7.ペルセウス座τ星
5月6日【タウ・ペルセイ】(ペルセウス座τ星)
絶望することのない責任感
僕は、凄く平凡な人間だった。
平凡な家庭環境、平凡な学校、平凡な周りの人間。
そんな平凡一色に囲まれた僕は、平凡なまま育ち、大きな不幸も幸福もないままに、小学校、中学校、高校、大学へと進んでいった。
けれど、ここから、僕の平凡な人生は終わりを告げた。
大学も卒業する年になり、いざ就職活動しようと動いたとき、世間は就職氷河期だった。
当然僕もそれに巻き込まれ、どこに言っても断られ、落とされ、資格も持っていない僕を受け入れてくれるところは一つもなかった。
けれど、なんとか受け入れてくれる会社を見つけ、なんとかフリーターにならずに安堵した。
……それが、罠だったんだ。
そこは、所謂ブラック企業と言われるところで、一週間の内一日でも休みがあったらいい方で、ほとんど休みはなかった。
でも、資格なんて持っていない僕を受け入れてくれるところはないに等しかったし、資格の勉強をしようとしても休みがないからできなかった。
このころ、僕の髪の毛は、ストレスで白くなっていったんだ。
そんな僕には、唯一の癒しがあった。
雨の日に拾った子犬で、僕が疲れて家に帰ると、尻尾を振りながら僕を出迎えてくれた。
その子犬が、僕の癒しになると同時に、僕の生きる糧になっていた。
そんなある日、本社の人員が足りなくなったみたいで、本社へと派遣されることになった。
結構長くかかるみたいだったから、近所の人に子犬を預けて、僕は本社の方に行ったんだ。
本社の方でも、元の場所のような感じで、家に帰っても僕の苦痛を和らげてくれる存在はいなくて、僕は毎日、苦しみと共に泥のように眠っていた。
そしていつからか、こんな無茶なことを強要してくる人たちに、恨みを持つようになった。
そんな風に過ごしていると、ふと、どこからか声が聞こえた。
「ねぇ、君には、とびっきり憎い人は、いる?」
その言葉に、僕は頷いた。
するとその声は、クスクスと笑って僕に告げた。
「じゃあ、その復讐、手伝ってあげる。代わりに、君の“影”を貸してね?」
それに頷くと、声は遠ざかっていき、僕はいつものように眠りに落ちた。
そして、いつものように朝が来た。
その日は、派遣最終日だった。
重い体を引きずって出社し、いつものようにデスクについてキーボードを打っていると、空から声がした。
けど、目眩がひどくなってって、それどころじゃなくなった。
空から響く声が遠のくと同時に、僕は床に倒れた。
直後に響いた、鏡の割れる音と、発砲音と、人々の悲鳴。
窓に近かった事と床に倒れたことが幸いして、僕は運良く撃たれなかった。
徐々に収まってきた目眩に耐えながら薄目を開けると、そこには銃を持って窓枠に足をかけているシャドーがいた。
その時、瞼の裏に何かがよぎった。
そのよぎった光景の通りに、僕はシャドーに掴みかかり、そのまま窓から落下した。
ふと目を開けると、沢山のシャドーが僕の下敷きになっており、さっきよぎった光景の通りだと思った。
これが、さっき神様が言っていた、特殊能力の一つなのだろうと確信した。
その後、僕は子犬の安否が心配で、能力を使って敵を避けたり色々してたんだけど、遂に力尽きて倒れたんだ。
そこらへんの記憶は酷く曖昧だから、きっと君がいう廃人とやらには、その時もうすでになっていたんだろうね。
僕の話は、これで終わりだよ。
***
青年の話が終わり、俺は考え込んでいた。
少年が選んだのは、この青年のような人ばかりなのだろうか……とすると、人間に対して憎しみを抱いている人になる。
けれど、憎しみを抱いている人は他にも沢山いただろうに……判断基準はどこだ?
そう考えていると、青年から声がかかった。
「さぁ、これで全部終わり。僕の心臓を撃って?」
「……お前は、それでいいのか」
不当な扱いをされて、それに復讐しただけなのに結局は人間の為、人類の為と言われ、殺される。
悪いのは、影を生み出したこいつではなく、俺らだというのに。
「……いいも悪いも、僕の復讐の炎はもう燃え尽きた。影の本体である僕らは、一人一人場所は違うけど、あるものを破壊しないと簡単には死ねないようになっている。足が腐り落ちていく感覚は、もう感じたくないしね」
こんなときにでも笑みを浮かべる青年に、俺はショットガンを向ける。
もう覚悟は出来ているような表情をする青年に、俺は訊ねた。
「……最後に、聞いていいか」
「いいよ。最後だし、ある程度なら答えてあげる」
「…………あんたの、名前は」
その言葉に、青年は目を満月のように丸くしたあと、俺に微笑んだ。
「三舟 籠目。……君の未来は、苦しく険しい道。でも、きっと幸福はやってくるから、頑張って。……先見の能力持ちのお墨付きだよ」
「……お前の名前は、一生背負っていく。……ありがとうな」
バンッ
***
悪食がここに再び入ったとき、籠目は既に事切れていた。
床に膝をつき、顔を両手で覆う悪食は、泣きながら俺に訴えた。
「ころ、さないって……いったじゃんかぁ……!!」
「俺は、“今はまだ”っていったはずだ。シャドーは本体を傷つけようとしないから、シャドーの少ないここは、元々こっちでも目をつけていた。そして、見つけたから殺した。それ以外に何がある」
泣きじゃくる悪食に、俺は近づく。
目の前にたった俺に気づいた悪食が顔を上げたときに、俺は右手に持っていたものを差し出した。
それは、粉々になった灰色のドッグタグだった。
「あいつの首にかかっていた。恐らく、子犬……お前のドッグタグを、派遣されるときに持っていったんだろう。いつでもお前を思い出せるように。……なぁ、本当は、知識をつけていくにつれ、お前も気づいたんだろう?自分の正体と……あいつの正体に」
粉々になったドッグタグの破片を悪食は俺の手から、壊れ物でも扱うかのように優しく受け取り、両手で大事そうに包み込んだ。
そうして、ポツリと呟いた。
「……わかってた。わかってたよ……。でも!あの人は俺を、愛してくれたっ!なのにそんなこと……言えるはず、ないだろぉ……っ!!」
そういいながら手首を口元へ持っていき、今にも噛み切ろうとしていた悪食の手を掴み、それを止める。
泣きそうな顔でこちらを見る悪食に、俺は告げる。
「お前が死ぬことを、あいつは望んでいない。疲労とストレスで意識が混濁していた状態だってのに、お前が心配でお前の元まで行こうとしたんだ。……生きる理由がないなら、あいつを殺した俺を殺すことを理由にしろ。だから、死のうとするな。……あいつの、生きるための、最後の希望だったお前を、お前自身が殺してやるな」
そういうと悪食は、何も言わなくなり、ただただ、涙をこぼすだけになった。
どこかで、悲しそうな遠吠えが、聞こえた気がした。