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赤三角形のリーネ

 リーネはすごく純粋で真面目な子だった。


 賢者ノルンの記した成功ログをなぞれば、自分も必ず成功できるものと、一点の曇りもなく信じ切っていたのである。

 彼女にとって『下巻』は単なる本ではない。神の宣告であり、勝利への絶対的な方程式なのだ。


 そのためリーネは野外授業が始まるまでに、赤い三角形を大量に描きまくっていた。


 授業中、高名な教授が「魔法発動における精神的静寂の重要性」について滔々と語っている最中も、彼女のペン先は羽が生えたように動いていた。ただし、綴られているのは難解な数式でも格言でもない。

 ノートの隅から隅まで、几帳面に定規で引かれたような、真っ赤な正三角形の群れである。


「リーネ様、熱心にメモを取っておられますわね。さすがは公爵家のご令嬢、学ぶ姿勢からして格が違いますわ」

「おーほほほ! 当然ですわ。わたくし、常に『高み』を目指しておりますの」


 取り巻きの令嬢たちにそう言い放ちながら、リーネは心の中で(……これ、何百個描けばノルン様の境地に達するのかしら!?)と、半泣きで冷や汗を流していた。


 休み時間になれば、優雅にティータイムを楽しむふりをして、中庭の砂場に扇子の先で三角形を描く。

 放課後になれば、自室に引きこもって、最高級の羊皮紙が尽きるまで三角形を描き続ける。


 彼女の脳内は今や「赤」と「三つの頂点」で埋め尽くされていた。

 目をつぶれば網膜に三角形が焼き付き、食事をすればサンドイッチが三角形であることにすら神の啓示を感じる始末。


「見ていなさい……。このイメージトレーニングの成果、野外学習の場で完璧に証明してみせますわ。

 赤い三角形……熱い色……薪の爆ぜる音……。わたくしの指先から、伝説の紅蓮が解き放たれるのですわ!」


 鼻息荒く拳を握りしめるリーネ。

 だが、ここで一つの不幸なすれ違いが生じていた。


 実は、今回の野外学習における学校側のカリキュラムは、至極まっとうで、かつ初心者に配慮したものだった。

 野外学習の当日、生徒たちはキャンプファイヤーを囲むことになっている。

 パチパチとはぜる本物の火を間近で観察し、その温もりと揺らぎを直接五感で捉えることで、魔力による具現化の足がかりにしながら、発動の練習をする――という、初心者でもつまづきようのない、非常にやさしいアプローチだ。


 だが、その「野外学習の場で、初めて火を出す」という本番に備え、あらかじめ自力で火を出せるようになろうとしているリーネにとって、そんな「初心者のための救済措置」など思いもよらないことだった。


(ふふ……他の方々が、初めて火を出そうと右往左往している中で、わたくし一人だけが完成された焔を顕現させる。これこそがマークフレアの名にふさわしい「完璧」ですわ!)


 リーネの瞳には、もはや野外学習の風景など映っていない。

 彼女の視界を占めているのは、何千、何万回と反復練習を繰り返した、あの禍々しいほどに鮮やかな「赤い三角形」だけだった。


 彼女の純粋すぎる努力が、賢者の抽象的なアドバイスと衝突し、あらぬ方向へと加速していく。

 やがて訪れる野外学習の日。

 穏やかなキャンプファイヤーの集いは、一人の令嬢が研ぎ澄ませすぎた「三角形のイメージ」によって、誰も予想だにしなかった展開を迎えることになるのだが……。


 今の彼女は、ただひたすらに、美しく、そして鋭すぎる赤を紙の上に走らせ続けるのであった。


***


 そして、野外学習の日がやってきた。


 抜けるような青空の下、王立魔法アカデミーの生徒たちは、色とりどりの花が咲き乱れる高原へと足を踏み入れた。

 普段の教室とは違う開放感に、生徒たちは浮き足立っている。新調されたばかりの、糊のきいた魔法使いのローブが風になびき、あちこちで「わあ、すごい!」「見て、あんなところに珍しい薬草が!」と、賑やかな声が響き渡っていた。


 その喧騒のなかで、ただひとり。

 周囲の浮かれた空気から断絶されたかのような、異様なオーラを放つ少女がいた。


(……くっ、鎮まりなさい。わたくしの右腕……!)


