1.ちょうこくしつ座ζ星
3月21日【ゼータ・スクルプトーリス】(ちょうこくしつ座ζ星)
波乱万丈と非凡な運命
朝だというのに、青空は俺の髪の毛の様に灰色の分厚い雲に覆われ、太陽の光が薄らとさすだけだ。
まぁ、これくらいの天気だったら普通にあるから気にすることはないのだろうけど、俺が気にしているのは、そこじゃない。
3年間も続く曇り空と、血と瓦礫と死体と……そして、俺たちと同じ姿なのに、全てが黒に染まっている、シャドーという存在だ。
こんな事になってしまったのは、3年前に起きた、ある出来事のせいだ。
***
その日は、今のような曇り空じゃなくて、晴れ晴れとした青空だった。
生まれた時から何故か灰色の髪の毛を持って生まれた俺は、めんどうな奴らに目をつけられることが多かった。
喧嘩はできなかったが、幸い運動神経だけは高かったから、昼休みや放課後になると、そいつらから逃走していた。
今日も、そんな日だった。
人気のない、見るからにボロボロの木造建ての旧校舎へと入り、鍵の壊れた教室へと素早く隠れる。
教室の外の廊下から、俺を追いかけてここまでやって来た男たちの、話し声と足音が通り過ぎていった。
ホッと小さく息を吐き、さて、ここから逃げなければと頭を働かせたところ、それは聞こえてきた。
『あー……、マイクテスト、マイクテスト、只今マイクの音量調整中……って、これマイクじゃないから、そんなのいらないんだけどねっ!』
まるでこの青空のような、元気な少年の声が俺の耳に届いた。
微笑ましいと感じると同時に、放送室にまで子供が侵入するって、セキュリティーが甘いんじゃないのかと思った。
……あれ、でも、ここは旧校舎だから、放送は聞こえないはずだ。
…………その事実に、嫌な予感がした。
『初めましてっ!僕は遊戯の神でっす!……で、なんでこんなのを流しているかといいますとねぇ~……じゃっじゃーん!今から皆さんには、“影踏み”を行って欲しいと思います!!』
影踏み……鬼が影を踏み、踏まれた子供は鬼と交代するという、至って普通な遊びのはずだ。
俺の思い過しかと安堵の息を吐こうとしたとき、続けざまに、それは聞こえた。
『日本の中で、人間を憎んでいる沢山の人の中から……5人。その5人の“影”が実体化し、君たちを“踏み”に来ます。でもね、ただの鬼じゃなくて、特殊能力を持った影なんだよ』
声を潜めて、いかにも楽しそうに悪戯を考える子供のような声に、俺は危機感を覚えた。
子供は無邪気で、その分、残酷だ。
なんだかこの声にも、その片鱗が染み出ているかのような気がした。
『影を倒す方法はただ一つ。影の元となった人間を踏むこと。……でも、影も放っておいちゃダメだよ?彼らはバカじゃない。踏んで振り出しに戻さないと、彼らはどんどん力をつけて、君たちを沢山踏むからね?』
クスクスと少年は、まだ変声期も来ていないような声で笑う。
俺の脳内が、危険だと警告を発していた。
『でも、影にだけ特殊能力があるってのは遊びに置いて公平じゃないから、君たちにも特殊能力を上げるね!どんな能力かは、自分で見つけてね?』
楽しそうなその声は、まるでこの遊びが、本当の遊びのような気を起こさせるものだった。
けれど、次の言葉で、それは違うのだと感じた。
『……僕は、ある少年の影と一体化した存在だ。だから、その子を見つけた人は、僕のところに招待してあげる。そんな奴は存在しないだろうけどね。……その子を傷つけたお前らに、見つけられるわけがない』
呪いのような、地を這うような声が、少年の怒りが本物だという確かな証拠だった。
けれど次の瞬間、それがなかったかのような明るい声で、少年は締めの言葉を言い放った。
『影の5人は、複製して日本中に送っているんだ。影を踏む方法は、彼らの体のどこかにある灰色の宝石。ここまで教えたんだから、全滅する前に影の1人くらいは倒してよね?どっちか1方が極端に強い遊びなんて、見ててつまんないんだから。じゃあ、精々頑張ってね!』
元気に挨拶をした少年の声は、そこで途切れるかと思いきや、続きがあった。
思い出したかのように声を上げた少年は、意味深に笑いながら、呟いた。
『……どこで見たか忘れちゃったんだけど、ねこふんじゃったって歌あるよね?あれって本当は、“ねこしんじゃった”になるはずだったんだってね』
その一言で、少年の声は聞こえなくなった。
……そして俺は、少年の最後の一言で、俺の嫌な予感が正しかったことを悟った。
少年の言葉が本当ならば、“影踏み”というのは“影殺し”という隠語であり、少年が“踏む”といったのは“殺す”というのに変換できる。
……そうすると、影は俺たちをころ―――
「なんだったんだ?さっきのは?」
廊下の方から、俺を追いかけてきた男たちの声が聞こえてきて、俺の意識は、現実に引き戻された。
急いで掃除用具入れに隠れると、それと同時に教室の扉が開き、男たちが入ってきた。
「ただのガキのイタズラだろ」
「それもそうだな」
「それに、本当だとしても、ただ遊ぶだけだろ?」
彼らは、少年の言った言葉の隠された意味に気が付いていないのか……それとも、俺が考えすぎているだけなのだろうか。
とりあえずまずは、ここからでないといけないと考えていたときだった。
それは、一瞬だった。
巨大な何かが、下から勢いよく生えてきた。
それは、男たちの半数を串刺しにし、物言わぬ肉の塊に変えてしまった。
思わぬ自体に、こみ上げてくる吐き気を必死に抑えた。
けれど、掃除用具入れの隙間から見えるその光景に、目が離せなかった。
「な、なんだこの化け物は……!!」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」
腰が抜けて動けないもの。
叫び声をあげて逃げ出すもの。
全員が全員、残らず殺された。
血と死体だらけになった教室の中で、植物の蔦が先ほどの動きと違い、ゆっくりと動いた。
下から上までここを貫いている蔦の開けた、大きな天井の穴から、誰かが蔦に運ばれてやってきた。
それは、真っ黒だった。
俺たちとまったく同じ姿をしているのに、肌も、服も、髪も、何もかもが真っ黒だった。
首元に埋まっている、灰色に光る宝石だけが、なんだか浮いていた。
その不思議な存在は、キョロキョロとあたりを見回したあと、一瞬だけこちらを見てから、蔦に乗ったまま、下の方へと降りていった。
俺が浅く呼吸を繰り返していると、蔦がゆっくりと下に動いていき、やがて教室からいなくなった。
俺は思わず、掃除用具入れから飛び出した。
そこは、まさしく地獄絵図だった。
貫かれたり、引き裂かれたり、切られたり、混ぜられたり、ぶつけられたり、埋められたり。
バリエーション豊かな死体達と、血に濡れた木の床が、この状況の悲惨さと、そして、少年の“影踏み”という遊びが、恐ろしい遊びであることの証明だった。
止まらぬ吐き気に、本校舎の方に面している窓を見……俺は、後悔した。
同じだったからだ。
人がとても酷い殺され方をしており、地面は血の海と化し、コンクリートでできた校舎の壁は、ところどころ壊れている。
現実から目を背けたくて、俺は空を見上げた。
青空は、俺の髪の毛の様に灰色の分厚い雲に、覆われていた。