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七年前




 木造家屋が立ち並ぶ城下街。大通りには絶えることなく民が行き交い和装と洋装が入り乱れている。肩に担いだ天秤棒に大きな藁の籠を引っ提げてえっさほいさと小走りするワイシャツ姿の男性。彼とすれ違ったのは、綺麗な青色の着物姿の女性だが、彼女と談笑しているのは真っ赤なロングドレスに身を包んだ女性だ。刀を腰に差している武士もまた、長裃に肩衣半袴の者もいれば、真っ黒いコート姿の者までいる。更に、中には人ならざるもの、身体は人のものでも頭は狐、あるいは狼など、獣人と呼ばれる者の姿もある。しかし、この町、この国ではその光景が日常であり、この少しおかしな光景に違和感を覚える者はいない。

 城下町というからには、当然、城がある。町の中心地、平屋など背の低い建物しかない中で、それは嫌でも目に入る。周囲を堀川と高い塀に囲まれ、橋を渡って櫓門から足を踏み入れ、左側に付櫓と続き、そうして目の前に聳え立つ天守は見上げるほど、三十メートル以上ある。

 さて、天守の最上階にある廻縁には、五、六歳ほどの少女がいた。膝を曲げ、高欄を両手で掴み、大きな目を輝かせて高欄の隙間から城下……ではなく、遥か遠くに見える山々を眺めている。

 真っ赤な着物に桜の花の紋様がうっすらと散りばめられていて、黒い髪の毛はしゃがめば地面に付きそうなほど長い。

 少女は、名をハナといった。漢字で書けば、華。そして、八木浜城の華姫と言えば、近辺で知らぬ者がいないほど可憐で、だがお転婆な姫だった。城を抜け出そうと荷物に紛れたりすることは日常茶飯事で、一度だけ成功した時は城中が大騒ぎとなった。その頃、当の本人は町民からもらったお古の洋服を纏い幸せ気分で団子をごちそうになっていたのだが。

 そんな具合に、城に勤める者はなにかしらハナが起こす騒動に巻き込まれてきたのだが、彼女を嫌う者は一人もいなかった。姫だから、手がかかる子ほど可愛いものだから、など考えられる理由はいくらでもある。だが結局のところハナにはそういう雰囲気があるのだった。何をしても許してしまうような愛くるしさ、花が咲くような笑顔、子供らしからぬ古風な口調、そういう全てが、その雰囲気を作り出していた。

「ハナ様。こちらにいらっしゃったのですか」

 世話係の志乃の声にハナは振り返り、「うん」と頷く。

「あすがまちきれんのじゃ。はやく、りゅうびとにあってみたい。かれらは、みためはわれらにんげんとかわらぬとちちはもうしておったが、ほんとうなのかのう。じょうかにいるけものびとのようにどこかひととちがったりはしないのかのう。へんげはできるのであろう?」

「私も人から聞いただけですが、そのように聞いていますよ。ただ、人の姿だと、長身でがっしりとした体型の方が多いと聞きました」

「ほう。りゅうのときはほそながいのに、ふだんはがっしりしているのか。おもしろいのう」

 けらけらと笑うハナに、志乃も笑顔を見せる。ハナは前を向き直し、再度遠くに目をやると、風に髪を揺らしながら呟いた。

「ほんとうに、たのしみじゃ」




 龍人の里は、八木浜からさほど遠くない森の深いところにある。聳え立つ岩壁に、ぽっかり空いた穴。大人の人間くらいの穴の先は、蟻の巣のように別れ道があり、その中の一本、土の螺旋階段を上れば、龍人達の集落に到着する。

 長い長い階段の先にある蓋をはぐると、暗闇に慣れた目に太陽の光が降り注ぐ。そこは、聳え立った崖の頂上だった。森全体、小さく八木浜城が見えるほど高い場所にある集落は、龍人の数が百人にも満たない小さなもの。龍人達の住居は八木浜に立っている庶民の家よりも粗末なもので、土壁に茅葺き屋根といった、地方に暮らす農民のような家だ。

 そこで暮らしている子供――十歳未満の龍人はたった一人だけ。もともとはあと二人いたのだが、今回、人間と友好関係を結ぶという話を聞いて、親に連れられるかたちで集落を抜けてしまった。親子でなくともそういった者は多く、今回の件を集落の者に説明してから空いた家は両手じゃ数え切れないほどだった。残ったのは、今更他の地には移れない年配の者と、そういった親が心配で渋々残っている中年や若者のみだ。

