視察
翌朝、ソラは戸が叩かれる音で目を覚ました。
野宿が常で毎日木洩れ陽に起こされていた一ヶ月間を思い出すと、このような立派な部屋にいることに相変わらず違和感を覚える。昨朝のように、ここはどこだと飛び起きることはもうないだろうが、この違和感はなかなか消えてくれない気がした。
「ソラ様?」
「あぁ、はい」
戸の向こうから聞こえた声に返事をすると、戸がゆっくりと開き、華姫のお付きである志乃が正座からそっと頭を下げた。
「おはよう御座います。お休みのところを申し訳ございません」
「いえ」
外の明るさを見ると、既に朝と呼べる時間帯でないことは分かった。集落の煎餅布団、最近は森の中や草原で寝ていたソラにとって、ふかふかの布団は最高の寝心地だった。昨日は昼寝をし過ぎて夜になかなか寝付けなかったのだ。寝過ぎで重たい頭に手を当てる。顔に垂らすと目を隠すほど長い髪が見事に跳ねていることに気付いた。
それを見て、振りから櫛を出した志乃に、ソラは遠慮するように両手を前に出すが、「お話の片手間に」と押し切られるかたちとなった。
「とても堅く、強い髪の毛ですね。櫛が負けてしまうのではないかしら」
あぐらをかいているソラの後ろに両膝をついた志乃は手で寝癖を撫でながら言う。ソラは、高価そうな櫛を駄目にしてはならないと僅かに振り返る。
「寝癖など、水に濡らして撫でれば直ります。わざわざ、櫛を使っていただかずとも……」
「ふふ。冗談でございます」
すっと、髪に櫛が入っていく感覚に、ソラは思わず目を瞑る。普段、手入れなどしていないためか、たまに櫛が引っかかることもあったが、それを差し引いても心地よかった。
「髪のお切りになる予定はないのですか? 前髪もですが、後ろ髪など肩にかかるほどです」
櫛でゆっくりと髪を解かしながら志乃が口にした問いに、ソラは頭を動かさないように「はい」と答える。
「やはり、人の町では短髪の方が好まれるのでしょうか」
「少し前まではそういう風潮がありましたが、今は髪を伸ばしている殿方も……城中では見られませんが、城下に出ればおられますよ。ただ、私個人的には長髪を結っている方がぴしっと締まっている感じがして好きですね。あ、ソラ様もどうですか? 一つ結びなど、長身に映えてとってもお似合いかと思いますよ」
「いえ、いくら身を整えても、城から出なければ無駄な手間です」
「外出などの御予定はないのですか?」
「はい。この身体だとどうしても目立ってしまい、それがどうにも苦手なのです」
「外出するならば、髪を結うのもやぶさかではない」
「まぁ、そうですね。どうせ目立つなら、まだ良い目立ち方をしたいとは思います」
その言葉を聞くと、志乃は「ふふ」と笑った。なんだ? とソラが不思議に思っていると、
「実は、華姫様から言伝を預かっておりまして……」
志乃から城下視察の話を聞いたソラは、身支度を整え、昼過ぎに部屋を出た。一応、集落を飛び出してから調達した着物の中では最も上等なものを着ているが、ハナや志乃からすれば五十歩百歩だろう。と思いながら、待ち合わせ場所である天守の玄関横で待っていると、少ししてハナと志乃がやってきた。
その格好を見て、ソラは思わず目を丸くした。
志乃は、朝と着物を替えてはいるようだが、別段変わりはない。だがハナは、大いに変わっていた。
あの赤色の鮮やかな着物だと、さぞ目立つことだろう、なんて思っていたソラだったが、ハナの服装は着物ですらなく洋装だった。それも、レースがついた花柄のロングワンピースに薄いベストを羽織るという庶民的――というほどではないが、隣国のイシール風にいえば裕福なお嬢様のような服装だ。しかも、気のせいかどこか着慣れている。
目を丸くしているソラを見て、ハナもまた目を丸くした。いつもぼさぼさの散切り頭が、今日は首の後ろで束ねてあった。そのせいか、邪魔そうな前髪も顔にかかっておらず、よくよく見ると、ソラは意外と大人っぽい、精悍な顔付きをしていることが分かった。一昨日は昔と同じぼさぼさ頭だから変わっていないように見えたのかのう? と思いながら髪型の大切さを再認識したハナの髪は、いつもと変わらず結ったりなどはしていないが、黄色い花の髪飾りが付いている。
先に我に返ったソラが会釈をすると、ハナも我に返り、会釈を返す。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ。……失礼ですが、視察はその格好で……?」
「はい。城内での洋装は父が許可をくれず、外に出るときも大抵何かしらの行事なので、こういう時くらいしか着ることが出来ぬのです」
なるほど、と納得する反面、そこまでして着たいものだろうかと思う。普段から洋装も和装も自由に着ることの出来る八木浜国民からすれば、ハナが普段着ている煌びやかな着物に憧れるだろう。
そんなことを考えていたソラの沈黙をどう思ったのか、ハナは不安げに眉をひそめる。
「もしかして、どこかおかしなところがありますか? それとも、似合っていないでしょうか……」
「いえ。よくお似合いです。ただ、驚いてしまい……」
「ふふ。それを言うなら私も驚かされました。そうして着物を着て髪をまとめていると、武士のようにも見えます。長刀を腰に差せば、尚更でしょう」
「刃物など包丁くらいしか扱ったことのない私が刀を持っても、自分の腕を切ってしまうのが目に見えています」
「使える必要などありません。差せば映える、大事なのはそこです」
その言葉にソラは微笑を浮かべ、ハナも応えるように笑う。
なんでしょう、この微妙な空気は。と、一歩離れたところから二人を見ていた志乃は思う。まるで、見合いの場で初めて顔を合わせた男女のような会話だ。
「お二人方、話は歩きながらにしましょう」
もう少し見ていたい気持ちを抑えて言うと、二人はそれぞれ頷いた。
志乃は下駄を、ソラは草履を、ハナはショートブーツを履くと天守を出た。履物まで揃えているのか、とソラは思いながら、前を歩くハナに付いて正門へ歩いて行く。正門の両脇に立っていた門番の男二人は、三人に気付くと深く頭を下げた。
「姫様、城下へ御出でに? それにそちらの御客人は……」
ハナ達が門の前で足を止めると、一人の男がそう訊いた。
「はい。今日は、この二名と、それから志乃の子の太助と視察へ参ろうかと」
「ほう。それでしたら、今日は広場の方にイシールの旅芸人の一座が来ているようですよ」
「イシールから? それは、是非見に行かなくてはなりませんね」
