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「はあ、はあ」

 パシャパシャと水溜まりの水が飛び散る。

 息を切らしながら、逃げるのは中年の一見冴えないサラリーマン風の男。

「く、はあはあ…………」

 彼は必死に逃げ続ける。自分を追いかけてくる”追手”から。

 どのくらい逃げてきただろうか? すっかり表通りから離れてしまった。息切れを押さえつつ、助けを呼ぼうと携帯をスーツの内ポケットから取り出すと、警察にコールをかける――だが、繋がらない。アンテナが圏外になっており、使い物にならない。

 タッ、タッ、タッ。

 足音が近づいて来る。追手に間違いない。

 また逃げようと前を向いたが、前方は行き止まり、先はない。

 慌てて逃げようにも、もう足音がすぐそこにまで近付いている。

 影が伸びてきた。相手の息遣いまで聞こえてきそうだ。

(このままじゃ殺されてしまう)

 そう思った中年サラリーマンは周囲を見回し――それを見つける。

 慌ててそれを拾い、相手が近付くのを待つ。

 あと、二メートル。息を飲み、相手の接近を待つ。

 一メートル、五十センチ…………ゼロ。

 意を決したサラリーマンは、勢いよく飛び出すと両手で握った鉄パイプを振り上げた状態から一気に振り下ろす。


 ガツン、鈍い音を立て、相手が倒れる。更に構わずに鉄パイプを一心不乱に何度も何度も相手に振り下ろし――その都度、ガツン、ガツンとした感触がパイプを伝わって、手にまで伝わる。

 最初は抵抗しようと手を伸ばしていた相手も、やがてその手を力無く路上に転がした。だが、なおも何度も何度も執拗に鉄パイプで殴打し、やがて相手は全く動かなくなった。


「はあ、はあ、はあ」

 中年サラリーマンは息を切らし、ようやく相手から離れる。

「流石にこれで死んだだろ?」

 彼は動かなくなった、相手を慎重に確認しようと近付く。

 彼に、相手に対する”罪悪感”は無かった。何故なら、相手は”人間とは別の生き物”なのだから。

 人外の生命力を持つ怪物なのだから。だが、決して”不死身”という訳では無い。あくまで人外というだけで、殺す事は可能だと彼は理解していた。



 ◆◆◆



 何故自分が狙われたのかを彼は理解していた。彼はとある企業勤務する”研究者”だった。専門は”遺伝子研究”。

 事の始まりは一ヶ月前の事だった。キッカケは友人からのメール。

 ――見て貰いたいモノがある。

 彼は、かつて同じ大学で研究した同級生で今はその大学の教授。学生時代は親しくしてたものの、卒業以来、随分と会っていなかったので、懐かしさも手伝い会ってみる事にした。幸い、友人は十五年振りだと云うのに、その様子は変わっておらず、すぐに再会することが出来た。

 しばらくはお互いの近況を話し合っていたが、やがて友人が切り出した。


「……化け物を見つけた」

 この一言だけ言うと、案内された場所は友人の与えられた研究室。その設備は研究者の勤める企業のそれと比較しても立派で、最新鋭の機器が導入されていた。

「これだよ」

 そう言いつつ目の前に出されたのは、恐らくは、人の皮膚の一部。

「おいおい、こんなの何に使うって言うんだ」

 研究者は馬鹿にされたのかと思い、少し腹を立てたが、その皮膚を顕微鏡で見てみろと促され、仕方なく確認してみる。


「な、何だよこれは?」

 そう絶句した。そこで見えたのは見た事の無い代物。

 その”細胞”は人間に近かったが、異常な変異を遂げている。

 友人に振り向くと、彼は明らかに怯えていた。

「それは、生きてる」

「そりゃ、生きたサンプルなんだから当然だよ。――でも、一体これは何なんだ?」

 研究者の問いかけに対して、友人が見せたのはグチャグチャにされた何者かの惨殺死体。そう言えば、一週間程前に、戦略特区”九頭龍”と岐阜県の境目の山中で身元不明の死体が見つかったと、報道が入っていた。その事を聞くと、友人は、ああと頷き、認めた。


「あの死体が、ウチのラボに身元特定の為に運ばれたんだ。向こうの検視官じゃお手上げだからってさ」

「い、いやそれは分かる。ここの設備なら、被害者の医療サンプルも細かく調べられるし、な。だが、何で…………」

 それ以上言葉が続かなかった。それ以上言うのが心底恐ろしかったのだ。代わりに友人が続きを口にした。

「これは生きてるのか? だろう。正直言って分からない。ラボに運ばれた際には間違いなく死んでいたんだ。だが、DNAサンプルを採集して、調べていく内に”生き返った”んだよ、コイツは」

 彼も自分が話している事がいかにおかしいのか当然分かっている。

 クローン技術もあと一歩の所にまで技術が進歩した現在でも、一度死んだそれを生き返らせる事はまだ出来ない。

 マンモスのクローンを作ろうとしているのは、それが可能だと云われるのはサンプルとなるマンモスが、凍り漬けで保存されていたから。細胞もまだ死んでいなかったからの話だ。

