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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

わすれかた

作者: NIRALEVA

 やぁ、こんにちは。

 それともおはよう? こんばんはの時間かな?


 まぁそんなことはどうでもいい。 挨拶っていうのは大事なものだからね。

 第一印象にかなりの影響を与えるものだと思う。


 さて、君とははじめましてなのか、久しぶりなのか、また会ったねなのかも分からないが、今回は「忘れる方法」について話そうと思う。


 なんだそんな事、って思わなかったかい? そう思わずにまぁ聞いてみてくれ。


 例えば「忘れたくない」と願うほど、嬉しい、あるいは悲しい出来事があったとしよう。

 感情や年月、そういったものはとりあえず置いておいてだ。

 そう願った場合、その出来事は覚えていられると思うかい?


 私は大抵の場合、覚えていられると思う。

 流石に忘れる日がない程、四六時中考えている程、とまではいかないまでも、かなりの年月が経ったとして、思い出そうとしたとき。

 割と容易に、その出来事は思い出せるはずだ。


 じゃあ逆に、「忘れてしまいたい」と願うほどの出来事があったとしよう。

 そう願った場合、その出来事は忘れられると思うかい?


 私は大抵の場合、忘れることが出来ないと思う。

流石に忘れる日がない程、四六時中思い出してしまう、とまではいかないまでも、かなりの年月が経ったとして、ふとした拍子に。

 割と容易に、その出来事は思い出してしまうはずだ。


 全く正反対に思える、「忘れたい」という考えと、「忘れたくない」という考え。

 この二つには、とある共通点があるんだ。


 それは何かって?

 深く考えすぎないほうがいい、これはちょっと考えてみれば誰でも気付くようなことだから。


 答えは双方共に、忘れたい、忘れたくないと願ってしまうほどに、その出来事が印象深いってことなんだ。

 割とシンプルな回答だろう? それでいて納得が出来る、そんな共通点だ。



 ここまで話せば、私が話そうとしていることに興味を持ってくれたかな?


 そう、私が今回話すのは「忘れる方法」。

 先に述べたことを考えてみると、簡単なように思えて、案外難しいことなんじゃないか、って思わないかい?

 「忘れたい」と願っても、「忘れたくない」と願っても、結局は覚えていてしまう。

 完全に忘れることって、難しいんじゃないか、って。


 ふふ、これも余り深く考えすぎちゃ駄目だ。 こちらの答えも割とシンプルなものなんだよ。



 そうだな……ヒントを一つ。


 君が普段生活していて、完全に忘れてしまっていること、を思い出してみてくれ。



 ……これも難しそうかい?

 なぁに、言葉そのものに惑わされているだけさ。

 忘れていることを思い出せ、なんて、何か無理難題を押し付けられているような感覚を覚えるだろうしね。


 じゃあ、回答を導き出すお手伝いをしよう。


 君は煙草を吸ったことがあるかい? いや、あってもなくてもどっちでもいいんだ。

 君自身が吸ったことがなくても、君の周囲にいる人が吸っていたこともあるだろう。


 吸ったことがあるとして、例えば「初めて吸った煙草の銘柄を覚えているか」と尋ねたら、案外覚えている人は多いかもしれないね。

 じゃあこういう質問はどうだろう。


 「初めて吸った煙草の煙、その煙草の銘柄を、煙の匂いから思い出せるか」。


 そう、君自身が吸ったわけじゃなくてもいい。

 誰かが側で煙草を吸ったとき、外食中に喫煙席の近くに座ったとき、外を出歩いていて吸っている人とすれ違ったとき。

 かなり数多くの機会はあったはずだ。

 それらの中から、初めて嗅いだ煙草の煙の匂いだけを頼りに、銘柄を思い出せるかい、って事だよ。



 無理だと思わないかい? 正直私だって不可能だと思う。

 だってそんなもの、完全に「記憶しよう」という意識の中に入っていないからね。


 日常の中で遭遇しているのにも関わらず、誰もが「どうでもいい」と判断し、記憶しようとする事すら忘れていること。

 そういったことが、割と沢山あるものなんだよ。


 答えはもう分かったかい?

 「どうでもいい」と判断することなんだ。

 そうすることによって、どんなに嫌で仕方のない記憶で、印象が強くて忘れたくても忘れられない記憶でも。

 忘れてしまうことが出来るんだ。


 それが「忘れる方法」なのさ。




 まぁ、それが分かったところで、実際にそうするのはかなり難しい。

 というより、それが本当に可能なのか?とさえ疑ってしまってもおかしくないだろう。


 だけど、可能なんだ。 これだけは言い切れる。


 論より証拠、この私自身が、そうやって「忘れる方法」を使って、様々なことを忘れることに成功している。

 何を忘れたかって・・・、はは、思い出せるわけないじゃないか。

 私にとっては、もうそれらの記憶は「初めて吸った煙草の煙」なのさ。




 そう、例えば……かつて、私に友人という存在があったとき。


 ほんの些細な出来事から、言い争いになってしまうことって、よくあるんじゃないかい?