「お楽しみになるのは結構ですが、また夜になっても戻ってこない、なんてことはご勘弁くださいよ」
「もう。いつの話をしているのですか」
「ほんの三年前ですかね」
「三年も前の話です。そのようなことはもういたしません」
「はて。視察から戻る度に渋る姫様を志乃殿がなんとか説得しているという噂を耳にしたのですが、とんだ出鱈目、流言だったようですな」
その言葉にハナが振り返り薄目で睨む。その視線の先にいる志乃は、そっぽを向いて青い空を見上げていた。
男が笑いながら門を開けると、そこには一人の子供が立っていた。歳は、四か五といったところだろうか。薄い顔立ちで児女のようにも見えるが、身を包んでいる萌葱色の着物は男物だ。そして、何より真っ先に目が向くのは、ソラと同じくらいに長い黄金色の毛髪だろう。少年が三人に顔を向けると、その細く柔らかそうな髪が流れるように揺れて、頭から生えた二つの獣耳がぴんと立ち上がった。
「ははさま!」
その姿に、顔には出さずとも驚いていた、というより困惑していたソラは、少年の言葉に今度こそ驚く。
「太助。ここまで来ていたのですか」
駆け寄ってきた太助を腰の辺りで抱き止めながら志乃が問う。太助は抱きついたまま頷いた。
「はい。ははさまをおどろかせようと」
「まったく。まんまと驚かされましたよ」
志乃は笑うと、腰に回されていた太助の両手を取り、
「ほら、挨拶なさい」
と言いながら、肩に手を置いて反転させた。
太助は最初にハナを見上げ、「ひめさま。こんにちは」と頭を下げた。
「はい。こんにちは、太助。こうして会うのは、一ヶ月振りくらいですね」
腰を低くし目線を合わせて言うハナに、太助は満面の笑みで返事をしてから、続いてソラに目を向ける。後頭部が志乃の腹に当たるほど見上げた太助は、口を小さく開いて驚いた表情をしていた。獣人といえど龍人のように六尺ほどの身の丈になることはほぼないため、ここまで縦に長い人を見たのは初めてだったのだ。太助は、肩に置かれている志乃の手を握り、口を開いた。
「こんにちは。たすけです」
「あぁ。俺はソラという」
「そら」と呟いた太助の視線が少しの間だけ更に上、空に向いたが、すぐに視線を戻した。
「そらさまは、りくちをさがすたびへゆかれるりゅうびとのおひとりだとききました」
「あぁ。出立は四日後になる」
太助はどこか不安そうな表情を浮かべる。
「そらさまは、こわくはないのですか。わたしなら、こわくてたまらなくなるとおもいます」
その問いに、志乃が「こら。そんな失礼なことを」と静かに叱ったが、ソラは片手を前に出してから答える。
「怖い、か。今のところ、そういった心はない」
「りゅうのひとは、みな、そのようにゆうきがあるのですか」
「俺に勇気などないし、龍人だって人と同じで様々な者がいる。みな同じと言うことはないさ」
志乃の言葉など何処吹く風。太助は龍人であるソラに興味津々といった様子だ。握っていた手をいつの間にか離し、目を輝かせてソラを見上げている太助を見て、志乃はハナの横に移動してから眉尻を下げて笑う。
「昨晩、ソラ様の話をした時からあのような具合でして、なにも失礼なことを言ったりしたりしなければいいのですが……」
言い終えると同時に横を向くと、ハナはソラと太助をどこか呆けた顔で見ていた。
太助……というより、子供相手なら砕けた口調なのか、とハナは思っていた。七年前に耳にしたソラの言葉は一言二言程度だったが、何故か懐かしく感じた。そして、もっと聞いてみたい、自分に向けて欲しいと思った。
「目立つのが嫌だと言うのなら、まず変えるべきは私達の言葉ではないでしょうか」
城下に出てすぐ、広場へ向かう途中でハナがそんなことを口にしたのは、そんな気持ちからだった。
「はい?」と首を傾げる志乃に、無表情のソラ。そんな彼に肩車されている太助は、普段と違う視点の高さを楽しむように辺りをきょろきょろと見ている。
「姫様、急にいかがされたのですか」
「その言葉遣いですよ、志乃。なにより、呼び方。私が八木浜の姫であることが丸分かりではないですか」
「はぁ。では、ハナ様とお呼びすればよいのですか?」
「いえ。それを決める前に、そもそも、民から私達はどのような集団に見えているかを考えるべきでしょう」
姫様ー、と通りすがりの娘に手を振られてハナも同じように返す。
「どのように、と言われましても、今の子を見れば分かるように、姫と女中にしか見えないかと。そもそも、姫様の顔を知らない城下民はいないでしょうし、今更言葉を変えたところで……」
「ソラ様はどう思われますか? 私達は、どのような集団に見えますでしょうか」
「どのような、ですか。姫様と志乃殿は歳の離れた姉妹に見えなくもないかと」
「あら」と志乃が片手を頬に添えて照れた表情をするが、
「しかしそうすると、姉の子の相手をしている龍人の男……つまり私がどういう立場の者なのか、人によっては少々穿った見方をされてしまいそうな……」
「どちらにせよ、そういう風に見られてしまうのですね……」
肩を落とす志乃に、ハナは隣で困ったように笑う。志乃のおしどり夫婦っぷりもなかなかに有名なので、そんな心配はないと思うのだが。
「まぁなんにせよ、私は一度言葉遣いを変えてみたいのですが、どうでしょうか」
ハナが三人に向けて訊くと、ソラと太助は志乃へ目を向けた。自分はいいけど、ということだろうと、ハナも志乃を見る。志乃は軽く怯むと、大きく溜め息を付いてから頷いた。
「分かりました。ですが、私が姫様に砕けた口調で話すわけにはいきませんので、華様とお呼びいたします」
それを聞いたソラは「ふむ」と呟くと、
「では、私も同じように華様と……」
「え?」と思わず言葉をこぼしたのはハナだった。
「いえ、ソラ様はどうか砕けた言葉でお願いいたします。名前も、ハナと呼び捨てにしていただいて構いません。こういう機会はまたとありませんので」
流石にそれは、と思ったソラだったが、付け足された言葉に納得した表情になる。確かに一国の姫ともなれば、同年代の者はおろか、年長の者にも楽な口調で話しかけてくるものはいないだろう。せいぜい、親兄弟くらいか。七年前と比べてどこか窮屈そうに感じるのは、彼女が成長して周りが、そしてそれにより彼女自身が変わったためなのかもしれない。
「分かりました。失礼ながら、視察の間はそうします」
「私の頼みなのです。どこに失礼がありましょうか。太助も、今日は私を姉のように思って接してください」
