回復魔法にトラウマを抱えるミーナ
重厚な石の扉を押し開けると、そこは広大な円形ホールだった。
天井の隙間から差し込む月光が、部屋の中央に鎮座する巨体を照らし出している。
全身を鈍色の金属で覆われた、三メートルを超える巨大な守護像――『アイアン・センチネル』だ。
「……ギギ……侵入者……排除……」
錆びついた金属音が響き、守護像の目が赤く発光する。
アルトが即座に抜剣し、ロウが短剣を構えて散開した。
「マニュアル第十八章、対大型戦車の陣形だ! 俺が正面から注意を引く、ロウは背後に回れ!」
アルトが叫び、剛剣を振り下ろす。
だが、相手はただの肉体ではない。
重厚な金属の装甲に弾かれ、火花が散る。
守護像の巨大な拳が振り下ろされ、アルトは盾で受け止めたものの、その衝撃で腕が痺れ、膝がわずかに折れた。
「くっ……重い! だが耐えられないほどではない! ……ミーナ、頼む!」
アルトの叫びに、後方に控えていたミーナがびくりと肩を震わせた。
杖を両手で握りしめ、必死に呪文を唱えようとするが――その口元は小刻みに震え、魔法が発動する気配がない。
「……まだ。まだ大丈夫。アルトさんはまだ立てるし、怪我もかすり傷……。ここで魔法を使ったら、もしこの奥にもっと強いボスがいたら、わたしのMPが足りなくなっちゃう……」
「おい、ミーナ! 今だ! 一発『リジェネ』をかけてくれれば、俺はもっと踏み込めるんだ!」
アルトが焦れたように叫ぶが、ミーナは首を横に振った。
「ダメ、ダメです……!」
脳裏に、あの日の光景がよぎる。
血まみれの手が、彼女の裾を掴んでいた。
『ミーナ……回復を……』
空っぽの魔力。動かない杖。冷たくなっていく指先。
あの時と同じ結末だけは、絶対に――。
「……まだ、使えません。まだ、温存しないと……」
カイルは、アイアン・センチネルの猛攻を回避しながら、無造作に懐の本を開いた。
ページの余白に、冷酷なまでに「ありふれた未来」が書き込まれていく。
『【戦略失敗】回復役ミーナ――小規模な戦闘でMPを10%も消費することを恐れ、前衛の負傷を放置。結果、火力が30%低下し、戦闘が長期化。最終的に敵の増援を呼び寄せ、パーティは這々の体で逃げ出す羽目になる。なお、帰還時のミーナのMPは満タンのままであった』
「……またこれか」
カイルは吐き捨てるように呟いた。
アルトの動きが鈍っている。一撃一撃を耐えることに必死で、攻撃に転じる余裕がない。ロウも罠を仕掛けようとしているが、アルトが支えきれなければ近づくこともできない。
「ミーナ。こっちを見ろ」
カイルの落ち着き払った声が、ホールの喧騒を貫いた。
彼女が涙目で見上げると、カイルは戦場のど真ん中だというのに、欠伸でもしそうな顔で立っていた。
「カ、カイルさん! 危ないです、早く下がって……!」
「いいや、アルトに今すぐ『筋力増強』と『超回復』の二重魔法をかけろ。それまで俺はここから一歩も下がらない」
「そんなの無理です! それだけでわたしのMPの二割が飛んじゃいます! もしこの後に、もっと強い敵が出てきたらどうするんですか!?」
「その『もしも』のために温存しているMPが、今、目の前の仲間を殺そうとしてるのが分からないのか?」
「え……?」
「いいか、ミーナ。お前は回復を『減ったものを戻す保険』だと思ってるだろ。だが、それは違う。俺たちのパーティにおいて、お前の魔法は『攻撃の一部』なんだよ」
カイルはアルトの背中を指差した。
アイアン・センチネルの猛攻はすぐそこだ。だが彼は振り返りもしない。
上巻に不吉なログが増えるときの感触だけを頼りに、攻撃が当たらないことを信じて、その場に立ち続けている。
「アルトがあの重い一撃を無傷で受け流そうとするから、隙が生まれる。
だが、お前の回復が『攻撃の瞬間』に重なると確信していたら?
