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大切



 林を切り拓いた狭い道を、一台の馬車と六頭の馬が進んでいる。左右から伸びた枝と緑葉により日の光は遮られ、辺りは薄暗い。馬車を囲んでいる六頭のうち、先頭を走る一頭には、とある理由で人が乗っていない。

 その理由であるハナは、馬車の左隣を歩く馬に乗っている。その姿は、白いシャツに薄桃色のカーディガンを羽織り、下はタイトなズボンといったもので、手綱を握りしめている顔には笑みを浮かべている。

「姫様、そろそろお疲れではありませんか?」

 後ろに乗っている志乃が訊く。彼女もまた、ハナと同じように乗馬に適した洋装をしている。

「大丈夫です。疲れたのなら、志乃だけでも馬車に戻ってよいのですよ?」

「姫様のお付きである私が一人楽をするわけにはいきません」

 馬車の中で幸恒と千夜と三人になるのは息が詰まる、というのもあるのだろう。志乃の家は、代々八木浜の城主の世話役を勤めている。両親から幸恒が如何に偉大かを聞いて育った志乃は、幸恒や千夜の前では未だに緊張してしまう。そんな志乃を面白がって千夜がからかうため、苦手意識は増す一方だ。二人とも子煩悩なので、ハナがいれば志乃に矛先が向くことはほぼないのだが、このお転婆姫が出発間近になって『私も馬に乗って行きたいです』と言い出した。もっとも、付き人達が断ればハナも諦めただろうが、馬の世話係である馬人が快諾してしまったのだ。その結果、ハナと志乃は乗馬に適した服に着替えて、元々は馬人が乗る予定だった馬に乗っている。先頭を走っている馬は、変化した馬人だ。

 ハナが馬人の横に付くと、馬人の目がこちらに向いた。

「寛二朗は疲れておりませんか?」

「へい。他の馬と同じように、休憩を挟んでいただければフィピレ国まで保つ程度の体力はありますので、どうかご心配なさらず」

「そうですか」とハナは頷くと、乗っている馬に目を落とす。

「この子は大丈夫でしょうか。女二人とはいえ、殿方一人と比べれば負担も大きいのでは……」

 その言葉に馬人は「はっは」と笑う。

「大丈夫ですよ。そいつはこの中じゃ力も体力も一番ですし、それに、姫様と志乃様が乗ることになった時、そいつ、なんて言ったと思います? 野郎を乗せることにならなくてよかった、ですってよ」

「まぁ」

「だから、気の済むまで乗ってやってください。俺が代わりに乗ったら、きっと見るからにしょぼくれちまう」

 馬は抗議するように短く鳴く。

「おっと怒られちまった」

 おどけて言う馬人に笑みを返してから、ハナが所定の位置へ戻ると、馬車の横に付いている窓が開き、幸恒がしょぼくれた顔を出した。

「ハナよ。そろそろ疲れたのではないか?」

「いえ、まったく」

 ハナの即答に、幸恒は「そ、そうか……」と残念そうに顔を引っ込める。イシールとは反対の方向にある隣国、フィピレまでの道中は、普段から多忙な幸恒にとって愛娘と接する絶好の機会だったのだ。その愛娘は父より馬を選択したわけだが。

 一瞬、枝葉の隙間から差し込んだ日光により、ハナは片目を閉じる。ゆっくりと目を開いてから視線を上げると、日光は生い茂った葉により遮られ優しくなった光だけを地面に降らせていた。

「……ソラ様は今頃何をしていらっしゃるのでしょうか」

 何気なく顔が浮かび呟いた言葉に、志乃が「ソラ様ですか?」と反応する。これからハナ達はフィピレの王族と顔を会わせ、一泊し、八木浜に戻るのは明日の夕方以降になる。フィピレのレイモンド王子や同い年生まれのエリカ姫とは幼い頃からの友達なので、当然、会うのは楽しみだ。しかし、龍人達の出発を三日後に控えたこの時期でなくとも、と思ってしまう。昨日、城に戻ってからは碌に口も聞けないまま別れてしまったので、ソラの今日明日の過ごし方など知るはずもない。

「ソラ様なら、今頃、私の夫と会っている頃かと思います」

 そのため、志乃の言葉には、馬が乗手の異変に気付き小さく鳴くほど身体が固まった。

 志乃がソラの予定を知っているのは分かる。昨日、二人で話す機会は山ほどあっただろう。しかし志乃の夫に会っているというのはどういうことだろう。志乃の夫、狐人であるギンジョウは手習所で師匠をしている一町民でありながら、龍人との和解に一役買ったとして城に招待されたことのある人物だ。龍人と話し合いや宴会がある時は、今でも城に招待されることがある。

「ギンジョウ様に一体何の御用件で?」

 いや、なんとなく予想はついていた。ただ、それがハナ自身の望みでもあるため、自分に都合のいい妄想とも思えて、なかなか認めることが出来ずにいた。

「人と獣人、龍人について、話を聴きたいそうです。『三つの種族について、ただの知識ではなく、体験してきた方の話をお聞きしたい。今更と思われるかもしれませんが』と」

 だからこそ、その言葉を聞いた時は、口が緩みそうになった。ぐっと強く噤み、志乃に悟らせないよう、緑葉に隠された空を見上げる。

「そうですか」

 たった一言、口を開いた時、やはり笑みが浮かんだ。




 今朝志乃から伝えられた待ち合わせ場所である手習所前へ行くと、手を振って走り去る子供達と一人の狐人の姿が見えた。手習所と聞いて、自然と人間の子供の集まりを頭に浮かべていたソラだったが、子供の中には犬人や狸人の子供の姿もあった。ソラにとって同種の獣人は皆同じ顔に見えるため、子供には見分けが付くのだろうかと不思議に思った。

