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WG

この度はこの作品を読んでいただき有難うございます。


この作品は、後日連載する予定の作品の序章となっています。


ですので、いくつかの疑問が残るかも知れませんが、ご容赦下さい。


では、しばらくのお付き合いをお願いいたします♪


 目の前は只々暗闇。

 時間の感覚もなく、ただ静寂がこの場を支配する。

 一体何が起きたのだろうか?

 見えないので断言は出来ないが、身体には特に異常は無さそうだ。

 彼は自分に起きたことを思い出す事にした。

 どうせ、事態はそうすぐに変わったりはしないのだから、と。



 彼の名前は井藤啓吾いとう けいご。職業は警察官。取り立てて秀でた物も無く、警察官になったのも正義感からでは無く、単に安定した職業だと思えたからだ。

 彼がこうなったのは、ある事件の捜査にのめり込み過ぎたからだった。




 ――わ、わたしの妻が消えた。


 その第一報があったのは前の月曜日の夜の事だった。

 現場に警察が到着した時、そこにいたのは通報者であるその家の主人、瀬上一郎せがみ いちろう。その話を聞いた所、仕事で遅くなった彼が自宅に帰宅した際に、玄関の鍵が開いたままだったそう。不用心だと思いつつも居間に行ったが、いつもならあるはずの夜食が置いていなくて、更に風呂を沸かした様子も無い。

 少々頭に来ながら、寝室に行ったが、そこにも妻はいなかった。

 妻が親しくしていた近所の友人や、実家にまで連絡したものの誰も知らず――慌てて警察に通報したそうだ。


 誘拐の線も考えられたそうだったが、瀬上家の経済状況は特段、周囲と比べても裕福とは言えず、立ち消えとなり――何の手掛かりも掴めないまま木曜日になって発見された。


 それは奇妙な遺体だった。その肌には仄かな赤みがさしていて、まるで今にも動き出しそうに見えた。

 だが、彼女は間違いなく”死人”だった。――何故ならその身体には本来あるべき物が欠けていたから。

 それは、身体中の流れを司るものであり、また生きるための呼吸を行うのに必要なものであり、全身にくまなく血を送り出すのに必要なものであり、様々な物事を判断するのに必須なものだった。

 彼女の身体の中身は文字通り”空っぽ”だった。ごっそりと中身が無くなっており、そこに残されたのはただの”殻”。

 すぐさま、鑑識がその遺体を調べ、検死医が検死を行ったものの――どうすれば身体に傷を付けずに”中身”を取り出せるのかは不明。全く見当も付かないと結論付けられた。


 井藤啓吾は行き詰まった捜査本部の指示により、捜査の原点に戻る事になった。それは”足”を使ってとにかく捜査の進展に繋がる情報を集める事で、まずは被害者の瀬上美香せがみ みかの近辺を洗う。彼女がどういう性格で、どんな学生時代を送って、そしてどんな家庭関係だったかまでを井藤は調べたが、結果として怪しい部分は見当たらず、途方に暮れた。他の捜査官からの情報も似たり寄ったりで、捜査は完全に難航していた。


「がぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー」

 眠りかけていた瀬上が凄まじいまでの絶叫に目を覚ました。

(また、誰かが殺されでもしたのか?)

 ここに閉じ込められてからどの位か? 井藤にとって定期的に聞こえる絶叫や悲鳴が今や時報代わりだった。

 その声の主は毎回違うようで、男だったり、女だったり、様々のようだ。ただ、一つ共通していたのはその後だった。


 ズルズルズル…………。


 また何かを引きずる音だ。誰かが、何かをこっちに引きずってくる。その音は不自然なまでに規則正しく、そして生々しい。


 ドサリ。


(何だよ、また近くにまで運びやがったもんだ)

 井藤ももう感覚が麻痺したのか、血や体液の臭いにもすっかり慣れてしまった。かれこれこれで何回目だろうかすらもう曖昧になっている。




「え、瀬上さんもですか?」

 井藤がその情報を得たのはほんの偶然からだった。

 それは、彼が勤務終了後つまり、聞き込み後にたまたま立ち寄ったある居酒屋で耳にした。店の主人はここいらの人間関係には詳しいらしく、耳を傾けると、様々な話が出てきた。

