3―1 琴葉
「――お兄ちゃん、DS」
ノックもせずに、琴葉が部屋に入ってくる。
ベッドの上に仰向けになって寝転んでいた俺は、顔だけを動かし、視線を扉の方に向ける。
少し長めの髪を後ろの高い位置で縛った、小柄な少女が、そこに立っていた。
鳴瀬琴葉。それが今年中二になった、俺の妹の名だ。
今日はこの後出掛ける予定がないという事で、琴葉の恰好は、白いTシャツに水色のハーフパンツと、かなりラフなものになっている。たまにこれで寝ている事もあるので、琴葉の中でこの組み合わせは、部屋着兼パジャマといった扱いなのだろう。
「ノックぐらいしろって」
「いいじゃん、別に。それよりDS」
ベッドの上に体を起こし、胡坐をかく。
「DSを?」
「貸して下さい」
たく。
枕元に置いてあった3DSを手に取り、立ち上がる。
「ほら」
「わーい。ありがとう」
差し出されたそれを、近寄ってきた琴葉が嬉しそうに受け取る。
「ちゃんと、すぐ返せよ」
「うん。分かった。ところで、お兄ちゃん、明日出掛けるの?」
「なんで、そう思う?」
「なんか、帰ってきてからずっとそわそわしてるし、服が畳んで机の上に置いてあるから」
まぁ、そんな所だろうとは思ったが、今後のために一応、聞いてみた。
「デート?」
「んなわけあるか。男友達だよ」
「ふーん」
言いながら、琴葉が俺に疑わしげな視線を向ける。
「何だよ、その目は」
「べっつにー。そっか。明日、お兄ちゃん出掛けるんだ。じゃあ、私も出掛けようかな。ちなみに、お兄ちゃんは何時に約束してるの?」
「二時。……というか、まさか付いてくるつもりじゃないよな?」
「まさか」
そう言って、首を傾げ、にこりと笑う琴葉。
あー。これはやばい、かもな。明日家を出る時は、周りに注意しないと……。
翌、土曜日の十三時四十分。
最近よく来る喫茶店〝さと〟に到着した俺は、辺りを見渡し、まだ楓が来てない事を確認してから空いているボックス席に着いた。
店員がお冷とお絞りを持ってやってきたため、そのまま注文を済ます。
「で、なんでお前がここにいるんだ?」
少し前から我慢していた言葉を、そこでようやく隣に座る琴葉に伝える。
「あれ? 偶然だね。お兄ちゃんもこのお店だったんだ」
「……」
後を付けてきておいてよく言う。
というか、店を入る前までは、確かに琴葉の気配は辺りになかったはずなのに、いつの間に現れたのだろう。尾行技術が上手過ぎて、普通に引く。そして、なんだ、その恰好は……。
白いワンピースに身を包み、長い髪を下ろした琴葉の見た目は、さながらどこかの令嬢のようで、〝誰だ、お前〟感が非常に強い。
この服装も、俺が琴葉の尾行に気付けなかった要因の一つと言えよう。
「まぁまぁ、彼女さんの顔見たらすぐお暇するからさ」
「と言いつつ、ちゃっかり、注文済ませてるんじゃねーよ」
「彼女さんの顔見て、一杯飲んだら本当にお暇するから」
まぁ、今更追い返しても駄々をこねられるだけだろうし、今日の所は諦めよう。
程なくして、注文した物がそれぞれの前に置かれ、店員が再び引っ込む。
「ねぇ、お兄ちゃんの彼女さんって、どんな感じの人?」
アイスミルクに刺さったストローを口に付けながら、琴葉がふとそんな事を聞いてくる。
「そうだな……」
視線を天井に向け、考える。
「良くも悪くも目立つ感じかな。茶髪で制服着崩してて、ぱっと見、怖そうだし」
「へー。私、お兄ちゃんの好みって、もっと大人しい感じの人かと思ってた」
「否定はしない。けど、好みの相手と毎回付き合うとは限らないだろ? 人を好きになるって、もっと、こう感情的なもんっていうか……」
妹の手前、偉そうな事を垂れてみたが、俺自身、付き合うという事に関して何かを知っているわけではない。何せ、まだ誰かと付き合った経験がないのだから。
扉が開き、来客を告げる鐘の音が店内に響く。
視線を向け、入ってきた人物の顔を確認する。楓だ。
俺同様、店に入るなり辺りを見渡す楓。彼女の視界に入りやすいよう、手を振る。どうやら気付いたらしい。
少し驚いた表情を浮かべた後、楓がこちらに寄ってきた。
「えーっと……」
「妹の琴葉。すぐ帰るらしいから気にしないで」
楓に説明しつつ、琴葉に釘を刺す。
こう言っておかないと、流れでいつまでも居座る可能性があり、非常に危険だ。
「琴葉です。兄がお世話になってます」
「あ、ご丁寧にどうも」
琴葉が頭を下げ、それに釣られて楓に頭を下げる。
なんだ、この光景は……。
「とりあえず、座ったら」
「うん……」
思わぬ展開に動揺しているのか、楓が鈍い動作で俺の前に腰を下ろす。
「ほら、何か言う事ないの?」
楓が正面に座るなり、琴葉が俺の脇腹を肘で突く。
これでも長い間、兄妹をやっているので、琴葉の言いたい事は分かる。……というか、促されなくとも、それぐらいの気遣いは俺にも出来るのだが。
「可愛い恰好だな。似合ってるよ」
「――ッ」
俺の素直な感想に、楓の顔が真っ赤に染まる。
今日の楓の恰好は、上は黒い半袖のカットソー+薄手の白いブラウス(長袖)、下はカーキ色のティアードスカート(ミニ)+黒いレギンスと、比較的落ち着いた雰囲気の服装で、楓のイメージとは少し違うが、それが逆に、いい意味でギャップを生んでいた。
「ではでは、私はお邪魔なようなので、退散しますね。お二人共、ごゆっくりー」
そう言うと、琴葉は小さく手を振り、扉の方に一人歩いていってしまった。
本当に、楓の顔を見に来ただけだったんだな、あいつは。
琴葉と入れ替わるようにして、店員が俺達の席にやってくる。
俺の分の注文はすでに済ませてあったため、楓の分の注文だけをする。
「可愛らしい妹さんね」
店員がいなくなったタイミングで、楓が呟くようにそう言う。
「まぁね」
「認めちゃうんだ」
「客観的な事実だからね。否定のしようがない」
俺の言い方がおかしかったのか、楓がくすくすと声を我慢するように笑う。
「何だよ」
「ごめん。ううん。全く持ってその通りだと思って」
よく分からないが、何だか馬鹿にされている気がする。……まぁ、いいか。