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いつからだろうなぁ、と思う。検事になりたいと思ったのは。
それがいつから思っていることかはわからないが、ひとつだけ確かなことはそれが父の影響だ、ということだ。
新聞記者の父の取材の対象にいた、女検事。
父が記事を書くために持って帰ってきた資料をみて、小さかった私はとてもかっこいいと思った。
私があまりにもその人に陶酔しているので、ある日父は私とその人を会わせてくれた。
専業主婦である母は絶対にしないような化粧をして、母は参観日にだって着ないような黒いパンツスーツを着こなして、どこかぎこちなく、彼女は笑った。赤いルージュ。
「はじめまして」
差し伸べられた手に、あわてて自分の手を重ねる。やわらかく、握手。
なんだか、いいにおいがしたのを覚えている。
母と同じぐらいの年なのに、母とは全然違う。私とも違う。まったく別の生き物だと思った。
専業主婦をばかにしているわけではないし、母のことは大好きで尊敬している。それでも私は、この人みたいになろうと思ったのだ。
その印象だけは、強烈に残っている。
そこから、今まで走り続けてきた。
でも、実際、走っても走っても、ゴールは全然見えてこない。
でも、今日、その謎がとけた。
走っても走っても、周りも一緒に移動するから同じ位置にとどまっているのに過ぎないのだ。
置いていかれていないならば、それでいい。
でも、そしたら、どうやったら前に進めますか? 赤の女王様。
そんなことを考えながら授業を受けていたので、まったく頭に入ってこなかった。
しかし、いつもながら大半を先生の無駄話で費やした上に、この部分は既に独学で勉強しているのでかまわないが。
教科書の今日終わった部分に、今日の日付を書き込むと立ち上がる。
「桜子さん」
歌うように名前を呼ばれる。
「なんですか」
振り向かなくても誰だかわかる自分が疎ましい。志田くんがなんだか楽しそうに笑いながら
「一緒にご飯食べない?」
とんでもない提案をしてきた。
「なんで」
思わず素に戻って問いかけ、
「何でですか?」
あわてて言い直した。取り繕う、仮面は防衛本能。
「菊が遊びに来てるんだ」
「何故?」
「学校、休みだとかで。だから、一緒にどう?」
なにがどのように、だからなのかを、頭の悪い私にもわかるようにゆっくり説明して欲しかった。
工藤菊。私の中学時代のクラスメイト。見事に三年間クラスメイト。
まったく持って馬が合わず、体育祭やらなにやらで毎度毎度衝突していた。
中学を卒業して、もう会う事もないだろうと高をくくっていたら、何故かこの志田葉平のカノジョとして私の目の前に再登場した。
そんな彼女と志田君と、なんで私が一緒にご飯を食べるとお思いになるのだろう、彼は。
「邪魔じゃありません?」
ストレートに聞くのをやめ、わざと嫌みったらしく婉曲に聞いてみる。
「いや、別に? 桜子さん、菊に会うの久しぶりでしょ。話でもあるかなぁと思って」
全然ありません。
のどまででかかった言葉を飲み込む。
私は菊のことが嫌いだ。
けれども、それを他人にはあまり悟られないようにしている。
菊本人はわからないが、少なくとも志田君もが、私と菊は意見は合わないけれども、嫌いあってはいないと思っているようだ。志田君がそう思っているならば、なんにも問題はない。
「でも」
「菊がね、言ったんだけど?」
そこまで言われて断れるほど、私は世渡りが上手ではない。
「わかりました。ご相伴に預かりましょう」
唇の片端だけをあげる、精一杯の嫌味な笑い方にも、志田君は嬉しそうに笑った。ああもう、なんだかいろいろ反則だ。