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取り替え子

作者: apto117

 酔客の話は、とりとめのないことばかりだ。自身の酒の勢いも手伝って、話がどんどん流れていくように感じる。ある時、聞いた話を思い出そうにもうろ覚えで、またその話を聞いた相手もたまたま同席しただけの相手で……。すると、本当にその話を聞いたのか、夢だったのではないか、そんな気持ちにもなってくる。ひどい時には、自分が聞いた話なのか、自分が体験したのか……それすらもわからなくなってくる。年をとるとこういうことが多いらしいが、聞いた話だと指摘されると言葉を通じて自分が乗っ取られたような気にすらなる。

 その正体を見極めようとすると、口内炎を舌で探るような、曖昧な作業になる。いつの間にか口の中に湧いた瘤を、不器用な舌先で突いて感じたところで気になるばかりで、意味などないのだ。



 私が今から話すことも、そんな話のうちの一つだ。



 その日、私が立ち寄った居酒屋はたまたま混んでいて、カウンター席に座ることとなった。すでに酔っていた私は、少し崩れて椅子に座り、適当なツマミと焼酎を頼んで飲んだ。隣を見ると、三十ほどのよく日焼けをしたワイシャツ姿の男。赤いネクタイを揺らしながら、串を横咥えしてハツを頬張っていた。

 頼みすぎたツマミを、良ければどうですかと言ったのがきっかけだったと思う。私は隣の男に話しかけていた。昔っから、酒を飲むと食えないくせに、ツマミを並べるのが好きなのだ。 

 カウンターに置かれた、マグロの山かけを見て、好物なんですよ、と彼が言う。箸で器用にわさびを乗せて、頬張り、一気にビールを煽る。


 快活な男だった。

 名前を、悠二というらしい。


 年は私のほうが随分上だったが、悠二は何か人に近づく才のようなものがある。年齢差を感じさせずに、私達は話にのめり込んだ。

 悠二は、気がつけば思い出話をするようになった。

 昔、魚が嫌いな友達がいましてね……、と。ポツポツと話すうちに、調子が良くなってきたのか、袖を捲り上げて時折ビールで口を湿らせながら、語り始めた。



 友達は、同じ団地に住んでましてね。名前を、優一って言うんですよ。悠二と優一、似てるでしょ? 学校は違ったんですけど、たまたま年も同い年で……、だからよく遊んでましたよ。俺は体が頑丈なのが取り柄で、見ての通り昔っから外で遊ぶのが大好きでね、夏休み明けなんて真っ黒に焼けてるから、よくからかわれたもんですよ。それに引き換え、優一は家の中で本でも読んでるようなタイプでした。色も白くて、背は同じくらいなんですが腕なんて女子より細くってね。両親は、それをよく思わなくって。本を読むのもいいけど、子供のうちに体を動かさないと……なんてよく言ってましたよ。だから、俺が優一を外に引っ張りだすようになって、すごく喜んでくれましてね。大したこともしてないのに、やけに嬉しかったのを憶えていますよ。

 優一はおとなしい性格で自分から友達を作ったりはしないようなやつでした。俺達は二人だけでキャッチボールだとか、釣りだとかをよくしました。何をやらせても下手だったんですけど、優一はいろんな事を知っていました。おかしいでしょう? ボールを投げたこともないくせに、変化球の投げ方は知ってるんです。俺が代わりに投げてやって、少し変化したら二人で大喜びしたりね。そういう関係でしたよ。

 うちの親もね、俺が騒がしい分、行儀よくしてる優一が可愛かったみたいでね。よくお互いの家に泊まりに行ったんです。どちらも夫婦共働きだったから、助かったんでしょう。小学生の時から、家族ぐるみの付き合いをしていましたよ。


 中学生になると、俺と優一は同じ学校に入学しました。


 俺と遊ぶ時以外、優一は相変わらず本ばかり読んでいました。俺も、その頃になると部活に入ったりして前ほど優一と関わる時間は減ってしまいました。俺は新しい友達とのことが忙しかったんですが、優一は小学生の頃と変わらず、休み時間は本ばかり読んでいました。

 あの頃、優一は外国のチェンジリング、という話にハマっていました。御存知ですか?