「あね? あねさまですか?」
「はい。今日だけは姉様です」
「ではそらさまはあにさまですか?」
「あぁ。兄でも呼び捨てでも、太助の好きに呼べばいい。龍人は基本的に、長くらいにしか敬称や丁寧な言葉を使わないから俺は気にしない」
その言葉に太助が頷いたのを見てから、ハナはソラに目を向ける。
「では、ソラ様は八木浜にいらっしゃるまで、私や志乃に対するような言葉遣いを日常的に使うことはなかったのですか? そのわりには、他に龍人の方より慣れている印象ですが……」
「五年前、齢が十を過ぎるころから、長である両親を含め同集落の大半の者に対してこの口調でしたので、今ではすっかり慣れてしまいました」
そのきっかけは、いつかハナに会った時にちゃんと謝れるように、というものであり、ソラもそのことは覚えていたが、口に出すようなことはしなかった。わざわざ言うようなことでもないし、どのような顔で言えばいいのかも分からなかった。
「姫……こほん。華様が今の口調をちゃんと覚えられたのも、確かそのくらいの頃でしたね。それまでは、なかなか昔の口調が抜け切らず、少しおかしなことになっていました。『ゆくとしようかの……でございますじゃ』というふうに」
口元に手をやってくすくすと笑う志乃に、ハナは顔を赤くすると、語調強く「とにかく」と言ってソラに目を向けた
「ソラ様も、砕けた口調でお願いいたします」
「はい……あぁ、分かった。だが、姫だとバレたとき問題にならないか?」
「大丈夫だと思いますよ」と答えたのは志乃だ。
「城下の方の大半は華様のことをよく知っていますから、気付かれたところで、付き人が華様の思い付きに巻き込まれているとしか思わないでしょう」
「一国の姫の印象がそれってどうなんだ?」
「なんじゃ。おぬしら、口調を変えてから妙に辛辣じゃのう」
その言葉に、ソラと志乃は揃ってハナを見る。
「な、なんじゃ」
二人から凝視されて狼狽したハナに、太助が笑顔を見せる。
「あねさまのことば、とてもかわいいです」
「う、うん。そうであろう」
腰に手を当てて胸を張るハナを見て、志乃は思う。
確かに可愛らしいし、懐かしい気持ちが心に広がり言葉を無くしてしまったが、
「それではゆくぞ! ついてまいれ!」
その格好にその口調の方が、よほど目立つのではないだろうか。
青い空高く右手を振り上げたハナに集まる視線を感じながら、まぁいいか、と志乃は小さく息を吐いた。
それから少し歩いて着いた広場では旅芸人が端々でそれぞれ芸をしていた。広場の中央には子供の背丈ほどありそうな玉に乗るピエロとその仲間達、広場の隅ではベールをかぶった女性が占いをしている。広場が埋まるほどの見物客は、タキシード姿の鳥人の指揮に合わせて空をくるくると飛び交う鳥の群れに目を奪われ、気まぐれな猫に振り回される犬の劇では声を上げて笑っている。
「ほう! これはすごい盛況ぶりじゃの! お、占いじゃ! わらわは占いに行くぞ!」
早速駆け出そうとしたハナの背中に、太助が声を掛ける。
「あねさま! ぼくもいきます!」
ソラがしゃがむと、太助は背中を滑って地面に降りた。ハナはその手を掴むと、
「よし、では共にいざ行かん!」
「はい!」
走ってはいないものの、軽やかで、どこか跳ねるような足取りで占いへと向かっていった。人が十人ほど並んでいるところを見ると、少し待たなければならないだろう。
「随分、お元気になられましたね」
ソラの言葉に志乃も頷き同意する。
「視察の時はいつもですが、今日は特に弾んでいらっしゃいます。口調を戻していることもあり、お転婆の血が騒いでいるのかもしれません」
「それは……、まぁ、息抜きになるのならいいですね」
ハナと手を繋いでいる太助。足を前に出す度にひょこひょこと揺れる狐耳をソラが見ていると、ふと、横から視線を感じた。横を見ると、志乃と目が合い、優しい笑みを向けられる。何を考えていたか見透かされた気がして、ソラは視線を前に戻してから口を開いた。
「失礼ですが、志乃殿のご亭主は……」
「はい。狐人でございます」
やはり、と思うソラだが、それでも太助のような子を見るのは初めてだった。人と獣人の夫婦は、この時代、全体で見れば少数ながらも、珍しいというほどのものでもない。だが、ソラが知る限り、そういった夫婦の間に生まれた子は、獣人のように普段から獣顔か、龍人のように普段は人だが獣に変化も出来るかのどちらかだ。太助のように、人の姿の時に獣耳がついている子は初めて目にした。それを言うと、志乃は笑顔のまま頷いた。
「お医者様に尋ねたところ、太助のような子が生まれることは稀のようです。この国には他にいないということですが、お医者様が知る限り、この世界にはあと六人ほど同じ子がいるそうですよ。獣の部位は、太助のように耳ではなく尾だったり、ひげだったりと様々らしいですが」
何度も同じことを訊かれているのだろう。ソラがそれを察することが出来るほどこなれた説明に、なんと返すべきか考えていると、志乃が続けて口を開いた。
「やはり、龍人の方からすれば、違う種族の者と一緒になるというのは考えられないことですか?」
「……志乃殿もご存知かと思いますが、龍人の中には人と夫婦になり、共に暮らしている者もいます。ただ、友好派の龍人達も、人との関係を改善したい、協力してよりよい生活を送りたいと思いながらも、契りを交わすとなると尻込みしてしまう者が多いのだと思います。力を持つゆえの自尊心の高さ、種族の誇りが邪魔をするのでしょう。人や獣人から頭が堅いと笑われても仕方ありません」
「笑ったりなど、誰もいたしません。人と獣人も、人同士でさえも、初めから今のような関係ではなかったのですから。生けるもの全てが生まれ変わるほどに遥か遠い過去の話とはいえ、一度争ったことのある人と龍人では、関係の修復に時間がかかるのは当然のことです」
「……そうですね。人と龍人は、少しずつ近付いていくしかない。この国では、その距離も大分縮まっているように思えますが、それでもまだ、互いを受け入れきれないという者は双方にたくさんいるでしょう。そういった者を無理に近付けても、また距離が開いてしまう」
そう口にして、まるで自分が七年前の言い訳をしているかのように思えた。七年前、自分は人を嫌いだと言いながらも彼等についてはなにも知らず、そして、ハナはそんな自分に、一気に近寄りすぎたのだ。身体も、心すらも。
「ソラ様は、如何ですか。数日とはいえ、人と共に過ごし、何か心境に変化がありましたか?」
