5―2 ハンカチ
木曜日。約束の時間の十分前に私は、約束のお店に到着した。一度家に帰る時間はなかったため、恰好は制服のままだ。
扉を開けると、店内に流れるBGMと小さな鐘の音が私を出迎えた。
「いらっしゃいませ」
寄ってきた店員さんに、待ち合わせである事を告げ、店内を見渡す。
いた。
店員さんに断りを入れ、その場所に進む。
「ごめん。待った?」
「いえ、今来た所です」
私の言葉に、琴葉ちゃんが微笑みを返す。
琴葉ちゃんと、テーブル越しに向かい合って座る。
彼女も私同様、制服姿だった。琴葉ちゃんと私では通っている・通っていた中学が違うので、その制服姿は私の目に新鮮に映る。
お冷とお絞りを持ってきた店員に、注文を告げる。
すでに琴葉ちゃんは注文を済ましているらしく、彼女の前にはアイスミルクの入ったコップが置かれていた。
私の勝手な感想だが、琴葉ちゃんとミルクはよく合う。彼女はどこか猫チックだ。しかも、生まれて間もない子猫。超可愛い。
「琴葉ちゃん、中二だっけ?」
話の枕ではないが、会話の導入として比較的当たり障りのない話題を振る。
「はい。来年は受験生です」
「どこか入りたい学校とかあるの?」
「白詰です」
「それはお兄さんがいるから?」
「そうですね。後は家から歩いて通えるし、朝眠れるかなって」
そう言うと琴葉ちゃんは、肩を竦めて可愛らしく苦笑した。
「そっか。大丈夫そう?」
「まぁ、何とか。今の成績を維持出来れば余裕だろうって」
真面目そうだもんな、琴葉ちゃん。勉強もちゃんとやっているんだろうな。私なんて受験間際に何とか盛り返して入学した感じなので、アドバイスどころの話ではない。
そうこうしている内に、店員さんがやってきて、私の前にアメリカンの入ったカップを置く。
「ごゆっくり」
一礼をし、店員さんは私達の席からすぐさま離れていった。
テーブルの端に置かれたミルクを手に取り、少し垂らす。黒い液体の中に浮かんだ白い線を、小さなスプーンで消していく。
ミルクが十分に混ざり切った所で、私はカップを口に運んだ。
うん。苦い。
「楓さん、アメリカンとか飲むんですね」
「え?」
琴葉ちゃんの指摘に、私は驚きの声を挙げる。
「あ、すみません。なんか、大人だなって思って」
私の反応をどう受け取ったのか、琴葉ちゃんが恥ずかしそうに俯く。
そう言えば私は、なんでアメリカンなんて頼んだんだろう?
私はいつもこの手の店に入った時、紅茶を頼む事が多い。家ではコーヒーを飲むが、別に好きというわけではない。……あ。
「ふふ」
自分がアメリカンを頼んだ理由が分かり、思わず笑みが零れる。
「あ、笑いました?」
「いやいや、ごめん。そうじゃなくて、毒されてるなって思って」
「?」
訳が分からないと言った風に、琴葉ちゃんが小首を傾げる。
「あなたのお兄さんに」
「あー」
その一言で、琴葉ちゃんも合点がいったらしい。
つまり私は、無意識に、誠がいつも注文する物を今頼んでしまったというわけだ。多分、誠がこの場にいないからこその行動、なのだろう。
「良かったです。仲良さそうで」
「仲は、悪くはないかな。付き合いたてだし」
「兄とはいつから?」
「……」
考える。どう答えようか。
「実は、この前、琴葉ちゃんとここで会った時点では、まだ付き合ってなかったの」
考えた末、正直に答える事にした。
琴葉ちゃんにこれ以上嘘を吐いても仕方ないし、吐きたくもない。
「え? だって……。あー。デートしたからといって、付き合ってるとは限らないのか」
良かった。どうやら誠は、私達の事を、琴葉ちゃんにまだ詳しく話していなかったようだ。
「あの後、私から告白して付き合い出したの」
「じゃあ、まだ付き合い始めて数日? ほやほや?」
「だね」
琴葉ちゃんの言葉に、私は苦笑を浮かべる。
まだ私達の関係は、始まったばかりもいいところだった。
「――楓さん、私に何か聞きたい事があるんですよね?」
