1―3 楓
「――誠、お客さん」
昼休み。扉の近くに立った、クラスメイトの泰雄が、俺を呼ぶ。
視線をそちらに向けると、にやけ顔でからかう気満々のクラスメイトと、茶髪の女生徒が並んで立っていた。
「おう」
返事をし、扉に向かう。
楓は色々な意味で目立つ。そんな彼女が俺を呼び出したとあれば、クラスの注目が俺に集まるのは必然というか、当然の結果だった。
好奇の目に晒されながら、楓の前に立つ。
「何?」
「いや、あの、一緒にご飯食べようと思って……」
楓の背後、少し距離を取った所から、二人の女生徒が、こちらの様子を、泰雄と同じような表情で覗き見ていた。
片やショートカットの明るめ系、片や黒髪ロングの大人しめ系と、二人の容姿は対照的ながら、こちらを興味有り気に覗く様はそっくりで、その雰囲気だけで二人の波長が合うのだろう事が初対面の俺にも何となくだが伝わる。
あれが、楓の言う〝彼氏がいると思わず言ってしまった友人〟なのだろう。
「ちょっと待ってて」
自分の席に戻り、一緒に昼食を取る予定だった友人の直樹に詫びる。
「悪い。呼び出し」
言いながら、右手で顔の前に手刀を作る。
「ま、男なら友情より女だよな」
「今度、何か奢るからさ」
「うそうそ。早く行ってこい」
苦笑を浮かべる直樹に、もう一度「悪い」と詫びを入れてから、俺は再び楓の前に戻った。
「お待たせ。行こうか」
「良かったの?」
楓が直樹の方を見て、俺に聞く。
「大丈夫。それより、俺弁当ないから学食行くけど良かった?」
「あ、うん。それは全然大丈夫だけど……」
「じゃあ、行こうか」
声を掛け、歩き出す。程なくして楓が横に並んだ。
「こういうの慣れてるの?」
「〝こういうの〟?」
「だ、か、ら。……こうやって、女の子に呼び出されるの」
「別に慣れてないけど?」
もしかしたら、初体験かもしれない。彼女いた事ないし。
「なんか……バカみたい」
楓が呟くように、小声でそんな事を言う。
「何が?」
「誠が落ち着き過ぎてて、ムカつくって言ったのよ」
「何だよ、それ。大体、楓こそ、こういう事は慣れっこなんじゃないのかよ」
楓の容姿なら、周りの男が放ってはおかないだろう。今はたまたま、彼氏がいないだけで、いない事の方が珍しいのではないだろうか。
「そんなわけないでしょ!」
「え……?」
なんだ? なぜ今俺は、こいつに怒られたんだ?
「ごめん……」
「いや、俺の方こそ、なんかごめん」
俺の言葉の、どこに悪い部分があったかは分からないが、何かが楓の琴線に触れたのは事実で、きっと悪いのは楓ではなく俺の方なのだろう。
「ところでさ――」
悪くなった話の流れを変える意味も込めて、ずっと気になっていた事を楓に尋ねる。
「あの子達、どこまで付いてくるの?」
「え?」
楓が振り向き、背後を見る。
さっきから一定の距離を取り、二人の女生徒が俺達の後を付けてきていた。言うまでもなく、楓の友人――らしき二人だ。
「あいつらー」
楓が肩を怒らせ、二人組の元に近寄っていく。
そして、何やら、怒り始めた。
数秒後。二人組はその場から去り、楓が一人、俺の元に戻る。
「どうなった?」
「後で会話の内容を詳しく教える事を条件に、二人には帰ってもらったわ」
「ふーん」
つまり、俺達の会話は、さっきの二人にも筒抜け、と。……別にいいけど。
「とりあえず、学食行こうか」
「あ、うん」
「どうして、校門に立ってたんだ?」
学食のテーブルの一つに楓と向かい合う形で座った俺は、秘かに気になっていた事を食事の前に聞いた。
「忘れ物をして、お母さんに届けてもらったの。だから、あそこで……」
「昨日は?」
「え?」