 では誰が事を進めたのかというと、集落の長の独断だった。長は集会で、各地で龍人の数が減少していることを説明し、あろうことか人間や獣人の血と混ざることになってもなお、子孫を残していくべきではないかと言った。龍人は、その生まれもった強大な力故自尊心が強く、誰一人としてそれに賛同する者はいなかった。

 それを後から両親に聞いた龍人の子、ソラも開口一番、

「そんなのいやだ!」と叫んだ。そんなソラに両親は喜び、彼の頭を撫でて「それでこそ龍人の子だ」と褒めた。ソラの中に、人間は悪い奴だ、という思いが密かに芽生えたのはこの時だったのだろう。その思いは、いつも可愛がってくれた隣の若い夫婦、友達だった二人など、様々な大切な人との別れにより、更に膨れ上がっていった。

「人間はキライだ! おれはゼッタイに人間と仲良くしたりなんかしない!」

 親しい者と別れる度に、ソラは涙ながらに言い、両親に「その気持ちを忘れるな」と言われた。


 そして、人間の長が集落を訪れる日がやってきた。ソラの一家も集落を抜けることを決めていたが、結局この日には間に合わなかった。

 台風こい! 竜巻起これ! というソラの願いは叶わず、晴天無風の暖かい日が集落に柔らかく差す。

 家の窓から外を眺めていると、森の上を一体の龍が泳ぐように飛んできた。人間からすれば龍などどれも同じに見えるのだろうが、ソラには分かる。あれは長だ。よぼよぼの老龍。飛ぶ速度だって全然遅い。しかし、今日の長は遠目に見ても遅過ぎた。集落に近付いて、そのわけがようやく分かる。長の背には、十人ほどの人間が乗っていたのだ。まだ距離はそれなりにあるため、人間はよく見えない。なにやら、一人だけ赤いのがいることだけは分かった。

 龍は牛や馬と違うんだぞ。なんで人間に乗られなくちゃならないんだ、と憤慨していると、

「ソラー、ちょっとー」

 その声にソラは窓から離れる。

 母親から渡された洗濯物が入った籠と水が入った洗い桶を天秤のように持つと、家を出て裏へ回る。その時、小高い場所にある長の家の前に着陸した老龍が姿を消した。人に戻ったのだろうが、ここからではちょうど死角となっていて、長も人間達も見えなかった。

 洗い桶に入っていた布を地面に敷き、その上に洗濯物をどさっと落とす。比較的汚れていないものから洗っていくのが手順なので、いつもはソラの着物が最後だった。だが、ソラが手にとったそれは、もともとの汚れは酷くぼろ切れのようになっているが、新しい汚れは殆ど付いていなかった。それもその筈だ。一緒に森を駆け、転げ回る友人はもういないのだから。

 ソラの目に涙が滲み、その怒りを込めて乱暴に服を洗う。すると、もともと痛んでいた木綿の着物は、びりっ、という音を立てて見事に裂けてしまった。

「あぁ……」と情けない声が思わず漏れる。この小さな集落では、服が欲しい時はときおりやってくる行商龍人から買うか、遠くの大きな集落まで行かなくてはならない。やんちゃなソラは服を毎日のように泥だらけにして駄目にすることも少なくなく、洗濯係に選ばれたのもそのためだった。

 母ちゃんに怒られる、と思うと早くも涙がこぼれそうになるが、ぐっと堪えて残りの洗濯物に手を伸ばした。せめて他の洗濯物はいつも以上に綺麗にしよう。そうしたら怒らず許してくれるかもしれない。


 怒られた。そりゃあもう、鬼婆の如く。

 不機嫌な母親と一つ屋根の下にいるのが耐えられず、ソラは集落を当てもなく歩いていた。大人のように自由に空を飛べたら暇も簡単に潰せるのだが、子供のうちは、空を飛ぶことはおろか、龍に変化することさえ勝手には出来ない。人間が来ているためか、集落の者達の姿は見えず、全員家に籠もっているようだった。今は昼時だし、人間は今頃長の家で食事中ではないだろうか。頻繁に食事を取らなければ死んでしまうなど、人間はなんて弱い生き物なのだろう、と考えていたソラの耳に、聞き慣れない音が届いた。

