ファニーフェイス
アタッシュケースを手にした田仲は、息を切らしながら全力で走る。
研究畑の人間とは言え、趣味で山登りをするだけあって田仲は元々体力はある方だ。
といは言っても、全力で何分間も走れるという訳では無い。
(さっきのあの女。”同類”か?)
頭の中に浮かぶのは、 さっきの銃を構えた女――家門恵美の鋭い視線。あの目はこちらを完全に敵として認識していた。
いくら肉人形とは言え、容赦なく弾丸を喰らわせる姿。そしてその目は何の感情も無い。
(誰だかは知らないが、ここで死ぬ訳にはいかない。私は、まだまだ研究しなければならない事が山程もあるのだから)
そう考えながら田仲は右手にあるアタッシュケースに視線を向けた。この中には彼にとって何よりも重要な物が入っている。
これだけは渡すわけにはいかない。
コンテナの辺りからは時折、パン。という銃声が聞こえてくる。
どうやら足止めには成功した様だ。
「だが、念には念をいれないとな」
敵は少なくとも自分の事を普通の人間では無いと理解している相手だ。のこのこと出ていく事も無い。
カツカツカツ。
革靴の音が、九頭龍の港湾区域の第五区域――そのコンテナ置き場に甲高く鳴り響く。
「はぁはぁ」
息を切らしながら、田仲は逃げる。
目の前には警備員らしき男の姿。いつもなら気にする必要も無いが今は話が別だ。
「大丈夫ですか?」
警備員は息も絶え絶えになっている田仲に駆け寄る。
腰には特殊警棒が収納されているものの、それ以外に特に武器らしき物は見当たらない。
「だ、大丈夫だ」
田仲はよろけて警備員にぶつかりながらも、先へと進む。念の為にコンテナ置き場の敷地の外にもう一台車を置いてある。そこまで行ければこの場からは逃げ切れるだろう。
更に走る事、数分。コンテナ置き場の出入り口であるゲートが見えてきた。
(逃げ切った、もうすぐだ)
田仲が安堵の溜め息をつきつつ、ゲートの先へと視線を向ける。
すると――そこにいたのは、一人の女子高生だった。そのセーラー服を見る限り、この辺りの高校の生徒ではなさそうだ。こんな夜にたった一人で歩いている姿は不用心としか云えない。この辺りは街灯もまばらで夜になると真っ暗だ。だから、地元の住人もここいらにはあまり立ち寄らない。
(誰だかは知らんが、”人質”にはなりそうだ)
そう判断した田仲は女子高生へと向かっていく。
相手はまだ気付かないのか、振り向かない。
「ようやくお出ましってワケ?」
そう声が聞こえた瞬間だった。田仲の目前で”火花”が上がる。その火花は瞬時に広がるとそのまま炎となって田仲の全身を包み込んだ。
「ぐああああっっっ」
絶叫が響き渡り、田仲は転がりながら悶える。その様子を冷ややかに見下ろすのはあの女子高生。彼女は言う。
「さっさと燃えちゃいな、オッサン」
そして、田仲を包む炎の勢いが強まる。
「お、お前も”能力者”かっっ」
「能力者ぁ? ”マイノリティ”って呼んでくれない?