 八木浜手習所と書かれた看板が立て掛けられた門の横に立って子供の背中を見送っていた狐人が、不意にソラに気付く。ソラが歩きながら軽く頭を下げると、狐人、ギンジョウも、黒く丸い目を細めて笑みを浮かべ一礼した。

 子供とすれ違う際、複数の驚きの声が上がったが、ソラは気にする様子もない。初めこそ気にしていたが、町へ来る度に同じ顔を見るため慣れてしまった。それに、大人から見ても頭二つ分ほど背の高い龍人だ。子供から見ればそれこそ巨人にしか見えないだろう。

「ソラ様、本日はお越しいただきありがとうございます」

 近くまで行くと、ギンジョウが深々と頭を下げた。ソラは困惑しながら首を横に振る。

「お願いしたのはこちらなのです。どうか顔を上げ、そして砕けた口調でお話しください」

 ギンジョウはその言葉に笑みを見せる。

「いえ。龍人の若者が、私達獣人や人のことを知ろうとしてくれている。その事を妻から聞いたときの私の気持ちは、言葉のみでは到底表すことの出来ないものです」

「……そのように喜ばれるようなことはしておりません。人や獣人のことを知りたいというのも、自分の意志ではなく、人に言われてのことなのです」

「それでも、あなたは自分の意志で私に会うことを決めて、こうして赴いてくださった。私にとっては、それだけでも十分に嬉々たることです」

 心から歓迎されていることにむず痒い気持ちを覚えたソラは恐縮するように頭を下げる。ギンジョウは笑って頷くと、左手でそっと手習所を指し、案内を始めた。

 門を抜け、手習所に入る時にソラが少し頭を下げたのを見て、ギンジョウが苦笑する。

「やはり龍人の方に人の住まいは少々狭いようですね」

 確かに、背筋を伸ばしたまま進めば額をぶつけてしまうだろう。しかし、八木浜城にもそういう場所はいくつかあるため、手習所にそれ以上の広さを求めてはいない。そこは龍人が合わせるべきであろうとも思っていた。

 そのことを口にしながら歩く木の廊下も、跳ねれば頭が付くであろうほどに天井は低い。見上げれば目前に天井があるという光景は、なかなかの圧迫感だ。

 ソラの言葉を聞いたギンジョウは、同意しながらも自分の意見を述べる。

「合わせるべき、というのであれば、人や獣人も同じではないでしょうか。共に生きるのであれば、誰もが暮らしやすい家を作るのは当然のことです。そういった些細な不便がなくなった時、本当に共存が始まったといえるのでしょう」

 時折小さく軋む床を歩き、突き当たりにある戸の前でギンジョウは足を止めた。戸を引くと畳張りの室内には向きも定められずに置かれた足の低い机と座布団が、それぞれ十ずつほどあった。先程の子供達は、普段ここで勉学に励んでいるのだろう。机に向かう姿が浮かび、集落で面倒を見ていた子供達の顔を思い出した。

 ギンジョウは部屋の隅に積まれていた座布団を手に取ると、空いている場所に置き、ソラに薦めてから自らも腰を下ろす。

「本当の共存、ということは、ギンジョウ殿にとって、今の状況は、まだそうは言えないと?」

「今のままでは、龍人の人口問題は解決していません」

 そうだ、とソラは思う。志乃が言っていたではないか。ギンジョウが耐えられないのは、このまま龍人が滅ぶことだと。

「今はまだ、人も龍人も獣人も互いの距離を計りかねています。こればかりは、すぐにどうこう出来る話ではありません。遥か昔の話ですが、他国民や獣人ともそういう時期があり、ゆっくりと時間を掛けて馴染んでいったのですから。しかし、その時間すら惜しいというのが龍人の現状です」

「しかし、仮に龍人との共存がうまくいったとして、今度は人口の増加が問題になるのではないですか? こればかりは、龍人だけの問題とはいかない」

「人と獣人の夫婦の子は、人の血を濃く継いだ子と獣人の血を濃く継いだ子でほぼ半々となっています。龍人ともそうであれば、人や獣人の出生率が下がった分、龍人が増えることになり、全体の人口に大きな変化はないと考えています。それでも人口が緩やかに増加している今を考えると、それはもちろん大きな課題で、新たな地を見つけるか、出来なければ出生の制限をしなければならないでしょう」

 ギンジョウは言うと、ふと困ったように笑った。

「申し訳ありません。人と獣人の話をお聞きにいらしたというのに、このような話をしてしまい。つい熱が入るとこういったことを口にしてしまい、教え子にも『また前と同じ話してる』とよく言われるのです」

 軽く頭を下げるギンジョウに、ソラは微笑を浮かべると「いえ」と首を横に振った。

「このように龍人の問題について深く考えてくださる方がいるということすら、私はよく知らずにいたのです。どのような内容の会話でも、たとえ人や獣人にとって他愛のない世間話であろうと、今の私には新たな発見に溢れています。それを、昨日の視察ではっきりと感じました」

「私の妻と息子、そして姫様と共に参られたという……」

 ソラが頷くと、ギンジョウは目を細めて感慨深そうに微笑んだ。

「昨晩、妻から姫様とソラ殿が共に町へ出ると聞いて、嬉しさ半分驚き半分といった気持ちでした。七年前、八木浜の華姫に涙を流させた龍人の子といえば、私のような者達の間では有名でしたから」

 笑みを浮かべるギンジョウを見ながらソラは、そうなのか、と内心思うが、龍人の、特に不干渉派の間ではよく知られていることだったため、集落によく来る者の耳に入っても何もおかしくはないだろう。