 たったった、という軽く楽しげな足音。そんな風に歩く者は今のこの集落にはいない筈だった。

 ソラがそちらへ顔を向けると、長の家に続く緩い坂道の途中に綺麗な着物を纏った少女がいた。歳はソラより下だろうか。飛び跳ねるように歩く度、鮮やかな赤色をした着物の袖と長い黒髪が舞うように揺れ、ソラは思わず目を奪われた。何かに目が釘付けになるなんて、二年前、六歳の頃、両親と一緒に初めて空を飛んだとき以来だった。あれ以来ソラは飛ぶことが大好きになった。

 少女はふとソラに気付き、足を止めて目を丸くした。首を傾げると長い髪がさらりと頬にかかる。

 さっき長の背中に乗っていた赤い奴だ。人間だ。

 それが分かっていてもソラの心には怒りも嫌悪も生まれなかった。ただ、顔が熱かった。耳なんか千切れそうなほど熱い。

 少女が満面の笑みを浮かべると熱はますます上がっていく。

「おぬしは、ここにくらしておるのか? りゅうじんのこか?」

 たたた、と走りにくそうに駆け寄ってきた少女に一歩後退りながらもソラはなんとか頷く。頭の中には、なんで、という言葉が渦を巻いていた。

 人間がキライな筈だった。両親がそうだし、人間が来たせいで友達や集落の仲間がいなくなったのだから。彼等が去る度に、それを再確認し続けていた筈だった。なのに、なんで、何故、どうしても、彼女のことをキライになれる気がしないのか。それどころか、少女の綺麗な着物と違い、ぼろ切れのような木綿の着物を着ている自分を恥ずかしく思っていた。

「おぬし、なはなんというのじゃ? わらわははなという」

「……ハナ」

 無意識に反復した言葉に、素直に『似合っている』とソラは思った。先程向けられた笑顔は、それこそ花が咲いたようなものだったから。

 ハナは「うん」と頷くと、ソラを見上げながら再度問う。

「それで、おぬしのなはなんというのじゃ?」

 その無邪気な表情を見た瞬間、頭に両親の顔が浮かんだ。

 人間は悪い奴だ。そんな奴らと仲良くしていたら、父ちゃんと母ちゃんに嫌われちまう。

 ソラは両手を前に出して、ハナを突き飛ばした。子供とはいえ龍人の力だ。ハナは地面を後ろ向きにころんと一回転して、両足を伸ばして腰を下ろしたような状態で止まった。

 何が起きたのか分からない。そんな内心が透けて見えるほど、ハナは目を丸くして放心していた。人から悪意を向けられたことがないハナは、これが暴力であるということも分からず、もしかしたら龍人の子供の挨拶のようなものなのかもしれない、なんてことを考えていた。

「お、お前なんかキライだっ!!」

 ソラの、そんな言葉を理解するのにも、また一段と時間がかかった。もしかしたら、そのうちの半分ほどは認めたくない気持ちから現実逃避していたのかもしれない。

 だが、キライ、という言葉とその意味がストンと心に落ちてくれば、もうそこからは早かった。

 じわっと涙で視界が滲み、気付けば声を上げて泣いていた。転んだことによる痛みは感じない。ただ、キライという言葉がどうしようもなく悲しかった。

 滲んだ視界の中、数歩後ずさってから駆け出した少年の姿が見えて、ハナは更に泣いた。そのうち、坂の上から志乃が駆け寄ってきたが、結局、泣き疲れて眠るまで涙は止まらなかった。


 その晩、ソラは布団に横になりながらもまるで眠れずにいた。

 目を閉じれば、少女、ハナの顔が頭に浮かぶ。笑顔、泣き顔、そして、やはり笑顔。笑顔を思い出せば、ソラの顔も自然とにやけて、泣き顔を思い出せば、どうしようもなく泣きたくなった。ソラの行動は既に集落中に知れ渡っていて、両親には褒められた。母親も、着物のことを忘れたみたいに褒めてくれた。

 嬉しくなかった、と言えば嘘になる。でも、やっぱり嬉しくなかった。嘘でもそう思わないと、胸が締め付けられて潰れてしまいそうだった。

 翌朝、殆ど眠れず、ふらふらする頭で、ソラは両親に言った。

「引っ越すの、やめよう」

 もう一度、会いたかった。昨日のように笑ってくれなくても、会って一言謝りたかった。





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