 リーネ・マークフレアは、震える右手を必死に左手で押さえつけていた。

 数日間にわたる、数万回――いや、数十万回にも及ぶ「赤い三角形」の描画練習。その代償は、彼女の右手に「三角形の形にしか動かなくなる」という奇妙な痙攣をもたらしていた。


 指先を少しでも緩めれば、勝手に空中に鋭利な正三角形を描き始めてしまいそうな衝動。だが、リーネはそれを気品あふれる仕草で隠し通していた。


「リーネ様、大丈夫ですか? なんだか顔色が……」

「お黙りなさい。これは、高まりすぎた魔力が肉体の器を凌駕しようとしているだけですわ。……ふふ、ふふふふ」


 心配して声をかけたクラスメイトを、リーネは冷徹なまでのドヤ顔で一蹴した。

 その実、内心では(早く……早くわたくしの『究極の三角形』を見せつけたい……! この疼きを解放したい……!)という、もはや火の魔法を出すことよりも、三角形を描きたいという本末転倒な欲求に支配されつつあったのだが。


 会場となるのは、王都から少し離れた風光明媚な魔力の森のキャンプ地だ。

 初々しい魔法使いのローブに身をつつみ、「本物の火を出すなんて初めて!」「マシュマロ焼けるかな?」とわいわい騒ぐ生徒たちのなかで、三角形の書きすぎで痙攣けいれんする右手をおさえているのはリーネただひとりであった。


(……くっ、寝不足で目の下にクマができていますわ。ですが、これこそが努力の証。わたくしの脳内には今、ノルン様直伝の完璧な三角形が何千、何万とストックされていますの。準備は万端ですわ!)


 彼女はプルプルと震える右手を無理やりポケットにねじ込み、周囲を見下ろすような視線を向けた。


(さあ、わたくしの華麗な火の魔法を見て、ひれ伏しなさい! 公爵家の格の違い、そして天才の片鱗というものを、その目に焼き付けて差し上げますわ!)


 根拠のない自信と、一週間におよぶ迷走気味の修行が生んだ謎のハイテンション。ひとりだけ明後日の方向を向いてどや顔を晒すリーネは、ある意味で注目の的だった。


 そのとき――。

 穏やかな森の空気を切り裂くように、野太い排気音と魔力の爆ぜる音が響き渡った。


「ヒャッハァー! いいカモを見つけたぜぇ!」


 キャンプ地に、思わぬ闖入ちんにゅう者たちが現れた。

 ドクロの装飾が施された魔法バイクを乱暴に運転し、砂煙を巻き上げながら突っ込んできたのは、見るからにガラの悪い男たちだ。

 彼らは魔法を悪用して街道を荒らし回る、ならず者の魔導賊であった。


「おうおう! 貴族のガキどもが、お揃いの服着て魔法使いごっこかぁー!?」

「ちょうどいい、実戦を知らねえ坊ちゃん嬢ちゃんたちに、俺たちがカッコいい火の出し方を教えてやるぜぇー! ひゃっはぁー!」


 男たちは下卑た笑い声を上げると、バイクの上から次々と火の玉を投げ放った。

 ドォン! と地面が爆ぜ、焚き火用の薪が吹き飛ぶ。

 突然の襲撃に、先ほどまで浮かれていた生徒たちは「きゃあああ!」「助けて!」と悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。


 だが、混乱に陥るキャンプ地の中で、たったひとりだけ逃げない少女がいた。


(……この者たち、わたくしの野外学習という記念すべき晴れ舞台を、よくも邪魔してくれましたわね……!)


