6―3 真相
瞼が上がる。
あれ? 私、どうして……。
「おはよう、楓」
半ば反射的に、声のした方に顔を向ける。
椅子に腰掛けた、誠の姿がそこにあった。
「私、いつの間に……?」
「なんか、倒れ込むようにして寝てたぞ。立ちくらみか?」
あー。そういえば、ベッドに行こうとしたら、急に意識が遠のいて、それで……。
「あんま、びっくりさせないでくれ。心臓に悪い」
そう言って微笑むと、誠が立ち上がり、こちらに近付いてくる。
「具合、どうだ?」
「うん。大分良くなった。ありがとね、誠」
「俺は別に何もしてないよ。触るぞ」
断りの言葉の後、誠の手が私の額に触れる。
「熱は……ないみたいだな。顔色もいいし、うん。これなら大丈夫そうだ」
至近距離。それこそ手を伸ばせば触れられる距離で、誠が私に笑い掛ける。
その距離に、その顔に、思わず私の頬が熱くなる。
ヤバい。何がヤバいかはよく分からないけど、とにかくヤバい。
「ん? どうした?」
「ううん。何でもない。それより――」
言い掛けた言葉はなかなか口から出ず、開いた口は中途半端な形で停止した。
聞きたい。けど、聞きたくない。
相反する気持ちが、私の中でぶつかり合う。
結局、勝ったのは前者の気持ち――というか、聞いておかなければという焦燥にも似た危機感のような感情、だった。
「遠く、行っちゃうの?」
勇気を振り絞り、それだけを口にする。
それ以上は言えなかった。
「え? あー。もしかして、聞いてた?」
小さく頷く。
少し罪悪感があった。
「楓には、早く伝えなきゃと思ってたんだけど。親父の転勤が急に決まっちゃってさ。カナダだって、遠いよな」
あはは、と誠が笑う。
なんで、笑えるの? こんなに大事な話なのに……。
「だから一回、楓にはウチの両親と会って欲しいんだよね。いきなりこんな事言われても、困るとは思うんだけど……」
「……」
俯く。
言葉が出なかった。
いや、正確にいうと、一度言葉を口に出してしまったら、色々な思いが溢れ出して、止まらなくなりそうだった。
「いや、嫌なら別にいいというか、無理なら止めるし」
私の反応を違う風に取ったらしく、誠が慌ててフォローらしくものを入れてくる。
「違うの。そうじゃなくて……」
ダメだ。思いが、言葉と一緒に溢れてしまう。涙も。
「おまっ……!」
誠が目を見開く。
ヤバい。引かれた。もしかしなくても、絶対引かれた。
何泣いているんだろう、私。
必死に服の袖で涙を拭きとるが、止めどなく流れるそれは、私の意思を無視して、自分でも驚くくらいに流れ続ける。
きっと、体調が悪いせいだ。
きっと、そうに違いない。
じゃなきゃ、こんなに精神が不安定になるなんて有り得ない。
「楓」
横からハンカチが差し出される。青い、私が返したハンカチが。
私はそれを受け取り、涙を拭いた。
だけど涙は、一向に止まる様子を見せなかった。
ふっ、と誠が微笑んだ気配がした。
そして、私の頭に手が置かれる。大きくて温かい、誠の手が。
「多分、だけどさ。楓、勘違いしてるよ」
「勘違い?」
私は、何を勘違いしているというんだろう?
誠が、こんな大事な事を私より先にお姉ちゃんに話した事を、重く受け止め過ぎているとか?
それとも、誠が引っ越してしまう事を、まるで私を置いてどこかに行ってしまうように捉えてしまっているのだろうか?
分からない。自分の事なのに、何も分からなかった。
「楓が、どこまで俺達の会話を聞いてか知らないけどさ。カナダに行くのは、親父だけだよ」
「……へ?」
今までどうしても止まらなかった涙が、誠のその一言でぴたりと止まった。
親父だけ……? つまり――
「俺はどこにも行かないよ。ずっと楓の側にいる」
「……」
うわぁー!