「ソラ殿は七年前のことを謝罪し、姫様は共に視察へ行くことを条件に出した。そこで、許してはいただけたのですか?」

「いえ。謝罪よりも、人や獣人を好きになってほしいと言われ、ギンジョウ殿にご教示願いたいと思った次第であります」

 ギンジョウは「ふむ」と小さく呟き頷く。

「なるほど。そういった成り行きでしたか。志乃から聞いた話だけでは、ソラ殿が私を訪ねる理由が些か欠けている気がしていたのです」

 ソラが昨日のことや集落を飛び出した時のことを掻い摘んで話すと、ギンジョウは納得したように何度か頷いてから、再び笑みを浮かべる。

「それでしたら、人や獣人についていくらでも話しましょう」

「ありがとうございます」と頭を下げたソラに、ギンジョウはあくまで穏やかな口調で「しかし」と言う。

「姫様が仰ったように、旅へ出る前に一度御両親に会われるべきだと私も思います。子を持つ親としての気持ちも多分に含まれておりますが、姫様の願いに応えることに、それは避けては通れぬ道ではないかという思いがあります。ソラ殿も、決して御両親を嫌いになったわけではありますまい」

「それは当然です。しかし……」

 加えて、両親に対する不信感も、ハナに言われても行動に移せない理由の一つだった。ガラリアローザの長を辞めたのは、自分を探すためではなく人間のもとへ行った息子を恥じてではないか。自分を探しているのは、集落に連れ戻すためなのではないか。だが、それは結局、直接会わねば分からぬことだ。

「やはり、あの言葉だけは、酒に酔っていたと理解していても、まだ心のどこかで許せずにいます」

 ギンジョウは「それはそうでしょう」と同意して頷いた。

「出来れば父君の気持ちを知って欲しいと、同じ父親として思いますが、幼い頃から正しいと教えられたことをひっくり返されれば、そう思ってしまうのも仕方がないとしか言えません。その教えが幼いソラ殿に七年も消えることのない罪悪感を植え付けたのですから」

「……いえ。あれは結局、私がやったことです。あれまで両親のせいにするつもりは……」

「七歳か八歳の子供が親の言うことを守ろうとしただけのことです。それで傷を負ったのなら、やはりそれは親の責任でしょう。そういう気持ちを溜め込むのでなく、一度全てぶつけてみるといい。親は子のことを子が思っている以上に分かっています。今まで知らなかった子の一面を知れば、本人にすら浮かばなかった答えを教えてくれるかもしれません」

 あの両親が、そこまで自分のことを見ているだろうか。自分を探していたという両親のことが頭に浮かび黙っていると、ギンジョウは我に返ったように苦笑した。

「また、余計なことを口にしてしまったでしょうか」

 ソラは首を横に振る。

「おかげで、迷っていた心が決まりました。明日、両親に会うためガラリアローザの集落へ行こうと思います」

 ソラが頭を下げながら言うと、ギンジョウは安堵の笑みを浮かべて一つ頷いた。

 二人は大地が夕日で染まる頃まで言葉を交わした後、ソラはギンジョウの自宅へ招待された。初めは遠慮していたソラだったが、志乃が不在で太助が寂しがっていると聞き、断りきれなくなった。口下手な自分がいても寂しさは紛れるのだろうかという心配をよそに、父親の帰宅を出迎えた太助は、飛び上がらんばかりに驚き、目を爛々と輝かせた。そのまま夕飯を御馳走になり、三人で近所の湯屋へ行ってからギンジョウ宅に戻り、その日は結局一泊することになった。父親が長となり集落で一番大きな木造家屋に移り住んだのが五年ほど前の話になる。考えてみれば、その頃から誰かと同じ部屋で眠ることなどなかった。ソラが来たためか、消灯してなお興奮冷めやらぬ様子の太助と話をしながら、昔、まだ両親と仲の良かった頃のことを思い出していた。楽しかった記憶より怒られた記憶の方が多かったが、それでも表情は自然と笑みとなり、そして、何も知らないまま人を嫌っていた無知な自分を思い出して、笑みが引っ込む。喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、この感情はいつになったら腹の中に収まってくれるのだろう。思い出すたびにせりあがり、口から出ようとする、だが言葉にならない感情。いつか、あの頃の自分を思って笑える時が来るのだろうか。そんな光景は、とてもではないが想像し難かった。

 翌日、朝からまた風呂に入るという二人と湯屋の前で別れてから、ソラは一度城へ向かった。今日は戻ってこられないかもしれないため、今のうちに城へ顔を出しておこうと思ったのだ。

 朝から風呂というのは町に住む者の間では当然なのか、道行く者とはほとんどがすれ違う形になる。龍人の集落では、風呂は一日に一回しか入らないのが主で、今でもそれで十分だと思っているが、少々自分の臭いが気になり、右腕を顔に寄せて嗅いでみたりもした。子供の頃付いていた泥臭さはなく、嗅ぎ慣れた臭いだ。

「おや?」と後ろから声が聞こえたのはそんな時だった。振り返ると、そこには城で見たことのある中年の武士が立っていた。今時珍しく髷を結っているため、よく覚えていた。身体は人にしては大柄で、五尺と二寸ほど。麻裃を纏い、腰には刀を差している。

「城にご宿泊されている龍人殿ではないですか」

 親しみを感じる笑みを浮かべて一つ頭を下げると、当然のように隣に並んで歩き始めた。これもまた、ソラが八木浜を訪れて驚くことの一つだった。城の者はまだしも、町民はもう少し龍人を嫌っている、あるいは怖れるものかと思っていたのだ。それが、いざ来てみれば人々は物珍しげに見るか、そうでなければこのように親しげに話しかけてくる。龍人の集落に人が来ても、こうはならないだろう。