ソラは、先程、ハナが昔の口調で喋り出した時の気持ちを思い出してから、静かに首を横に振った。
「四日後にはこの国どころか、この陸地を後にする身です。死ぬ気はありませんが、生きて戻れるか分からぬ旅であることには変わりません。今は何も残すことがないよう、何も感じずにいたいと思っております」
自分の言葉に両親の顔が浮かび、ソラは再び顔を横に振った。そんな様子を見て、志乃は笑みを向ける。
「何も残さずなど、もう叶いませんよ。私や姫様、太助の心には、既にあなたが残っています」
志乃は自分の胸に手を当てて、ソラを見上げた。
「ソラ様の心にも誰かが残っているならば、それが貴方の生きる力となることを願います」
遥か遠い昔、人と龍人が生きる世界があった。陰で戦争を起こしながら、表では繁栄に繁栄を重ね、いつしか機械のみで世界が回るほどの技術を手に入れていた。ハナやソラが暮らす時代では考えられぬほど便利で、何もせずとも生活に困ることはない、やりたいことを全力でやれる世界。
それでも、戦争はなくならなかった。
それどころか、ある時、世界を二分しての人と龍人の全面戦争が起こる。世界の支配者を決するための戦争。戦争兵器は当然のこと、龍人は個々の力を、人は数を武器に戦った。
そして、戦況が不利になったと見た龍人は、使用禁止と取り決めていた兵器を使用した。そして、たった一撃で戦況を覆された人間側もまた、龍人達へ向けて同等の兵器を使った。
結果、戦争は終結した。世界人口が三分の二以下になり、いくつもの種を絶滅へ追いやり、両者ともようやく己の愚かさに気付いた。気付き、打ちひしがれるだけでなく、やりなおそうと立ち上がる者もいた。しかし、全てが遅かった。
世界が、既に崩壊へと進んでいた。枯れた草木、腐っていく大地はなにをしても蘇らず、残っていた大地は海に沈んだ。最後に残されたのは、小さな島国のみ。
世界中から集まった避難者は、自分達が死ぬ前に、技術の粋を集めて、未来へ向けた言葉を残したのだった。これまでの歴史、そしてそれに終止符を打った戦争についての言葉を。それは最終的には悲痛な懺悔へ変わり、耳にした者に重たい沈黙を残した。
人も龍人も獣人も、知らぬ者はいない話を思い出していたソラの隣で、志乃が口を開く。
「私の夫は、手習所で師匠を勤める傍ら、龍人の里へ赴いたり、人々に龍人についてを知ってもらおうと各地を周り様々な話をしたりしていました。夫に初めて会ったのは、七年前、龍人の集落から戻ってしばらくの頃でした」
七年前という単語に、ソラの表情が僅かに変わる。いや、あの場にはハナがいたのだから、志乃がいてもなにもおかしくはないのだ。
「あの頃の私は、龍人の方のことを分かりかねていた……といえば聞こえはいいですが、正直、あまり関心がなかったのだと思います。無理に関わらずともいいのでは、という具合で。それに、姫様を泣かせた龍人の子にも文句の一つを言いたかったですし」
う、とソラは気まずそうにそっぽを向く。そんな様子にくすくすと笑ってから、志乃は続きを話し始めた。
「夫は、龍人との友好関係を結ぶのに一役買ったとして、城に客人として招かれていました。『私のような獣人がこの世界に生まれたのは、人と龍人を結ぶためではないかと思っております。全ての生物が生まれ変わり、穏やかな心を持ち、平和な日々が訪れるかもしれぬ世界で龍人だけが消えゆくなど、私には耐えられません』。夫が、酒の席で私に話してくれた言葉です。よく覚えているな、とお思いですか? ふふ。それだけ、衝撃的でしたので。私は龍人の人口が減少しつつあることも知りませんでしたし、なにより、決して友好的とはいえなかった当時の龍人に対して、そこまで親身になれる人がいるという事実が。そして、浅慮な自分を恥じ、夫に尊敬の念を抱きました」
「……人の血を混ぜるくらいならば、滅びの道を選ぶ。そう言う龍人もいます」
「そんなのは、悲しいではないですか」
「それが彼等の誇りを守る唯一の術なのです。龍人が滅んでも、誰のせいでもない。強いていえば、この世界で上手く生き残れなかった龍人の自業自得です」
志乃は、十数秒の沈黙の後、そっと口を開く。
「ソラ様は、こうして人のために命懸けの旅へ出ようとされている今でも、まだ人と龍人が関わることには反対なのですか?」
今度は、ソラが口を閉ざした。志乃は、そんな横顔をじっと見上げる。
「分かりません」
かろうじて出た言葉がそれだった。偉そうなことを言ってこれでは呆れられても仕方がない。そう思っていたソラに反して、志乃は一度頷いた。
「そうでしょう。ソラ様の目は、どこか迷い子のようなのです。どうすればいいのか、どこへ進めばいいのか分からず、別れ道に立って左右を見ている迷い子です。とても悲しい目をしている、迷い子」
志乃は片手を伸ばし、ソラの頬に優しく触れた。
「ならば、やはりそれは悲しいことなのだと、私は思います。そして、そんな思いを子にさせたい親はいません」
「……志乃、おぬし色々気にしていたわりには随分大胆じゃのう」
そんな声が横から聞こえて志乃は肩を跳ね上げると慌てて手を引っ込めた。声の方を見ると、手を繋いだままのハナと太助がいつの間にか戻ってきていた。
「ひ、姫様、お戻りでしたか」
「こら。今はハナじゃ。まぁ、私達はもう終わったんじゃが……」
ハナの言葉に合わせるように、太助が空いている手でソラの手を握った。
なんだ? と太助を見るが、笑顔を返されるだけだ。代わりに口を開いたのはハナだった。
「それがの、あの占い師が、龍人を占ったことがないから占ってみたいというのじゃ。占わせてくれたら私と太助の代金はただで良いと言うし、やってくれぬか?」
今日の視察に呼ばれた理由は分からないが、七年前のことを許してもらうため同行しているソラに選択肢は初めからない。
だが、分かった、という一言すら待たずに、ハナは「では行くぞ!」と、さっさと歩き出した。太助が駆け寄り、ソラもそれに付いていく。
すぐに追いつき、手を繋いだまま横に並んだ三人を、志乃は笑顔で眺めていた。
占いの途中で周りの民達がハナに気付き、それを知った占い師が動揺のあまり失神したり、狐人が指揮していた子狐が太助に興味を示し、芸そっちのけでじゃれ合ったり、手品を披露していた芸人がソラと、その肩に乗った太助を見て『その高さから覗くように見られたらタネがバレてしまいそうだ』と言ったり、露店で買った焼き菓子の美味しさに目を輝かせた志乃が詳しい調理法を聞いて手帳に書き込んだり、結局、四人とも色々と目立ちながらも心から楽しんだ後、広場を後にした。一応、名目は視察となっている以上、いつまでも一所に留まるのは良くない。