ったく、これだからアマチュア相手はイヤなのよねぇ」
田仲は声にならない声をあげながら力尽きていく。
その手が、足が崩れていく。
「あ~あ、もう終わりなワケ? つまんないヤツね」
女子高生ははぁ、と溜め息混じりにつくと、インカムでコンテナ置き場にいるはずの家門恵美に連絡を入れた。
「こちら”ファニーフェイス”。雑魚を一人燃えカスにしたわよ」
――早いわね。ならアタッシュケースを回収して。それの回収が任務よ。
家門からの返信に彼女は気付く。目の前で燃えていく田仲がアタッシュケースを持っていない事に。
そして、燃えていく田仲の姿が、みるみるうちに別人へと変わっていく事に。その服装から、目の前の相手はコンテナ置き場の警備員らしい。
「素晴らしい、成る程。あなたは”炎”を使うのですね?」
そう言いながらコンテナ置き場の出入り口に姿を見せたのは田仲。その右手には銀色のアタッシュケース。
そこにはさっきまでの様な、不安は無い。まるで勝利を確信しているかの様な表情。
「気に入らないわね、アンタがあたしに勝てると思ってんの?」
その言葉に田仲はええ、と言うと笑った。
「だって、アナタもう終わりですから――」
その言葉と共に彼女の足を何か掴んだ。振り返ると、そこには警備員。いつの間にか燃えたはずの手足が再生している。
「あとで、あなたの体細胞も回収しますからね」
田仲の口元は大きく歪むと、肉人形と化した警備員は炎を扱う少女に抱きつき、その炎の勢いは一気に増した。
「自分の炎に焼き尽くされるといい!!」
田仲は愉悦に満ちた表情で叫んだ。
◆◆◆
パ、パパン。
ソニックシューターこと家門恵美の銃撃は正確に肉人形達を撃ち抜いていく。眉間、心臓、喉元。どれも普通の人間ならば、確実にその命を奪うであろう攻撃。
だが、彼らは止まらない。構わずにその手を振り上げ、家門を殴り付ける。
ガコオン。
「つうっ」
鈍い音を立てて、コンテナの壁に家門は身体を打ち付け――呻く。肉人形である彼らは力加減という物が存在しない。何故なら、”使役者”である田仲の命令に従うだけの存在なのだから。
能力――つまりイレギュラーの種類にもよるが、田仲の場合は自分の体細胞を相手に埋め込む事で、使役している。
一旦、肉人形と化した彼らはもう田仲の為だけの玩具なのだ。
そのくせ、再生能力だけは使役者同様らしい。
家門が咄嗟に横っ飛びをする。
バゴン、と音を立てて肉人形の肩がコンテナを歪めた。その肩はグシャグシャになっていて見ているだけで気分を害しそうだ。
(この程度では倒せない)
家門は何を思ったのか、銃を投げ捨てる。
肉人形達も訝しげに見た。
「やはり、手加減無用だな」
そう呟くと何を思ったのか突然、肉人形達に向けて突っ込む。
当然、肉人形達は迎撃に出る。
その手を振り回す。そして、家門の首元に襲いかかろうとした。
その一撃は容易に家門のか細い首をへし折るだろう。
だが、それは叶わなかった。何故なら――。
次の瞬間、肉人形の手は吹き飛んだ。
家門の手には、さっきまで無かったはずの拳銃が握られていた。
それは女性には似つかわしくない大きさの自動拳銃。
少し、銃火器の知識がある者ならその銃に驚くに違いない。
彼女の細腕には不釣り合いなそれは”IMIデザートイーグル”。その威力は絶大。
だが、相手は感情を無くした肉人形。構わず攻撃しようとして――敢えなく返り討ちに合う。
「人形位で私を止められると思わないで」
家門はそう言うと、地に伏した肉人形に銃口を向け、
「同情はするし、可哀想だけどね」
そして肉人形の頭をぶち抜いた。
そのまま家門はその場を立ち去る。
すると、ブクブクと音を立て、肉人形が崩れていく。残されたのは乗っ取られた哀れな被害者達の亡骸だけだった。
◆◆◆
「あははははっっっ」
田仲の哄笑が響き渡る。愉快だった。自分の能力――イレギュラーも使い方を少し変えるだけで充分に脅威を与える事が出来るのだと確信したからだ。