あいつは防御を捨てて、心臓部を貫く一撃に全神経を集中できる。
ロウも、爆発に巻き込まれるのを恐れずに至近距離で罠をセットできる」
「回復が……攻撃……?」
「そうだ。お前がMPを出し惜しみしている間、こいつらは『死なないための戦い』しかできなくなる。
顔色を窺うんじゃなく、お前も一緒に攻撃しているつもりで俺たちを見ろ。
お前が魔法を注ぎ込むことは、アルトの剣を研ぎ、ロウの罠に毒を塗るのと同じことだ」
カイルは手元の本を開き、ミーナに突きつけた。
「見ろ。お前と似たような奴のログだ。回復役がMPを温存した結果、『そいつの節約精神のおかげで、パーティは無事に壊滅しました。めでたしめでたし』だとさ。最高に胸糞悪い結末だろ?」
ミーナは、そのボロボロの本に記された「失敗のログ」を凝視した。
自分の臆病さが、仲間を救うどころか、じわじわと追い詰めている。
その事実が、じわりと実感となって押し寄せてくる。
「……わたし、は……」
「MPが切れるのが怖いなら、切れる前に俺たちが敵を殺せばいい。
お前が全力でバックアップすれば、アルトは三十秒でこいつをスクラップにできるはずだ。
一時間の泥仕合でMPをチマチマ削られるのと、どっちが賢いか、お前なら分かるだろ」
カイルは初めて、少しだけ口角を上げた。
「保険はいらねぇ。俺たちが全力で殴り勝つための『力』をよこせ、ミーナ。
お前のMPが切れる前に、俺がこの戦闘を終わらせてやる」
ミーナの瞳から、迷いが消えた。
彼女は震える手で杖を高く掲げ、今まで一度も使ったことのない最大出力の詠唱を開始する。
「……分かりました。信じます、カイルさん……! わたしのMP、全部預けます!」
ホールに、眩いばかりの聖なる光が溢れ出した。
アルトの身体を、物理法則を無視したような癒やしの波動が包み込む。
「おおおおおっ! 力が……力が溢れてくるぞ! これなら……盾なんていらん!」
アルトは重厚な盾をその場に投げ捨て、両手で大剣を握り直した。
守護像の拳が彼の肩を砕こうと振り下ろされるが、当たる端からミーナの魔法が傷を塞ぎ、痛みを消し去っていく。
「人型が我が伯爵家剣術にかなうと思うな……ッ!
騎士道マニュアル・百三章第十五項奥義――『鉄鎧砕き』ッ!!」
防御を一切考慮しない、文字通りの特攻。
ミーナの回復を「盾」として纏ったアルトの一撃が、アイアン・センチネルの胸核を真っ向から粉砕した。
轟音と共に、巨大な金属塊が床に崩れ落ちる。
静寂が戻ったホールで、ミーナはその場にへたり込んだ。
「はぁ、はぁ……。あ、足が……震えて……。でも、倒せました……倒せたんですね……!」
「ああ。お前がMPを半分以上、無駄にぶっ放したおかげだな」
「すみません、ちょっと……。久しぶりに使ったから、やりすぎたかもしれませんね……」
ずっと出し惜しみしてきた魔力の澱が一気に解放され、 必要以上の力が出てしまったのだろう。
カイルが歩み寄り、本を確認する。
新しいログが書き込まれていた。
『【約束された暴走】回復役ミーナ――極限状態でのオーバーヒールにより、前衛をバーサーカー化させてしまう。そのまま暴れ狂う前衛との戦闘にもつれ込む』
くるりと、アルトの方に目を向けると、彼は全身の皮膚が真っ赤に染まり、目が凄まじい光を宿していた。
「……ギギギギ……マモノ……タベル……」
「……前途多難だな……」
「……カイルさん。あの、アルトさんどうしちゃったんですか? いつもと雰囲気が違うような……」
「バーサーカー化だ。効果が切れるまで逃げるしかない。……おい、ロウ! いつまで突っ伏してる、逃げるぞ!」
カイルたちは慌てて逃げ出した。
結局、この遺跡探索もまた、カイルの失敗のひとつに数えられるのかもしれない。
ただ、失敗の記録しか載らないはずのその本が、今は不思議と、輝かしい未来への地図に見えていた。