「あぁいう芸人の一座はよく来るのか?」
広場の活況さを背中で感じながら、ソラが誰にでもなく訊いた。
「うむ。大体、月に一度はどこかしらの者が来るのう。冬には、はるばるソラルノ国から来ておっての。わらわは見に行けんかったのじゃが、立派な角を持つ鹿や、鼠のように小さな兎など、珍しい動物をたくさん連れておったそうじゃ」
「ソラルノというのは暮らす動物が違うほど遠い国なのか?」
「そうじゃ。なんせ、北の果てにある国じゃからな。一年の半分以上が冬で、真冬の時期など人よりも高く雪が積もると聞く。髪色も独特で、我らは黒髪、イシールの民は金色の髪をしているが、ソラルノの民は綺麗な銀髪をしておる」
「……銀色」
「あまり想像出来んじゃろ? わらわも初めて見るまでは老人のような白髪を思い浮かべておったが、全然違うぞ」
「見たことがあるのか」
「うん。冬に来た旅芸人の一座の長が城に挨拶に来ての。その時、偶然目にした。月明かりに照らされている姿を見てみたいと思うほど綺麗じゃった」
その時のことを思い出しているのか、ハナは斜め上に視線を向けて目を輝かせる。龍人の髪はソラのような黒色が大多数で、それ以外の者も、髪の色素が薄く茶髪に見える、といった程度だ。金髪はまだしも、銀髪など見たことがない。
「ははさま、つぎはどこへむかうのですか」
「さぁ、どこでしょう」
後ろを歩く二人の会話が聞こえて、ハナは歩きながら振り返る。
「小腹が空いたからの。次は茶屋に行くぞ」
その言葉に、ソラがハナに顔を向ける。
「さっきの広場で結構食べていなかったか? それに、昼餉も食べてきたのだろう?」
「あ、歩けば腹が減るのは当然じゃ」
「華様はお城にいても、この時間には『小腹が空きました』と言いますよね」
普段のハナの顔と口調を真似する志乃に、ソラは思わず軽く吹き出した。普段の冷静な、済ましたような顔でそんなことを言うハナを想像すると、堪えようがないほど可笑しかった。
「ま、真似するな! そなたも笑うでない!」
足を止め、顔を背けて肩を震わせているソラを見たハナは、「ぐぬぬ」と悔しげな呻き声を上げてから、「ふん!」と一人で歩き出してしまった。肩を怒らせて歩く姿はとてもじゃないが姫には見えない。相変わらず、目立ってはいるが。
しまった。許してもらうために付いてきたのに、怒らせてしまった。そんな思考が顔に出ていたのか、志乃がソラを覗き込んで「どうしました?」と問う。
「いや、怒らせてしまったな、と」
「ふふ。大丈夫ですよ。九割が照れ隠しですから。今から行くお茶屋さんで団子でも食べれば機嫌も治ると思いますよ」
「……そうでしょうか」
まさか、そんな子供じゃあるまいし……。
「ウマい!」
団子の刺さった串を右手の人差し指と親指で摘んで持ったまま、ハナは先程以上に目を輝かせた。新作メニューだという『コモリ草団子』はハナの口に良く合ったらしい。
「だろう? 絶対姫様は気に入ると思ったぜ」
男らしい声でそう言うのは、団子屋の店主。恫喝でもされれば並の武士なら恐怖のあまり固まってしまいそうな声とは裏腹に、その顔は猫のものだ。もちろん、男性である。笑みを浮かべる口から尖った牙を覗かせ、ぐっと親指を立てた店主に、ハナも同じように返す。
店先に置かれた縁台に座っているハナの右隣には、二人のやり取りを若干呆れた表情で見ているソラがいて、左隣では太助と志乃が美味しそうに団子を食べている。
まさか、本当に団子を食べただけで機嫌が良くなると思わなかった。当然、何も悪いことではないのだが……。
「なんじゃ。本当に腹が減っておらんのか? それともこっちを食べたくなったか? やらんぞ。欲しければ自分で頼め」
そういうわけではないため、ソラはアンコの乗った団子を口に入れる。
「美味い」と呟くと、店主の耳が片方だけぴくりと動き、猫口で笑った。
「そうかそうか。俺の団子は龍人にも通じるんだな」
「だが、俺の周りの龍人は甘いものが苦手な人が多いから、これは少々甘味が強すぎるやもしれん」
「そういう方にゃあ、姫様が食ってるコモリ草団子や焼き団子、それに、うちの醤油団子はさっぱりしていてそういう方にも食しやすいと思うぜ。どうだい、家族や集落の方への手土産に」
その言葉にハナが「うぐ」と反応する。理由は知らないが、ソラは家出をしてここにいるのだから。
「いや、当分の間、集落に戻るつもりはないんだ」
「ふむ……。となると、やっぱり兄ちゃんあれかい? お城で募集していた……」
「あぁ。四日後、東の空へ旅立つことになっている」
「そうなのかい」と呟いた店主の眉尻が大きく下がる。
「帰ってくるのは二年後なんだろう?」
「陸地が見付かればもっと早く帰ってくる。だが、二年分の食料しか持っていけないからそう言われているだけで、海に魚さえいれば空腹に悩むことはない。食料が尽きて、魚もいない海があれば帰ってくるしかないが、そんな海は想像出来ないな」
「てぇことは、何年も戻ってこないこともあるのか」
「あぁ。陸地が見つかるのが先か、世界の果てに辿り着くのが先かは分からないが」
「この世界は球体だという者もおるからのう。案外、一周して西方向から戻ってくるかもしれぬぞ」
「どちらにせよ、ここに残る俺達は陸地が見つかることを祈るしかないんだよな。新たに人が暮らせる陸地が見つからなけりゃあ、子供も自由に産めない時代が来ちまう」
店主の言葉に、太助以外の三人は思わず黙り込んだ。それぞれ立場も違うため考えていることもまた別だが、そのような未来を望む者はいなかった。
急に口を噤んだ三人に、太助が不思議そうに首を傾げた時、短く息を吐きながら、ハナが勢いよく顔を上げて店主を見た。
「そうじゃ! 子供といえば、藤七の子はまだ生まれんのか!」
店主は髯を揺らし、目を丸くする。
「あぁ、やっぱり姫様知らんかったのか」
「む?」とハナは首を傾げる。
「生まれたよ、三週間ほど前に。予定より少し早いお産だったんだけど、母子ともに問題無しってさ」
「なんと! それは目出だきことじゃ! よし! この後、藤七の家を尋ねるとしよう!」
「あぁ、そうしてやってくれ。ただし、嫁さんをあんまり驚かすなよ?」
「当たり前じゃ! わらわを誰だと思っておる」