彼の視界に見えるのは、全身を炎に包まれ、その場で膝を屈した女子高生と、彼女に火をお裾分けした肉人形――つまりついさっきまでそこのコンテナ置き場にいた警備員。
(うん、私のイレギュラーも捨てたもんじゃ無いようだ。これからの研究が楽しみだよ)
とは言え、追っ手はもう一人いる。いつまでもここで火遊びを楽しんでもいられない。急いでこの場を立ち去らねば、と小走りで火災現場の向こうに停めた車に向かった。
ズシャ……。
背後で物音がした。恐らくはあの女子高生が地面に倒れたのだろう。いちいち気にするのもバカらしい。
「ちょっと待ちなッ」
そう声が聞こえた瞬間、田仲の足元に炎が上がった。思わず、へたり込み後ろを振り返る。そこにいたのはあの女子高生。どういう訳か燃えたはずなのに、その肌はおろかセーラー服も全く燃えた形跡がない。
「どういう事だ……何故何とも無い?」
「はぁ? アタシが”自分の炎”で燃えると思ったんだ。
ふーん、アンタ――バカなのね」
彼女は愛嬌のある顔にうっすら笑みを浮かべ近付いてくる。
田仲はその笑顔に心底恐怖を感じた。
蛇に睨まれた蛙の様に、動けない。彼女はゆっくりと近付く。
あと、五メートル。
田仲は自分にまだ切り札が残ってる事を思い出す。
あと、四メートル。
田仲はアタッシュケースを開く。
あと、三メートル。
ケースの中にある”注射器”を取り出す。
残り二メートル。
迷わずに自分の首筋に突き刺し、注入した。
一メートル。
彼女の左手に火の玉が発生し、それを田仲に向けて放つ。それは彼女の狙い通りに相手の胸部に当たり、燃え広がる。
「がががああああっっ」
田仲は悶え苦しみながら地面に倒れた。
女子高生はアタッシュケースに視線を向ける。そこには分厚い書類の束が入っていた。
(どうやら、コイツの研究データか)
お目当ての物を回収しようと手を伸ばした。
「んががああああっ」
そこに叫び声が入り交じる。
「へぇ、何だか面白そうじゃないの」
田仲の身体が燃える傍から、その火傷が回復していく。その勢いはとどまる事をしらず、やがて火すら飲み込む様に消す。
「ハー、ハー」
息も絶え絶えに、だが、満足気な笑顔を浮かべた。
「気に食わな……」
彼女が言い終わる前に田仲が仕掛けてきた。無造作に手を伸ばし、掴みかかろうとするが、その動作は緩慢。
易易と避けた女子高生が再度、火の玉を発現。
田仲は更に手を振り回し、その火の玉を伸ばした右手に与えた。
瞬時に右手が燃えていくが、田仲はそれに眉ひとつ動かさない。
それどころか、右手を左手で掴むと、そのまま右手を力任せにへし折り、更に力を込めていく。
ブチブチ、気味の悪い音と共に右手が千切れ落ちる。
「は、はあああ。もういいかな」
田仲がそう言うと右手が再生した。更に千切れた右手もみるみる成長していき、田仲の姿をした肉人形となった。
「う、気持ち悪っ」
女子高生は冗談めかしつつそう言った。目の前の人形からは、肉の焦げた臭いが漂う。
「で、これがどうかしたワケ? 所詮は人形でしょ」
「お前が誰かは知らないが……死んでもらう」
田仲がそう言うと、肉人形が襲いかかった。今度の肉人形はさっきまでのどこか緩慢なそれとは違って、動きが素早い。右ストレートが顔面を襲い、直撃した。ぐらつく彼女の肩を掴むとそのまま地面に押し倒し、馬乗りになって殴りつける。
「ははは、どうだ? 人形だからと甘く見るからだ」
田仲は目を見開いて吠える様に叫び、足元の注射器を見た。
あの注射器の中身は、一言で云えばドーピングだ。
田仲は自分の遺伝子を研究した結果、それを活性化させる薬品を作った。
実際に投与したのはこれが初めての事だったが、成功した様だ。
再生能力も格段に上昇、殆ど瞬時に欠損した右手は再生――かつ、その右手からも即座に肉人形を生成出来た。
そして、その肉人形は想像以上に戦闘力もあり、あの生意気な小娘に拳を振るっている。小娘は殆ど無抵抗でされるがままといった様子。もっとも、抵抗しようが所詮は小娘。パワーアップしたあの肉人形に何かが出来るとも思えない。
