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覚醒する勇者

 枯れ木のような杖をつき、長い髭を蓄えたその姿。


 カイルは、息を呑んだ。


「お前……見たことある。夢の中で、何度も……」


 それは、失われたはずの千年前の記憶の断片と、目の前の現実が重なった瞬間だった。


「ここで立ち話もなんじゃな、飛ぶぞ」


 賢者ノルンは、両手を掲げた。

 魔法陣から飛び出した緑色の光線が、頭上でぐるぐると絡まりあい、球体を編み上げていく。

 海があり、大陸がある――世界そのものを手のひらに収めたような光の球だ。

 白く灯る一点を、ノルンの杖がこんっと突いた。

 空間が歪む。光の奔流に飲み込まれ、瞬き一つの間に、風景は見知らぬ部屋へと塗り替えられていた。


「すげぇ、ワープの魔法か」


「あそこには魔王の使徒がおる……何度死んでも別人の身体に乗り移って、繰り返し蘇ってくる奴じゃ。カイル、お前も何度か戦っておるが、思い出せんか?」


「……ダメだ。霧がかかったみたいに、肝心なところが抜け落ちてる」


 頭を抱えるカイルの隣で、リーネが息をのんだ。


「まぁ、魔王の使徒……『写本』でも読んだことがありますわ!」


「うむ、魔王もそやつと同じく、不死の力を持っておる。復活までの間が異様に長いだけでな」


「じゃあ、その使徒ってのは、魔王が目を覚ますまでの露払いってことか?」


「そういうことじゃ。……で、奴にとって一番目障りなものが何か、わかるかの?」


 ノルンの目が、リーネの胸に抱えられた攻略本を指した。


「戦いの記録……ですの?」


「左様。勇者と魔王の戦いの記録こそが、『攻略情報』そのものじゃからな」


 攻略本はそのシステム上、古くなったデータを消去していくようになっている。

 なので、攻略本の継承者は代々、『写本』を残すことで、過去の記録を受け継いできた……はずだった。


「上巻の『写本』は、失敗の記録を恥と考える残念な継承者が、自分で燃やしてしまった。

 おそらく、これで勇者と魔王の戦いの記録は、失敗ログ、成功ログともにすべてなくなったはずじゃ。魔王が動き出すなら、いましかないじゃろうな」


「おいおい、悠長に構えている場合かよ? 魔王が動き出すって、つまり戦争でも仕掛けてくるってことだろ?」


「それが一番手っ取り早いのぅ。復活した魔王は、魔王の使徒がこの世界のどこかにかくまっておる……その場所をつかむには、向こうから動き出してもらわねば困る。

 じつは、ピンポイントで何か所か、候補地をすでに絞っておってだな……その方角さえわかれば、さらに絞り込めるはず」


 賢者ノルンは、大きな世界地図をぶわっと床に広げようとして、ふと、「なんだこのデカい地図」と驚いているカイルを見やった。


「おお、そういえば勇者の意見も聞いておきたかったのじゃ。こういう軍略はお主の方が得意じゃろう」


「そんなこと言ったって、俺は世界地図なんて見たのも初めてだぞ。この国から出たこともないんだが……?」


「いまから思い出してもらうことにしよう……これが、わしの最後の切り札じゃ」


 そう言って、異世界完全攻略本の上下巻を、カイルの前に置いた。

 賢者ノルンは、杖をかざして、何やら起動呪文を唱え始めた。


「この異世界完全攻略本は、古くなった情報が消えるようになっておる……。本に物理的に表示するスペースがなくなるからじゃ。

 つまり、表面的に表示されなくなるだけで、アーカイブの情報はすべて残っておる。今から、この本に記されたログを全消去して、お前と魔王に関連するログのみを開放する……」