「言っとくが、私はコイツに何もしてない。採集したのはほんの僅かのDNAサンプルなんだよ」

 友人の怯えが一層酷くなる。今の話が事実ならば、この皮膚は”自然ににここまで再生した”という事になる。そんな人間が存在するはずが無い。したら、それはもう、人間とは違う生き物、という事になる。

「この被害者の他の部位は?」

 研究者は友人に尋ねた。あんな小さなサンプルでこれなら、もっと大きな他の身体の部位がどうなるのだろうかという素朴な疑問からきた質問だった。それに対して、友人の返事は、「燃やした」という物だった。恐ろしさの余り、という事だろう無理も無い、そう思った。

「なぁ、これを調べてくれないか?」

 友人はそう言いながらそのサンプルを研究者に渡した。


「それは構わないが、君はいいのか?」

「警察には原因不明と返事を返した、遺体についてはこちらの不手際で薬品に漬かってしまい、もう駄目だから燃やしたとね。

 頼む、君ならば、これが何なのか分かると思ったんだ。もしかしたら、これは世界を変える発見なのかも知れない」


 研究者は友人の依頼を受け、そのサンプルを持ち帰る事にした。去り際に言葉をかけようかどうか迷ったが、彼のすっかり憔悴しきった様子を見て、そのまま別れた。

 今思えば、あの時こんなモノを受け取らなければ良かった。



 九頭龍にある自分の研究室でこのサンプルを更に調べる事になり、

 改めて、友人に渡されたデータに目を通す。

 そこには、何度見ても信じられない数値が並んでいた。

 そして、比較対象になる生物がいない。それほど迄に生物として圧倒的な存在。これまで様々な実験で、遺伝子の【進化】を探究してきた彼にとってこのサンプルは新たな可能性に満ちた物だった。

 一心不乱、寝る間も惜しみ、時間が経つのも忘れていた。

 そうしている内に様々な発見があった。

 この細胞は、確かに信じられない程の再生力を備えてはいるが、決して不死では無いという事。

 熱に耐する反応、電気に耐する反等々、基本的には人間と同じである事。確かに普通の人間よりも限界値は押し並べて高い数値を示したものの、一定値以上の刺激を受けると細胞が死ぬ事は理解出来た。

(これは画期的な発見になるかも知れない。人類の進歩の為に)

 そう考え、いつの間にか夢想している自分に気付かなかった。

 そんなある日の事。

 新聞に目を通した彼は、その記事に驚愕する。


 ――岐阜県の山中で、⭕⭕大学教授の田仲史規たなか ふみのりさんの変死体が発見。死亡時期は恐らく二ヶ月前で、遺体は白骨化していた――と。


 その記事に彼は凍り付いた。何故なら、

(二ヶ月前だと? 私が彼にあったのはつい一ヶ月前だぞ?)

 ほんの一ヶ月に彼に会った際にはピンピンしていた友人、田仲の変死が信じられなかった。

 急いで岐阜県に足を運び、遺体を確認。間違いなく、田仲史規だと確認した。

(じゃあ、この前のあれは一体?)

 不審を抱かれても困るので、それ以上の追求も出来ず、研究室に戻った彼は更に驚愕した。


 研究室がメチャクチャにされていた。機材は元より、様々な研究用のサンプルも破却され、更にあの【サンプル】は無くなっていた。

 しかも、会社から一方的に解雇通知を貰う。

 納得出来ない彼が談判しにいくと、その理由を聞いた。


 ――君の背任行為により、わが社がどれだけ損害を被ったと思うのかね?


 それは全く身に覚えの無い事だった。彼がライバル会社に研究データを売却したと言われ、その証拠となる監視カメラの映像を見せられる。信じられなかった、そんなハズが無いのに、そのカメラには彼が映っていて、ライバル会社の関係者にデータの入った、USBを渡している。

 二週間前、彼は研究室に籠り、あのサンプルを研究していたのだ。

 にも関わらず、自分と同じ姿の男が夜中に、人気の無い路地裏で、取引をしているのだ。


 説明がつくはずもない状況に彼は成す術なく、会社を追われ失意の中で、ふと、駅前でパブリックビューイングを見ていると、彼の前に一人の男が立っていた。

 その男は、一見普通のサラリーマンに見えた。

 着ているスーツは特に目新しくも無いねずみ色で地味な印象を受けた。

「失礼、真理正まこと ただしさんですね?」

 何故、この男が自分の事を知っているのか等、分かるはずもない。真理は、そのサラリーマンに案内され、気がつくとその場所にいた。


 一見すると、コンテナ置き場にしか見えなかったそこは最新鋭の設備を備えた研究室。

 しかも、遺伝子研究者である自分が見ても分からないデータがそこには羅列されていた。

 真理がそのデータを見て、しばらくしてそれが盗まれた細胞サンプルのものに酷似していると理解した。

「流石ですねぇ、分かりましたか?」

 その声に真理は思わず振り返る。そしてそこにいた人物を見て驚いた。

「君は何故ここにいる? いや、死んだはずじゃ」

 ここに案内したサラリーマンの顔が崩れていき、そこにいたのは間違いなく自分にあのサンプルを手渡し、その前に死んでいたとされる男――田仲史規。

 彼は平然とした様子で、真理の横に立つとパソコンを操作し、ディスプレイされている情報を次々と閉じていき、画面には一つのデータだけが残される。それはDNAデータ、真理が調べたそれに酷似した物だった。