(嬉しい誤算だ、これを研究していけば私は更に強くなれる)
込み上げる喜びを堪えながら、早々に立ち去ろうとして、傍に用意しておいた車のロックをキーで外す。
「せいぜい、楽しみなさい。仲間が来るまで生きているならね」
田仲はそう言うと、車へと近付く。
「ぎゃああああああああ」
いきなり悲鳴があがった。その声は肉人形からのもので、田仲はまず肉人形が喋れる事に驚いた。これも、イレギュラーのパワーアップのせいなのかも知れない。
(しかし、何故悲鳴があがった? 一方的に殴っているのに)
そう思った瞬間だった。自分の足元に何かが転がってきた。
一瞬、それが何かを田仲は理解出来なかった。まるでバーベキューで燃料に使う薪の様に炭化したそれを。
だが、ごろりと転がったそれには指が五本ついていた。それは紛れもなく肉人形の手。
思わず振り向く田仲は驚愕するしかなかった。
まず、女子高生は殆ど無傷だった。そして、肉人形の全身が燃え上がっていた。一体、何をしたらそうなるのかは分からなかったが、ただ一つだけ分かっているのは、あの小娘は想像以上の化け物だという事。
女子高生は肉人形を蹴りあげ、突き飛ばす。そして起き上がり――田仲を見据えた。
田仲はひっ、と軽く悲鳴をあげると慌てて車に乗り込む。
一気にエンジンを動かし、ギアを動かす。
そうこうしている内に、女子高生はこちらに近付いてくる。
肉人形は悶え苦しみながら、一気に燃え尽きていく。再生能力が追いつかない程の高熱という事だろうか。
(構うか、死んでも私のせいじゃない)
アクセルを踏み込み、撥ね飛ばすつもりで突進をかける。
(喰らえ小娘!!)
それに対して、女子高生は右手をゆらりと掲げる。瞬時に炎が巻き上がり――放たれる。
(だから何だ? こっちが先だ!)
猛進する車に炎が形を変えていく。 それは先端が鋭く尖り、まるで”槍”のように。
(炎だろ、何だこれは何なんだ?)
一気に槍となった炎がフロントガラスをあっさりと突き破り、田仲に直撃。その身体を一気に貫く。
「ぎにやあああああああああ」
更にその槍は一気に車を焼き、炎で包み込むと、爆発。車体は跳ね上がって、女子高生の頭上を越えていき、コンテナ置場のフェンスに激突した。
「あがあああ…………」
車から飛び出した田仲が路上を転げ回る。全身が大火傷に合い、皮膚が爛れた。
「どう、アタシの炎の味?」
言いつつ、女子高生が右手を掲げたまま近付く。
もう一度、あの炎の槍を喰らえば身体が持たない。田仲はその場にへたり込む。
「わ、悪かったよ。私が調子に乗り過ぎた。もう何も出来ないし、しないよ。だから…………」
「…………見逃してくれって?」
その言葉に田仲は何度も頷く。
「わ、私の遺伝子研究データがあれば君たちにも有用だよ」
女子高生はふーん、と言いながら背を向けた。
生き延びさえすれば、この小生意気な小娘も見返す事も出来るだろう。そう、このままなら。
「お断りよ」
彼女は笑顔でそう言うや否や、振り返り様に――炎の槍を放った。それは田仲をアッサリと貫きその全身を焼き尽くしていく。
「こ、この人でなしぃぃ」
彼は見た。彼女の顔をハッキリと。童顔で可愛らしい顔をしている。美人というよりは”ファニーフェイス”と云うべきだろうか。
愛嬌もありそうな雰囲気だが、その目はゾッとするほどに冷めた印象。彼女は言う。
「アンタは人と怪物の境界線を越えた。だから死ぬしかないわ」
その言葉を聞き終わる前に、田仲は絶命した。そこに残されたのはかつて人間だった者の成れの果てだけ。
「こちらファニーフェイス。フリークは始末したわ」
彼女は淡々とした口調で味方にそう報告する。
――了解、生存者の後処置に付いては本人が目を覚ましたら実施するわ。御疲れ様。帰っていいわよ。
家門からの返答に自分の仕事が終わった事を実感した彼女は、
「お仕事終わりっ! うん、ジェラードでも食べて帰ろっと。確かこの辺りにお店があるって話よね~」
ウキウキした様子でそう呟きながら、足取り軽やかにその場を去っていった。