「昨晩はどこかへお泊まりで?」

「はい。今日もまた、一度城へ顔を出した後に出掛けるつもりです」

「八木浜見物ですか? それなら、昼は是非『ふきだ屋』っていう店に行ってやってください。元同僚が始めた食事処で、店の中と店主の顔は汚いですが、味は確かです」

 軽快な口調の武士に笑みを見せてから、ソラは軽く頭を下げる。

「申し訳ありませんが、今日は故郷の方へ一度戻ろうかと思っているのです」

「ありゃ、そうですか。それは残念だ。しかし、見たところまだお若い。御両親も、さぞ心配されていることでしょう」

 ソラが返事に迷って目を逸らすと、照れた反応と勘違いしたのか武士は豪快に笑う。

「そういうことなら、城の者には私から伝えておきましょう。龍人殿は、早く故郷へ戻って御両親を安心させてあげるといい」

「えっと……それは、いいのでしょうか」

「構いませんよ。私は良くも悪くも嘘が吐けない性格で、馬鹿正直だと周りに言われながらも、そういう意味では信用もされておりますので」

 なるほど、とソラは納得し、一つ頭を下げて、その言葉に甘んじた。

 人里での龍変化は禁じられている、というわけではないが、無闇に騒ぎを起こし注目されるつもりはないため、とりあえず町外れまで行くことにした。全力で走ればあっという間だろうが、こうも物陰が多いと、人が飛び出してくれば避けきれず、屋根から屋根へ飛び移るのも屋根が抜けたりしたら大変だ。

 なるべく早足で歩くソラに、朝早くから客を探していた四人の駕籠持ちが声を掛けようとしたが、口から言葉が出る寸前に止めた。他の龍人よりは細身とはいえ、ソラの身体に彼等の駕籠では小さすぎる。

「おっ。そこの龍人さん。お急ぎかな?」

 そんな声が聞こえたのは、駕籠持ちの横を過ぎてしばらく歩いてからだった。声の方を向くと、一人用の人力車の側に着物姿の若い男性が二人立っていた。

「あぁ。町の外へ行くつもりだ」

「そりゃあ歩きじゃ大変だ。これに乗っていかないかい? ここいらに俺達より早い奴はいないぜ」

 人二人に引かれる車輪付きの乗り物より普通に走った方が早い、とは思ったが、旅の前金がまだまだ余っていたため、これも経験だな、と考えを改めて首を縦に振った。

 朝から客が見つかり、幸先良しというように二人は笑顔を合わせてから再びソラを見ると人力車を右手で差して「さぁ、どうぞ。お乗りください」と言った。

 一人用とはいえもともと余裕を持って作られているのか、特に窮屈に感じることもなく、ソラの身体は座席にすっぽりと収まった。

「行き先は、ここから一番近い南門でいいかい?」

「あぁ。頼む」

 頷きながら返すと、「あいよっ!」と気合いの入った言葉とともに人力車がゆっくりと走り出した。

 八木浜の町は七尺ほどの高さの石壁で囲まれていて、北を除く東西南に大きな門がある。どの門も開いている時は碌に動けないほど人で溢れており、ソラが八木浜を訪れた際に通った東門もそんな状態だった。そんなところに入るのは嫌だったため、人気のないところまでは石壁の屋根を歩こうと跳び上がり、門の横に立っていた武士に怒られたことは今思い出しても恥ずかしい。

 やはり走る方が早いな、とソラは思う。しかし、周りの景色を見ることに集中出来るのは有り難かった。人々は次々と民家から出て来て湯屋へ向かう。少し進むと近場の湯屋が変わったらしく、人々の流れがソラ達と重なった。人の数も増えてきて、速さを自慢していた車夫も流石に速度を落とす。道行く大人のほとんどが子供を連れてわいわいと話をしながら歩いていく。しかし、ソラに気付くとそんな会話も止まり、親子して『おや』といった表情を向けてくる。なんとなく、自分が家族団欒の邪魔をしている気がして申し訳ない気持ちになった。

「お客さん、ほら」

 その声に車夫を見る。彼の視線はソラに向いておらず、それを追うと、母の胸に抱かれた幼子がソラに小さな手を振っていた。ハナのように笑顔を浮かべることは出来なかったが、小さく、ぎこちなく手を振り返すと、幼子はぱっと笑い、母親の顔を見た。母親は笑みを見せてから、ソラに向き直り、子供の背中を支えながらゆっくりと頭を下げた。

「ここの、八木浜の人は皆、とても子供を大事にしているように見える」

 少し人が少なくなってきた頃ソラが言うと、車夫は短く笑う。

「はは。そりゃあそうさ。家族なんて、どうあがいたって大切なもんでしょう」

 ソラは、道行く家族連れを見ながら「そうか」と小さく呟いた。




 ハナが目を覚まし、初めに目にしたのは見慣れぬ天井、いや、ベッドについた天蓋だった。全身を包まれるような感覚を覚えるほど柔らかいベッド、左を見れば細かい装飾の戸棚や机があり、天井には豪華なシャンデリアがぶら下がっている。右を見ると、部屋の内装より先に一人の娘の姿が映る。一切くすみのない輝くような金髪、長い睫毛に、小さく高い鼻。同性であるハナから見ても、彼女、フィピレ国の姫であるエリカは美しく、愛らしい顔立ちをしていた。