「それは一昨日の理由だろ? 昨日はなんで立ってたんだ?」
忘れ物を届けてもらおうという奴が、俺を誘ってその場から離れるはずがない。つまり、昨日は、一昨日とは別の理由があって、楓は校門に立っていたのだ。
だが、分からない。朝のホームルームを欠席してまで、あそこに立っていた、その理由が。
「……落とし主を探してたの」
「落とし主?」
「そう。落し物を拾ったら、届けないと。でしょ?」
まぁ、そうだな……。時と場合に寄ると思うけど、落とした相手が分かっているというのなら、届けるべきだと思う。
「で、その落し物は相手に届けられたのか?」
「残念ながら、まだ渡せてないわ」
「そうか……」
あんな時間まで校門に立っていたという事は、つまり、当人とは会えなかったという事なのだろう。
気になっていた事も聞けたので、とりあえず食事を開始する。
俺の前にはカウンターで注文したラーメンが置かれており、楓の前には持参の弁当が置かれていた。
箸を手に取り、ラーメンを啜る。
うん。可もなく不可もなく、普通の味だ。
決して凄く美味しいわけではないが、俺はこの味が正直嫌いではなかった。チープ感が逆に癖になるというか、高校の学食ではこのぐらいがちょうどいいというか……。
「にしても、楓って意外とマジメなんだな」
「何よ、急に」
弁当箱の包みを解き、蓋を開けた姿勢のまま、楓が俺を軽く睨む。
「いや、だってさ。普通、相手の名前が分かってるならまだしも、分かってないんだったら、どこかに預けるだろ」
学校なら教師に、駅なら駅員に、道端なら交番に。そして、もし名前が分かっているなら、直接クラスに行けばいい。クラスが分からなかったとしても、名前さえ分かっていれば調べるのは容易だろう。
「これは、私が直接届けないと意味がないから」
「ふーん」
高価な物、大切な物、なのだろうか? もしくは、個人的に思い入れがあるとか? 人か物、どちらかに……。
「早く届けれるといいな」
「へ?」
「その落し物だよ。気になってなければ、そんな表情しないだろ?」
「うん。そうだね」
箸を持ち、楓も食事を開始する。
二段重ねになっていた弁当箱には、それぞれご飯とおかずが入っていた。ぱっと見た感じではあるが、料理が出来る人が作った事が伝わってくる見栄えだった。
「それ、楓が作ったのか?」
「あ、うん。そう。ウチ、共働きだから、あんまり負担掛けられないというか、甘えられないというか……」
「忘れ物は届けてもらったのに?」
「それは……。もう。うるさいなぁ」
ふんっとそっぽを向き、楓が食事に集中しだす。
少しからかい過ぎたか。……にしても、本当に美味そうな弁当だな。こんなのを毎日作るなんて、凄いな、楓は。そして、やはり美味そうだ。
「一個もーらい」
我慢が限界に達した俺は、許可も得ず、自分の箸を楓の弁当へと伸ばした。
「あ」
楓の弁当箱から卵焼きを一つ摘み、口に放る。
甘辛い味付けが、絶妙な美味さを醸し出していた。ウチの味付けとは全然違うはずなのに、どこか懐かしい気持ちになる。いわゆる、家庭の味というやつだろうか。
「何勝手に食べてるのよ。……で、感想は?」
前半は呆れ顔で睨みながら、後半は上目遣い気味に心配そうに、楓が俺に言う。
「うん。美味しい。今まで食べた卵焼きの中で一番美味いかも」
「おおげさ」
俺の告げた感想に対し、冗談の類だと思ったのか、楓が苦笑を浮かべる。
「いや、ホントだって。このレベルの卵焼きなら、俺、毎日でも食べれるな。うん」
「もう。調子いいんだから」
呟くようにそう言い、食事に戻った楓だったが、その口元は明らかに緩んでおり、口に出さずとも内心の感情が丸分かりだった。