折を見て切り出そうと思っていた話を、逆に琴葉ちゃんの方から切り出されてしまう。
バレバレ、か。
「誠の事、なんだけど……」
「はい」
琴葉ちゃんが、全てお見通しといった感じで微笑む。
適わないな、この子には。本当に、私より年下、なのだろうか。
「誠が持ってる、ハンカチの事知ってる?」
「ハンカチ? 楓さんが返したやつですか? 今は肌身離さず持ってますよ」
「あ、そっちじゃなくて……」
というか、その話、誠の奴、琴葉ちゃんに話したんだ。……まぁ、いいけど。
「白い、金色の刺繍が入ったやつなんだけど……」
「あぁ……。あれですか」
良かった。知っているみたいだ。もし琴葉ちゃんが知らなければ、それこそ打つ手なし、本人に聞くしかないという感じだったのだが。
「確か、小さい頃、公園で転んだ所を綺麗なお姉さんに助けてもらって、そのお姉さんからもらった物、だった気が……。私も、数年前に一度聞いただけなので、記憶は定かではありませんけど」
小さい頃、公園、お姉さん。私の中で、三つのキーワードが何かに引っ掛かる。
この話、昔どこかで……。
「でも、どうしてそんな事聞くんです?」
琴葉ちゃんの疑問は、もっともだと思う。私が同じ立場でも、きっと同じ事を思い、同じ事を口にしたと思う。
「気になったから。誠が大事そうにしてて」
「焼き餅?」
そう言って、琴葉ちゃんが小首を傾げる。
「というより、危機感、かな? 私の中で何かが告げるの。無視出来ないって」
他人が聞けば、馬鹿げていると思われそうなその理由も、今の私を動かす理由としては、十分過ぎるほど十分過ぎて……。
「愛されてますねぇ。ウチの兄は」
実感の篭った呟きに、私は苦笑を浮かべる。
「カッコいいからね。琴葉ちゃんのお兄ちゃん」
「ですね」
二人で、顔を見合わせ笑う。
カップを口に運ぶ。
程よく冷めた黒褐色の飲み物は、私にとっての〝適温〟となりつつあった。
「楓さんって、髪綺麗ですよね」
「どうしたの? 急に」
カップを受け皿に戻しながら私は、琴葉ちゃんの顔を見つめる。
「ごめんなさい。ふとそう思ったので」
先程より更に顔を赤くし、琴葉ちゃんが恥ずかしそうに俯く。
「昔はこの髪、コンプレックスだったの」
「え?」
驚きの表情をその顔に浮かべ、顔を上げた琴葉ちゃんに、私はにこりと微笑む。
「ほら、幼い頃って、人と違うと弄られるじゃない? 自慢じゃないけど、私って目立つじゃない? 男子からはよくからかわれたわ」
今思えば、苛められていたわけではないし、たいした事ではなかったのかもしれないが、当時の私にしてみれば一大事で、本気で学校に行くのが憂鬱な時期もあった。
「だから私は、同世代の男の子に少し敵意みたいなものを抱いていて、ある時までは本当に、話すのが嫌で嫌で仕方なかったわ」
「それを克服する、何かきっかけがあったって事ですか?」
「あなたのお兄さんよ」
「え?」
「初対面の私に、誠は凄く優しかった。落ち着いていて、紳士的で、気遣いが出来て、それでいて男らしかった。その時から、私にとって同世代の男の子は、こう言っちゃ何だけど、取るに足りない、その他大勢になった。それだけ、誠の印象が強かったのね」
とはいえ、所詮はその他大勢だから、仲良くはならなかったけど。
「はー。凄いですね」
「何が?」
「そういう事を恥ずかしげもなく言ってのけるなんて、さすが大人です」
「――ッ」
言われてみればその通りだ。今の私は、客観的にみたら、彼氏との惚気話をその妹に恥ずかしげもなく話す、少々痛い奴だったかもしれない。
「ごめん。今の忘れて」
赤面する顔を両手で覆い、私は、琴葉ちゃんに記憶の抹消を願い出る。
多分私は、琴葉ちゃんの前でお姉さんぶりたかったんだと思う。自分の中に、そういう欲求がある事は前々から知っている。自分が妹だからかもしれない。が、しかし――
慣れない事はするもんじゃない。
中身が半分程まで減ったカップに手を伸ばしながら、私は今日の自分の言動を反省するのだった。