 例えば、友人に他人を引き合いに出されて叱責され、後日自分が他人を引き合いに出すと、それは良くないことだと叱責された。

 そんな矛盾に気が付き、納得することが出来ず、言い争いに発展する。

 そういったことに似たような出来事が起因して、仲が悪くなってしまうことがあるだろう。

 しばらく経って仲直り、で解決すれば問題はないだろうが、どうしても譲れない一線に関わる争いの果てに、縁を切ってしまう友人もいるだろう。

 そうなってしまったときに、どうしても印象深い出来事になるだろう。

 そんな奴のことなんて思い出したくもないのに、ふとした拍子に思い出してしまって不快になることもある。


 かつての私もそうだった。

 だからこの方法で、私の記憶から、その友人という存在を「どうでもいい」と判断することにしたんだ。

 判断してから、記憶の中できっちりとそういう「記憶の分別」が行われ、終了するまでは多少の時間がかかる。


 でも、私は忘れることに成功した。

 何かの拍子に忘れようと考えた友人がいた、という事実だけは記憶にあるが、その友人の名前も思い出せなければ、顔も、性別すら思い出せない。

 勿論、何が原因で忘れようと思ったのかすらも思い出せない。

 一旦忘れてしまうと、案外そんなものなんだ。



 この「忘れる方法」の感覚を一度覚えてしまえば、あとは割と簡単でね、しかも便利なんだよ。

 自分が思い出して不快に感じる記憶を、片っ端から忘れてしまえばいいんだからね。


 思い出す記憶が、徐々に全て素晴らしいものになっていくんだ。

 過去を振り返ると、良いことばかりが思い起こされる。

 そんな状態、なんだか人生得した気分になると思わないかい?



 例えば、かつて私に目というものがあったとき。


 様々な美しいものを見てきた。 だが同時に醜いものも見てきただろう。

 そういったものも、選別することができるんだ。

 印象深い光景を思い出し、それに不快感を感じたら、忘れてしまえばいい。

 すると選別していくうちに、思い起こせる光景が全て、美しいもので満ち溢れるんだ。

 まるでこの世界がそうであるかのように。

 そんな状態、なんだか自分が別世界の人間になったように感じると思わないかい?



 例えば、かつて私に手足というものがあったとき。


 その足で色んな場所を歩き、その手で色んなことをした。

 でも、その全てが良いことではないだろう?

 中には犯してしまった過ちもあったりするはずだ。 それらを選別し、罪の意識のある行動を忘れてしまう。

 するとどうだろう、自分自身がまるで神の生まれ変わりのような、素晴らしい行いの数々のみをしてきた人間に思える。

 出会ってきた全ての存在が、自分に良い印象を持っているだろうと。

 そんな状態、なんだか神々しいまでの善人になったように感じると思わないかい?



 例えば、かつて私に感覚というものがあったとき。


 色んなものの触感、香り、味、音……、本当に数え切れない程の経験をしてきた。

 勿論、その中には不快な感覚もあっただろう。 ……そう、それも選別するんだ。

 記憶の中から不快な騒音が消え、悪臭はなくなり、触れるもの全てが心地よく、口にするもの全てが美味。

 そんな状態、なんだか自分は楽園の住人なんじゃないかって思えると思わないかい?




 どうだろう、ここまで話してきたけども。

 この「忘れる方法」、体得してみたいと思わないかい?

 何もかもが素晴らしい世界に、徐々に変わっていくんだ。



 私には君がまだそこに居て、話を聞いているのかもわからないし、今の時間もわからない。 動くことすら出来ない。

 この話をしている間、実は大勢の人が話を聞いていたかもしれないし、単に誰もいない場所での独り言だったのかもしれない。


 今となっては、私が何故何も見えず、動けず、何も感じることが出来ないのかも。

 そんなことも、もう「どうでもいい」んだ。


 そもそもこの話も、本当に声になっているかどうかも分からないしね。



 そうなると、これは私が単に考えているだけのことなんだろうか。

 私はしゃべることは出来るのか? それすらもわからない。



 ……これは困ったぞ、今まで生き甲斐としてきた、しゃべるという事が疑問に思えてきた。

 もし、これが声にすらなっていないとしたらどうだろう。

 人であったという記憶はある、だからこうして様々な記憶も思い出せる。

 だから、私が人であり続けるために、しゃべり続けてきた。

 それらがもし、無駄な努力だとしたらどうだろう。



 ……この感覚は不快だ、忘れてしまおう。


 しゃべる事を……いや、もうこれが最後の生き甲斐だった。

 そうだな……もう、人であることを忘れてしまおう。





 もう、「どうでもいい」。

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