「お客さん、ここいらじゃ見ないね?」

 店の主人は流石に客商売を長年営んでいる為か、井藤を見てすぐに住人では無いと判断した。

 警戒されては話を聞き出せないと判断した井藤は、自分は最近この近くに異動で来た銀行員だと偽り、ビールを注文し、”店のお任せ”と書かれたメニューを頼んだ。

 数分後に目の前に出されたのは、肉じゃがと味噌汁とご飯という組み合せの定食だった。

「うん、うまいよこれ」

 思った以上にきっちりと煮込まれてジャガイモは箸で簡単に切れた。味噌汁は白味噌で、ご飯はどうやらこの店は昔ながらに釜で炊いているそうだ。箸が進んでいく。


 井藤の食いっぷりに主人は満足したらしく、おごりだよと言いながら熱燗を用意してきた。気がつくと他の客はもう帰ったらしく、店の中は井藤と主人だけ。

「で、お客さん。銀行屋さんってのは嘘なんだろう?」

 主人は単刀直入に切り出した。井藤が答えに窮しているのを見ると軽く笑いながら、

「別に嘘だからってどうって事は無いさ、言いたくない事情ってもんも世の中にゃいっぱいあるんだからね」

 とあっけらかんとした顔で言う。井藤は思わずはは、と笑い、お猪口を口に運ぶ。


 どうやら井藤の事情を察したらしく、主人は店の看板を降ろした。

「ま、今日はもう十分お客さんも入ったしね」

 そう言うものの時間はまだ夜の十時。居酒屋としてはまだまだこれからが稼ぎ時のはずだ。井藤は主人の気遣いに感謝し、自分が警察官である事を正直に話した。

 主人も大体は察していたのだろう、特に驚く事もなく、井藤の手元のお猪口に熱燗を注ぐ。井藤はそれを一気に飲み干し、尋ねた。

「さっきご主人は瀬上さん”も”と言ってましたよね?

 それはどういう意味なんですか?」

 少し、間が空いた。それは店に電話が入ったからだった。電話は間違い電話だったらしく、主人はすぐに戻って来ると、答えた。

「いや、実はわたし、この街に来る前は隣の県にいたんですよ。

 そこで、料理の修行をしていたんですがね。あれは確か、二年程前の事ですよ、近所で殺人事件がありまして――わたしが第一発見者ってのになっちまっんですよ」

「ご主人がですか?」

 井藤は思わず驚いた。それが本当なら調べればすぐに分かる。井藤は慌ててスーツの胸ポケットから手帳を取り出す。主人は「刑事ドラマに出てる気分だね」と苦笑しながら話の続きをする。


 それは店の主人が料理の仕込みの為に住んでいたアパートの部屋を出てすぐの事だった。アパートの隣室のドアが開いていた。

 時間はまだ朝の五時。主人はいつも通りの事だったが、彼が知る限り隣室の夫婦はこんな時間にドアを開きっぱなしなんていう事などこれまで無かった。無用心だな、と思いながらも通り過ぎようとした時にドアが風で開き――目にした。

 それは一瞬、遺体とは思えなかったらしい。

 台所に奥さんが立っていて、包丁を手にしていた。普通の人ならこのまま通り過ぎたのかも知れなかった。だが、主人は気付いた。

 彼女の包丁は肉切包丁、それで、人参を切るのに違和感を感じた。そして気が付いた。彼女は土足のままで台所に立っていたのだ。それなのに、床に土などは付いていない。思わず部屋に上がり近付いてようやく気付いたそうだ。彼女がすでに死んでいたと。



「いや、本当に驚いたんだよ。一見しただけじゃ全く気付かなかった、まるで今にも動き出しそうだった……でも、死んでいたんだ。彼女の目は虚ろだったよ、どんな目に遭わされればああいう目をするのか想像も付かない」

 主人の話と、そのガイシャの話を聞くと確かにその印象は瀬上美香と驚く程に酷似していた。

「色々と聞かれたんだよ、普段の行動とかね。何度も聞かれたからもしかしてわたしが犯人と疑われているのかと思ったもんだよ」

 井藤は、その後も主人の話を詳細にメモし、その後で店を出た。

「何か気が付きましたらこちらにお電話を」

 名刺を手渡して帰路に付こうとしたが、どうしても二年前の事件が気になった。井藤は、普段は決して使わないインターネットカフェに足を運ぶと調べてみる事にした。

「何だよこれは?」

 事件の記事はネット上から悉く削除されていたのだ。辛うじてその日に主人のいう事件らしき殺人についてタブロイド雑誌が取り上げていた位で、明らかに何者かの手が加えられた事を想起させた。



