ギャンブル狂いのロウ
「ひ、ひどい目にあったぜ……。あんなデカい猫、俺のマニュアルにも載ってねぇよぉ……」
木の上からずるずると降りてきたのは、罠師のロウだ。
こびと族特有の小柄な体躯をさらに丸め、大きな耳を震わせながら、彼はカイルの隣にどっかりと座り込んだ。
「猫じゃねぇ、トリニティ・タイガーだ。……おいロウ、さっさと立て。この先に遺跡の入り口がある。俺たちの目的はそこだろ」
「わ、分かってるって。……だがよ、カイル。今の見たか? アルトのあの泥臭い一撃。俺様の『冒険者の勘』が囁いてるぜ。今日のあいつは、なんだか運気が上がってる気がする」
「……運気?」
カイルは嫌な予感がして、ロウの顔をまじまじと見た。
ロウの瞳には、かつてギャンブルで大勝ちした時と同じ、危うい熱が宿っている。
「そうさ! 俺はギャンブラーとしても一流だからな。流れってのが分かるんだ。
今のアルトの『勝ち』に乗れば、この先の遺跡にあるっていう『古の金貨』も、サクッと手に入るんじゃねぇか?」
「お前の勘が当たった試しがあったか? 三日前のルーレット、全財産スったろ」
「あれはディーラーが魔法を使ったんだ! 今回は違う。俺は一度成功したパターンは絶対に忘れねぇ主義なんだよ」
ロウは鼻息荒く立ち上がると、短剣を腰に差し直し、鼻を鳴らした。
彼が冒険者を続けているのは、十年前、たまたま入った廃村の井戸に落っこちて、銀貨一袋を見つけたという「成功体験」が忘れられないからだ。
その一度の幸運が、彼を一生「次も行ける」という幻想に縛り付けている。
一行は、森の奥にひっそりと口を開ける石造りの遺跡へと足を踏み入れた。
中はひんやりとしていて、カビと埃の匂いが鼻を突く。
「……待て。ここから先は俺様の出番だ」
ロウが不敵に笑い、パーティの先頭に立った。
彼は床の石畳や壁の亀裂を、玄人じみた手つきでチェックし始める。
「いいか、よく見ろ。このタイプの遺跡は、一〇〇〇年前の魔王軍の残党が作った簡易拠点だ。
この時代、資材不足でな……罠の起動確率はせいぜい二割。しかも、経年劣化でバネが死んでることが多い。
俺は以前、これとソックリな通路をノーダメージで駆け抜けたことがあるんだぜ」
「ロウ、待て。適当なことを言うな」
「適当じゃねぇ、経験則だ! ほら、あそこの少し浮いた石板、あれがトリガーだ。
だがな、あの沈み具合からして、内部の機構が錆びついてる。
三十キロ程度の重さがかかったくらいじゃ、矢の一本も飛んでこねぇよ。つまり、俺様なら走り抜けても――」
「踏むな」
カイルが短く言った。
ロウの足が、その浮いた石板の数センチ手前で止まる。
「あぁ? なんだよカイル。俺様の専門分野にケチをつける気か?」
「ケチじゃない。事実を言ってるだけだ」
カイルは無表情に『攻略本・上巻』を開き、ロウに突きつけた。
『【罠回避失敗】探検家ストーム――「古い罠だから起動しない」とタカをくくり、自信満々に石板を踏む。実際には錆びておらず、三連式の麻痺矢が正確に急所を貫通。ストームは一時間悶絶した後、通りがかった巨大ナメクジに全身を舐め回される』
「……なっ!?」
ロウが顔を引きつらせ、本と石板を交互に見た。
「嘘だろ!? この石板、角が削れてて、いかにも『もう動きません』って顔してるぜ!?
俺の経験上、こういうのは九割が不発だ!」
「その残り一割を引くのがお前だ。これは二年前のこのダンジョンでの記録だが、同じ仕掛けだ。
お前の右隣の壁を見てみろ。そこだけ、埃の積もり方が不自然に薄い。
中から矢が飛び出すための隙間が、つい最近まで動いていた証拠だ」
カイルが指差した先をロウが凝視する。
確かに、石の隙間には微かにオイルの跡が残り、動作チェックが行われたかのように整備されていた。
「……ま、待てよ。じゃあ、この通路はどうやって通れってんだ? どこもかしこも罠だらけに見えてきたぜ……」
ロウが冷や汗を流しながら後退りする。一度自信を失うと、極端に臆病になるのも彼の悪い癖だった。
「迂回して罠のない通路を探してくれ。お前は普通にやってりゃ優秀なんだから」
別の通路を進むと、今度は巨大な鉄格子の扉が行く手を阻んだ。
ロウはすぐさま扉を調べ、複雑怪奇な鍵穴を見て顔をしかめる。
「……こりゃひでぇ。二重構造の感圧式錠前だ。
鍵を回す手順を一箇所でも間違えたら、天井から一トンの鉄板が降ってくる。
成功率は……一割もないな。
カイル、流石にここは引き返すべきだぜ。俺の勘が『死ぬ』って叫んでる」
だが、カイルは無造作に扉へ近づいた。
「いや、ここは行くぞ。お前の勘は、今は横に置いておけ」
「バカ言え! さっきまでの罠とはレベルが違うんだぞ!
俺はギャンブラーだが、死ぬのがわかってる勝負に全財産は賭けねぇ!」
「大丈夫だ」
カイルは本を広げた。ページは真っ白なままだ。
この扉の前では、何度脳内でシミュレーションしても、失敗ログが浮かぶ気配がない。
「この扉に関しては、誰一人として『失敗』の記録を残していない。……つまり、まだ誰もここに辿り着いていないか、あるいは――」
「あるいは?」
「罠自体がハッタリで、鍵なんてかかってないかのどっちかだ。見てろ」
カイルが扉の取っ手を掴み、手前に引く。
キィィィ……と間の抜けた音を立てて、一トンの鉄板が降ることもなく、扉はあっけなく開いた。
「は……? え……? 鍵は? 二重構造は!?」
「ただの細工だ。仰々しい鍵穴を作って、盗賊の戦意を削ぐためだけのな」
「なんだよそりゃ!」
呆然と立ち尽くすロウを尻目に、カイルは淡々と歩を進める。
ロウは、自分の培ってきた「経験」や「確率論」が、カイルの持つ「失敗の地図」の前では赤子同然であることに、戦慄を禁じ得なかった。
「……おい、カイル。お前、その本……本当は何なんだよ」
「言っただろ。使い道のない、ただの『失敗の記録』だ。成功するためのヒントなんて一行も書いてやしない」
カイルは振り返らずに答えた。
他人が夢見る成功の栄光は見えず、ただ無惨に散っていった者たちの断末魔だけが綴られている。
呪いといえば、呪いのようなものだ。
「けどよ……。負けがわかってるギャンブルを避けられるなら、それは実質、勝ち続けてるのと同じじゃねぇか……?」
ロウの呟きは、カイルの耳には届かなかった。
カイルの視線はすでに、次の一歩で浮かび上がるであろう、新たな『失敗ログ』に向けられていたからだ。