 急に話を振られたので、私は曖昧に首を横に振った。


 映画にもなったんですけどね、日本語で言うと【取り替え子】って奴ですよ。昔っから言われている、民話みたいなものなんですが、ある夫婦のところに可愛らしい子供が生まれる。その子は、みんなに大事に育てられるんですが、気がつくとそっくりな妖精の子どもと取り替えられる……。

 夫婦も、周りの人間もそれに気が付かないのですが、育てているうちに老人のような姿になったり、人の言葉ではないものを喋るようになったりして、その正体に気づくんだそうです。

 優一は、時折考えこんでは、「なんで連れ去らずに、置き換えるんだろう」と口にしていました。

 確かにそうです。日本でも、子供やお姫様が鬼に連れ去られる話はたくさんありますが、別の何かと交換される、という話はあまり聞きません。

 これには諸説あるようですが、中には、いなくなるよりも、代わりのものがいることでそれを見る母親が苦しむようにした、という話があります。確かに、だんだん自分達には似ても似つかない姿に成長して、手の付けられないようになっていくと、親としても苦しむでしょうね。



 部活で忙しくなっても、俺は時折優一の家に呼ばれて食事を一緒にしました。

 優一の家の食事はいつも豪華で、俺はそれがとても嬉しかったんですよ。優一のお母さんが、「ユウ、あなたの好きな刺身をたくさん買ってきたのよ」なんて言って、何種類もの魚が並ぶんです。ウチは、それほど裕福ではなかったので、量だけは多くて、腹いっぱい食べれる飯でしたから、それがなんとも嬉しくてね。それでいて、優一は「母さん、僕、生魚は苦手なんだよ」なんていっつも言っててね。おかしいでしょう。母親は母親で、「あら、そうだっけ?」なんて呑気なものでね。終いには俺一人で食べちゃうんです。あのくらいの年って、食べても食べても腹が減るでしょう。だから相当食ったと思うんですけど、ふたりともニコニコして、また来てね、って言ってくれるんですよ。


 一息にそこまで話し終わると、悠二は濃い目の味がついた肉じゃがの芋と肉を箸で掻き掴んで食べた。悠二の年は、三十くらいだろうか。なるほど、太っているわけではないが骨太で背も高い。筋肉がワイシャツを盛り上げるシルエットを見ていると、私のような枯れた人間からすると羨ましい。この男の成長期なら、そうとう賑やかな食卓になったろう。

「あ痛っ、いたたた」

 悠二が胸を分厚い掌で抑えて、顔を歪めた。体を折って、ゆっくりと胸を擦る。どうしたのかと聞くと、胸の瘤が最近痛むのだという。彼が指差すところを見ると、消しゴムほどの大きさの盛り上がりがあった。

「昔事故でね、怪我しちゃったんですよ。幸い移植で何とかなったんですが……、時折、こうやって痛むんです」

 額にうっすらと汗が浮かび、焼けた肌の上で玉になった。濡れたビールジョッキを掴み、薬を飲むように喉を鳴らす。怪我にさわるんじゃあないのか。と聞いても、悠二は頭を振った。

「すぐに治ります。……少し、話の相手をしてもらっても構いませんか? 気が紛れると、楽なんですよ」

 それはいいんだが、と私は答える。

 どうせ明日は休みなのだ。今日は深酒をしても構わない。

 焼酎のおかわりを頼んでいると、だいぶ良くなったのか悠二がまた話し始めた。


 神経瘤って言うんですかね。

 この、胸のコブのことなんですがね。どうにも、中には神経が詰まっているらしいんです。異常に増えた神経のせいで、盛り上がってるんですね。なにせ、神経だもんで、時折こうやって痛むんです。医者に行けば良いんですが、なにせ、怪我の手術の時に医者に散々な目に合わされたんでね、医者嫌いなんですよ。いや、これは元からかな。ハハッ。


 そうそう、神経といえば、優一は虫の話も好きでね。

 虫、お好きですか? あぁ、そうそう。大人になると不思議と触れなくなるんですよね。俺も大人になると、てんでダメですよ。カブトムシなんて、大きなゴキブリにしか見えない。

 それで、虫なんですけどね、あいつらの脳味噌って、どうなってるか知ってます?

 もちろん、一寸の虫にも五分の魂って言うように、虫にだって脳味噌くらいあります。でも、やつらは脳味噌だけで考えているんじゃないんですよ。じゃあどこで考えていると思います? 実は、神経で考えているんですよ。バッタなんかは、足の付根に神経が毛糸玉みたいにこんがらがった所があるんですって。そこで、足の動きを制御している。足の付根にあるから、脳味噌で考えるよりも早く、足を動かすことができる……だとか、ね。

 優一はしきりに感心してましたよ。僕は悠二みたいに力瘤はないけど、神経瘤が作れれば、早く走れるぞ! ってね。結構無邪気なところもあったんですよ。


 痛みも、だいぶ楽になって来ました。

 せっかくだから、まだ少し話をさせてください。

 お酒、まだあるでしょう?