 納得いかなかった井藤は、翌日捜査本部に戻ると二年前の事件を上司に語った。上司も興味を示したのでこれでようやく少しは進展があるかと思いきや、午後になり井藤は署長に呼び出された。


「井藤君、君には捜査から外れて貰うよ」

 署長は開口一番、そう言い切った。

「な、何でですか?」

 困惑する井藤に署長はある資料を手渡す。それは、二年前の事件についての捜査資料。

「菅原部長は”この資料”を手にした直後――つい二十分前に事故にあった」

 それは、井藤に衝撃を与えた。上司である菅原部長はこの署内でも珍しい叩き上げの警察官だった。しかもその業績買われノンキャリであるにもかかわらず、次の署長間違いなしと云われる程の人物だった。井藤にとっても頼り甲斐のある上司が、つい数時間前には元気だった彼が何故事故に? 頭のなかをその事がグルグルと回った。

「菅原部長は命には別状は無かった。だが、轢いた犯人は不明、わざわざ盗難車で轢き逃げをして、証拠を全く残さずに車は現場から一キロ程の空き地で燃やされたそうだ」

「な、何なんですかそれじゃまるで――」

「これはプロの仕業だろうな、少なくともそんじょそこらの素人じゃここまでの手際はムリだ――だから、だ」

 署長はそこまで言うと改めて捜査資料を突きだす。

「これを受け取るのなら、君には捜査から外れて貰う……どうするんだね?」

「…………」



 結局、井藤は捜査資料を受け取った。署長は井藤を表向きは聞き込みで市民からの苦情が発生したとの理由で捜査から外し、一週間の自宅謹慎となった。そして、”捜査”が始まった。

 その資料によると、やはり被害者は身体中の”臓器”を全て抜き取られており、その方法は不明となっていた。

 さらに同様の事件が他県でも起きている事が記されていた。

 その異常な手口を公表されれば間違いなく混乱が起きると判断した警視庁により情報操作されたと。

 さらに気になる類似点があることに井藤は気付いた。偶然なのかも知れないが、被害者はいずれも婦人だった事と、もう一つ。

 そして、それが井藤の足を動かしていた。


 瀬上邸に着いたのはその日の夕方の事。ここら辺は所謂新興住宅地で、街の郊外に位置する。車を持たない井藤はその日の最終バスに乗り、ようやくここに来たのだ。

 何故、井藤はここに来たのか? それはこの奇妙な事件の類似点がもしも本当ならば、次に起こる事に彼が気が付いたからだ。

 普段なら、決して単独行動はしなかっただろう。だが、その時、彼は動いていた。

(止められるなら、ここしかない)

 その思いで必死に走った。玄関に辿り着くと、チャイムを押す。

 ピンポーン、というお馴染みの音が聞こえた。

 だが、待てども待てども瀬上一郎は出てこなかった。確か、事件のショックで仕事を休んでいるという事は調べていた。それなら、出てきてもいいはずなのに。嫌な予感がした。背筋に嫌な汗が流れる感覚。井藤が試しにノブに手をかけると鍵がかかっていなかったらしく、ドアはあっさりと開いた。

「瀬上さん、先日お会いした井藤ですがーーーー」

 玄関先で声をあげたが、やはり何の返事も無い。意を決して家に上がるが、もうすぐ夜になろうというのに電気も何も付いておらず、室内は驚く程に薄暗かった。

「………………」

 もう井藤も半ば確信していた。だから腰に納めた警棒に手をかける――いつでも抜けるように。

 ガサガサ。ガザッ。

 嫌な音が聞こえる。ゴキブリが這いまわる様な不快な物音が。

 調べていないのはもう、二階にある寝室――あの音が聞こえた部屋だけだ。井藤は息を殺しながら足音を立てない様に歩く。

 そして、その部屋のドアノブに手を回した瞬間、頭に衝撃が走り――その場で崩れ落ちた。薄れていく意識の中で、誰かが背後にた立っているのが見えた。何故、相手が背後にいたのだろうか、その疑問が頭の中を巡った。




