるには、体の中に膨大な魔力と体が順応する機能がなければいけません。天界のハイエルフは背に美しい半透明の羽があります。背に羽をもたない私は、例外的なハイエルフなのです」
預言者は自分の少し悲し気な生い立ちを、おつまみの枝豆を食べながらたわいもない話のように口にする。かなりドラマチックだったように感じたが当人からすると大した事ではないのだろうかとルーシュやレナは疑問に持つ。
「聞けば聞くほど、ダンタリウスの爺に似た境遇じゃの」
レヴィアはかつて魔王家の人間に聞かされたダンタリウスが魔公になった逸話を思い出す。彼も魔公になる手術を受けずに死にかけた所をシャイターンの哀れみによって魔公になった例外の魔公。背に翼を持たない唯一の魔公だった。
「ハイエルフも魔公も基本は同じです。ラフィーラ様もシャイターン様も同じ神ですから。魔公とハイエルフは種族間の差や手術の違いだけでしょうね」
「へー。ラフィーラ様もウチの祖先と同じだったんだぁ」
よその種族のよそのお話というイメージが強かったが、こうして話すと種族間に大きい差異がない事を感じさせられる。
「ええ。そういう意味では…レナはラフィーラ様の末裔、レヴィア様はリヴィアス神の末裔、ルーシュは現役で魔神の後継者ですし、神の子が3人も揃って行動しているのは初めて見ましたね」
預言者の指摘に言われてみればと3人で顔を見合わせる。
「まあのぉ。というか、レナの母親がラフィーラ神の末裔とはしらなんだぞ」
「知る筈も無いでしょう。私はあの子達を養い、育ててきましたが、ラフィーラ様の血を引くことを伝えてません。幾人ものハイエルフたちも彼女達が特殊である事を伝えてません。神の子だなどと伝えるにはあまりにもこの世界は酷いですから」
「まあ、魔公達もシャイターン様がいなくなり、その子供達は殺し合いを始めたからの。懸命な判断じゃろうて」
レヴィアの言葉に預言者はもっともですと苦笑する。
「そういう意味では……ラフィーラ神の子孫で勇者パーティの子とシャイターンの子孫であり魔王の子孫が婚姻関係にあるというのは、天界と地上と暗黒世界を繋げる象徴的な意味を持つのでしょう。私の言いつけに背き魔王討伐などに加担したアウロラやイザベラには色々と言いたい事もありましたが、イザベラは暗黒世界で真実を知り、良くも悪くも正しく生きて死んだのでしょうね」
「これは、もう今更婚姻は出来ないなんていえんのう、ルー君」
レヴィアは楽しそうに笑い、ルーシュは不服そうに膨れる。レナはテーブルの下で不服そうなルーシュの足を蹴っていた。何が不満なのだと文句があるらしい。ルーシュの不満はレナと結婚する事ではなく、レナと結婚することで数少ない友達が妻になってしまい友達枠が一人消える事だけである。
「ところで預言者って変な名前だけど何で?」
ルーシュはずっと気になっていた質問をする。
「孤児で、名前を親につけてもらえなかったのです。ラフィーラ様に呼びにくいからと名前を貰いましたが、余りにも重い名前だったので誰にも公で口にした事はありません。なので世間から預言者と呼ばれるようになって、預言者を名乗ってます」
「そうなんだー」
暗黒世界の名前と似たような感じなので、ルーシュは納得してしまう。
「ところで何で世界樹に入っちゃいけないの?中を探検したかったのに」
レナは悔しそうにぼやく。ルーシュとレヴィアも首を縦に何度も振って異議申し立てる。
「私は世界樹において実権が無いんですよ。シンボルだと言ったでしょう?この大森林にある自治区は亜人の集落が多くあります。ですが、亜人達によって統治されてます。世界樹はラフィーラ教の本部で、亜人達の政治で行なわれていますから。世界樹へ入るのはラフィーラ教の教主の許可が必要です」
「ふーん、教祖であって教主じゃないんだ」
