8.はくちょう座ζ星
2月5日【ゼータ・キュグニー】(はくちょう座ζ星)
我が道をゆく自由
籠目を殺したその日から、昼夜問わず、俺は悪食に殺されそうになることが増えた。
梅雨の時期であり、雨宿りが増え、E地区まで30分という近さだというのにここに在中していたのも悪かったのだろう。
寝込みを襲われ、奇襲をかけられ……それでも、なんだか迷いの見える攻撃に、俺は呆れた目をしながら、けれどもそれを告げることなく、攻撃を受け止めていた。
久々に雨が止み、いつもの曇り空になった空を見つめながら、日が昇る前にここを離れようと立ち上がった。
俺が扉を開くと、コツンという靴音が後ろから聞こえた。
「一人で勝手に行くのは、許さないからね」
そういうしゅんの言葉に、振り向きながら苦笑を返した。
少し膨れているしゅんを見て、おかしな顔だと少し笑ってから、言った。
「先行って待ってる」
その言葉に満足そうに頷いたしゅんを見ながら、俺はE地区へと向かった。
***
ビルのような形をした建物は、所々抉れたり倒壊しかけているところもあるが、E地区の拠点となった場所は、比較的崩れてはいなかった。
けれど、他の建物とは違い、蔓や蔦が建物中を覆い隠すかのように蔓延り、あまりの凄さに俺も思わず絶句してしまった。
ビルを見上げていると、一人の女性が近づいてきた。
「あの……如何なされましたか?」
「ああ、建物の様子に驚いていただけだ」
「そうですか。……この蔓や蔦は、最初はなかったんです。けれど、最近近くの森林公園の木々が、まるで縄張りを広げるかのように急成長し始めて……このような有様になってしまいました。まだ倒壊していませんが、いつ倒れるか……。私たちも、他の拠点を探そうか、という話になっていまして」
「そうなのか」
そう頷くと、女性が「その左腕……義手をご用意到しますか?」と問いかけてきたため、それに肯定を示すと、蔦などが蔓延る建物の中へと入っていった。
少しして出てきた女性が差し出してきた義手を受け取り、お礼をいいながらはめる。
久々に感じる左腕の感覚に、微調整をしながら女性へと問いかける。
「……もし、これをなんとかできるって言われたら、どうする」
「そりゃあ、なんとかしてほしいです。ここには、私たちの3年間の思いが詰まっていますし、なんたってここは、最初にシャドーに襲撃された場所の一つです。シャドー対策支部としては、これ以上適切な建物なんて、ありませんよ」
そう、意気込むように言っていた女性は、段々と気落ちしていく。
それを横目で見ながら、俺はポツリと呟いた。
「それ、俺がなんとかしてやるよ」
「……えっ……。今、なんて……」
「俺が、なんとかするって言ったんだ」
「い、いえ、でも……あの森に入った捜索隊も、有志の方々も、数ヶ月たった今も帰ってきません。そんな無茶なことを……」
「無茶じゃない」
「そんな根拠のないことを……」
俺を止めようと必死に言い募る女性の言葉を、手をかざして遮る。
訝しげな女性を見ながら、俺は告げる。
「俺は、日本対シャドー防衛対策本部、C区画総部隊長の北馬 誠だ。ここに所属してんなら、俺の名前くらい聞いたことあんだろ」
俺がそういうと、女性は唖然とした顔をした。
そうしてから、焦りながらも先ほどよりも真剣な顔つきで、俺に敬礼した。
「わ、私は、日本対シャドー防衛対策本部、E区画第一治療部隊員の白井 綾湖と申します。……本当に、これを止めることは、できるんですか」
「やってみなくちゃわかんねぇ。……でも、同じ仲間が困ってるんなら、やるしかねぇだろ」
そういう俺に、彼女は微笑んだ。
それに笑みを返し、俺は目的地へと向かうことにした。
すると、後ろから声がかかった。
「あ、あの!私たちの方で、何かできることはございませんかっ?」
「……あとで、『魔人化』持ちの少年と付き添いの男がこっちに来る。少年を保護して、男に俺は森の入口で待ってるって伝えてくれれば、それでいい」
「わ、わかりました!!」
女性の声を背に、俺は森の入口へ向かって、再度歩き出した。
***
下を向いて、俺に悟らせないようにしているが、確実に落ち込んでいるとわかる悪食をつれて、俺はE地区の支部へと向かった。
突然いなくなったまこを悲しむ悪食をつれて向かったところは、蔓と蔦に覆われたビルだった。
思わず唖然とするよりも先に、ここまで被害が大きいとなるとここの予算分配をもう少し考えたほうがいいかもしれないと考える俺は、この3年間で完全に思考がそっちに染まってしまったようだ。
そんなことを考えていると、一人の女性が歩いてきた。
「あっ、すいません。ここに左腕がないショットガンを持った灰色の髪の毛をした男が来ませんでした?」
「来ましたけれど……もしかして、北馬さんが言っていたのは、あなたですね。北馬さんは森の入口で待っていると伝えてくれと。……あと、その少年もこちらで保護するようにと言われています」
「あ、どうも、ありがとうございます」
先にこちらに来て、いろいろ根回ししてくれたようだ。
これは、帰ったらなんかお礼しなくちゃな~なんて思いながら、悪食を女性へ預ける。
案外素直にいうことを聞き、女性の横に並んだ悪食は、森へと向かおうとする俺を見上げて、呟いた。
「……また、“踏む”の?」
……やっぱり、元が犬だからか、野生の本能は誤魔化せないな……なんて思いながら、悪食に目線を合わせる。
じっとこちらを見つめる悪食を、同じように俺も見つめながら、悪食の心に刻み込むように言う。
「これは、俺たちが生き残る為の、避けて通れない道のりなんだ。……あいつは、その道を乗り越えるだけの強さがあるから、皆に嫌われるこの役をやってくれているんだ。だから……さ、そんなこと、言ってやるなよ」
「…………」
「それに、そういう可能性があるってだけで、ただシャドーがいるだけかもしんないでしょ?そんなに心配すんなよっ!」
そういって立ち上がり、悪食と女性に背を向けて森の方へと向かうと、小さく後方から声が聞こえた。
「……頑張って」
その声に小さく「伝えとく」といって、俺はまこが向かったその森の入口へと、足を進めた。
***
「まっこちゃーんっ!なんで先行くのさ~!!」
「面倒だから」
「ちょっと!親友兼幼馴染にそんなドライな反応はないと思うんですけど!」
「……来るってわかってたしな」
「…………え、なんで急にデレたのまこちゃん」
「行くぞ」
「ちょちょ、待ってよまこちゃん!もう一回、もう一回デレて下さいお願いしますまこちゃん!!!」
「…………」
「ねっ、デレて?お願い~……!!……あっ、そういえば、悪食君がまこに“頑張って”だってさ」
「……そっ……か」
「あ、まこ嬉しいの?なんだよも~この照れ屋さんめぇ~!!」
「……俺の短刀の錆になりたいか?」
「よっし!!シャドーの本体がいると思しき森へ、いざ、出陣~!」
「……はぁ……」