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椿とは、その後、少し授業の話なんかをして別れた。
正直、私はもう気もそぞろだった。
自分の醜さを改めて見せつけられて。
このままでは、二倍速く進むことなんて出来ない。それどころか、世界に置いて行かれる。
がんばらなくては。
そう思っていた私の意識を揺さぶったのは、やっぱり志田君だった。
いつもよりも気合いをいれて勉強していた夜。ケータイが震えた。
その振動に驚き、文字が歪んだ。
志田君からの、電話だった。
一つ深呼吸し、震える手で電話にでる。
「もしもし?」
『あ、桜子さん? おつかれー。ごめんね、今、大丈夫?』
本当は大丈夫ではなかった。勉強も丁度乗って来ていたところだったし、椿とあんな話をした後だ。緊張していた。変に志田君を意識してしまっていた。
それでも、私は平静を装う。
「ええ」
『ごめんねー、手短に。あのさ、合コンとか興味』
「ありません」
被せるように否定した。
合コン? 私に?
「電話かける先、間違えていません?」
思わず確認してしまう。彼は私が合コンに興味があるなんて、思ったのだろうか。
『だよね、そうだよね。そういうと思った。でもごめん、明日時間とってもらえませんか、奢るから、お詫びに』
電話の向こうの彼は、いつになく真剣そうな声色だった。
少し悩んでから、
「理由を」
弁明を求める。
『あのですね、いつも世話になっているサークルの先輩がいるのですが』
「どの?」
色々なサークルに顔を出している彼に問うと、
『ミステリー研究会』
私が一番彼らしいな、と思っていたサークルを答えた。
「ええ」
『その先輩が合コンをやりたいといいだして。それで、出来ればその、呼んで欲しいと。桜子さんを』
「それ、どういう意味ですか? 噂のミス・ローヤーを見てみたいと?」
皮肉っぽく、唇が歪むのが自分でもわかる。
『否定はできないっす』
志田君は素直に自供した。彼のそういう、正直なところはとても好感がもてる。その、友達として。
『あ、でも、桜子さんミステリ割と好きじゃん? 高校のときの話とかしてたら、興味をもったっぽいっていうのもあるので、ミス・ローヤーとしてっていうだけではないかと』
「なるほど、鉄の才女として?」
『あー』
志田君が唸る。少し、いじめ過ぎたか、とも思う。でも、いつも私がどぎまぎさせられているのだ。これぐらいの意趣返し、許されるだろう。
「それで、そのお世話になっている先輩が、私を呼んで欲しいと言ったのですね? そしておおかた、安請け合いしてしまったと」
『……そのとおりっす』
電話の向こうの気落ちした声。
『だめだよねー? やっぱり』
伺うような声色。
少しだけ、口元が緩む。
やはり彼はずるい。私が彼の頼みを、断れるわけないのに。
「合コン、なんていう形は嫌です。あくまでも一緒にお茶をするぐらいなら。それから、私夕飯までには帰りますので」
『夕飯までってはえーよ、高校生かよっ!』
「いやならやめます」
『うわわわ嘘です嘘です、ありがとう。本当ありがとう!! さすが、桜子さんっ!』
電話の向こうでの、テンションの高い声。
ほんの少し、いじめたぐらいがなんだっていうの? いつも破れるのは私の方。私は彼に勝てない。
安請け合いしてしまったと、後悔するのはすぐだった。それでも。
私は志田君の頼みを断れない。
掘れた弱み? いいえ、違う。大切な友達だから。ええ、きっとそう。
重い足取りで学校に向かう。
後悔でいっぱいだ。
特別めかしこむのがいやで、そもそもめかしこむような洋服を持っていないので、いつもと同じようなブルーのシャツにスキニージーンズ。
「桜子さんっ」
私を見つけた志田君が駆け寄ってくる。
「おはようございます」
「おはよう。今日、本当、ごめんね?」
両手を合わせて拝んでくる。ああ、だから、それはずるい。私がそれを、怒ることができるわけがない。
そんなこと、志田君は知る由もないことだろうし、知っていたら困るけれども。
「桜子さん、今日は何限まで?」
「三限です」
「じゃあ、三限終わりに学食でもいい? 一階」
小さく頷く。
「本当、ごめんね」
「もう、いいですよ」
彼があまりに深刻そうだから少しだけ笑う。
「でも、なんでも協力出来る訳ではないので。安請け合いには気をつけてくださいね」
あなたが損をする前に。
「うん、ありがとう。優しいね」
私が貴方に損させられることはありそうだけれども。
優しいね、の言葉一つで私の心を乱す貴方に。