「そりゃ、そうですよ。そもそも私、ラフィーラ神の教えを説いて回っても、ラフィーラ教なんて作ってませんから。それも結構、形を変えて広まってますし。だからって私のいう事を聞けなんて言えないでしょう?魔王家だって魔公の政治に口出しなんてそうそうしないし同じなのでは?」
「なるほど」
ルーシュはふむふむと頷く。
「まあ、世界樹を支配しているハイエルフやその子供達は敬虔なラフィーラ教徒ですが、何故か彼らは貴族として振る舞い、高貴なものとして多くの民を見下してますけどね。どこら辺にラフィーラ様の教えがあるのか不思議ですが、もう私も世界に干渉をするのは飽きました。失望の連続で、神様方が人間達に諦めをもって、天界で見守るだけにしているのも理解はできます。ルシフォーンが魔公を統一したというのも若さを感じますね」
「さすが自称17歳は違うなぁ」
ルーシュは、あまりにも年上な言葉を使う見た目だけが若いハイエルフを見て、皮肉を口にする。
「魔公王子って焼いたら美味しいのでしょうか?」
いきなり物騒な事を口にする預言者に、ルーシュは一気に青褪めてガタガタ震えてレヴィアの後ろに隠れる。
「ルー君、レディに年齢の事を言うのは失礼じゃよ」
レヴィアは背後に回るルーシュを見下ろしながら窘める。
「ううう。僕の気持ちを理解できるのはスコールだけだ」
ルーシュは涙目になってぼやく。最近、とみに女性比率が高くなって、同性が存在していないのだった。雄の神狼であるスコールも現在は出張中である。
「でも、世界樹はかつて迷宮だったと聞くが、大丈夫なのか?」
「まあ、基本的には。中層から上層にはモンスターが多く棲息しているのでそこまで登ろうとしなければ問題ありませんし。若い頃、大迷宮だった世界樹を攻略したのが私なんですよ。難民達を世界樹に引き取って養ってたんですがね」
「じゃあ、この自治区ってのは預言者様が切り開いたのですか?」
ルーシュは窓の外に見える世界樹に視線を移して訊ねる。
「ええ。全て私が1人でモンスターを駆逐し、不遇を受けている亜人たちを引き連れてここで生きる術を与えました。ま、世代が移り変わると、ラフィーラ教で寄付金を募りだしたり、世界樹の所有権を訴える民が増えたりして、何となく今みたいな感じに。今では、私のお客なのに、世界樹への入場は教主の許可が必要です。何で私の作った家なのに、他人を住まわせているうちに他人のものになってしまったか理解出来ないところはありますが。まあ、世の中そんなものですよ」
少し憤りの感じられる物言いであったが、ほとんど諦めているような達観した物言いはレヴィア以上に長い歳月を感じさせるものだった。だが年齢を口に出すと怒られるので、誰もそこに関しては決して触れなかった。
4人は普通に歓談しながら食事をしていた。
大森林ともなると、食事は森のものが多く、山菜や野草、獣肉が多い。香草などがふんだんに使われていて、香り豊かな食事にルーシュ達は舌鼓を打っていた。
だが、そんな所で、冒険者の館の入口が大きい音を立てて1人の男が入ってくる。
長い黒髪を後に縛り、切れ長の黒い瞳、長く尖った耳、すこし暗い肌の色をした魔族の男。年の程は20代前半ほどの若い美貌の男。
ルーシュは目を細め、レヴィアは眉を潜め、レナは開いた口が塞がらない。
「レナー!お父さんだよー」
両手を広げてレナへと駆け寄る魔族の男。
暗黒世界におけるバエゼルブ連邦共和国では有数の公爵領を統べていた元公爵アシュタール2世。つまりレナ・アシュタールの父親であった。
約1年ぶりの親子の再会、感激の父親は娘へと抱きつこうとするが、
「どっせい」
娘のレバーブローによって、父は腹を抉られて悶絶して倒れるのであった。
「おとーさん。借金の形に娘を売っておいて、今更父親面して再会を喜ぶとか違うと思うけど。まず土下座して申し訳ありませんでしたでしょう?」