「あんたが姫様だから言ってるんだろう」
「おぉ、なるほど」
ハナのとぼけた言葉で話が一段落した頃、ちょうどアンコ団子を一本食べ終えたソラが二人に尋ねる。
「藤七という人は?」
「ここの常連客さ」と店主が答える。
「もう八年前になるか。ここに越してきて店を始めたばかりの俺のところに、藤七が姫様を連れてきたんだよ。姫様はその頃から城下じゃあ有名人だったが、俺も藤七も引っ越してきたばかりで気付かなかったんだ。その頃は、藤七は十かそこらで、姫様なんかまだ五歳だった。迷子だって藤七は言うが、それにしちゃあ綺麗な着物を着ていたし、何より肝が据わりすぎてた。ここは茶屋だから『団子をおくれ』は分かったが、道行く人を指さして『洋服が着たい』と言い出した時はたまげたよ」
「父が娘には着物を着せたい派の人じゃからの。当時は洋服に憧れておったのじゃ」
だからと言って、見知らぬ人、それも茶屋の店主に言ってもどうしようもないだろう。
「そしたら、隣に座っていたお客さんが家からお古の洋服を持ってきてくれてね。着替えてからは上機嫌で団子を食べる食べる。この店にある団子全種類を食べちまうんじゃないかって時に志乃さんが迎えに来てね。その時、初めてこの国の姫様だってことを知って、危うく卒倒するところだったぜ。道行く奴らから妙な視線は感じていたんだが、俺が前に住んでいたカラスキ国の王族はなかなか人前に姿を見せなかったから尚更な」
「カラスキ……。聞いたことがあるな。確か、国民の八割が獣人だという珍しい国、だったか?」
店主は「あぁ」と頷くと、北東の空を見上げる。
「もっとも、人口の少ない小国だし、そんな国だからか人の観光客は多くてな。体感だと獣人が六割で人が四割ってところだな。八木浜からそう遠くないし、いいとこだから旅の前に行ってみたらどうだ? 龍なら日帰りだって出来るだろ?」
「そうだな……。それもいいかもしれない。それはそうと、他の国を知らないから何とも言えなかったが、やっぱりハナは変わっているのか」
「あぁ、そりゃあ変わってる。城主の幸恒様も大層な変わり者で、他国から八木浜は少し変な国として有名だぞ? そのくせ、龍人との関係修復が一番乗りだったり、色々と先を行ってる不思議な国さ。俺みたいにそこに魅力を感じて移り住んでくる奴も多いだろうけどな」
というか、客人相手とはいえ、自分を呼び捨てにさせる姫様なんて他にいるわけねぇわな。と付け足された言葉に、ソラもそれはそうかと頷く。ハナも御機嫌そうに笑っている。
「まぁ、そのおかげで『姫様御墨付きの茶屋』として売り出せて今までやっていけているからな。俺としては、いくら感謝しても足りねぇよ」
店主が話を締めるように言い終えると、ちょうどよく新たな客が来て、ハナ達の隣の縁台に座った。
「おっ。いらっしゃい」
常連なのか、親しげに挨拶をした店主は「まぁゆっくりしていきな」とハナ達に言ってから隣へ歩いていった。
志乃が「あら」と、太助が「あっ」と小さな声を上げたのも同じ時だ。
「ははさま」
「えぇ。お松ちゃんですね。どこかへお出掛けでしょうか」
遠くに知り合いでも見つけたのか、串に一つ残っていた団子を口に入れると、太助は駆け出した。志乃も膝に置いていた皿を椅子に下ろすと、ゆっくりと立ち上がり、ハナとソラに身体を向けた。
「すいません。少し席を外しますね」
頷いた二人を見てから小走りで太助を追い掛ける。その背中を見ていたハナは、ふと気付いた。ソラと二人だけという状況は初めて――いや、七年振りではないだろうか。そう考えると、どうしても意識してしまう。しかしそれと同じくらいに食欲はあるらしく、みたらし団子を口に入れながら横目でソラを見る。
ソラは、一つ残ったアンコ団子の串を手に、咀嚼しながらぼんやりと前を向いている。その瞳には志乃の背中も通行人も映っておらず、ただ虚空を見つめていた。
「そういえば、お主はあまり他国について知らぬようじゃの」
ハナが言うと、ソラは眠りから覚めたようないつもより少し開いた目を向けてくる。
「あぁ。ハナは知っていると思うが、俺は八木浜に来る一月前までは不干渉派の集落にいたからな。ソラルノ民どころかラシール民だって、初めて見たのはついこの間、八木浜に来てからだ。獣人だって、それまでは片手で数えられる程度しか見たことはなかった。先程のように話をすることなんて一度もなかったな」
八木浜に住み、ソラルノ民はまだしも、ラシール民や獣人とは幼い頃から慣れ親しんでいたハナにとって、そんな暮らしはなかなか想像出来なかった。しかし、そんな中で、人や獣人と関わろうとしない大人達を見て育てば、嫌いとまではいかずとも苦手に思っても仕方がないと思う。むしろ、それが普通なのかもしれない。それでも、ソラは人のことも獣人のことも嫌いにはならず、そして同族のことも好きではないと言っていた。考えてみれば、その成長は『不干渉派』という集団において、あまりに歪だ。
「人だって、初めて会ったのは七年前のハナだった」
その言葉に、ハナは思わず目を見開いた。話の流れを見れば、おかしな言葉でもなんでもない。ただ、考えていた問いに答えるような頃合いだったため、驚いてしまっただけだ。だが、どうだろう。それを答えとして考えれば、辻褄が合う気がした。
ソラを今のように歪ませたのは、自分なのだろうか。七年前、ソラにぶつけられた言葉をきっかけにハナが丁寧な言葉を覚えたように、あの出会いがソラの中にも変化をもたらしたのだろうか。
「ハナ?」
心配と不安が入り混じったような声に、ハナはいつの間にか俯いていた顔を上げる。どのくらいの間、考えに耽っていたのか、自分では分からなかった。
「……おぬしは、何故、今回の旅へ出ることを決めたのじゃ?」
口にしてから、卑怯な質問だ、と思い、言葉を付け足す。
「実は昨晩、お主が他の龍人と話しているのを聞いたのじゃ。その、御両親がおぬしを探していることあたりから……」
ソラは僅かに目を見開き、しかしさほど気にした様子もなく「そうか」と言った。
「誰かに聞かれて困る話でもないし、人に聞かれるような場所で話していたのは俺だ。別に、気にする必要はない」
ハナは頷き、ソラに目を向ける。
「答えたくなければ無理にとは言わぬが、御両親と喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩……ではないな。俺が言いたいことを言って勝手に飛び出したんだ」
「でも、何かきっかけはあったのじゃろう?」