 そして、現在に至る。

「ぐぎゃああああああっっっっ」

 暗闇の中で男の絶叫が轟く。かれこれどの位の時間が経過したのか分からないが、何時間も経ってる様な感覚だった。

 井藤は徐々に自分が”死んでいく”のを実感していた。あれだけの恐らくは拷問がすぐ間近で行われていると云うのにもう、何も感じない。心が痛まないのを実感していた。

 自分をここに連れてきた犯人の考えはよく分からないが、この恐らくは数日間、水と最低限の食事を与えてくることから、すぐに殺すつもりは無いのだろう。


「あぁあああ、っっっっっ」

 絶叫が止んだ。そしてすぐ間近に叫んでいたモノが運ばれる。

 それは瀬上一郎だった。いくら暗くてもこう長時間いれば近くならぼんやりとは見える。そして、形はどうあれこれで井藤はこの事件の経緯に確信を持てた。


 瀬上一郎が勤めていたのは、国内最大手の炭素繊維メーカーだった。そこでは様々な製品開発が行われていたが、この数年前の法律改正によってその方向性は大きく変わりつつあった。

 日本は法改正によって、諸外国に対してこれまでは取り引き出来なかった分野に進出出来る様になった――軍事技術について。

 キッカケは、周辺国との関係がいよいよキナ臭くなったからと言われているが、実際の所は”経済政策”だとも言われている。

 実際、軍事技術について各国と取り引き可能になった事で経済は活性化した。その結果が”この街”の成り立ちにも関わっているのは、住人なら、知らない者は恐らくはいないだろう。

 この”炭素繊維”は車などに用いるのだが、所謂”ステルス”兵器にも用いられる素材で、その分野において瀬上の会社は最先端をいっていた。しかも、瀬上の肩書きは主任研究員。その気さえあれば盗み出すことも可能な立場だった。

 これだけなら、まだ偶然ともいえただろう。だが、以前の事件の被害者もまた軍事技術に関する会社に勤めていて、その研究に携わっていたのだ。

 どの事件も流れは同じだ。まず妻がまるで人形の様な姿で殺される。警察が捜査するも証拠は出ず難航。しばらくして被害者の夫が消息を断ち、容疑者となる。それぞれの事件の容疑者が被害者の夫になるので、連続殺人として認知されなかった、という事だ。

 警視庁も殺害方法が不明で表に出せなかったのも理由の一つなのだろう。


 カツカツカツ。

 コンクリートの床に革靴の音がやたらと響く。

(また瀬上に拷問か? 変態野郎め)

 そう思っていると足音の主は井藤を起こした。手慣れた様子で井藤をキャスター付きの担架に乗せると運び出す。

(いよいよ、こっちの番って事か)

 時間の問題だとは思ったが、案外冷静でいられるものだと井藤は微かに笑い、意識が遠のくのを感じた。犯人が麻酔注射をしたらしい。



 目を覚ますとそこはまるで手術室のようだった。天井にはライトが付き、自分を照らす。いきなりの光に井藤は思わず目が眩んだ。

 両手両足はベルトか何かで拘束されており、動けない。

 すぐ傍にいるのは白衣と防毒マスクみたいな物を付けた恐らくは男の姿。

「あひゃひゃぎゃぎゃあああああああ」

 絶叫が間近で聞こえたので、辛うじて動く首を回し見た光景は――――


 瀬上一郎がそこにいた。彼は叫んでいたが、それは奇妙な表情だった。全身から夥しい出血をしているにも関わらず、そこに浮かんでいるのは”恍惚”。ボトリと何か肉の塊の様なモノが手術台の脇に置いてある容器に入れられた。それは間違いなく瀬上一郎の心臓。

 まだ、ビクビクと脈動していて、それがたった今抜き取られたのだと理解出来た。

「う、うえへへへへへっっっっっ」

 瀬上は心臓を抜き取られたにも関わらず、愉悦に満ちた表情のままだった。さらに”手術”は進み、肝臓、脾臓、腎臓と次々とどす黒い色の血にまみれた臓器は容器に入れられる。

 ふと、井藤と瀬上の目が合った。その目には麻薬中毒の患者のような濁り入っており、正常な思考が残っているとは思えなかった。

 最後に脳を取り出され、瀬上一郎はやがてピクリともしなくなった。


 ただの肉の塊になった瀬上は、さらに解体されていく。それはまるで、小さな子供が面白半分に昆虫をバラバラにするように。無邪気な残酷さを井藤に与えた。


 男は井藤の身体をじっと見ていた。マスクのせいで表情は伺い知れなかったが、小刻みに全身が震えている。それは恐怖ではない。ワクワクしているのが理解出来る。

(こんな奴に黙って殺されてたまるか)