「うぐうう。この鋭い打ち込み。ルシフォーン様をも悶絶さえた母親ソックリの拳だ…」
涙目でうめくアシュタール2世は地面に倒れながら、どこか嬉しそうにしていた。
残念な父親に憤慨するレナ、哀れむように溜息をつくルーシュとレヴィア。
「なるほど、私の仕込んだレバーブローはこうして子々孫々に受け継がれていたのですね」
預言者はレナの拳を感慨深そうに眺めていた。レナの母イザベラにレバーブローを仕込んだ犯人が自供していた。
「いや、本当に申し訳ない。そうか、ルー君がレナを買い戻してくれたのか。ありがとう。本当にありがとう」
土下座してアシュタール2世はルーシュとレナの前で土下座して、ルーシュに感謝を述べていた。
「つか、なんで娘売ってんの?僕はそっちが驚いたよ」
ルーシュは呆れた視線を向けて、ひれ伏すアシュタールを睨んでいた。
「ち、違うよ。借金の契約書に小さく書き込まれていた事に気付かなかったんだよ!命より大事な娘を借金の形にするとでも思ってるのかい!?」
「お父さん、賭博は才能がないから辞めろって死の間際にお母さんが言ってたのに」
「何を言う、レナ。あの頃はそうだが、今は違うんだよ!」
「その挙句、領地の一部を没収されて、娘を売り払う羽目になった男の台詞じゃないでしょ!」
「す、すみません」
レナが珍しく怒鳴り、そしてアシュタール2世はさらに小さくなる。
威厳の無い父親だった。
「取り敢えず、僕の資産を切り崩してレナは守ったけど、どうしてこんな馬鹿な事を。そもそも自領内なら問題なかったのに、ベーリオルトさんの所でなんてありえないよ。正直、僕も火山1つ噴火させるくらいに怒ったよ」
ルーシュも珍しく冷たい視線でアシュタールを睨む。その視線だけでもアシュタールは居たたまれなくなり肩身を狭そうにする。それはもう消え去りそうなほどだった。
第三者であるレヴィアや預言者もさすがにアシュタールが反省しているのだと感じる。
「……い、いや、ベーリオルト二世君がいるだろう。彼とちょっと仲良くなってね。お互いに偉大な父親を持って苦労しているって一緒に飲んで意気投合して、彼に賭博場を紹介してもらったんだ。ちょっとだけと思ってたんだけど、これがまた凄く儲かってね。ついつい調子に乗って、気付いたら…」
アシュタールは弁解するが、よくよく考えるとよくありがちな詐欺である。
まんまと乗せられる人の良い父に対してレナはほとほと呆れてしまう。この人の良さこそが、母の愛した部分なのだが、ちょっと甘すぎるのだ。
「あーの、ボンクラ2世め」
「ルーシュにいつもちょっかいかけてくる人だよね」
「大体、あのろくでなしを信じる時点で小父さんは甘すぎるよ。僕だってベーリオルト二世は信じないから」
「いや、でも彼にだって良い所はあるんだよ」
ルーシュとレナはお騒がせな対抗勢力の魔族を思い出して心から呆れてしまうのだが、そこでアシュタールがベーリオルト2世の弁護をする。
「ああん?」
すかさずレナが鋭い視線で父親を睨み、アシュタールは口を閉ざす。
「バエザルブ本家とかベーリオルトさんの息子さんとか、何だか自分の事ばっかり考えてて、他人の事とかあんまり省みない人達だから、あの人達の言葉を真に受けちゃダメだよ。君主になってあの人達にどれだけ面倒をかけられたか」
ルーシュは溜息交じりにアシュタールを責める。この小父さんは良い人なのだが、お人好し過ぎて危なっかしいのである。今まではバエラス2世がフォローしていたのだが、バエラス2世はその時にはすでに失踪していた。そういう意味では、このアシュタールの失態もルーシュの父親が不在という遠回りな原因も存在しているので呆れてしまう。
「ルー君には本当に感謝しても仕切れないよ」
