魔王
カイルは、魔王の居城の最奥へと足を踏み入れた。
巨人が何人も立てるほどの、圧倒的な高さの天井。
その荘厳な静寂を、カイルの足音が規則正しく刻んでいく。
玉座の上には、魔王が一人。
かつて世界を絶望に叩き落とし、1000年の時を経てなおその威厳を失わぬ存在が、深くため息をついた。
「やはり罠だったか……お前が来るような気がしていた」
「魔王、お前一人か?」
カイルは足を止め、視線を玉座へと据えた。
魔王の周囲に配下や護衛の気配はない。
あまりにも不用心な、しかし圧倒的な強者ゆえの余裕がそこにはあった。
「吾輩もお前との戦いで学習したのでな……。
他にモンスターがいれば、吾輩が殲滅≪せんめつ≫魔法を放った時、お前はそいつらを盾にして生き延びるであろう……?」
「ああ、そういやそんな事もあったかな……」
カイルは皮肉げに口角を上げた。
彼の脳裏には、攻略本『下巻』に記された「成功の記録」が明滅している。
かつての勇者が、魔王の配下を逆手に取り、泥臭く、しかし確実に生き延びてきた歴史だ。
「追い詰めたと思ったら、ドレインでそのHPとMPを吸収して回復してしまうし……。
しまいには、吾輩を裏切ってお前の味方をする奴まで現れた……。吾輩の魔力を使っているくせに、最近の若い奴は一体何を考えておるのだ……?
……どいつもこいつも、使えん無能≪クズ≫ばかりだッ!」
魔王の怒気と共に、カイルの顔に熱風が吹き付けてきた。それは物理的な熱を伴うほどの魔力の奔流だった。
「お前の相手は吾輩一人で十分だ。勇者よ、お前もそうなのだろう?
足手まといの仲間に、いてもらっては困ると思っている……!」
魔王の言葉に、カイルはふと、どうなのだろう、と自分の気持ちを考えた。
恐らく、1000年前の勇者はそう思っていたに違いない。
なぜなら、彼はいくらでも死に戻りができたからだ。
死に戻りによってリスクをすべてなかったことにできる以上、仲間の命も含めたすべての責任を一身に背負い、すべての問題を一人で解決していくのが一番の近道だった。
仲間の死すら「やり直しのための情報」に過ぎなかった。
だが……今のカイルには、きっとそれは無理な方法だろう。
なぜなら、あのポンコツたちの失敗ログを、すべて自分ひとりで背負うなんて……。
考えただけで、吐き気がしそうだ。
自分で思って、カイルは、にやり、と笑った。
「さあな。どこかの誰かが俺一人ではできない失敗をしてくれているから、今この状況があるんだと思うぜ……」
「ふ、ふふふ……はははは……ッ!」
魔王は、致命的な失敗をしでかした魔王の使徒の事を思ったのだろう。
あるいは、不確定要素であるはずの「仲間」を肯定したカイルの言葉が可笑しかったのか。
魔王は盛大に笑った。
ひとしきり笑った後で、彼は禍々しい形の剣を呼び出し、勇者と向かい合った。
「貴様の方はよい仲間を得たようだな……よかろう、これが我らに与えられた今生ならば、最後まで戦うまでよ」
魔王の武器は、刃がいちじるしく変形した大剣だ。
七本の枝が、それぞれに異なる属性の魔力を帯び、しかし互いに反発することなく共鳴しあっている。
恐ろしく使い込まれていることがうかがえた。
カイルの脳裏では、勇者の記憶が、その剣のありとあらゆる情報を教えてくれる。
『七支刀。君主のいる背後を除く七方向に刃を向ける防御用の剣。全八属性の魔法のうち、持ち主の属性を除く全ての属性を帯びる』
魔王がひとつの属性の魔法に集中しているとき、この剣が残りの属性を帯びることで、弱点を突こうとする攻撃を無効化する仕組みだった。
この武器がある限り、魔王に弱点となる属性はない。
魔王が火の魔法に集中すると、剣は水、土、風、光、闇、天、地――火を除く残りすべての属性を帯びる。
魔王から圧倒的な火力の魔法が放たれるが、その隙をついたこちらの攻撃は、剣が帯びたカウンター属性によって簡単に回避、あるいは相殺される。
さらにもう一本、攻撃用の漆黒の剣を呼び出して、魔王の最強装備は完成する。
彼の記憶には、
『冥剣』
とだけあった。
認識阻害の魔法がかかっているのか、なぜか正体が掴めない。
魔王に弱点はない。
1000年前、一体どうやって倒したというのか、カイルの持つ知識を総動員してもすぐには答えが出ない。
だが、ひとつわかる事は……こいつは『かつて勇者が見たことのある攻撃しかしてこない』ということだった。
1000年前、不死の勇者と数え切れないほど殺し合った記憶。
それが魔王の戦法を固定させている。
すべての攻撃を知り尽くされている。
記憶の集積が、致命的な失敗となる選択を教えてくれる限り。
ただひたすら、カイルは致命的な失敗を避け続けるだけだ。
「ゆくぞ、吾輩を失望させてくれるなよ」