 

 中学二年生になると、思春期っていうんですかね。俺も優一も少しずつ変わって来ました。なんて言うんですかね、あの時期って、やけに人を傷つける行動が増えるじゃないですか。親に反抗したり、悪ぶったりするのがかっこよくなったり。俺達は、そういう時期だったんでしょう。

 優一との関係は変わらず、付かず離れずでしたが、時折彼の言葉にトゲを感じるようになりました。今まで俺が何かをすると、褒めてくれた優一はなんだか、はっきりしない言い方をするようになりました。凄い凄いと手を叩いて褒めてくれたのが、「いいよな、悠二は」と最後まで言う前に、言葉を終えてしまうんです。俺はそこに違和感を感じてはいたものの、そんなに考える頭もなく、過ごしていました。


 その日は部活が午前中までで、学校帰りに優一の家に遊びに行ったんです。部活の荷物を玄関に置いて、リビングに入るとそこには優一のお母さんが作ってくれたご飯と、ビリビリに破かれた紙がありました。いつもチリ一つなく片付いている家なのに、その紙はその辺に散らばっていて、優一を呼んでも、部屋にもいないし……。俺は、その紙をつなぎあわせてみたんです。

 紙は、手紙でした。なんてことない事でしたよ。

『ご飯を作っておきました。悠二くんと食べてください。おにぎりは、あなたの好きな具にしておきました』

 ってね。

 机の上には、玉子焼きとか、ウインナーとか、コンソメスープとか、そんなものが並んでいました。

 おにぎりだけは腹を空かしている俺のために大皿に盛っていて、俺はそれをつまみながら優一が帰ってくるのを待ちました。なにせ、学校で思いっきり汗をかいて、腹も減らしたところです。いつの間にかすっかり飯を食ってしまって、寝てしまいました。目が覚めたのは、夕方……五時くらいだったでしょう。


 ソファーで横になっていたんですが、気がつくと薄暗い中に優一が立っているんです。

「どこ行ってたんだよ」

 俺は、優一に聞きました。

 こもりがちな優一は、学校か俺と遊ぶ以外で、殆ど家の外に出ることなんてなかったんです。

「考え事をしてたら、こんな時間になっちゃった。もっと早くするつもりだったんだけど」

 優一の後ろ、窓の外を見ると空が赤く、まだ遊べるぞと思いました。

 悠二、遊びに行こう。と優一も言うので、俺は目をこすりながら外に出ました。


 案の定、外は少し暗くなっていましたが、キャッチボールなら出来ました。俺達は、団地の駐車場で野球ボールを投げ合っては、学校のことを話しました。先生のこと、部活のこと、授業中の話……あの頃は、なんでもやたらむやみにおかしく感じるもので、ケラケラ笑うと、玉がそれて、拾いに走りました。

 車の音がするね、と優一が言いました。

 遠くで、エンジンの音がするのです。

「僕は、ずっと自分の部屋の窓から見ているから、この団地の人の車が来たらわかるよ。今のは、向かいの棟の山根さん。……、これは、赤城さんの車だね。悠二のお父さんの車だって、分かるんだよ」



 ここからは、後で聞いた話なんですけどね。

 悠二はここで話を一旦切った。煙草を取り出し、火をつける。セブンスターの甘い香りがして、溜息の煙が流れる。痛みを紛らわす話の割りには、噺屋がやるようにゆっくりと溜めて、口を開いた。



「気がつくと、俺は病院で寝ていました。全身包帯ぐるぐるで、あちこち点滴やら、酸素チューブで繋がれているんです。体中痛くて痛くてね、パニックになったところに親やら看護婦さんやらがやってきて、事情を教えてくれましたよ」


 あの日の夕方、どうやら俺と優一は車の前に飛び出したらしいんです。 

 二人揃って車に轢かれて、病院に担ぎ込まれたんです。


 ただ、違ったのは打ちどころです。俺は腹やら胸を強く打ったんですが、優一は顔を車に潰されたらしいんです。俺は虫の息だったんですが、優一は完全に、頭を、脳をやってしまったんです。いわゆる、脳死の状態です。