「それにしても何でこっちにいるのさ。グランクラブにはバエゼルブ連邦領の許可がないといけない事になってるけど」
「いや、バエゼルブ本家が根回ししてくれてどうにか脱出を」
「あーの陰険ジジイ共が」
ルーシュは心からあきれ果てる。
暗黒世界の中でもいくつかの派閥が存在する。穏健派の代表がバエゼルブ連邦国領の君主ルーシュ・バエラスと旧主派の代表がベーリオルト王国領の王ベーリオルトである。暗黒世界の与党と野党という対立構造を作っていた。
だが、バエゼルブ連邦国内においても内部に派閥は存在する。君主はルーシュであっても、その立場はいくつかの領地にいる魔公の支持によって成立している。つまりルーシュの国は共和制を取っており、多くの領主達の合議制で成り立っている。対抗勢力のバエゼルブ家が本家で、現在の君主がバエゼルブ分家のバエラスから出しているといえば、その対立も分かり易いだろう。分家が本家を抑え込んでいる状況に対して、本家は苦虫を嚙み潰したような思いで分家を思っている状況にある。
そんな政情の中で、バエラス派の中でもトップクラスの力を持つアシュタールが、ベーリオルトやバエゼルブを信じて騙されるなんて普通ならありえない事だ。だがそんなありえない事をやらかす程度に人が良いのが目の前の男アシュタールである。
「まー、もう怒ってないし。どっちかっていうと、本当に勘弁して欲しいよって感じだけど」
「ルー君には感謝してるよ。死にたくなる程に後悔したけど、今死んだらイザベラに殺されると思って流石に如何にかしようと金策に回っていたんだよ。うん」
アシュタールはルーシュに跪いて両手をすり合わせて神の様に崇める。
「でもアシュタール領はバエゼルブ家に取り壊されてるから、帰る場所ないけどね」
ルーシュが借金を返したものの、その返済にバエゼルブ連邦国も加わっており、アシュタールの領地は没収され、バエゼルブ家がその領地を乗っ取ってしまった。
「うぐ」
「っていうか、絶対にこの行方不明はあの人達の手だと思ってたし。生きててホッとした反面、何で騙されるか本当にあきれ果てたよ、僕は」
「すみません。今後一切、しないと誓います」
先ほどの警備兵達の比ではない程に、それは見事に地面に頭をこすり付けるような平伏し方で謝罪するアシュタール。
「本当だよ。もう」
レナも憤慨した様子で溜息をつく。暗黒世界に魔力が感じられないから死んだのかとさえ思ったほどだったのだ。
「じゃあ、おじさんは取り敢えずバエゼルブ領に戻ってよ。きっと魔王様が色々と助けてくれるだろうから。うちの母上に死ぬほど怒られると良いよ」
ルーシュはアシュタール2世に指示を出す。
「い、いや、それが…」
アシュタールは目をそらして言い辛そうな表情で口をごもらせる。
「?」
何だろうと首を傾げるレナとルーシュ。
「ああ、その男、ここにあるギャンブル場で金をすって、借金で強制労働中ですから、借金を返すまでは解放できませんよ?」
預言者もまた呆れたような口調で指摘する。
その言葉にルーシュとレナはさらに冷たい視線をアシュタールに向ける。それはイヴェールの厳しい冬の寒さよりも冷たいものだった。
「いくらですか?」
「50年くらい真面目に働けば返せるんじゃないでしょうか?魔公の寿命からすれば些細な時間ですよ」
預言者は優しい声色で、かなりとんでもない事実を口にする。
「あー、じゃー、金返せるまでこき使ってやってください。死ぬ事は早々無いので。まさかと思うけど、妻の実家に泣き付いて、妻の実家の膝元でギャンブルして借金増やすとか、もう突っ込みどころがありすぎて僕は面倒見切れないので」
「私もね、お父さんにはすこしお灸を据えた方が良いと思うの」
ルーシュとレナはもうアシュタールを見放して溜息と一緒に突きつける。
