メルクール公爵邸
舞台は飛んで、メルクール公爵邸にて。
メルクール公爵邸の中では、鈍い音と共に公爵の怒鳴り声が部屋の中に鳴り響く。
「何をやってくれたのだ!このクズが!」
公爵の前には顔を殴られて、倒れている1人の老いた使用人の女がいて赤く頬を腫れさせていた。
「たかが使用人風情が勝手な事をするな!」
「も、申し訳ありません…。あまりにもマリエッタ様が寂しそうにしていたので、外の空気を吸わせてあげたいと思い…」
「誰が外に出して良いと言った!?あれは我等貴族連盟にとって足を引っ張りかねない駒なのだ。それを外に解き放つ等、バカな真似をするな!良いか、ことと次第によれば貴様らも路頭に迷う事になるんだぞ!死にたくなければ余計な事をするな、使用人風情が!」
怒鳴り散らすメルクール公爵は使用人を何度も何度も蹴り飛ばす。
メルクール公爵は蹴り疲れて我に返ると、使用人がぐったりとしているのを見て、それでも怒りが止まらないようで近くにいる護衛の兵士に声をかける。
「衛兵!アレ同様に、このバカも牢屋にぶち込んでおけ!」
「はっ」
メルクール公爵は怒りで顔を真っ赤に染めて、その場をどしどしと足音を立てて不機嫌そうに去っていく。
衛兵に連れられて使用人の老婆はメルクール邸の地下にある牢屋に押し込まれる事となる。
向かいにある地下牢にはマリエッタが膝を抱えて座っていた。自分を外に出してくれた使用人が地下牢に押し込まれるのを見て、マリエッタはあわててそちらのほうを見る。
使用人は顔を腫らしており、牢屋に入れられるとグッタリと倒れこむ。
「お婆ちゃん、大丈夫です?もしかして私の所為で怒られたです?」
マリエッタは無理を言って外にちょっとだけ出してもらった。その時、この使用人が買い物に付き合わせると半ば無理やりに連れ出してくれていたのだ。その為、マリエッタは申し訳無さそうに使用人を見る。
「いえ、マリエッタ様の所為ではありません」
「でも…痛そうなのです」
「……」
マリエッタは鉄格子に捕まって使用人の老婆を見る。
「そうやって、人のことを心配ばかりするところは、レティシャによく似てますね」
すると使用人の老婆は優しい瞳でマリエッタを見る。
マリエッタはきょとんと目を丸くする。そして2つの鉄格子を隔てて座っている老婆の言葉に時間を掛けて把握する。レティシャ、つまりマリエッタの母親の名前である。言われてみれば母親はここの使用人だったと聞いているので、老婆が知っていてもおかしくはなかった。
「お母さんを知ってるですか?」
「ええ。同僚でしたから」
「……私はほとんど覚えて無いのです。とっても優しくて、良い子良い子と頭を撫でてくれたのを覚えてるです。養護施設の院長先生はお母さんに泣いてはなれなかったんだよって言ってたけど、全然覚えて無いのです」
「幼かった頃だから仕方ないのでしょうね。ですがレティシャは貴女がお腹に出来て、この屋敷から追い出される時も、『子供に罪は無く、私の可愛い子供を一生守っていく』と笑顔で出て行きました。あなたのことを心から愛していたのでしょうね」
「そうだったら嬉しいのです。でも…覚えてない私が白状なのです」
マリエッタはしゅんとしてしまう。
きっと母親はとても優しくしてくれたのだろう事は周りから聞いていた。養護施設でも院長さんに母が死の間際に娘だけでもと懇願していたのだと悲しそうに教えてくれた。
「レティシャはとっても良い子でした。真面目で働き者で…それにマリエッタ様に似てとても美人さんでした。きっとマリエッタ様もレティシャのように美しく育つでしょう」
マリエッタは、目の前にいる使用人の女性がマリエッタの我侭を聞いてくれたのは、母親の知り合いだったのだと理解する。
「お母さんの事を知りたいのです。お婆ちゃんはお母さんを知ってるです?」
マリエッタは自分が全く母を知らなかったのでそれを知りたくなる。
「ええ」
昔を懐かしむように使用人の老婆も話を始める。
話を聞く限りではマリエッタの母はとても真面目に働いていた使用人だという。
