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リーネと魔王の使徒

 カイルが魔王と刃を交える、その一方。

 西の王国では、まったく異次元の戦いが繰り広げられていた。


「はぁ……はぁ……手こずらせやがって……!」


 魔王の使徒の漆黒の手は、枯れ木の枝のように不気味に伸び、リーネの細い首を締め上げて宙に吊るした。抗うたびに、リーネの命の灯火がすり減っていくのが目に見えるようだった。

 いったいどれくらいの力を浪費したのかは分からない。


 窒息させられそうになりながらも、リーネは、凄まじい気迫のこもった目で、魔王の使徒をにらみ返していた。


 その時——リーネの蒼金の左目の奥で、何かが弾けた。

 瞳の内側から青い焔が噴き出し、涙の軌道を辿って頬を流れ落ちる。


 肌を焼くことのない冷たい炎。

 だが、その光を浴びた魔王の使徒の手が、一瞬だけ痙攣した。

 ――この、光は。

 千年どころではない。もっと古い。創世よりも古い何かの気配が、

 この小娘の片目から漏れ出している。


 その目に、魔王の使徒は記憶を呼び起こされる。

 リーネの両目は、大魔法使いマリアンヌと、大剣士トゥーファンの血を引いた目だ。

 ――だが、この青い火は違う。あの二人の血だけでは説明がつかない。


「その目……思い出しますね、勇者の仲間の事を……ッ! その目が昏く閉ざされるまで、あなたには地獄の苦しみを味わわせてあげましょう……ッ!」


「……ッ!」


 リーネの目は、はるか足元。

 地面に転がっている二冊の本に向けられていた。


 その本をゴブリンが拾い上げているのを見て、リーネは再びぼっと闘志に火が点いた。


 魔王の使徒の腕を下から蹴り上げ、強引に抜け出すと、本に向かって走った。

 すかさずゴブリンを切り捨て、本を奪うと、身を挺してかばうように抱きしめた。


「おやおや……! そんな事をしても無駄だというのが分からないのですか……! あなたの大事なその本は、もうすぐそこにある冒険者たちが鍋敷きに使っていたような『上巻』よりもボロボロになる運命なのですよ……!」


「あなたは知らない……! この本に記されていた、英雄たちの功績を……!」


 リーネの身体を、不思議な光が包んだ。

 そして――蒼金の左目から、青い炎が溢れた。

 炎は瞼を越え、光の粒子となって宙に散り、リーネの背後に広がる召喚の光と混ざり合った。


 リーネの中で、赤三角形のイメージを具現化させたときの魔力が渦巻き、魔王の使徒は思わず飛びのき、距離を取った。


「またあの目障りな魔法が来ますか……! いいでしょう、周りの兵士たちを巻き込んで、自滅できるのならすればいい!」


 青い炎を吹くリーネの蒼金の瞳は、どこか虚ろで、この世界ではないどこかを見ているかのようだった。


「英雄たちは、無敵だった……! いわく、剣聖ミラーは……『その剣は音速を超え、遠く離れた敵をも切った』と、『下巻』に書いてありましたのよ……!」


 ゆらり、とリーネの背後の光から、一人の剣士が現れた。

 それは、城の兵士ではない。

 この世のものとは思えない、信じがたい美貌の剣士。

 鍛え抜かれた肉体。


 彼は、魔王の使徒に対して構えると、さやから剣を抜き放った。


「ふんッ!」


 ずばんっ、と音がして、魔王の使徒の腕が切り裂かれた。


「ばっ……ばかな!? 何者だ!?」


「剣聖ミラーさまよ!」


「えっ……!? あいつあんな美形だったか……!? 身長150センチぐらいしかなかったはず……!?」


 転生するうちに本物と会ったことのある魔王の使徒は、目を白黒させた。


 どうやら、リーネの得意なイメージを具現化させる魔法が、『下巻』のログにあった英雄たちを対象にして発動しているらしい。


 だが、違う。

 明らかに盛られていた。


 魔王の使徒がどの方向に逃げても、剣聖ミラーが剣をふると、距離に関係なく両断された。


 英雄たちのありえない力が発揮されるたび、リーネの蒼金の目から放たれる青い炎が、さらに勢いを増してゆく。


「音速を超えた彼の剣は空間を超越して、目に入る一切のものを切り裂くことができるのですわ!」


「ちっ、違う! そうじゃない! 音速を超えただけで空間を超越できるか! じっさいあいつは踏み込みが早いだけだった! 遠い敵といっても4メートルぐらいが限界だった!」


