16.エリダヌス座ζ星
5月12日【ゼータ・エーリダニ】(エリダヌス座ζ星)
依存しがちな社交性
それから時間が経ち、小鳥遊の怪我も大分治ってきた。
鷲は、元気になっていく妹の様子が嬉しいのに、その妹が俺に心を開いているため、俺が気に食わないらしい。
今日も、かきこむ様にして食事をしたあと、飛び出すようにして外に飛び出していった。
今日も、曇り空。
午後あたりから雨が降り出しそうだから、その前までには、あいつを連れ戻してこないと、洗濯物が増えるな……なんて思いながら、そのまま置いてある鷲の食器と小鳥遊の食器と俺の食器を重ねて持っていく。
お礼を言って来た小鳥遊に返事をする代わりに頷き、隣の部屋にある流し台へと食器を置き、水につけておく。
部屋に戻ると、小鳥遊がベッドに座り、拳銃を拭いていた。
俺の存在に気がついた小鳥遊が、俺をチラリと見たあと、再び拳銃へと視線を戻した。
少し眠るか、なんて思って椅子に座り、そのまま目を閉じる。
唐突に、小鳥遊がつぶやくような声で、まるで夢の話をするかのように、語り始めた。
***
私、ずっとお兄ちゃんと2人だけの世界で生きてきたの。
……ううん……2人じゃなかったけど、私が大切で愛しいと思えた人は、お兄ちゃんだけで、お兄ちゃんが大切で愛しいと感じたのも、私だけだったから。
だから、2人。
お父さんもお母さんもいたけど、お母さんは他の男の人のところに入り浸っていたし、お父さんはお酒ばかり飲んでいて、機嫌が悪いと私たち2人を殴ってきた。
赤ちゃんの頃は隣の家のおばあさんのところで育ててもらっていたけれど、私が3歳のころにおばあさんは亡くなってしまったから、それからは、ずっとお兄ちゃんが親代わりに育ててくれた。
お兄ちゃんも、まだ幼い、子供だったのに。
お父さんもお母さんもお金なんてくれなかったから、近所の商店街で親切な人に頼んで、お手伝いをさせてもらって、日々の食事を賄ってもらっていた。
学校はどうしたの、なんて尋ねられることもあったけど、いけないなんてしゃべったら、またお父さんに殴られるから、私たちはなんとか周りの目を誤魔化しながら、僅かな食料でなんとか生きていた。
気まぐれに教えてくれる人たちの知識を、生きるために必死で覚えていた。
ある日、お母さんの恋人だという人が家に来た。
引き取ってあげるから、一緒に来て、幸せに暮らそうというその言葉に、子供の私たちは、嬉しくなって素直にあとについていった。
……それが、いけなかった。
私たちは、お母さんに売られた。
名ばかりの親だったというのに、借金に困っていたから、売れるものでいらない、私たちを売ったのだと、家に来た人が私たちを捕まえてから、小さく呟いた。
そのときは運良く逃げることができたが、家に帰るとお父さんに、どこに行っていたと散々殴られた。
私を庇っていたお兄ちゃんの体は、ボロボロだった。
その日から私たちは、人を信用することはなくなった。
親切にしてくれる人たちに笑顔でお礼をいいながらも、心の中ではその人たちがいつか裏切るのではないかと、目を光らせながら観察していた。
唯一信用できるのは、自分と大切なもう1人の存在だけ。
どんどん歪んでいった私たちの心は、いつしか私たち以外の人たちへの、憎しみへと変わっていった。
「ねぇ、自分たち以外の人たちが、憎くはない?」
ふと、そんな声が聞こえた。
幼い少年の声に、なんだろうと訝しみながらも、私は頷いた。
私の肯定の返事に、気を良くしたのか、少年は弾むような声で私に再び声をかけた。
「そうなんだ!じゃあ、君の影を貸して?……君たちの憎い存在に、終わりを迎えさせてあげる」
私が再び頷くと、少年の声は聞こえなくなった。
どうしたのかと心配そうに問いかけてくるお兄ちゃんに、大丈夫と返しながらも、さっきの言葉が頭から離れなかった。
……その日は、いつもと同じような日だった。
お父さんから殴られ、お兄ちゃんが私を庇って怪我をし、私はただ庇われて泣く。
……いつもと、同じ日だった。
ふと気づくと、空から声が降ってきていた。
その声が、あの時の少年のものだと気がつくのに、時間はかからなかった。
上を向いたままの私に、お兄ちゃんが問いかけようとしたとき……声がとぎれ、私たちの座っていた床がなくなった。
叫ぶ間もなく落ち、地面にドスンとお尻から着地をした。
次の瞬間、上の方から、お父さんの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
お兄ちゃんが咄嗟に耳をふさいでくれたが、それでも、塞ぐ直前に聞こえてきたあの声が、耳にこびりついて剥がれなかった。
お父さんの悲鳴は、すぐに途切れた。
床の下にある地面に落ちたらしい私たちは、ゆっくりと床に空いた穴から顔を出した。
……そこにいたのは、全身真っ黒な、まさしく“影”。
心臓があるところに灰色の宝石をつけた影は、私たちを一瞬見たあと、窓から外へと飛び出していった。
それを唖然として見送ったあと、ふと、お兄ちゃんが一言も言葉を口にしていないのに気がついた。
どうしたのだろうとお兄ちゃんの視線を追う私に気がついたお兄ちゃんが、咄嗟に見るなと叫んだけれど、もう、遅かった。
首を吊った、お父さん。
苦しそうな顔をして、手足を力なく垂らしたお父さんは、死ぬという概念がよくわからなかった私でも、死んでいるのだなとわかった。
恐ろしくて、昔、お兄ちゃんが私の誕生日に、一生懸命貯めたお金で買ってくれた、右腕につけた大切な灰色の腕輪を握った。
すると、その腕輪が、2つの灰色の拳銃に変化した。
それと同時に、これが私の能力なのだとなんの確信もないのに思った。
拳銃を手に持った私は、お兄ちゃんと共に家の外へと出た。
これがあれば、怖いものなんてない。
これがあれば、今まで守ってくれたお兄ちゃんを、私が守ることができる。
外に飛び出した私は、私たちを殺しにやってくる人たちを、撃って、撃って、沢山殺していった。
大切な人なんて、お兄ちゃん以外いらない。
それ以外の人なんて、お兄ちゃんと私の世界を壊そうとする人なんて、全部いなくなっちゃえ……なんて思いながら。
***
「この子達から他の人の心がわかるなんて、初めて知ったんだけど……この子達のおかげで、私とお兄ちゃん以外の世界があるんだって、ようやく気がついたの」
立ち上がる気配と共に、ベッドのバネが軋んだ音がする。
コツコツと、歩く音が俺から遠ざかっていく。
「お兄ちゃんにも気づいてもらいたいけど、きっと私じゃダメだろうし、私がいたら、ダメだと思う」
扉を開ける音がする。
コツコツと歩いていた足音が止まり、降り始めた雨の音が、僅かに聞こえる。
「……私、殺されるならあなたがいい」
そう一言残して、小鳥遊は去っていった。
目を開けた俺は、通信機を取り出した。
教えられていた周波数に合わせ、つながったのを確認してから、俺は一言だけ、伝えた。
「シャドーの本体が1人、そっちに向かった」