 そうじゃ、わらわは昨日フィピレ国に来て、夜はエリカと話をしながら寝たのじゃった。と昨晩のことを思い出しながら、ハナはゆっくりと上半身を起こす。エリカと会うのは八ヶ月振りで、話すことは山ほどあった。エリカの兄であるレイモンドの婚約が決まったことや、八木浜、フィピレ両国で流行っているもの、そして何より、二日後に控えた龍人達による陸地捜索の旅の話は大いに盛り上がった。八木浜ほど龍人との和解が進んでいないフィピレでも七名の志願者が現れ、先日、顔を合わせたばかりだという。ハナと違い、今まで龍人を目にしたことがなかったエリカはその身体の大きさと力の強さに驚き、興奮気味に彼等について語った。そしてハナが、七年前に龍人の集落で会った少年と再会した話をすると、目を輝かせ、「すごい素敵な話だわ。まるで、私の好きな作家アラン・ビスメニが書くお話のよう」と言った。ここは彼女の部屋であり、本棚にはびっしりと恋愛物語の本が詰まっている。ハナが訪れる度にその数は増し、本棚もどんどん大きくなり、今では巨大な本棚一台では収まり切らなくなり、十冊ほどの本が立てられた真新しい本棚が隣に並んでいた。ハナも本は好きで読む。恋物語も読むことはあるが、どちらかと言えば冒険物語が好きだった。志乃は怪談話が大好きで、そればかりは理解できない。

 ハナはベッドから出ると、本棚に向かって歩く。ふと、壁に立て掛けられた鏡に気付いて足を止める。柔らかく、ふわふわとしたスカートの裾を、フィピレの挨拶のように軽く摘み上げてみる。

 ……似合わんのう。というのが、ハナの正直な感想だった。

 エリカとは色違いの、白いネグリジェ。寝間着は持ってきているのだが、エリカに是非と言われて着ているのだった。エリカや王城の女中達は似合っていると言ってくれたが、志乃はこの姿を見た途端に顔を逸らして小刻みに震えていた。あとで理由を聞いたところ、最近読んだ本に出てくる幽霊にそっくりだったらしい。確かに、白い着物に長い黒髪の女という姿は怪談話でよく聞くし、試しに髪を前に垂らすと、エリカにも怖いと言われてしまった。

 エリカのように髪が金色なら似合うのかのう、と思って想像してみたが、まず金髪が似合わず、ハナは顔をしかめると鏡の前から離れた。

 本棚の前に立ち、背の丈よりも大分高い一番上の棚を見つめる。エリカが言っていたアラン・ビスメニの名前はすぐに見つかった。近くにあった踏み台を持ってきて、五冊あるうちの一冊を手に取る。踏み台から降りて、テーブルを挟んで置かれいるロングソファに腰掛ける。腰が沈んでいく感覚がベッドに似ていた。机の上に手を置き、本を開いた時、背後から布の擦る音と小さな声が聞こえてハナは振り返る。

「ハナ?」

 エリカはベッドの上で上半身を起こし、半開きの目を右手で擦っていた。ハナと目が合うと、小首を傾げる。

「ハナ、何をしているの? まさかお勉強?」

「それこそ、まさか、じゃ。昨日、エリカが言っておった作家のことが気になったので少し見てみようかと思ってのう」

 その言葉にエリカは目を見開くと、跳ぶようにベッドから降りてハナに駆け寄った。

「ハナ、これは駄目よ。アラン・ビスメニの物語を楽しむのなら、まずは『レインボーナイト』から読まないと!」

「そ、そうなのか?」

「そうよ! アラン・ビスメニの物語は、直接的な続編でなくても前作のキャラクターが登場したり、前作が関わってきたりするの。特にハナが持ってる『トコシエ』は、前作『ドックリの雷』のその後が描かれているから、先に読んじゃうと楽しみ半減よ! それでも面白いけれどね!」

「ふむ。危ないところじゃった。それでは、一番初めの物語から読むとしよう」

 エリカは頷き、共に本棚まで歩いていく。

 二人は幼なじみであり、こうして二人きりでいる時だけ、ハナも昔の口調で話している。エリカは幼い頃からハナの言葉遣いを気に入っていて、それを変えた時は涙ながらに抗議した。その結果、今のかたちに収まったわけだ。エリカは『ハナの口調はとても魅力的だから直す必要なんかないのに』と言っていたが、その頃のハナも頑なだった。初対面の少年に嫌われた理由はこの口調ではないかと思っていたからだ。

 ハナと同じくらいの背丈のエリカが踏み台に乗って『トコシエ』を戻し『レインボーナイト』に手を伸ばした時、小さなノック音が部屋に響いた。

「残念。もう朝食の時間みたいね」

 本当に残念そうに肩を落としてエリカは言う。

「どちらにせよ、本を一冊読み終えるほどの時間はないからのう。八木浜に戻ってから探して読んでみるとしようかの」

「えぇ。でも、くれぐれもお忘れなく。アラン・ビスメニの作品の順番は『レインボーナイト』『ドックリの雷』『トコシエ』『ストラコストイの旅路』。そして、それぞれの作品にも関わりがある短編集『ユギハの木々』よ」

「どれも恋の物語らしさのない題名じゃのう……」

 その呟きと同時に扉が開き、三人の女中が静かに部屋に入ってきた。そのうちの二人の手にはそれぞれエリカとハナの着替えがあり、一人は挨拶をしてから部屋のカーテンを開けて回る。眩しい朝日が部屋に差し込み、ハナは思わず目を細めた。




 ガラリアローザというのは、八木浜の城下町から南西に位置する森の奥深くにある湖の呼び名だ。人の間で龍人湖と呼ばれていることを知ったのは、つい数日前だった。

 夏の終わりの時期でも森はまだまだ青く、めったに人も来ないため、道と呼べるほどの道もない。ただ、龍人であるソラには何の問題もなかった。

 龍となっていたソラは、集落が見えてくると変化を解いた。そこはまだ木の上、九尺以上の高さがあったが、何事もないように着地したソラは、身体についた木の葉を右手で払いながら前を見て、鼻で息を吸った。

