エンディング
魔王が消滅し、世界を覆っていた禍々しい魔力の雲が晴れた。
瓦礫の山となった魔王城の玉座の間で、カイルは崩れ落ちる石柱を背に、賢者ノルンと並んで座り込んでいた。
「不死の力を持つ勇者は、もうおらん。いかにして魔王の恐れている『情報』を次の世代に受け継ぐか、それが問題じゃ。千年も経てば、人はまた同じ過ちを繰り返し、同じ地雷を踏み抜くことになる」
ノルンは、かつて自分が作り出した二冊の攻略本を見つめながら、重く、しわがれた声で言った。
カイルは血の混じった唾を吐き出し、ぼろぼろになった袖で顔を拭う。
「……ところで、女神さまはもう一人新しい不死の勇者を召喚したりはしないのか?
俺みたいに記憶をなくした奴を、また一から育てるよりは効率がいいだろ」
「神々の世界のことはわからぬが、女神さまは千年前にお主を召喚して以来、我々の前に奇跡をあらわされたことは一度もない。あの方もまた、何か代償を払ったのかもしれんな……」
深く、重いため息をつくノルン。
カイルはふと、旅の途中で立ち寄った、草木に埋もれて寂れ果てていた勇者召喚の聖地を思い出していた。
あの場所が再び光り輝く日は、もう来ないのかもしれない。
「だが、リーネ嬢の魔法は……不完全ながら、女神の勇者召喚と似ている。
あのように『概念』や『伝説』を実体化させる力こそ、次なる不死の勇者を再臨させる鍵になるのかもしれん」
カイルは、ノルンの言葉を黙って噛み締めた。
リーネの力。
そういえば彼女は、何をやっても『下巻』に『失敗』が記されない、規格外の存在だった。
不完全で、暴走気味で、思い込みの激しい、はたから見て大丈夫かと心配になるほどポンコツなお嬢様なのに。
カイルは、『完全攻略本』を彼女に託した事を思い出していた。
そして、そんな思い込みの激しい彼女に導かれるであろう、未来の勇者のことを思った。
「……不安しかねぇな」
そう言いながらも、カイルはどこか微笑ましいものを見るように口角を上げた。
「さあ、戻ろう。あいつらがまた何かやらかす前に」
カイルとノルンは、ワープの魔法を発動させ、仲間たちが待つ王都へと向かった。
しかし、凱旋したカイルの目に飛び込んできたのは、英雄として静かに迎えられる光景ではなかった。
王都の広場、特設された演壇の上で、目を輝かせながら演説するリーネの姿があった。
「さあ、お聞きなさい! これが真実の、完全なる勇者カイル様の伝説ですわ! わたくしの継承した『下巻』こそが、彼の成功を予見していたのです!」
リーネは、かつてないほど高飛車に、かつ自信満々に聴衆へ向かって叫んでいた。彼女の足元には、飛ぶように売れているらしき小冊子が山積みになっている。
下巻の成功ログに過剰なまでの信頼を寄せる彼女にとって、魔王を倒したカイルはもはや、人を超えた絶対的な神性へと昇華されていた。
「勇者カイル様は、魔王が放つ数万の滅びの呪文を、ただ『まばたき』一つですべて無効化されましたの! そして、その聖剣をひと振りすれば空間そのものが切り裂かれ、天空からは無限の隕石が降り注ぎ、一撃で魔王を塵へと変えたのですわ!」
「「「うおおおおおっ! カイル様、最強! カイル様、最強!」」」
熱狂する民衆。カイルは呆然とその光景を見つめた。
盛りに盛られた、異様な強さの勇者像。しかも、そこにはミーナが余計な『色』を加えた別冊まで出版されており、すごい勢いで国中に広がっていた。
「……ねえ、見てくださいカイルさん。この一節……『崩れ落ちる魔王の手をカイルが取り、その耳元で『また来世で会おう』と切なく囁いた』……尊すぎませんか?」
ミーナが頬を染めて、自分の書いた薄い本を差し出してくる。
カイルの隣では、アルトが「マニュアルによれば、英雄の記録は後世のために誇張されるべきだとあるが……これは流石に、物理法則に喧嘩を売りすぎではないか?」と戸惑い、ロウが「いいじゃねぇか! この『勇者印の開運お守り』、一個金貨一枚で売れてるんだぜぇ!」と小銭を数えていた。
「…………」
カイルの頬が、かすかに引き攣った。
自分の記憶にある魔王戦は、泥にまみれ、膝をガクガクさせながら、相手の失言にツッコミを入れてようやく掴み取った薄氷の勝利だった。隕石など一発も降っていないし、空間も裂けていない。
「……ノルン。女神さまに似ている、って言ったよな」
カイルが遠い目で尋ねると、賢者ノルンもまた、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「……ふぉふぉ。女神さまも、きっと最初はこんな風に、都合のいい成功だけを並べて、勇者伝説を布教して回ったのかもしれんな……」
こうして、勇者カイルの『伝説』は、事実を置き去りにして世界中に広まっていった。
失敗を消し去り、成功だけを繋ぎ合わせた、完璧で無敵な、煌びやかな偽りの物語。
だが、このあまりにもデタラメで、しかし夢に満ちた物語こそが、1000年の後、再び目覚める魔王の心臓を恐怖で震え上がらせる『最強の抑止力』となることを。
そして、何も知らない未来の勇者が、この嘘八百の攻略法を信じて無茶苦茶な奇跡を起こすことになるのを、今の彼らはまだ知らない。
これが現代に語り継がれる、『勇者伝説』の始まりである。