 そう感じた井藤は「おい変態野郎」と叫んでいた。

 防毒マスクの”解体者”は首を横に傾けた。

「俺を殺したきゃさっさと殺すんだなっっ、俺が警察なのは分かってるだろう? 警察はな、身内をやられるとしつこいぜ、俺みたいな下っ端でもあんたにここまで近付けたんだ。

 アンタが誰かなんてどうでもいい、だってどうせ捕まるのが目に見えてるんだからなッッッ」

 苦し紛れの足掻きである事は重々承知していた。それどころか、寧ろ相手に不要な怒りを買わせ、無惨に殺されるのだろう。それでも――――。

 解体者は何も云わずに手を伸ばす。奇妙な事に返り血を浴びて真っ赤な全身とは違い、その手には全く血がついておらず、それどころか石鹸で洗ったような清潔感さえ感じた。

(どうでもいいことだな。どうせ殺される訳だし)

「さっさとやれよ変態野郎!!!」

 すると解体者の手が井藤の腹に触れるとそのまま”ゾブリ”と気味の悪い音を立てて身体の中に入っていき――――。そこで意識が途切れた。




「お、おい大丈夫か? しっかりしろよアンタ」

「え、うぅぅっっっっ」


 井藤が目を覚ますと、さっきの手術台の上だった。

 恐らくは麻酔のせいだろうか、身体がダルい。傍にいた男の手を借りてようやく起き上がる。

「あ、何で僕は…………?」

 周囲を見回すとそこには十人程の男女がいた。彼らの服装はまちまちで、何かしらの組織では無さそうだった。

「アンタ、運が良かったんだよ」

 その声には聞き覚えがあった。ぼやける目を擦って傍の男を見る。

 それはあの居酒屋の主人だった。服装がこの前の店の時とは違い、グレーのスーツ姿だったのでさっきは咄嗟に気付けなかった。

「俺たちが【奴】の居場所を掴んだのに気付いたらしくてな、アンタをここに放ったらかしたまま逃げたみたいらしいな」

「アンタら何なんだ?」

「……井藤刑事」


 その声に井藤はいよいよ混乱した。ゆっくりと歩いてくるのは間違いなく彼の上司である菅原部長その人。井藤が呟く。

「こ、これは一体?」

 菅原部長が問いただす。

「君はこの事件をどう見ている?」

 井藤はどう言えば良いのか分からなかった。あの解体者の手口は口で言って理解出来るものだとは思えなかったから。

「口で言っても分かってもらえるとは思えない……当然だな」

 菅原はそう言った――まるで井藤の考えそのままに。

 思わず、井藤は上司に身構える。得体の知れない何かを本能的に感じ取ったとでも云うべきか。菅原の温厚そうな顔にこれまで見たことの無かった”陰”の様な物を感じた。

「君がこの状況に困惑し、警戒するのも分かる。だが、これだけは信じてくれ――私達は君の味方だと」

 菅原の言葉を一言一句ゆっくりと噛み砕く様に井藤は反芻した。

 そしてゆっくりとその顔を見る。すると、菅原が口を開いた。

「奴は、我々の間では”解体者ブッチャー”と呼ばれている。ハッキリとした素性は不明だが、殺し屋であることは間違いない」

「ちょっと待って、奴の事を知ってたんですか?」

「ああ」

 菅原はさも当然のように答えた。井藤の中で不信感が一気に膨れ上がる。あの異常な殺人者をこの場にいる人間は既に知っていた。にも関わらず、犠牲者が増えるのを黙って見ていた、そう受け取れた。

「井藤刑事、落ち着きたまえ。では君に聞こう。

 何故、君は瀬上一郎を疑った?」

「それは……」

「瀬上一郎は軍事転用可能な機密情報を持ち出していたからだと読んだからだろう? では何故彼の妻が殺されるのだろうか?」

「え? それは」

 井藤は答えに詰まった。連続殺人の共通点は間違いなく、夫達の勤務先の軍事技術流出だろう。だが、それなら何故妻が毎回死ぬ必要があったのか? しばらく考え、出た答えは。

「妻が軍事技術を流していたからなんですか」

 井藤の問いかけに菅原は一度大きく首を縦に振った。

「ハニートラップだよ。他国の工作員が敵国の先端技術を盗み出す為に研究員に近付き、情報を抜き出し――本国に流す。よくある手段だよ。夫が行方不明になるのは、容疑者に仕立てあげるのに都合がいいからだよ」