 木の実を炒るような匂いがした。そして耳を済ませば、遠くから声も聞こえた。複数の、どこか焦燥を感じさせる声。おそらく、ソラの姿が見えていたのだろう。

 ソラは、その声と匂いの方へ駆け出した。人の身では到底、そしておそらく馬でも適わぬほどの速度で、木々の隙間を紙一重に通り抜けていく。

 水の匂いを鼻に感じた瞬間、視界が開けて足を止めた。

 龍に変化した状態で泳げるほどに広い湖。そのほとりには、土壁と茅葺き屋根の家が点々と建っている。

 久し振りの故郷に予想外の感慨深さがあり思わず動きを止めていたソラに、一人の老人が近付いてきた。

「まさかと思ったが、本当におぬしだったか」

「……アギ殿、お久しぶりです」

 杖を付いた老人アギは、一つ頷くとソラをじっと見た。集落の最年長であるアギは、長でこそないものの、老若男女から相談を受ける相談役をしていた。ソラの父や母もたまに家に呼んで何か話をしていることがあった。

「人のため旅に出ることを止めた、というわけではなさそうだな」

「ご存知でしたか」

 ソラは内心驚きながら言う。アギは目を伏せて頷いた。

「お前の両親から聞いた」

 もしかしたら、とは思っていたが、両親は既に自分のことを知っていた。しかし、それでも城を訪ねてこなかったのは、やはり見放されたということか、と思った時、ソラはふと気付いた。アギは、長から聞いた、ではなくお前の両親と言った。

「父と母は長を辞めたのですか」

 アギは「あぁ」と頷く。やはり、とソラは思うが、

「それどころか、二日前に集落を出て行った」

 そう続いた言葉には思わず目を見開いた。

 アギは集落を振り返りながら言う。

「一応、今はワシが長をしておるが、この集落ももう長くはないだろう。皆をまとめていていた前長が出て行き、昨日のうちに二つの家族がそれを追って行った。派閥に関係なく、お前の父親に心底惚れた者達だったのだろう」

「ということは、父と母が越したのは……」

「あぁ、友好派の集落だ」

 あの父と母が友好派の集落に? にわかには信じられずにいると、アギがゆっくりと歩き始めた。ソラがその場に立ち尽くしていると、不意に振り向いた。

「こらぬのか? 両親の話が聞きたいのだろう?」

「入ってもいいのでしょうか。私は、一度この集落の出た身です」

 アギはその言葉に自嘲的な笑みを浮かべる。

「構わぬよ。先程言ったとおり、この集落はもう長くない。それに、言葉にこそ出さぬが子供達もおぬしに会いたがっている」

 どこか諦めの混じった笑みを浮かべて、アギはまたゆっくりと歩き出す。ソラはその場で一礼すると、その背中を追った。どこに向かっているのかは、なんとなく察していた。長が住む家、ソラが少し前まで住んでいた家だろう。

 集落に、他に龍人の姿はない。この時間、雨も降っていないのに誰も外にいないなど有り得ない。ソラが帰ってきたと聞いて、家に入ったのだろう。

 二人とも口を閉じたまま湖沿いに歩くと、他の家と違う木造の大きな家が見えてきた。長の家、ソラが住んでいた家だ。

「今は誰も住んでおらん。ワシも、長になったとはいえ、この歳まで住んだ家を出る気はない。それに、少し前まで三人の親子が暮らしていた家に一人で住むなど、あまりに寂しいだろう」

 ソラは、黙ったまま頷く。

 アギは妻を一年前に亡くし、息子は世界中の龍人の集落を回って行商をしている。そして、外国で婚姻を結び、そちらには子も二人いるという。そのため、ここにやってくるのも、一年に一度か二度程度だ。

 短い階段を上がって戸を引くとアギは家の中へ入っていった。懐かしい、だが今朝嗅いだばかりの匂いを感じながら、ソラも後に続く。

 両側に扉がついた短い廊下を進むと居間へ着く。棚に置かれていた小さな置物や、並べられていた本など、細かい私物がなくなり、空っぽの家具だけが残されていた。

「おぬしの物も、全て向こうへ持って行った」

 見慣れているはずの部屋を見渡しながらソラは「そうですか」と返す。荷物を増やしてまで旅に持って行きたいほど大事な物などなかった。

 アギは食卓を挟むように二つずつ置かれた椅子に腰掛け、向かい側に座るようソラに促した。それに従い腰を下ろしたソラは、何も乗っていない食卓に違和感を覚えた。よく小腹を空かす父のために、食卓の真ん中には旬の果物や木の実など、気軽に摘めるものがいつも置かれていたのだ。

「人は、どうだった」

 アギはゆっくりと問う。

「実際に人に触れ、話し、共に暮らしたのだろう?」

 ソラはしっかりと頷く。

「少なくとも、私達龍人が危惧しているような、危険な思考を持つ者はいません。それどころか、大らかで優しい心を持つ者が大半でした」

「人が言うように、昔の人とは違うと?」

「少なくとも、争いを望む者は誰一人いませんでした。獣人とも共存出来ています」

 アギはじっと黙ってから大きく息を吐くと、「だろうな」と口にした。それを認めたことが、ソラには意外だった。

「だが、人は変わる。我らも、獣人も。戦争の過去を見て、そのきっかけが人と龍人の邂逅だと考えるのはおかしいことか?」

 ソラは首を横に振る。友好派と不干渉派は、どちらが正しい正しくないというものではない。それはアギも当然分かっていて、薄く笑う。

「わしもおぬしくらいの歳の頃に頭を悩ませた。その頃は友好派なんてものはなくて不干渉一択だったのだが、わしが住んでいた集落には、友好を唱える人間達が度々来ていての。人間に少し興味を持っていた。寝付けない夜は、人とともに暮らす自分を想像して過ごしたりもした。だが結局、周りに合わせるかたちでわしは不干渉を貫いた。だから、友好派が現れた時、わしは不思議には思わなかった。今更友好派に移ろうとは思わなかったがな」