「これが何か分かりますか?」

 田仲の問いかけに真理は答えられない。

「実はそれ、私の細胞なんですよ」

 その言葉を真理は当初、理解出来なかった。横にいる男が何を言っているのか理解不能だった。困惑している真理を田仲は満足気に見ながら、パソコンの前の椅子に腰掛ける。

「ああ、すいません。正確にはあれは私の細胞を元にした【クローン】なんですよ。

 真理さんももう、分かったでしょ? この世界には人間を超越した存在がいるんですよ」

「…………」

「おや? ダンマリですか。なら、いいでしょう」

 田仲はそれだけ言うと、椅子から立ち上がりゆっくりとした足取りで三メートル程歩き、止まった。

 そこで「あああああああっっっっっ」と突然叫び出し、全身を激しく震わせる。

「な、何なんだ? コレは何なんだッッッッッ」

 真理は恐怖に押し潰されそうだった。目の前の光景がとても信じられない物だったから。


 メコメキメキメキメキ――――!!

 田仲の身体は不自然に手足が曲がり、その腹部はまるで風船の如く

 膨れ上がる。

「あががががががぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ」

 田仲の叫びは苦痛に満ちた物に変わり、それに呼応するかの様にボゴッ、バゴホッと不気味な音と共に腹部を何かが突き破ろうとし――――限界を越え、その腹が破れて、多量の血をまるでシャワーの様に吹き出し、コンテナを真っ赤に染め上げていく。


 真理は恐怖を通り越し、確信した。ここにいるのはもはや、彼の知っていた男では無い。その姿を借りた別の”何か”であると。

 ゴボボッッ。

 血に染まったコンテナ内で、真理の前に何かがモゾリ、と立ち上がる。それは手足を伸ばし、あがが、とかすれるような声をあげる。

 まだ上手く立てないのかよろめきながらも、目だけは一点を、真理を見据え――その姿は紛れもなく、田仲史規そのものだった。

「どう、ですか? 私はもう、人を越えたんですよ。……ん?」

 そこには真理の姿は無く、コンテナの入口が開いていた。

「逃げられませんよ、私からはね」



 ◆◆◆



「はあ、はあ…………」

 カラカラン。真理は持っていた鉄パイプを放り出し、その場にへたり込む。目の前には激しい殴打により、その顔が潰れた田仲。

 そのぐちゃぐちゃの顔を目にし、込み上げる不快感と異臭に吐き気を催し、その場にぶちまけた。


 しばらくして、よろよろとした足取りで路地裏から出てきた真理の前にいたのはシャツにデニムを履いた田仲だった。

「ば、ばかな?」

 思わず振り返ると、そこには確かに自分が撲殺した田仲が倒れていた。

「そんなに驚かないでくださいよぉーー」

 田仲は不気味に笑いながら詰め寄ってくる。真理は慌てて足元に転がした鉄パイプを拾おうと膝を曲げる。

 ところが、鉄パイプは手を伸ばした先には無かった。半ばパニックに陥りつつ、視線を背後に向けると鉄パイプは目の前にあった。

 但し、それは真理の顎先に突き付けられており、それを手にしているのは、撲殺したはずのもう一人? の田仲。

「コレは一体何なんだ?」

 真理が叫ぶと同時にガツン、という衝撃が頭に走る。

「安心してください、真理さんも仲間になるんだから」

 その場に崩れ落ちた真理を見下ろしながら、田仲はそう言った。

 ポケットから注射器を取り出し、鉄パイプを持っていた田仲が真理の両脇を抱える。逃げられない様に。恐怖に駆られた真理が叫ぶ。

「な、何をするっっ」

 その叫びを満足気に聞きながら、田仲は注射器の針を首に刺し――中の液体を注入した。その液体がドクドクと流れ込む感覚。

 それと同時に全身がブルブルと小刻みに震え――力が抜けていくのを実感した真理は、

(神経毒か何かか?)

 そう思っている内に口から血を吐く。その様子を目にした田仲は残念そうな表情を浮かべると、もう一人が真理を投げ捨てた。

「ふーーん、残念。真理さんも”不適合”だったかぁ。ま、仕方ないかぁ、また次を探せばいい」

 それが真理が意識を失う直前の最後の言葉だった。
























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