 井藤はこの一連の事件が想像以上に深く、暗い世界に繋がっている事を感じ、気分が重くなるのを感じた。

「部長、あなた方は一体?」

 井藤は絞り出す様にそう尋ねるのが精一杯だった。菅原が答える。

「我々は”防人さきもり”。ブッチャーの様な異能者を狩るための集まりだよ」

「防人…………」


『防人、か。初めまして』


 その声は突然だった。変声機ボイスチェンジャーを使っているのか不自然に甲高い。そして、井藤の口から発せられた。

「お前は?」

 菅原が驚愕した。井藤の”中に”何かがいるのが分かったのだから――そしてその事に当の本人が気が付いていない事にも。しかも、異常には感じないのか「どうしたんです?」と聞いてくる始末だった。

 その声はなおも続く。

『こっちも興味があったんだ。ここ数年間、こちらを追いかけ回す連中の顔にな。成程、防人ね』

 話し振りこそ興味津々そうだが、不自然さは拭えない。居酒屋の主人――小林が背後から近寄る。それに気付かせない様に菅原は【相手】に問いかける。

「お前がブッチャーだな?」

『えぇ、そうですよ』

 相手は即答した。

「何故こんな事件を起こす?」

『何故? アンタ方もこちらと”同類”なんだろ?』

「…………そうだ」

 苦々しい表情で菅原が返す。

『なら分かるだろう、凡人を超越したこの”力”を使ってみたいって。それから、この男にいるのはこちらのほんの一部。捕らえても意味は無いのであしからず。では、さようなら』

 まるで、電源が落ちたかの様に声は途切れた。

「部長、何があったんですか?」

 井藤は状況が把握できないらしい。小林が背後から羽交い締めにして制圧する。

(おかしい? あまりに簡単すぎる)

 菅原はこの状況に違和感を感じた。相手は井藤刑事を殺さずにここで自分達を待っていたと答えた。何故?

(ブッチャーは身体に外傷を付けずに中身を取り出せる――取り出せるなら、残すことも出来るのか――!)

 菅原は何が起きるのかに気が付いた。「離れろっっ」その叫びに防人の仲間が素早く反応した。ただ一人、小林を除いて。


 ピカッとした閃光がこの”地下室”を包み込んだかと思った瞬間、ゴオォォォォォンと轟音と共に爆発――井藤の身体は風船のように弾け飛び――――”映像”は途切れた。




 ◆◆◆




「……これが十年間前の」

 絞り出す様に青年は言った。

「そうだ、”ブッチャー”と我々の初遭遇だ」

「このクソヤローはまだ死んでいないのですね?」

 青年は怒りに満ちた声で上司に視線を向ける。

「そうだ。奴はあの後も各地で同様の手口で殺しを行い、全ての事件が未解決だ」

「何故この映像を私に見せたのですか?」

 青年が”組織”に入ったのは三年前の事。三年前、彼は自身の力に気が付いた。そしてその力に怯えた。

 そんな中、助けてくれたのが組織だった。十年間前はまだ規模も小さく、自警団レベルでしかなかった集まりは、今や世界中にその支部を持つ巨大な組織に変貌しつつあった。


 少しの間を置いて、上司が言う。

「我々の支部を”九頭龍くずりゅう”にも設立する。

 君にはそこの指揮をとってもらいたいと考えている。

 あの映像を見せたのは、ブッチャーが今、九頭龍に舞い戻っているからだ」

「奴が九頭龍に?」

 青年の目が僅かにギラつく。

「受けて貰えるか? 井藤君」

 青年、つまり井藤謙二いとう けんじは上司をまっすぐに見据え――

「了解しました」

 と答えた。




「良かったのですか?」

 井藤が退室した執務室で秘書が尋ねた。

「私は後悔しているんだ、十年間前、人手不足は云え、一般人だった井藤君を囮にした事にね」

「十年間前の私達は今よりずっと弱かったのです。仕方が無いかと」

 その言葉は事実だった。それが彼を――菅原を苦しめた。自分達の未熟さに、悔いが残る。井藤謙二が力に目覚めたと聞き、迷わずに組織に引き入れたのも、井藤刑事の無惨な死に責任を感じたからだ。

(だが、結局私はまた井藤君を送り出した。死地になるかも知れない場所に)

 思わず組んだ手にも力が入った。

「死ぬなよ、井藤支部長」


 そう、菅原日本支局長は空を見上げながら呟いた。


 組織の名称がワールド・ガーディアンつまり”WG”と決まったのはこの直後の事だった。













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