「……何故?」とソラは訊いた。アギの話を聞いていると、今も人に対して悪い印象を持っているとは思えなかった。

「不干渉を貫くと決めていたからだ。おぬしも、決めたからには貫け。干渉派でなく、友好派の龍人として」

 ソラが「はい」と頷くと、アギは口角を上げて笑う。

「はっ。分かりやすく、吹っ切れたような顔をしている。八木浜の姫には会えたみたいだな」

 その言葉に、ソラは驚きのあまりむせそうになった。当然だが、ハナのことは誰にも、両親にすら言っていない。そんな反応を見て、アギは満足そうに笑う。

「気付かれていないと思っとったのだろうが、両親には丸分かりだったようじゃな」

 ソラは丸くしていた目をふっと細めると短く息を吐いた。

「はい。八木浜の華姫様に会い、七年前のことを謝罪してきました」

「ん? それだけか?」

 片眉を上げるアギに頷くと、つまらなそうな顔をする。

「なんだ。おぬしの両親は、息子が人に心を奪われてしまったと心配しておったというのに」

「……そうなのですか」

 それはそれで当たっていた。

「実は、こうして今一度両親に会いに来たのも、華姫様やギンジョウという獣人のお言葉あってのことなのです」

 アギはどこか複雑そうな笑みを浮かべ「そうか」と言ってから、ソラを真っ直ぐに見た。

「おぬしの両親の行き先だが……。直接聞いたわけではないが、おそらくタルランダだろうとわしは思う」

 そうだろうか、と反射的に思う。タルランダは、昔、両親とソラが住んでいた集落で、人と友好関係を結ぶと同時に出た。そんな場所に戻るだろうか。ソラは、両親が友好派集落へ越したと聞いて、タルランダではない方の集落を自然と浮かべていた。

「ソラや、おぬし、両親がここから出て行ったと聞いて、驚いておったな」

 不意に訊かれて、ソラは不思議に思いながらも頷く。

「それは何故だ?」

「……父はここの長ですし、七年前、タルランダが人と友好関係を結ぶ時も最後まで反対していた人です。正直、両親が俺を探していると聞いた時も半信半疑でした」

「そうだろうな。おぬしは、どうやら両親に嫌われていると思っているようだ」

「この数年、碌に会話もせず、他人行儀な口調でしか言葉を交わさずにいました。そうであっても何もおかしくはないと思っています」

「だが、おぬしは両親をどうでもいいとは思っていないだろう?」

 その問いに、ソラは言葉を詰まらせた。好きでも嫌いでもないというのは、つまりそういうことなのではないかと考えてしまう。ソラが答えに迷っていると、アギが呆れたように口を開く。

「おぬし、七年間も華姫のことで頭を悩ませていたのだろう? だが、一人での行動を許される歳になっても集落を出ず、そして謝罪にいかなかったのは何故だ? まさか、後込みしていたわけではあるまい」

 ソラは頷く。が、そう即答出来た理由はよく分からなかった。

「おぬしの父親が言っていたぞ。自分の存在が息子を板挟みにしているのではないかと。違うのか?」

 アギの険しい表情をじっと見つめ返してから、ソラはそっと首を横に振った。

「何故、おぬしが板挟みになったのか。簡単だ。両方大切だから、動けなくなっていたのだ。好き、など、こっぱずかしい言葉を使わずともよい。だが、大切という感情だけは見失うな。端から見ても、おぬしは両親を大切に思っておった。そして両親もまた、おぬしを大切に思っていた。この集落や自分の主張と比べても板挟みにならぬくらいにな」

 ソラは黙ったまま話を聞く。

「八木浜の城に訪れていないということは……まぁ、長年不干渉派の集落の長を勤めていたあやつに、いきなり人の町へ行くというのは難しいだろう。だから、タルランダだとわしは思う」

 その言葉に、ソラはようやくアギの推測の理由が分かった。

 八木浜の一番近くにある集落が、タルランダなのだ。




 八木浜への帰路でもハナは馬に跨っていた。ただし理由は昨日と違い、馬に乗りたいからではなく父親である幸恒が鬱陶しいからである。昨晩、エリカとは龍人の話で盛り上がったのだが、どうしてもよく知るソラの話になってしまった。そのことを、エリカが今朝の食事中に口にしてから、幸恒はことあるごとに『あー、ハナよ。そ、ソラという龍人はどういう人なのだ?』と聞いてくる。盗み聞きしたことや、ソラの詳しい事情を話すわけにもいかず、はぐらかしていたのだが、しつこいのなんの。馬車の中で両親から質問責めにされてはたまらない、とハナは馬人にお願いしたのだった。

 八木浜の町を囲む石壁が遠くに見えてきた頃には日が暮れていた。空には満月が浮かび、それをぼうっと眺めていると、ハナ達の頭上を一体の龍が飛んでいった。

「こんなところを龍が飛んでいるとは珍しいですね。お城に宿泊されているどなたかでしょうか」

 ソラだ、とハナは直感した。そこに人に説明できるほどの理由はなく、また、他の武士のざわめきを聞いて幸恒が馬車の窓を開けたため「そうですね」とだけ返した。

 城に着くと、夕餉の準備は既に出来ていた。ハナは着替えるため一人自室に向かっている。志乃も着替えを手伝うと言ってきたが、太助が起きているうちに帰ってあげてくださいと言うと引き下がった。代わりの者を向かわせる、とは言っていたが、今のところはまだ誰も追いかけてくる様子はなく、月明かりに照らされた外廊下にはハナの足音と庭の虫の音しか聞こえない。まぁ、たまには一人で城内を散歩するというのもいい、とハナは思っていた。

