2―1 姉妹
「これって、いつまで続くんだ?」
楓と知り合ってから数日が経ったある日、俺は思い切って彼女にそう聞いてみた。
「〝これ〟って?」
「だから、この、彼氏候補? だっけ? いつになったら終わるんだ?」
「それは……。私があんたの事をじっくり吟味して、私の彼氏に相応しいかどうか見極めるまでよ」
「なるほど」
別に納得したわけでなかったが、他に適当な返事が思いつかなかったため、そんな言葉が口を突いて出た。
昼休み。俺は今日も今日とて、学食で楓と向かい合って食事を取っていた。
今日の俺の昼食は、チャーハン。
シンプルだが、それなりに美味しい一品だ。
「何よ。私といるのが嫌なの?」
「そうじゃないけどさ」
楓が俺を教室まで呼びに来たあの日から、俺のクラスでは、すっかり楓が俺の彼女だという事になってしまっていた。一応、否定はしてみたが、効果はあまりなく、今ではもう、ぼやかす事しかしていない。
「はぁー」
溜息を吐く。
幸せが一つ、また逃げた。
「あんたはどうなのよ?」
「何が?」
「私とその、付き合いたいの?」
「うーん。どうだろう?」
「何よ、その曖昧な感じは」
そりゃ、楓は美人だし、一緒にいて楽しいし、付き合えたらいいとは思うけど……。
「悪い。保留で」
「そんな答え、ダメに決まってるでしょ」
「そう言われてもな……」
大体、俺から楓に近付いたわけじゃないし、誰かと付き合うという発想自体が今の俺にはあまりないんだよな。
「そもそも、付き合うって何なんだ?」
「は?」
「いや、何となく意味は分かるよ。お互いがお互いを好きで、彼氏彼女の関係になって、デートしたり……何かしたりするんだろ? けどなんか、どうしてもイメージが湧かないんだよな」
例えば、二人きりで年頃の男女が出掛けたら、それはイコールデートなのか? でも、付き合ってない二人だって、そういう事をしないとは言い切れないわけだし。もっと言えば、お互いがお互いを恋愛対象として見ていなければ、そういう事は逆にしやすいのかもしれない。同性の友達と遊びに行くのと大差ないというか、気持ちの上では同じ? みたいな?
うーん……。よく分からん。
「あんたって、変な事を深く考えるのね」
「変、かな?」
「だって、今あんたが自分で言ったじゃない。〝お互いがお互いを好きで〟って。その事をお互いが分かってて、お互いが付き合ってるって思ったら、その二人は付き合ってるのよ」
「確かに……」
さすが楓。経験者の言う事は説得力がある。
「まぁ、いいけどね。最後に決めるのは私。つまり、あんたに選択権はないんだから」
「え? そうなの?」
そんな事、今初めて聞いたぞ。
「当たり前でしょ。こんな可愛い子が彼氏にしてもいいって言ってるのに、断る馬鹿がどこにいるのよ?」
「いや、付き合うって、そういうもんじゃないだろ……」
経験のない俺でも、楓の言う事が無茶苦茶なのは何となく分かる。
というか、凄い自信だな、おい。
「断るなんて、許されないんだから」
そう呟くように言った楓の言葉は、俺に対してというよりか独り言に近く、俺は敢えて聞こえなかった事にした。
「とにかく、こんな状態がひと月もふた月も続いたら、さすがに俺も参るからな。出来るだけ早くしてくれ」
「分かったわよ。もう、誠のくせに生意気なんだから」
俺と知り合ってまだ数日だというのに、一体、こいつは俺の何を知っているというんだろう。
ま、俺も人の事は言えないけどさ。
「何よ、その笑いは?」
「別に」
「むぅ。なんかムカつく」
「何でだよ」
理不尽な台詞を言われ、俺は思わず、顔に苦笑を浮かべる。
確かに、楓とずっとこうやって過ごせたら、そんな事を思わないわけではない。けど……。
右に左にふらふらと、その後ろ姿はとにかく危なっかしかった。
大丈夫……ではないだろうな、あれは。
「先生」
声を掛け、小走りで近付く。
「えーっと……」
立ち止まり、こちらを振り向いた先生が、俺の名前を思い出そうと思考を巡らす。
非常に申し訳ない事に先生と俺の間に面識はなく、そもそも俺の名前を先生は知らないはずだ。逆もまた然りだが……。
「一のAの鳴瀬誠です。重そうですね、それ。一つ持ちましょうか」
「あー。うん。ごめん。お願い出来るかな」
少し迷った後、先生が苦笑を浮かべ、俺の申し出を受け入れる。
教師として断るべきか迷った挙句、結局、最後まで運び切るのは不可能という現実的な判断の方を優先したのだろう。
先生の持つ二段重ねの段ボールの内、上の一つを持ち上げる。少し重い。
「これ、どこに持っていくんです?」
「社会科準備室……って言っても分からないか。隣の校舎の二階にあるんだけど……」
「隣の校舎の二階ですね。分かりました」
先生が歩き出し、俺も隣に並ぶ。
横目でこっそり、先生の様子を窺う。
茶色掛かった髪は長く、今はそれを後ろで一つに縛っている。顔は綺麗系ではあるが、内面の優しさが滲み出ているのか、何となくほんわかとした印象を受ける。背は高め。スタイルも良く手足も長い。
恰好は、白い襟付きのブラウスに黒いタイトスカート。もちろんボタンは上までしっかりと留められており、スカート丈も決して短くはない。
「何?」
「いえ……」
どうやら、盗み見ていたのがバレたらしい。
「同じような髪色の子が知り合いにいるので、つい……」
とっさに口を突いて出たのは、そんな言い訳の言葉だった。
まぁ、何となく思っていた事なので、全くの嘘というわけではないが。
「あ、もしかして、楓の事?」
「え? ホントに親戚ですか?」
「うん。というか、姉妹。鳴瀬君は、楓のお友達?」
「そう、ですね。はい。お友達です」
友達の前ならまだしも、家族の前でまで嘘を吐く必要はないだろう。
「へー。楓に、男の子のお友達がね……」
「? 楓はあんな感じですし、友達は、男女問わずたくさんいるんじゃないですか?」
「うふふ。そう見えるでしょ? でも、ああ見えて人見知りなのよ」
人見知り……。確かに、見た目は派手だが、話してみると普通というか、少し印象が違うというか……。
「だから、誰とでもって言うわけにはいかないの。私が知る限り、男の子と個人的に仲良くしてた事はないんじゃないかしら」
「そう、なんですね……」
としか言いようがなかった。
別に、今の話を聞いたからといって、俺と楓の関係性が変わるわけではないわけだし。
階段を降り、隣の校舎に渡るべく渡り廊下を目指す。
帰りのホームルームが終わってから少し時間が経っているという事で、教室や廊下にいる生徒の姿はちらほらといった感じだ。
「鳴瀬君はなんであんな所にいたの?」
先生のいた廊下には普通教室はなく、生徒が用もなく立ち寄る場所ではない。
「散歩です。一緒に帰る友人が、用事でまだ時間が掛かるという事でしたので」
何を隠そう、その友人というのが先生の妹さん、なのだが。
「女の子?」
「まぁ、そんな感じです」
「彼女?」
「いえ、お友達です。というか、妹さんです」
これ以上の誤魔化しは意図的なものになると感じ、諦める。
「あー。それはそれは、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる先生。
「あ、こちらこそ」
それに釣られて俺も頭を下げる。
何が〝よろしく〟なのかはよく分からないが……。