「……父親が人との共存共栄を口にしたことだな」
その言葉に、ハナは衝撃を受けると同時に首を傾げたくなった。
「酔っ払いの戯言とも取れたのに、そんなことを口にする父がどうしても許せなかった」
「な、何故じゃ?」
思わずハナは言葉を挟む。やはり、ソラは人のことが嫌いなのではないだろうか。そんな考えが頭の中をめぐった。
「おぬしは、人のことも獣人のことも龍人のことも、好きでも嫌いでもないと言うておったではないか」
「……大分長く立ち聞きしていたのだな」
「うぐ」と言葉が漏れたハナだったが、すぐ、力強い目に戻る。今の問いの答えだけはなんとしても聞いておきたかった。ソラも誤魔化す気はないらしく、すぐに答える。
「その言葉に偽りはないし、人が共存共栄を望むのならわざわざ拒むつもりもない。だが、父がそれを受け入れることだけは許せなかった」
「何故?」
「自分でも、よく分からない」
そう答えながら俯いたソラの横顔をじっと見る。このように悩んでいるのだ。父親のことが嫌いなわけではないのだろう。
「出発前に、御両親に会わなくてよいのか? おぬしのことを探しておるのであろう?」
「今朝、陸地を探す旅に出ることを文に書いて出した。出立までとはいえ、こうして人と関わり暮らしている以上、ガラリアローザには戻れないし、両親とも絶縁したも同然だろうがな」
「そ、そんなわけなかろう! それならおぬしを探すために長を辞めたり里を飛び回ったりなどせぬ!」
突然大声を出したハナに、ソラは目を丸くしてから笑みを浮かべて「そうだといいな」と他人事のように呟いた。
「第一、そう思うなら何故…………姫という立場を考えれば口にするべきではないであろうが、何故、城に来たのじゃ。龍人の力があれば仕事もすぐに見つかるだろうし、金には困らんじゃろう。誰のことも好きでも嫌いでもないなら、肉親を優先すべきだとわらわは思う」
「ハナに会いたかった」
話の脈絡を無視したような言葉とその内容に、ハナの頭が白くなる。
「集落に縛られなくなって、初めは遠くへ、八木浜ではない別の国へ行こうと思ったが、その前に、七年前に泣かせてしまったことを謝りたかった。だが相手は一国の姫だ。その頃はハナがこんな気軽に城下に出てくるとは思っていなかったし、龍人以外に対する警戒も多少はあって、ここに近付けずにいた」
ハナは、次々に飛び出す言葉をなんとか理解するが、頭の中では『会いたかった』という言葉が繰り返されている。
「そんな時、行商をしている龍人から今回の話を聞いたんだ。遠くに行くと言っても当てはなかったし、世界中をふらふらするより目的をはっきりさせて、未来のために外の世界へ旅に出る方がいいと考えた。八木浜城へ行けば、ハナに会う機会もあるだろう、とも」
「……し、しかし! 謁見の間で会った時、おぬしはわらわに見向きもしなかったではないか!」
「ハナが覚えていないようならそれでいいと思っていたんだ。理不尽に悪意をぶつけられた記憶なんて思い出したくはないだろうと」
「理不尽、なのか? あの頃のおぬしは人が嫌いだったのではないか?」
「嫌いだと思っていた。というよりは、よく知らないから、悪い想像ばかりを膨らませて勝手に嫌っていた。そこに、そんな想像を覆す人間が現れたから、焦って、それでも人が嫌いな自分を貫こうとして、結局、罪悪感だけが残った」
あぁ、やはり。とハナは思う。会いたかったと言われた時から確信していた。やはり、ソラのどこか無機質な部分を作ったのは、ソラを歪ませたのは自分なのだと。
罪悪感が残り、人間を嫌いに思えなくなり、でも人を好けば両親に嫌われるから、ソラは好きも嫌いもなくしたのだ。
城での会話が微妙に噛み合わない理由が分かった。お互いに歪みを、あの頃はなかった暗い部分を見せつけ合い、それでいて心のどこかであの頃を望んでいたのだ。自分のことを嫌いだと言った少年と友達になりたかったのだと今更気付いた。だが、その少年はもういない。あの時、すぐに泣き出したりせずにちゃんと話を、なんなら取っ組み合いの喧嘩でもいい。わずかな時間でも一緒にいられれば、ソラに罪悪感を残すことなく、また、両親との感情の相違も、もう少し器用に受け止められる未来があったのではないだろうか。
「ハナが俺のことを覚えていてくれてよかった。あとは四日以内に許してもらえれば、もう心残りもない」
心残りがなくなってぽっかり空いた場所に好き嫌いの感情は入るのだろうか。それならば、すぐにでも許そう。だが、今のソラを見ていると、心残りがなくなれば、それと共に消えてなくなってしまうのではないかと思えた。
「改めて、すまなかった」
膝に手を置いて、ゆっくりと頭を下げるソラを見ると『もうよいのじゃ』という言葉が喉まで上がってきた。ただ、それを言えば、もうソラとハナの繋がりはなくなり、ただの龍人と姫になる。罪悪感が昔のソラを変えて、罪悪感が今の二人を繋げていた。
「謝罪はよいのじゃ」
頭の中がぐるぐる回り、わけが分からなくなりながらも、なんとか捻り出した言葉に、ソラは顔を上げる。
「謝罪は、よい」
再度繰り返し、俯きながら自らに問う。ならば、自分はソラに何をして欲しいのか。
「わらわは、おぬしに好きになって欲しい」
自然と口から出た言葉にソラが目を見開くが、足元を見ているハナは気付かない。
「人や獣人、龍人の住むこの世界を、好きになってほしいのじゃ」
「……あぁ、そういうことか」
その呟きにハナは「うん?」と顔を上げて首を捻る。ソラは「いや、なんでも」と言うと、無表情のままハナを見た。
「別に、人のことも獣人のことも、この世界のことも嫌いなわけじゃあないが、それじゃあ駄目なんだよな」
「うん。好きでもないのであろう? それなら嫌いな方がいいくらいじゃ。その方が、まだ容易に変えられる気がする」
「分かった。それが七年前の償いになるなら、なんとか頑張ってみよう」
やはりソラがこう言うであろうことは予想が付いていた。人に言われて誰かを好くということにハナ自身引っかかりを感じていたにも関わらず、それでも言わずにはいられなかった。
「あと、これはわらわの我が儘なのじゃが……」
通行人の向こうから志乃と太助が戻ってくるのを見ながら、ハナは言う。
「御両親と一度ちゃんと話をした方が良いのではないか?」
ソラは特に表情を変えることなくハナの横顔を見つめ、そっと口を開こうとした時、太助が二人に駆け寄ってきた。
「あねさまもあにさまも、おなかがいっぱいなのですか?」