 とある部屋の前を通り過ぎて、ハナはふと思う。今日は、龍人達は宴会を開いていないのか、と。ソラと七年振りに話をしたのも、こんな夜だった。あの時は志乃もいたが、あの部屋を出て、しばらく歩くと、ソラとばったり出会したのだ。

 また、同じことが起きてはくれないだろうか。と、ハナの歩く速度が少し落ちる。だが、前から誰かが歩いてくる気配はまるでなく、しばらくすると後ろから素早く歩く音が聞こえてきた。志乃の代わりの女中が追い付いてきたか、とハナが足を止めて振り返ると、そこにはソラがいた。

 彼の手には畳まれた着替えと手拭いがあり、どうやら風呂へ向かう最中らしい。だが、風呂は反対方向だ。入浴を済ませた、という感じはないし、急いで戻ってきたことを考えると、忘れ物か何かだろうか。とまで考えてハナははっとした。

「ソラ様、二日振りにございます」

 冷静を装いながら頭を下げると、ソラも「はい」と頭を下げた。

「何かお忘れになったのですか?」

 頭を上げて問うと、ソラは手に持ったものに視線を落としてから「いえ」と首を振る。

「志乃殿に会い、姫様がお戻りになったと知ったため、一目お会いしたく参りました」

 ぬぐ、という言葉が口から漏れそうになり、ハナは表情を引き締める。ソラの前では、ただの澄まし顔が何故こうも難しいのだろうと、ハナは眉間に皺を寄せる。

「姫様にお伝えしたいことがあるのですが……お疲れでしょうか」

 そう問われて、ハナは初めて眉間に皺が寄っていることに気付いた。全然表情を澄ませられていなかった。

「だ、大丈夫です。して、伝えたいことというのは?」

「はい。今日、故郷であるガラリアローザへ行って参りました」

「そ、そうなのですか。故郷のがらりあろうざに……えっ」

 口を開けて固まるハナに、ソラは頷く。

「両親は集落を出ていて会えませんでしたが、明日、両親を探しにタルランダへ行ってみようと思います」

「そ、そうなのか……」

 自分がいない間に何があっただろう、とハナは呆然とする。二日前まで、ソラは両親と会うことに対して抵抗があるように見えたのだが、今の彼からそんな様子は一切感じず、そして雰囲気もどこか変わっていた。

「今日は両親と会うことは叶いませんでしたが、集落の者と話し、自分の知らなかった様々な、特に両親のことを知ることが出来ました。姫様は、そのきっかけをくださった方ですので、一度拝謝いたしたかったのです」

 そう言って深く頭を下げるソラを見て、ハナはようやく我に返る。しかし、きっかけを作ったといっても、あれはハナからすればただの我が儘でしかなく、礼を言われるようなことではない。ただ、一つだけ気になることがあった。

「顔を、あげてください」

 ソラがゆっくりと顔を上げる。彼を見上げながら、ハナはそっと問う。

「御両親と和解出来たのなら、ソラ様は旅をお止めになりますか?」

 自覚無く、その声色はどこか明るかった。しかし、ソラは、迷うことなく首を横に振る。

「いえ。両親とどのような結果になっても、私は旅へ行きます。自棄的な心ではなく、自分の意志で、今はそう言えます」

 ハナは僅かに俯き、「そうですか」と言った。この国の未来を担うものとして、その答えを嬉しく思うべきなのだろう。しかし、やはりソラの前では、表情を偽ることは難しかった。

「……ソラ様とこうしてお会いできるのも、明日になれば二日しかないのですね」

 貴方は寂しくないのですか? 口には出せないそんな気持ちから、そんな言葉が小さく零れた。ソラが寂しいと言っても、自分に出来ることなどないというのに。

「……姫様? やはりお疲れなのでは……」

 どうやら、小さな呟きはソラには聞こえなかったらしく、黙りこくったように見えたハナを気遣ってそう言った。その優しさがハナの胸を締め付ける。

 その時、別の足音がソラの背後から聞こえた。二人が顔を向けると、廊下の奥から女中二人が小走りで駆け寄ってくる。

 ソラはハナに向き直ると、

「それでは私は失礼いたします」と言って、女中達とすれ違うように背を向け去っていった。

「姫様、遅くなって申し訳ありません。さぁ、自室へ参りましょう」

 頷き、ゆっくりと歩き出す。ただ、自然と目は床に向かい、そんな様子を見た女中が心配そうな表情をする。

「姫様、御体調が優れないのですか?」

 ハナは首を横に振ろうとしてから動きを止めて、そっと頷いた。

「少し、疲れてしまったようです。食欲もないため、申し訳ありませんが、今日は入浴を済ませたらもう眠ることにします」



 ハナと別れ、静かな外廊下を歩いていたソラは、角を曲がると足を止め、柱に背をもたれた。

『……ソラ様とこうしてお会いできるのも、明日になれば二日しかないのですね』

 頭の中には、先程ハナが呟いた言葉が延々と響いている。

 聞こえぬはずがない。龍人の聴覚は、人より遥かにいいのだから。ただ、なんと返せばいいのか分からず、聞こえなかった振りをしただけだった。

 アギと話をして、自分が両親を大切に思っていることに気付いた。そして、過去のハナへの想いもまた『大切』の一つとして納得していた、つもりだった。

 ハナの口からその言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になり、寂しいという感情が湧き上がった。そんな困らせるようなことを言えるはずがない。だが、そうですね、というたった一言も、発せられなかった。

 あと二日で会えなくなる。両親との別れは考えていたのに、何故、ハナとの別れだけは頭に浮かばなかったのだろう。

 大切が作り出す様々な感情が渦巻き、熱が籠もる頭に、夏の終わりの冷たい風が心地よかった。





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