 その後、しばらくゴタゴタしたらしいんですが、俺の内臓もどうやら助からないらしいことがわかったんです。脳死と内臓……、そうです、俺は優一から、臓器提供を受けたんです。あれって、十二歳以上であれば誰でも臓器提供できるんですね。優一の家庭って、真面目だからそういう話をきちんとしてたそうです。もし誰かが必要としてたら、その臓器を他の人間に譲り渡すって……。

 後で優一のお母さんが泣きながら、「あなたが助かってよかった」って泣いてくれましたよ。

 背格好が似てたのか、血が似てたのか。幸い俺と優一の臓器はすっかり馴染みました。

「気がつけば一年が過ぎて、俺はなんとか退院して、今に至る……って感じですね」


 吸い終わった煙草を、灰皿ですり潰して悠二が笑った。

「不思議なもんでね、この話をすると痛みがスーッと引くんですよ」

 ニッと笑った顔に、なんて言っていいのかわからずに、私は自分の焼酎のグラスと悠二のジョッキをかつんと合わせて乾杯をした。

 決して、楽しんで聞く話ではないが、私は最後までこの話に聞き入ってしまったのだ。

「さァさ、飲みましょう。こんな話は辛気臭くなっていけませんよ」

 自分で振ったくせに、この男はこんなことを言う。


 そうこうしているうちに私の意識は途切れる。酒の飲み過ぎだろう。気がつけば家のベッドで寝ていて、起き出すと妻に飲み過ぎだと怒られた。時計を見るともう昼近くで、その割にちっとも酒が抜けていない。


 どこかでぶつけたのか、深酒が原因なのか。唇の裏に口内炎ができていた。舌の腹で舐め取りながら、昨日のことを思い出す。不思議なことに、悠二の顔をろくに憶えていない。酒を飲んだにしろ、かなりの時間話したはずなのに。


 悠二の言葉だけが再生される。


 入院中、退屈だったんで優一の本を沢山もらったんですが、これがまた面白くてね。今まで、自分で本を買うことはもちろん、教科書以外開いこともないような子供だったのに、貪るように読みましたよ。病院を退院すると、今まで以上に優一のお母さんと仲良くさせてもらいました。なにせ俺は、一人息子の形見のようなものですから。優一の分も合わせて、二人分可愛がってもらいましたよ。

 僕はね、そう考えると幸せ者ですよ。

 事故が起こって、初めて、自分自身に成れたっていうんですかね。

 今まで居場所がなかったのが、ぴったりハマったって言うんでしょうか。落ちつけたんですよ。優一がずっと気にしてた、あの取り替え子の話も、今なら腑に落ちます。優一は自分のことを気にしていたんでしょう。自分が、両親の子供じゃなければと……。本当は、別の誰かの子供で、だから親とうまくいかなくて……。本当の親のところへ帰れば、きっと、幸せになれると思っていたんですよ。

 バカなやつですね。あんなにいいお母さんなのに。

 まぁ、彼が出来なかった分、僕がお母さんのことを大事にしますよ。



 まともに働かない頭で、リビングのテレビをつける。

 テレビでは、暇な主婦向けに夕方の番組の宣伝が流れていた。

 海外で、臓器提供を受けた人間の再現ドラマだ。その男はアメリカ人で、生粋の無神論者だったらしい。が、病気で臓器移植をしてからは、性格がまるで変わって、経験なクリスチャンになり、さらには習ったこともないドイツ語をペラペラ喋るようになったという。

 そこで、臓器提供者を調べてみたところ、提供者がドイツ人のクリスチャンであった事がわかる。


 理由は定かではないが、人間もどうやら脳だけでものを考える訳じゃないらしい。

 肉体の何処かに、心が宿っているのだ。

 昆虫だと、それは神経の玉で行われていると、悠二が言っていた。

 それを移植することで、人は心を他者に植え付けることができるのかもしれない。

 死んだドイツ人の信仰心も、まったく無関係だったアメリカ人の中で蘇るのだ。



 あれから、気が向いたら悠二とあった居酒屋に酒を飲みに行くようにしている。悠二とは一度も会っていない。会った所で、顔も憶えていないのだが。口内炎はすっかり治ってしまった。唇の裏を舐めても、その痕すら残っていない。悠二の胸の瘤は治るだろうか。いや、彼はあの瘤を医者で切り取ったりはしないだろう。もはや彼にとって切り離せないものなのだから。

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