「解釈違いは死罪に値しますわ! 英雄は常に美しく、最強であるべきですもの!」


 魔王の使徒のすんごく詳細な実体験など、リーネの耳には入ってこなかった。

 続いて、光の中から現れたのは、ローブをまとった、これもまたすさまじく美形の魔法使いだった。


「次は、賢者ノルン……!」


「実物見てるだろ!?」


「……の、若かりし頃バージョン! いわく、『賢者の魔力は海のように無尽蔵であり、天候すら操った』……!」


 魔王の使徒は、ゴブリンたちと一緒に空を見上げた。

 ごごご、と音を立てて、雲のすき間から真っ赤に燃える隕石が姿を現したのが見えて、使徒は震えあがった。


「て、天候……ッ!? 隕石召喚メテオが天候魔法に数えられるのか……!?」


「無尽蔵の魔力……ッ! すなわち、隕石召喚メテオ連射も可能……ッ!」


「熱力学の法則を無視するな! あああ~ッ!!!」


 モンスターたちの間に隕石が降り注ぎ、あたり一面を荒野に変えていった。

 こっそり様子を見に来た賢者ノルンは、「わし、あんなんちゃう……」とぼやいていた。


 いったい、あの青い目がなんなのか、魔王の使徒には分からない。

 ただ分かるのは、次々と繰り出される人知を超えた魔法の根源が、あの目にあるということだけだった。

 ――いや、知っている。この力の質を。

 あの忌まわしい存在の力と同じ匂いがする。


「まさか、お前は……『あの女』なのか!?」


 ありえない。そんなはずはない。もしそうなら、一刻も早く魔王に報告しなければならない。

 だが、ここで逃げ帰るわけにはいかなかった。彼に『失敗』は許されないのだ。

 こうしている間にも、隕石によって瞬く間にモンスターの数が減っていくのを感じている魔王の使徒は、ぎろり、とリーネに敵意を向けた。


「どうやら、遊びすぎたようですね……ッ! 私に許されたすべての魔力をもって、息の根を止めます……ッ!」


 魔王の使徒は、またしても魔力を解放し、ぶくぶくと膨らんでいく。

 その肉塊は街を覆い、次々と周りのモンスターを吸収し、血肉に変えて取り込んでいく。


 地を這って進むヒキガエルか要塞のようになった魔王の使徒を、目から青い火を噴くリーネは平然と見上げていた。

 リーネの青い炎は左目の輪郭を越え、こめかみから髪の生え際まで這い上がっている。

 もはやそれは涙の軌道を離れて、顔の半分を覆う面のようだった。


「くらいなさいッ!」


 口から吐かれたのは、猛毒のブレス。

 だが、その致命的な一撃を、またしても光から現れた新たな英雄、身長5メートルの美形の大男が受け止めていた。


「なッ……! バカなッ!?」


「騎士ガイン……いわく、『彼は何者にも傷つけられず、仲間を守る城壁となった』……ッ!」


「そんなバカなッ! 魔王様にいただいた魔力を解放したこの私の攻撃が! なぜ届かない!」


「傷つけられないということは、攻撃判定をそもそも無効化しているはず……ッ! すなわち、物理、魔法、概念、あらゆる攻撃のダメージをゼロにしてしまうのですわ……ッ!」


「まーじーでー!」


 実際の騎士ガインは優れた盾術の使い手で、致命傷を避けるのがうまかっただけなのを知っている魔王の使徒だったが、もはや別物なのだと割り切ることにした。さすがに5メートルは人間ではない。


「そして……」


 そして、最後に光の中から現れたのは、使徒の記憶にも、千年前の歴史にも存在しない「異物」だった。ダボついた服に身を包み、首元で金鎖をジャラつかせる、異世界の無頼漢。


「そして……ラップゴッドさん……」


 ラップゴッドは、じゃらじゃらとアクセサリーを鳴らし、軽快なステップでリーネの横を通り過ぎていった。


 リーネは、大きく息を吸って、ありったけの想像を膨らませた。


「これこそが『下巻』の袋とじに記された究極の言霊使い……ラップゴッド様ですわ!

 いわく、『彼の韻は因果律に干渉し、韻を踏んだ対象の運命そのものを書き換えた』……ッ!」


「因果律に干渉しているのはお前だ……ッ! だ、誰か……ッ! 誰かこいつを止めろ……ッ!」


 召喚されたラップゴッドは、マイクを手に握り、巨大な怪物と化した魔王の使徒に立ち向かった。

 辺りにはラップゴッドの激しいボイパが流れ、リズムに乗った彼は神々も真っ青のマシンガンのようなラップを放った。


 魔王の使徒の身体は言霊が打ち付けられるたびにボロボロと崩壊していった。


「汗水垂らした日々がある! 俺を支えた仲間がいる!

 本はいらねぇ、韻がある! 俺の言葉が世界を変える!

 俺は神! お前は紙! 燃え上がるお前の運命サダメ!」


 魔王の使徒の身体は、瞬く間に燃え上がり、がくっと力尽きた。


「Thank you」


 魔王の使徒の脅威は、こうして消えた。


 やがてリーネの召喚した英雄たちは、来た時と同様、光と共に消えていった。


 勇者召喚。リーネの目覚めたその魔法は、イメージを具現化する魔法の極致であった。

 かつてこの世界における女神が、勇者召喚の時に使ったとされる力の萌芽である。


 ラップゴッドは、最後にリーネに向かってサムズアップし、そのまま彼らと共に消えてしまったのだった。


「ラップゴッド様……感謝いたしますわ」


 英雄たちの光が消え、戦場に静寂が戻った。

 リーネは、ゆっくりと瞬きをした。

 その時、頬に温かいものが伝うのを感じた。

 蒼金の左目から流れ落ちる、青い光の残滓。

 炎のようで、炎ではない。


「あれ……いつからわたくし、泣いていたのでしょうか……?」


 目頭を指で拭うと、指先に青い燐光がまとわりついて、 すぐに消えた。

 リーネの左目は、もう普段通りの蒼金に戻っていた。

 燃えていたことなど、なかったかのように。

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