 それは恐怖ではなく、せっかく用意した「完璧な披露宴」に泥を塗られたことへの、お門違いな怒りだった。

 リーネは、痙攣する右手に全魔力を込めるように握りしめ、迷うことなく彼らの前に立ちふさがった。


「お待ちなさいッ! わたくしたちの神聖な学びの場を汚す不埒な輩ども、このリーネ・マークフレアが許しませんわ!」


 砂煙を上げ、爆音を鳴らしてキャンプ地に突っ込んできた魔導バイクの集団を前に、リーネは凛として言い放った。

 逃げ惑う他の生徒たちとは対照的に、一歩も引かずに立ちふさがるその姿。

 翻るローブ、気高く結ばれた眉根。

 深紅の右目は激しい怒りの炎を、蒼金の左目は揺るがぬ決意を宿していた。

 まさに公爵令嬢としての威厳に満ちたその光景に、ガラの悪い男たちがバイクを急停止させる。


「あぁん? なんだぁ、このチビ女。リーネ……なんだって?」

「おいおい、そんな細い腕で何ができるってんだぁ? 俺たちの火遊びに混ざりたいのかぁ!?」


 ヒャッハァ! と下品な笑い声を上げながら、リーダー格の男が手のひらで火の玉を弄ぶ。

 すこしばかり魔法の心得があり、実戦経験も豊富な悪党たちは、余裕の表情を崩さない。

 高価なローブに身を包んだ、世間知らずの令嬢が放つ魔法など、高が知れていると高を括っていた。


 だが。

 次の瞬間、リーネの華奢な体から溢れ出した膨大な魔力の波動を浴びて、彼らの表情はぴしりと凍りついた。


「な……なんだ、この圧力は……っ!?」


 それは、ただの学生が持ち得る魔力ではなかった。

『下巻』を代々受け継ぐマークフレア公爵家の血。それはかつて勇者の仲間であり、人類最高の叡智を誇った大魔法使いマリアンヌの血脈に他ならない。


 リーネの内に眠る潜在的な魔力が、彼女の「完璧でありたい」という執念に呼応し、大気を震わせるほどのプレッシャーとなって噴出したのだ。


「出なさい……とびっきりの、『火』よ……!」


 リーネが突き出した指先から、魔力が一気に解放された。

 本来ならば、そこから巨大な火球が放たれ、暴漢たちを焼き払うはずだった。


 ――だが。


「……え?」


 リーネの放った魔法は、暴漢たちの想像を、そして彼女自身の期待を、斜め上の方向へ突き抜けた。


 空中に現れたのは、炎ではなかった。

 それは――眩いばかりの光を放つ『真っ赤な三角形』だった。


 あまりにも、あまりにも練習しすぎたのだ。

 数日間、寝る間も惜しんで「三角形」のイメージを脳内に構築し、研磨し、絶対的なものとして固定してしまった。

 その結果、本物の炎を参考にしようとしたリーネの努力も虚しく、出力されたのは「極限までリアルに描かれた、炎のような熱量を持つ巨大な図形」であった。


「な、なんだ、あの魔法……。火、なのか……?」


「図形じゃねえか! だが、なんだあの魔力の密度は……ヤバいぞ、なにが起きるんだ!?」


 悪党たちは誰もが目を剥き、その謎のオブジェを見上げていた。

 空に浮かぶそれは、一辺が数メートルはあろうかという巨大な「正三角形」であり、そこからは直視できないほどの熱波と、物理的な質量を感じさせる威圧感が放たれている。


「そうだ、思い出したぞ、マークフレア家っていやあ……大魔法使いマリアンヌの子孫じゃねぇか……!」


「あれがそうかよ!? あんな魔法、見たことも聞いたこともねえぞ!」


「早く言えバカ! あんなのに直撃したら消し炭どころか存在ごと消されるぞ! 逃げろ! 逃げるぞ!」


 未知の恐怖に、悪党たちの戦意は一瞬で瓦解した。

 一方、リーネ自身は、自分が巨大な赤三角形を召喚してしまったことに、すぐには気づいていなかった。


 イメージの切り替えに失敗したという自覚はあったが、目の前の悪党たちが泡を食って怯えているのを見て、彼女の「見栄っ張り」な性格が瞬時に状況を上書きする。


(あら……? なんだか思っていたのと形が違いますけれど……あの方たちがこれほど怯えているのですから、成功ということかしら。ええ、そうですわ! これこそが、わたくしの切り札ですのよ!)


 リーネは不敵な笑みを浮かべ、震える右手を力強く振り下ろした。


「さあ――いきますわよー!」


「ぎゃあああああ!!」


 リーネが指し示した方向に、巨大な赤三角形がびゅーんと凄まじい風切り音を立てて突進する。

 それはもはや魔法というより、超高温の巨大な質量兵器だった。

 悪党たちはそのオブジェの影から我先にと逃げ出し、転ぶようにしてバイクに跨がると、互いを突き飛ばし、奪い合うようにして高原の彼方へと去っていった。


 静寂が戻ったキャンプ地。

 空に浮いていた赤三角形は、主の魔力供給が途絶えると同時に、パリンとガラスが割れるような音を立てて霧散した。


「す、すごい……! リーネ様が、あの賊を一人で……!」


「見たか、あの魔法。あんな術、どの教科書にも載ってなかったぞ……!」


「さすがマークフレア公爵令嬢だ。次元が違いすぎる……!」


 周囲の生徒たちから、堰を切ったような称賛と拍手が沸き起こる。

 リーネは、乱れた前髪を優雅に指先で整え、慈愛に満ちた(ように見える)微笑みを浮かべた。


「ふふ、お怪我はありませんか? あのような無頼漢、わたくしの敵ではありませんわ。……さあ、講習を続けましょう?」


 毅然とした態度で、完璧な令嬢を演じきる。

 だが。

 その内心では、あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤になり、膝がプルプルと小刻みに震えていた。


(いやあああああああああ! なんですの今の!? 三角形ですわよ!?

 ただの巨大な三角形が飛んでいきましたわよ!?

『赤三角形のリーネ』なんて二つ名がついたら、わたくし、恥ずかしくて一生お部屋から出られませんわ……!!)


 称賛の声が上がれば上がるほど、彼女のプライドはズタズタに引き裂かれていく。

 しかし、彼女はマークフレア。他人に失望されることだけは、何があっても避けなければならない。


「……これも、攻略本の教え通り。わたくしの完璧な作戦ですわよ。おーっほっほっほ!!」


 高原に響き渡る高笑い。

 その後、キャンプファイヤーの傍らで、リーネは焚き火を見つめていた。

 ゆらゆらと揺れる炎。薪が爆ぜる音。

 頬を撫でる温もりを見ているうちに、気づけば、指先に小さな火が灯っていた。

(……できましたわ)

 誰も見ていない。称賛もない。

 出来て当たり前のことをやっただけだ。

 ただ、静かな達成感だけがあった。

 だが、「赤三角形のリーネ」という二つ名は、以降、大魔法使いマリアンヌと並んで、永遠に語り継がれる伝説となってしまうのだった。

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