不完全な攻略本
遺跡からの帰り道、仕留めたタイガーの肉をアルトが大事そうに背負い、ロウが金貨の入った袋を何度も揺らして音を確かめ、ミーナが空になったMPの反動でふらつきながらも満足げな笑みを浮かべていた。
その日の夜。
人里離れた森の中で焚き火を囲み、アルト特製の「タイガーの香草焼き」が胃袋に収まったところで、カイルは静かに懐の本を取り出した。
パチパチとはぜる炎に照らされ、ボロボロの表紙が怪しく光る。
三人の視線が、自然とその一冊に集まった。
「……なぁ、カイル。前々から思ってたんだが」
ロウが串に刺さった肉の最後の一片を口に放り込みながら言った。
「その本、ただの『呪いの書』じゃねぇよな? 今日の罠の見抜き方といい、ミーナへの指示といい、まるでこれから起きることを知ってるみたいだったぜ」
アルトも、愛剣の手入れを止めて顔を上げる。
「確かに。我が公爵家の戦術マニュアルにも『優れた指揮官は戦場を予見する』とあるが、君のそれは予見を超えて、確定した未来を見ているようだった」
カイルは小さく溜息をつき、膝の上で本を開いた。
「隠していても仕方ないな。……これは、かつて勇者が残したとされる遺産の一つだ。もっとも、世間一般で言われている『攻略本』とは真逆の代物だがな」
「勇者の遺産……!」
ミーナがおっとりとした声を上げ、目を輝かせる。
「じゃあ、やっぱりそれには魔王を倒す方法とか、伝説の魔法が載っているんですか?」
「いいや。載っているのは、数百年間の冒険者たちが積み上げてきた膨大な『失敗ログ』だけだ。
罠にかかって死んだ間抜けや、MP配分を間違えて全滅したパーティ……。どうすれば勝てるか、なんて一行も書いていない。
ただ、『こうすれば死ぬ』という記録が延々と続いているだけのガラクタだよ」
カイルは自嘲気味に笑い、ページをパラパラと捲った。
「どうやらこの本は、持ち主のパーティメンバー全員の失敗ログを、リアルタイムで記録する性質があるらしい。……俺が今まで窮地を凌げたのは、お前たちがこれからやらかすであろう『最悪の失敗』を、この本を通して事前に読むことができたからだ」
沈黙が流れた。
焚き火の音が、妙に大きく響く。
「……えっと、あの。カイルさん」
ミーナが、頬を赤らめておずおずと手を挙げた。
「その『失敗』って、戦闘以外のものも含まれているんですか? その……例えば、朝起きた時に寝癖がすごかったとか、料理の味付けを間違えたとか……そういうプライバシーに関わるようなことも、載っているんでしょうか」
「載るな。むしろこの本は、そういう恥ずかしい失敗ほど克明に、皮肉たっぷりの文章で書き込みやがる」
「「「…………っ!!!」」」
三人の間に、今まで感じたことのない戦慄が走った。
ロウが慌てて立ち上がり、カイルを指差して叫ぶ。
「はいはーい! 異議あり! 俺たちのプライベートな失敗ログが載ってるのに、お前ひとりがその本を独占してるのは不公平だと思いまーす!」
「そうだ! 失敗の記録こそ、次なるマニュアルの礎! それを一人で抱え込むなど、パーティリーダーの風上にも置けぬ行為だぞ、カイル!」
「……高額で買ったアイテムを他人と共有するのは気が引けるんだがな」
カイルは頭を掻きながら、心底嫌そうに本を差し出した。
「分かったよ。どうせ俺一人でこの『失敗の濁流』を受け止め続けるのも限界だ。……その代わり、これからは毎日、この本を回し読みして『反省会』を開く。いいな?」
カイルが本を中央に置くと、三人が身を乗り出すようにして覗き込んだ。
「うわっ、俺のこれ……『ギャンブルで負けた腹いせにモンスターに八つ当たりして、返り討ちにあう』!? ひでぇ書き方しやがって! まあ、嘘は書いてないけどな」
「私は……『回復を渋りすぎてアルトの防具を修理不能にする』。……ごめんなさい、アルトさん。明日はもっと早めに魔法を使いますね……」
「……待て、俺のページには何が書いてある。……『マニュアルを読み耽るあまり、背後に迫ったスライムに気づかず、道具袋の中のマニュアルを溶かされる』だと? し、しまった! いつの間に……! いかん、明日から後方の警戒もマニュアルに加えなければ!」
文句を言い合いながらも、三人の表情はどこか明るかった。
自分の弱点を笑い飛ばし、対策を練ってくれる仲間がいる。それは、このボロボロの『上巻』を手に入れた時、カイルが最も想像していなかった光景だった。
「……本当に、手のかかる連中だ」
カイルは呆れたように呟き、夜空を見上げた。
魔王軍の影が再び忍び寄るこの時代。成功の道筋など誰にも見えないが、少なくとも彼らは、記された『失敗』の数だけ、正解へと近づいていく。
「よし、反省会は終わりだ。アルト、明日の朝食のマニュアルは頭に入ってるか?」
「もちろんだ。……だが待て、カイル。この本に『朝食の肉が足りなくてアルトが暴走する』という予兆が書かれていないか?」
「そんなもん、本を見るまでもなく分かってるよ。寝ろ、馬鹿共。……ロウ、今夜の番はお前だ」
「へいへい。まあ、さっき野営地の周りに仕掛け罠は張っといたから、半分寝てても大丈夫だぜ」
「その油断が失敗ログに載る前に、ちゃんと起きてろ」
カイルは乱暴に本を閉じ、横になった。
星空を見上げながら、ロウはぽつりと漏らした。
「……本当に、書いてないよな?」
バーサーカー化したアルトの映像が、脳裏によみがえった。
ミーナが、むくりと身を起こした。
「……カイルさん、未来のログって、どうやって見るんですか?」
「そんなもん、俺も知らねぇよ……いいから早く寝ろ」
「ちょっと確かめてくれませんか?」
「早く寝てくれ、久しぶりに何も書かれてない夜だったのに」
アルトは、ぐがーぐがーといびきを立てて寝ていた。
アルトが不吉なことを言ったおかげで、寝ず番のロウはもちろん、寝る側の二人もなかなか寝付けない夜だった。
翌朝、彼らが昨日よりもほんの少しだけ「ましな冒険者」になっていることを、失敗の記録だけが予言していた。




