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腹ペコの剣士アルト

「はぁ……。朝から胃が痛い」


 翌朝、カイルは昨晩の絶叫が嘘だったかのような無表情で、焚き火の跡を片付けていた。

 緊急で野営地を移動させ、魔物の襲撃はなんとか回避できたのだが、おかげで昨日の疲れがまったく取れていない。


 傍らでは、アルトが念入りに剣を磨いている。

 優雅な動作は、いかにも「鍛えられた騎士」の風格を漂わせていた。

 昨日、ヤスデに巻きつかれて三分間悲鳴を上げていたのと同一人物とは、到底思えない。


「カイル、顔色が悪いぞ。朝食の干し肉が足りなかったか? 俺の分を半分分けてやってもいいんだぞ。……まあ、三割くらいなら」


 アルトが、自分の生命線である食料袋を惜しそうに見つめながら言った。

 その目は「本当は渡したくない」と雄弁に語っている。


「いらねぇよ。……それよりアルト、ちょっとこっちに来い。お前に見せたいものがある」


 カイルは手招きし、いつもの『攻略本・上巻』を開いた。

 アルトは「また反省会か」と露骨に嫌そうな顔をしたが、カイルが指し示したページを見て首を傾げた。


「これは……一週間前のゴブリン戦の記録か?

 『完璧なパリィで首を撥ねる』。ふふん、俺の華麗な剣技が正しく評価されているようだな」


「ああ、その下に『これ、食えるのか? と発言して周囲をドン引きさせる』と続くがな。

 ……お前、人型相手なら完璧なんだ。オーガの時も、マニュアル通りのカウンターを叩き込んでいたな」


 人型を相手に『食えるかどうか』という発想が出てくる時点であれだが、戦闘内容そのものは文句のつけようがなかった。


 カイルはページを数枚めくる。赤インクで書かれた無残な記録が、ずらりと並んでいた。


「だが、三日前のフォレストウルフ。二日前の突撃猪アサルト・ボア。そして昨日の巨大ヤスデ。

 ……お前、四足歩行や多足類のモンスター相手の時だけ、命中率が三割を切ってるんだよ」


 アルトの動きがピタリと止まった。

 カイルは淡々と続ける。


「過去のログを遡って解析してみたが、面白いことが分かった。

 お前のミスは、全部『相手の重心が低い』時に集中してる。

 一方で、二本足で立って剣や棍棒を振るう相手には、Aランク冒険者並みの立ち回りを見せている」


「そ、それは……相手が騎士道に則らない、卑怯な動きをするからだ! 奴らは間合いというものを理解していない!」


「モンスターに騎士道を求めるな。

 お前、剣を振る時、常に『相手の肘から先』を見てるだろ。

 相手がオオカミや虫だったら、どこを見ていいか分からなくなるんじゃないか?」


 図星だったのか、アルトが言葉に詰まる。カイルは確信を持って告げた。


「お前の剣術は、対人戦に特化しすぎている。

 相手が同じような体格で、同じような武器を持っていることを前提とした『戦争のマニュアル』だ。

 だから、地面を這う獣や、関節の数が違う魔物が出てくると、脳内のマニュアルがエラーを起こして身体が固まる」


「……ぐ。し、しかし、我が家に伝わる『伯爵家流・聖騎士剣術』は、あらゆる敵を想定しているはず……」


「その『あらゆる敵』の中に、体高五十センチの狼や、地中から突き上げる触手はさすがに入ってないだろと言ってるんだ。アルト、いいか。お前はもう騎士じゃない、冒険者なんだ。次の戦闘では、型を崩せ」