心の中で私は、大声で叫ぶ。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
穴があったら入りたい。というか、布団を被って、全てをなかった事にしたい。
つまり、全ては結局、私の勘違いだったという事だ。
「――落ち着いた?」
いつかと同じ言葉を、同じような状況で掛けられ、私はこくりと頷いた。
「なんか、ごめんな。俺が早く説明すれば良かったんだけど。俺達の話、全部聞いてたと思ったから」
「ううん。私こそ、勝手に立ち聞きして、勝手に勘違いして、勝手に泣いて。……本当にごめんなさい」
本当に申し訳ない。
今現在の申し訳なさをパーセンテージで表したら、申し訳なさ百二十パーセントだ。
「ま、改めて説明すると、親父が海外に転勤する事に決まっちゃってさ。それで、どこから嗅ぎ付けたのか、俺に恋人がいる事知ってて、行く前に顔が見たいとか言い出しちゃって……。大げさだよな。今時、海外ぐらいでさ」
あはは、と誠が笑う。
「いつ?」
「え?」
私の質問に、誠が固まる。
「いつ、会えばいいの? 誠のお父さんと」
「会って、くれるのか?」
「誠のお父さんでしょ? 会うに決まってるよ」
正直、まだ心の準備は全然出来ていないけど……。
「来週の土曜とかどうかな?」
「土曜……。いいよ。じゃあ、お洒落していかないとね」
「楓の好きな恰好でいいって。というか、楓らしい恰好がいいというか」
また、難しい注文を……。
「だって、楓。俺と会う時、いつもと違う恰好してるらしいじゃん」
「へ……?」
なぜ、それを……。
「梓さんに聞いた。デートの前の日になると、いつもは着ないような服引っ張り出して浮かれてるって」
「え? えー!」
お姉ちゃん、なんて事を、誠に。
「そういうの、嬉しいけどさ。なんか、無理させてるみたいで気が引けるというか」
「無理なんかしてないよ。私がそうしたいからしてるだけで……」
多分、誠のためにしているというより、彼氏のためにそんな努力をしている私、っていうのがいいんだと思う。これって、自己満? だよね、やっぱり。
「分かった。考えとく」
私らしい恰好というやつを。
「そういえば――」
この際だから、聞きたい事は全て聞いておこう。
「昔、お姉ちゃんと会ってたの?」
「……誰から聞いた? それ」
やっぱり、誠は知っていたのだ。公園で助けてくれたお姉さんが、お姉ちゃんだったって事。
「まぁ、色々な情報を複合した結果? みたいな? お姉ちゃんから前に、公園で助けた男の子の話は聞いてたし」
琴葉ちゃんの名前は、意図的に告げるのを避けた。こちらから聞き出した事で、彼女に迷惑を掛けるのは筋違いだろう。
「別に、隠すつもりはなかったんだ。敢えて話す事でもないと思ったし」
「うん。分かってる」
私も責めているわけではない。ただ、確認しておきたかっただけだ。
「いや、本当は隠してた。隠したかった」
「え?」
それって、どういう……?
「昔、俺は公園でこけた所を高校生のお姉さんに助けられた。声を掛けられ、立たせてもらい、水道で傷口を洗ってもらった」
その辺の話は、お姉ちゃんから聞いてすでに知っていたけど、私は口を挟まず、誠の話に耳を傾けた。
「その時にハンカチを貸してもらって、俺はそのハンカチを大事に高校生になるまで持っていた。いつか、持ち主のお姉さんに会えると信じて」
同じだ。私と誠は凄く似ている。驚く程、状況や思考が。
「中二の時、俺は犬に襲われてた女の子を助けた。声を掛け、立たせ、近くの公園の水道で傷口を洗った。その時に、彼女にハンカチを貸した。いつかのお姉さんのように」
「うん……」
誠の意図が分からず、私は困惑をする。
結局、誠は何を言いたいのだろう?
「助けた女の子は、俺が憧れていたあのお姉さんにどこか似ていて……正直、タイプだった」
そう言いながら、誠が照れたように顔を横に向ける。
言われた私も、同様に照れる。
な、何? 急に……。
「つまり、そういう事」
「え? 何が?」
〝そういう事〟と言われても、何が何だか……。
「……」
誠は、少しの間、拗ねたような表情で私を見た後、
「ハンカチを貸しておけば、その女の子も俺と同じように、俺の事を思ってくれるかなって、そう思ったんだ」
やはり拗ねたような声でそう私に告げるのだった。