「正直言うと、お主の不在は色々とまずいと思うが、さすがにここまで娘達に迷惑をかけるとなると弁護できぬからの。しばし反省しておれ。我もその内対処してやるが、2人の総意じゃ」
「すみません。レヴィア様にまで迷惑をおかけして」
中立派であり、魔族の監視役でもあるレヴィアが状況を把握したので、いざとなったらどうとでもすると約束をしてもらい、アシュタールも少しだけホッとする。
「良いて。……我は魔王家の味方であってお主らの細やかな派閥争いや権力争いに興味がないのでの。ルー君があの陰険ジジイ共から離れている状況はどちらにしても好ましい。今のお主はあの陰険ジジイ共の格好の的にもなろう。暫くここにいるが良いじゃろ」
「はい」
レヴィアが溜息をつくようにアシュタールに言い、アシュタールも消沈して頷く。
すると恰幅の良い髭だらけのドワーフの男が2人ほどやってくる。腰に腹巻を巻いて頭にヘルメット、肩にツルハシを担いで冒険者協会の中を歩く。
「よーし、まだ休憩じゃないぞ、アシュタール」
「さあ、次の現場に行くぞ」
2人のドワーフはアシュタールの両肩を掴むと起き上がらせて引き摺って冒険者の館の外へと歩き出す。
「も、もう少しここにいさせて…1年ぶりの娘との再会で…」
アシュタールは涙目で訴えるのだが…
「そういうのは働いて金を返し終わってからにしような」
「どうやったらあんな金を借金できるかおれが知りたいよ、ホント」
ドワーフの男達は問答無用でアシュタールを強制労働させにズルズルと引き摺られて連れて行かれるのであった。
「バエラス派の急先鋒として名高いアシュタールの息子とは思えない人ですね、いつ見ても」
預言者も苦笑して引き摺られていくアシュタールを見送る。
「お父さん。ちゃんと自力でお金払って帰ってくるんだよー」
ハンカチを振ってアシュタールを見送る。
「あああ、娘よー。父さんはいつでも君の事を…。ルー君。レナを、レナを頼むよー」
「はいはい。早く稼いでねー」
ルーシュはシッシッと手を払って去って行くように促す。
「あの男は優しすぎて他人を疑わないのが欠点でな」
「ある意味でラフィーラ様に波長がよく似てるのですけどね。世の中、甘くないですから。何となく、イザベラの夫と言われて腑には落ちますね」
レヴィアと預言者は引き摺られて消えて行くアシュタールを可愛そうな人物として弁護するように評する。
基本的に駄目な男では無く、頭が悪いわけでもないのだが、あまりに人を信用しすぎるのだ。
これまで、親友のバエラス2世やメリッサ、イザベラといった頭の良いしっかり者が周りにいたから問題はなかったのだが、そのしっかり者がいなくなった途端にこの有様だった。哀れと思うしか無かった。
「ルーシュが君主になったり、お父さんが詐欺に引っ掛かったり、意外とバエラス小父さんのいなくなったのも大きいよね」
「あのポンコツ親父にもいずれきついお灸を据えてやるのだ」
こっちの世界に出て来ているという自身の父にもいずれきつく説教しようと、ルーシュは心に固く誓うのだった。
かなり久しぶりにルーシュの話になりました。
そもそもルーシュが諜報員の仕事をしてくれないので、二つの話が並行する状況になっています。
結局、この問題児を物語化するのは困難であることがよくわかりました。多分、勇者だけの物語にしておけばスムーズなんでしょうが、ウチの勇者は面白みのない奴なんでピンで物語の主役が張れません。
気付けばとっくに1年も経っていました。半年くらいで一段落させる予定がどうして……。元のあった物語を再構成するだけの予定が、完全新作みたいになっている所為で進みが悪いです。
設定が明確になってなかった部分をちょいちょい修正していく予定です。あと10話弱で3章終結と考えてます。……今のペースだと今年中に3章が終わりそうにないなぁ……。