その問いに、二人は団子を持っていたことを思い出す。
「おっと、話に夢中になって忘れておった。もちろんまだまだ食べられるぞ」
そう言い、手を上げて店主を呼んだハナを横目に、ソラも残り一つの団子を口に運んだ。
茶屋を後にして藤七の家に寄り、藤七とその妻、そして子と顔を合わせてから四人は帰路についた。城の正門が見えてきたころには空は茜色に染まっており、そんな空を見上げた志乃は小さく息を吐いた。
「結局、いつもと同じ時間になってしまいましたね」
「よいではないか。今回の視察はいつもより実りのあるものじゃった。広場でラシールの旅芸人を見て、茶屋で新作の団子を食べ、藤七の子と会うことが出来た。足は疲れたが、心は充実しておる」
「広場でラシールの焼き菓子を食べ、茶屋で団子を四本も食べ、更に藤七様に大福や御煎餅まで頂けば、それはそれは心もお腹も膨れたでしょうね」
「大丈夫じゃ。安心せい。ちゃんと夕飯も食べられる」
その言葉に呆れた表情で肩を落とした志乃を見て、ソラは苦笑する。その肩には行きと同じように太助が乗っているが、はしゃぎ疲れたのか大人しく、ときたま眠たそうに目が細くなっている。
「太助、眠たいなら、背中に移れ」
ソラは足を止めて言う。太助はこくりと頷くと、肩に手を置いて、ゆっくりと背中まで降りた。それをソラが両手に回した手で受け止めて、おぶるかたちになる。
「ソラ様は、御兄弟はいらっしゃるのですか?」
再び歩き出したソラに、志乃が問うと、「いえ」と否定が返ってくる。
「そうなのですか。どこか子の扱いに慣れているようでしたので」
「集落には子供が少なく、日中は大人の代わりに私が世話をしていたことがあるので、そのためでしょう」
「あぁ、なるほど。やんちゃ坊主の相手もお手の物というわけですね」
くすくすと笑う志乃に、ソラも笑みを浮かべて返す。
「はい。しかし、龍人の子はやんちゃなうえに力もあるため、本当に手を焼かされました。勝手に変化をして集落を飛び出す者もいましたし……」
「あら。どこかで聞いたようなお話ですね、華様」
「そうかのう。わらわには聞き覚えなどないが」
笑みを向けられて、ハナはわざとらしく恍ける。
「しかし、言われてみれば確かに、藤七の家でもおぬしは赤子の扱いに慣れておったの。赤子の世話もしておったのか?」
「あぁ。といっても何年か前の話になる」
「ソラ様は子に好かれそうですね」
志乃の言葉にソラは照れたように頬を掻く。
「懐いてくれていたとは思います。しかし、集落を出た今、他の子供はともかく、その子供には嫌われてしまったでしょう」
「その子は人のことが嫌いなのか?」
ハナの問いに、ソラはゆっくりと首を横に振る。
「好きになるとか嫌いになるとかではない。生まれた頃から不干渉派の集落にいた子供にとって、それは当然のことなんだ」
その言葉にハナが顔を俯けたのを見て、志乃が両手を合わせながら口を開く。
「さて、そろそろ口調を戻した方がいいでしょうね」
正門の両脇に立っている門番の顔まで見える位置に来てから志乃は言う。
「姫様はそのままでも大丈夫でしょうけど、ソラ様と姫様が先程までのように話していれば城の者は何事かと思いますので」
「そうじゃのう。名残惜しいが、そうするかのう」
ハナは唇を尖らせて言うと、こほん、と咳をした。すると、心なしか姿勢が正され、表情もどこか澄ました顔になる。ソラは、あぁ普段通りのハナだ、と思いながらも、胸の中に何かが残るような感覚を覚えた。
「それでは、まいりましょう」
ハナの言葉に志乃とソラは頷き、再び歩き出す。ハナ達に気付いた門番は、一礼してから門を開いた。
門を通り抜け、天守を見上げていたソラが隣から視線を感じて顔を向けると、ハナと目があった。すまし顔だが、僅かに目が泳いでいてどこか気まずそうな表情だ。
「今日は、視察にお付き合いいただき、誠にありがとうございました」
「いえ、どうせ出発までは暇を持て余している身ですので。こちらこそ姫様にご同行出来て光栄でした」
「……あの、茶屋で話した人や獣人、この世界のことは、結局はあなたの両親のことと同じで、私の勝手な要望に過ぎません。心の隅に置いていただければ十分ですので、どうかあまり気に病むことのないようお願いいたします。今にして考えれば、四日後、命を懸けた旅に出る方をいつまでも過去のことで縛ってよい筈がありません」
あの会話を聞いていなかった志乃は何のことか分からないはずだが、気にする様子もなく、ハナの斜め後ろをついて歩いている。
ソラはハナの言葉に頷きながらも「しかし」と言った。
「先程も申し上げたとおり、私は出発まで暇を持て余しているのです。それに、今日一日、様々な者と触れ合い、人や獣人のことをもう少し知りたいと思うようになりました。少しずつ、距離を測りながらでも、近付いて行けるのではないかと」
その言葉に、ハナは嬉しそうに笑みを浮かべ、
「う、うむ! 当然じゃ!」
はっとして両手で口を塞いだ。周囲に誰もいなかったか確かめようとしたが、ハナの目はソラの顔に釘付けになって離せなかった。
自然な笑顔だ。茶屋に行く前、ソラが浮かべた笑顔を見て、七年前の少年はこのような笑みを浮かべていたのだろうか、と思った。だがこの笑みは、きっと違う。ハナを嫌いと言った少年の顔でも、そして、昨日まで何度か城内で見た笑みとも違う。初めて、今のソラを見た気がした。変わったのはソラなのか、それとも自分の見方なのかは分からない。ただ、その顔を見られたことが嬉しかった。
口に当てていた両手で、今度は顔全体を覆う。顔が赤く、熱くなって目が潤むのは、城内で幼い口調を出してしまったことによる羞恥だけだろうか。
「姫様、転びますよ」
まるで事情をすべて察したかのようなからかうような口調で言う志乃に「大丈夫です」と返すハナは、指の隙間から前を見て歩いている。危ないのも、変なことしているのも分かっている。だが、この表情を見られる方がもっと恥ずかしい気がした。
そんなハナを不思議そうに見ていたソラだったが、ふと顔を上げると志乃に目を向けた。
「そういえば志乃殿、少々お願いしたいことが――――――」
二人の声をどこか遠くに聞きながら、ハナは指の隙間から空を見上げる。夕焼けは眩しく、指の隙間からでも直視できないほどだ。意外と、この顔も夕日のせいに出来るかもしれないと思ったが、出来なかったら更に恥ずかしいため、やはり両手はそのままにしておいた。