美しく、その為に公爵に目をつけられて無理やり酷い目に合わされたのだと老婆は語っていた。その際に守ってあげられなかった事を老婆は酷く落胆していた。家を出て行く事になったのも同様で、何も役に立たずに、助ける事も出来ずにいて申し訳ない思いで一杯だったのだと。そんなレティシャの娘と出会えて、そしてちょっとした我侭をどうしても聞いてあげたかったのだと。
「養護施設に預けられて、皆が優しくしてくれたのです。院長さんはとっても優しいし、お母さんを知ってた商店街の人達もとっても良くしてくれたのです。でも、力になれなくてごめんねって謝られても覚えて無いのです…」
「レティシャはとても良い子でしたから」
「……でも、お母さんがほめられるのは嬉しいのです」
もう覚えていない母ではあるが、最後の言葉はちゃんと覚えている。貴女に出会えて幸せだった。貴女はもっと生きて幸せになりなさい…と。
それから長い年月が流れた。養護施設ではたくさんの家族ができて、その後に引き取ってくれた預言者様は実の母親のように接してくれた。
「預言者様もお婆ちゃんみたいに謝ってばかりいたのです。レティシャに気付けずマリーからお母さんを奪わせる事になってごめんなさいって」
「そう……」
「でも、預言者様は色々と教えてくれたのです。ユグドラシルの暮らしも楽しかったのです。家族がたくさんで幸せなのです。勇者様もとっても優しくて一緒に冒険するのも嬉しいのです」
「そうですか。凄く心配してたのですが、それなら安心ですね」
マリエッタは優しくしてくれた使用人の女性に嬉しくなって色々と話していた。
知り合った魔族がとってもおバカさんだけど面白い人だったとか。
一緒にいる青い髪の女の魔族が預言者様に似ていて一緒にいると落ちつくとか。
勇者様はとっても優しくて勇ましいけど、普段はとっても臆病なのだとか。
勇者様の飼ってるロベールという馬がとっても賢くて良い子なのだとか。
母の遺言となった幸せになりなさいという言葉の通り、幸せな話をたくさん話していた。
「でも…今はあんまり幸せじゃないのです」
「こんな暗い所では楽しくもないでしょうね」
この地下にある牢獄は非常に暗く、今の時間が全く分からない。小さい魔導灯の明かりだけが頼りだ。そんな中でも2人で見合って思わず笑いあう。
「メルクール公爵様は何をするのです?私、何も出来ないのです?」
「分かりません。ただ、ただ事ならぬ企みをしているようでした。…お館様はとても恐ろしい事をしようとしているようで…それがお嬢様の存在がお邪魔なようでした」
「?……邪魔なんてしないのです。勇者様が行くならこの国から出て行くのです」
マリエッタは預言者の養女である。だから使用人の老婆も、マリエッタには危害は加えないだろうと思っている。だが、それは現在の立場、つまりただの1貴族でしか過ぎないからだ。幼き日より、このメルクール家を見てきたが王さえも操る国の統治者になろうとしているのを目にしている。王に対する不敬な言動を内側では堂々としている。果たして今回の企みでそれが叶ってしまったら、本当にマリエッタは無事に開放されるのか、それが不安だった。
きゅうと可愛らしい音が鳴る。
「お腹すいたのです。ルーシュお兄さんのアップルパイ貰えば良かったのです」
マリエッタはぼやく。ぼやいた後にそういえば売り切れていたと思い出す。
「食事は食べていると認識していましたが」
「少ないのです。預言者様に言われてたのです。公爵家でお食事する事があったら、汁物には絶対に手を出してはいけないと」
「…え」
その言葉にはさすがの老婆も絶句する。それではまるで汁物には毒が入っているようではないかと。専門のコック達が作っている筈なので問題があるとは思えなかった。
食事を引き取る時に残しているのが多いとは思っていたが、預言者からそのようなアドバイスを受けていたという事に驚きを隠しきれなかった。そしてそれが真実ならば事が終わればマリエッタがどうなるかも理解出来てしまう。
せめて、同僚であり可愛い教え子でもあったレティシャを助けられなかったのだから、その娘くらいは助けてあげたいと願うのだった。




