襲撃の夜
リーネは、屋敷の中に次々と侵入してくる黒装束の男たちから逃げ回っていた。
片手には剣、そしてもう片手には、家宝の『完全攻略本・下巻』を抱いている。
ただのごろつきではない、彼女がいままで戦ってきた連中とは、レベルが違う。
「……はぁ、はぁ……っ!」
ドレスの袖は裂け、先ほど不意打ちを食らった腕からは、じわりと赤い血が滲んでいた。
普段なら絶叫して気絶しかねない痛みに耐えながら、リーネは奥歯を噛みしめる。
彼らの動きには一切の無駄がなく、組織的な連携でリーネを袋小路へと追い詰めていく。
男たちの狙いはこの本だ。
決して渡してはならない。
「さあ、『下巻』をこっちに渡しな」
冷徹な声が、薄暗い廊下に響く。
先頭の男が、血のついたナイフを弄びながらにじり寄ってきた。
リーネは壁に背を預け、震える手で強く、強く本を胸に抱きしめた。
「渡すとお思いですか? これはあなた達愚民の命よりも大事な本ですわ!」
死の恐怖に直面してもなお、彼女の口から飛び出すのは傲岸不遜なまでの高飛車な言葉だった。
それは彼女なりの、折れそうな心を繋ぎ止めるための虚勢。
「くっそ、イラっとする」
「もうこいつやっちまいましょうよ!」
イラっとした男たちが、凶刃をふるおうとした、そのとき。
窓の外から、巨大な男が飛び込んで来て、それを阻止した。
首からじゃらじゃらとアクセサリーをさげたその男は、リズミカルなステップを踏みながらリーネの前に着地すると、悪党たちに向かってびしっと指さしポーズを決めた。
「Yo-men、言葉で売られた喧嘩は言葉で返しな」
「あなたは……ラップキングさん!?」
それは、いつか裏路地でリーネに絡んできたチンピラ、ラップキングだった。
かつてカイルたちに返り討ちに遭ったはずの彼が、なぜここに。
戸惑うリーネを背に、男は不敵な笑みを浮かべる。
「おい、赤三角形のリーネ、ここは俺に任せて、その本を持って逃げるんだ」
「どうして……あなたも、この本が欲しかったんでしょう?」
「ああ、エビネムみたいに成功したかったからな……。けど、俺にはもう、わかっちまったんだ。俺はあのとき、一瞬だけど見たんだ……俺の名前がその本に載っているのを」
リーネは、そのときの光景を思い返していた。
たしか、ラップキングはカイルの『上巻』を読んで、そこに自分の名前が載ったのを見ていたはず。
「そいつは成功者の名前が載る本なんだろう? 上巻と下巻の違いはよくわかんねぇけど、俺の名前がそこに載ってるって事は、つまりその本は俺を『成功者だ』って判定したってことだ」
「あら、しかも、下巻をオリコンチャートか何かだと思ってらっしゃる?」
リーネは呆れてものも言えなかった。ラップキングの瞳に迷いはなかった。
「俺は一体、何に成功してるんだ? カイルって野郎にぶっ倒された後、目ぇ覚ましたら仲間が心配そうに俺の顔覗き込んでてよ。……『お前また変なことしたんだろ』って呆れながら、傷の手当してくれやがんの。……ああ、こいつら、俺がラップキングだろうがチンピラだろうが関係ねぇんだな、って。
毎日9時5時の仕事を終えて、家に帰ったらラップの事ばっかり考えてて。おふくろに、妹に、仲間に、ろくでもねぇ俺の事を支えてくれる大勢の連中がいた。それで俺はようやく気づいたんだ、本なんかなくても、俺は十分成功しているんだってな」
ラップキングの合図とともに、窓から彼の仲間である下っ端たちが次々と乱入してきた。
彼らはぞろぞろと集まってくる黒装束の悪党たちに、ひるむことなく立ち向かった。
「何が成功で、何が失敗かなんて、一体誰が決めるんだ? エビネムみたいな人生が成功なら、俺は韻を踏むことだけ考えてりゃいいのかよ? 俺は俺だ、そうじゃねぇか。俺はもう、ラップキングの名を捨てる事にした」
ラップキングは、にやり、と笑った。
「これからは――『ラップゴッド』だ」
「エビネムの曲のタイトル使ってんじゃねぇー!」
悪党たちとチンピラたちが、大声をあげてぶつかり合った。
怒号と金属音が入り混じる乱戦の中、ラップキングはリーネを振り返ることなく叫んだ。
「行け! お前はお前の成功を掴みやがれ!」
リーネはその隙に、下巻を胸に抱いたまま、振り返ることを恐れるように走り出した。
屋敷の庭を抜け、裏口からまっすぐ町に向かう道を走って、追手がこない事に気づいたリーネは、ようやく足を止めて振り返った。
「ラップキングさん……!」
屋敷からは、なんの音も聞こえてこない。
距離が離れすぎたのか、それとも戦いが終わったのか、中の戦いがどうなったのか分からなかった。
そのとき……リーネの手の中の下巻が、ぼんやりと光を放った。
新たな成功ログを記述しはじめる。
『ラップゴッド(笑)――リーネの屋敷を襲撃した悪党たちの撃退に成功する』
「ああ、よかった……!」
温かい成功ログに、リーネが、ほっと息をついた。
たとえ(笑)がついていても、彼が無事であることを示すその記述が、今は何よりも愛おしく感じられた。
その瞬間だった。
――ドォォォォォン!!
地響きと共に、夜の闇を切り裂く轟音が響いた。
屋敷の二階部分が爆発ですべて吹き飛び、すさまじい炎と煙を巻き上げた。
「……ラップゴッドさん」
リーネは、その場にぺたりと膝をついた。
呆然と自邸を眺めるその瞳に、燃え盛る紅蓮の火が映る。
炎が黒々と立ち上るあの場所には……書庫があった。
そこにあったのは、下巻の『写本』だ。
マークフレア家の長年の研究と努力の結晶、魔王と勇者の戦いから連綿と続く、成功の歴史が記されたこの世界の本当の攻略本。
リーネの手元には、『下巻』の原本だけが残されていた。