「……型を、崩す? そんなことをすれば、俺の中に辛うじて残っている貴族の魂まで崩壊してしまうのではないか? 馬鹿なことを言うな、型こそが剣術の真髄だ!」


 アルトがショックを受けたように叫んだ、その時。

 草むらがガサリと揺れ、低い唸り声が響いた。

 現れたのは、鋭い牙と三本の角を持つ『トリニティ・タイガー』。この辺りでは上位に位置する、俊敏な肉食獣だ。


「来たぞ……。アルト、前へ出ろ」


「分かっている! ……ええい、マニュアル第四章、『聖騎士の構え』……!」


 アルトが剣を正中線に構える。

 だが、タイガーが低く身を沈めた瞬間、アルトの肩に力が入るのをカイルは見逃さなかった。


(まただ。あいつ、タイガーの頭を『人の顔』の位置に想定しようとしてやがる)


「アルト! 相手の顔を見るな! 前足の付け根だけ見て、そこを横に薙げ! 綺麗に斬ろうとするな、ただの肉の塊を叩き潰すつもりでいけ!」


「そんな無作法な……ッ!」


 タイガーがバネのように跳ねた。

 アルトはほとんど反射のように「受け流し」の型を取ろうとする。

 だが、タイガーの狙いは彼の喉笛ではなく、着地際を狙った足元へのタックルだ。


「いいから叫べ! マニュアルなんてクソ食らえだと! それができなきゃ、今日の晩飯は抜きだぞ!」


「そんな事、この俺が言えるわけが……ッ! だが、晩飯抜き!? それは死刑宣告と同じだ!」


 食への執念が、ついにアルトの凝り固まった理性を上回った。

 彼は半ばヤケクソ気味に、端正な構えを崩した。

 腰を深く落とし、泥が跳ねるのも構わず、獣のような低い姿勢で剣を横一文字に振り抜く。


 ――ガツッ!


 硬い手応えとともに、タイガーの前足が弾かれた。

 重心を崩したタイガーは、アルトの脇を無様に転がっていく。


「……当たった? 当たったのか!? 今の、あんな出鱈目な振りが?」


「出鱈目じゃない。相手の高さに合わせただけだ。

 ほら、次は首だ。そこだけはマニュアル通りに斬れるだろ?」


 呆然とするアルトだったが、チャンスを逃すほど腕は悪くない。

 素早く体勢を立て直すと、教科書通りの鮮やかな一閃でタイガーの息の根を止めた。


 静寂が戻る。

  アルトは自分の手と、倒れた獲物を交互に見た。


「……信じられん。あんな、泥臭い動きで……」


「お前は基本ができすぎてるんだ。あとは『応用』っていう言葉を辞書に書き加えるだけだな」


 カイルが歩み寄り、懐の本を開く。新たなログが刻まれていた。


『【上達の兆し】剣士アルト――食欲に負けて伝統の型を捨て、初めて四足獣の撃破に成功するも、戦闘後の第一声は「この肉は食えるのか?」であった』


「……おいアルト。倒して早々、ヨダレを拭け。品格が台無しだぞ」


「仕方ないだろう! あれだけ動けば腹も減る! カイル、こいつは美味いのか!? マニュアルには『虎の肉は筋張っている』とあったが、俺の勘では、こいつのモモ肉は絶対にジューシーだ!」


 カイルは溜息をつき、本を閉じた。

 死なない未来は、少しずつだが、昨日よりはマシな方向へ向かっている……のかもしれない。


「とりあえず解体するぞ。ロウとミーナを呼んでこい。……あいつら、怖がって木の上に隠れてるから」


 カイルの指差す先では、罠師と回復役が、樫の大木の同じ枝にしがみつき、リスのように身を寄せ合ってガタガタと震えていた。

 ロウの短い足が枝から宙ぶらりんになっており、ミーナはなぜか杖を地面に落としたまま、両手で枝を抱きしめている。


「お、終わった……? 終わったのか……?」

「……杖、落としちゃいました……」


 アルトがヨダレを拭きながら見上げ、心底不思議そうに言った。


「……おかしい、なぜ二人とも同じ木に登っているんだ? 冒険者マニュアル緊急時の避難法には、『トラに襲われたときは2手にわかれ、リスクを分散させろ』とあるのだが」


「……後であいつらにお前のマニュアルを読ませてやってくれ」

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