 カイルの目の前で、上巻と下巻は怪しげな光を放ち始めた。真っ白になった上巻と下巻に、すさまじい数のログが記されていく。

 上巻は、まさに血を吹くような勢いでパラパラとめくれ、無数の凄惨なログを吐き出している。


 圧死、惨死、不可避の罠。信じていた仲間の背徳、竜の吐息による炭化。酸欠に喘ぐ窒息、四肢を失う激痛の果てのショック死、臓物を抉る串刺し、止まらない失血――。


 対する下巻は、ゆっくり、ゆっくりと、その成果をひとつずつ記している。


 ダンジョン攻略。ドラゴン撃破。小さな村の解放。


 そして、魔王との戦い。そこに至るまでの凄惨な戦いの記録をはるかに上回る、膨大な数。気の遠くなるような犠牲を繰り返し、そしてついに、攻略本の更新は止まった。


『【最後の失敗】:勇者――』

『世界を救うことと引き換えに、記憶と不死を失う』


 勇者の最後の失敗を見て、ようやくカイルはすべてを思い出した。

 ――ああ、そうだった。

 俺は、この絶望を「希望」に変えるために、何度も死んだんだ。


 何百回、何千回と死に戻り、その度に情報を刻んできた。

 魔王にとって、それだけが脅威だった。

 だから、あいつは殺すのではなく――壊しにきた。


 記憶を奪った。目が覚めたとき、自分が何者かも分からないように。

 身体を奪った。仮に思い出しても、もう戦えないように。


 死に戻りそのものは、女神の加護がある以上止められない。

 だから魔王は質を落とした。「死に戻り」を「転生」に。たったそれだけで、勇者は詰んだ。


 魔王は、信じがたい強敵だ。狡猾で、弱点が一切ない。

 ログを見れば、回復や、わずかな位置変更を含む、文字通り一切の攻撃を試しつくしているのがわかる。

 どうして倒せたのか、自分ですら分からない。

 倒せるのか、こいつを。

 カイルは今、『不死』を失っている。

 死ねば、記憶の全ては失われ……どこの誰とも分からぬ別人として、この世界のどこかで生まれ変わっている。

 それは、実質的な戦いの終わりだ。


 もう、一回のミスも許されない。

 この一回きりの生の間に、倒さなければならない。

 こんな化け物を。

 本当に、人間にそんな事が可能なのか。


 そのとき、『下巻』がぱらりとめくれ、勇者の最後のログを記載し終えた。


『【最後の成功】:勇者――』

『記憶と不死を失うことと引き換えに、世界を救った』


 カイルは、その言葉に背中を押され、ようやく立ち上がる事ができた。

 ――ああ、そうか。

 そうだ。それでも俺は、世界を救った。


 賢者ノルンは、悲しげな目をしていた。

 攻略本の機能を開放すれば、勇者は全人類の苦悩を背負うような凄惨な苦痛を思い出す。

 ノルンは、そのことを知っていたのだ。


「成功ログには、勇者が魔王を倒した詳細な方法は記されなかった……どうやって魔王を倒したのか、わしにも分からぬ……。

 だが、魔王は間違いなく、お主の『記憶』が継承されることを恐れた。つまり、そこにこそ、この世界の真の攻略法があるはずなのだ」


「正直、俺も倒せるかどうかは不安だけどさ……」


 カイルは、上巻と下巻を拾い上げると、ぽーい、とリーネに放り投げた。

 この本の中身は、すべて記憶している。本を受け取ったリーネは、カイルに目を見張っていた。


「俺がまた死んだら、そんときは次の勇者に渡してくれ……頼んだぜ」


「勇者様……」


 放り投げられた二冊の本を、リーネはひったくるように受け止めた。

 ずっしりと、重い。

 千年分の死が、腕の中にある。

 いつもなら「家宝を投げるなんて無作法ですわ」と声を荒らげていただろう。けれど、今は唇を噛むことしかできなかった。


 ――次の勇者に渡してくれ。


 その言葉が、まだ耳の奥で鳴っている。


「……何を、不吉なことをおっしゃいますの」


 声を震わせまいと、リーネはぎゅっと攻略本を胸に抱きしめた。

 見栄を張ることも、高飛車に振る舞うことも、今はできない。

 目の前に立つ男は、自分が憧れた男なのだ。

 数多の死を代償に情報を積み上げ、最後には自身の不死性すら捧げて世界を繋いだ男。その覚悟の重さに、彼女はただ圧倒されていた。


 賢者ノルンは、そんな二人を静かに見守っていた。

 攻略本の放つ光は収まり、部屋には再び古い隠れ家特有の、埃と魔力の混じった静寂が戻っている。

 だが、その静寂は以前のものとは違っていた。これから始まる、やり直しのきかない「一度きりの戦い」へのカウントダウン。

 その鼓動が聞こえてくるかのようだった。


 カイルは、ふう、と短く息を吐いた。

 先ほどまでの混濁した表情は消え、その瞳には理知的で、どこか達観したような光が宿っている。

 記憶を取り戻したことで、彼の内面にある「勇者」としての器が、現在の肉体という枠組みを塗り替えようとしていた。


「さてと……あいつら、どこにいそうかな?」


 カイルは腕組みをして、広大な世界地図を上から眺め渡した。

 今の彼は、この世界のどの土地の風景も克明に思い出せるようになっていた。

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