イザの徘徊者
隠し扉の向こう側に広がっていたのは、眩いばかりの金貨の山と、色とりどりの宝石が散りばめられた装飾品の数々だった。
「ひょほおおおお! 見ろよこの輝き! 当たりだ、大・当・た・りだぜぇ!」
ロウが狂喜乱舞し、金貨の山にダイブする。
アルトもまた、マニュアルに記された『財宝発見時の検品手順』を忘れたかのように、震える手で一本の銀杯を掲げた。
「これ一つで、どれだけの最高級ステーキが食えることか……。ああ、先祖代々の空腹が、今ようやく報われる気がする……!」
ミーナもまた、おっとりとした笑みを浮かべながら、高価そうな魔導書を手に取って中身を検分していた。
「あはは、これ、売ったら魔力回復薬が一生分買えちゃいますね……。あ、この挿絵、ちょっと『攻めて』て素敵……」
そんな狂乱の宴の中、リーネだけは誇らしげに胸を張り、扇子(の代わりの杖)をパタパタと仰いでいた。
「おーっほっほっほ! 当然ですわ! わたくしの歩む道に、財宝が跪くのは世界の理ですもの!」
だが、その歓喜を切り裂くように。
——りーん。
遺跡の中に、不釣り合いなほど澄んだ鈴の音が鳴り響いた。
カイルの背筋に、氷柱を叩き込まれたような悪寒が走った。
反射的に懐の『上巻』を取り出す。ページは激しく振動し、そこには今まで見たこともないほど禍々しい漆黒の文字が、紙面を侵食するように浮かび上がっていた。
『【全滅の失敗】冒険者カイル——遺跡の奥でイザの徘徊者に遭遇。なすすべもなく全滅する』
「……っ!!」
カイルの視界が、一瞬だけ「赤」に染まった。
それは、この本が見せる最悪の未来の断片。
自分たちが、逃げる間もなく、抵抗する術もなく、神聖な黄金の輝きに切り裂かれ、静かな屍へと変わるログ。
「イザの徘徊者……」
その単語の意味を理解したとき、カイルはこの旅の終わりを予感した。
暗闇を凝視し、彫像のように固まったカイルに、リーネが怪訝そうに眉を寄せた。
「どう致しましたの? そんなに深刻な顔をして。財宝の分配にご不満でも?」
「……来る」
「は?」
「イザの徘徊者が来る。……全員、動くな。息を止めろ」
カイルの、これまでにない冷徹な声に、浮かれていた冒険者たちの表情が瞬時に凍りついた。
「い、イザの徘徊者……? おいカイル、冗談だろ?」
ロウが、掴んでいた金貨をばらばらと取り落とした。
「冒険者ギルドには伝説がある。ひとつの遺跡に長く留まった冒険者のもとには、イザの徘徊者が現れる——と」
「ウソだろ、俺たちここに入って、そんなに時間経ったか?」
「わからん。はっきり何時間なんて決まってないらしい……。そもそも、モンスターとの遭遇に滞在時間が関係するなんて、普通はありえないだろ」
イザの徘徊者は、遺跡から遺跡へと渡り歩く、謎のモンスターだ。
何者かは分からない。この世界の管理者が遺跡を守るために生み出した存在——いわば根幹原理の番人ではないかと言われている。
「伝説では、息をひそめて通り過ぎるのを待つしかないらしい……。運がよければ見逃してもらえる」
「運がよければ……? それで本当に助かるの?」
ミーナが青ざめて杖を握りしめる。
「そんな訳ないだろ。……俺はいつも、もしこいつに出会ったらどうするかを考えていた……」
カイルの持つ『上巻』には、おびただしい数の失敗ログが刻まれている。
剣で攻撃——効かずに失敗。
矢で攻撃——効かずに失敗。
火で攻撃——効かずに失敗。
毒で攻撃——効かずに失敗。
雷で攻撃——効かずに失敗。
歴代の所有者によって、考えうるあらゆる攻撃がすべて試されている。
だが、効いたものが、ひとつもない。
逃げても同じだ。背中を見せた瞬間に切り裂かれる。
長時間の滞在者は見逃してもらえない。その近くにいてとばっちりを食った者は、なるべく目につかないよう息を潜めているしかないのだ。
しばらくぽかんとして聞いていたリーネの脳裏に、『下巻』の記述がよぎった。
(イザの徘徊者って……あれですわよね?)
成功ログの知識を総動員する。そこには確かに——イザの徘徊者への対処法が記されていた。
答えは知っている。知っているのだ。
だが、彼女の見栄っ張りな性格が、恐怖をプライドで塗りつぶした。
「はっ、なにをおっしゃってますの? わたくしに哀れな子ウサギちゃんのように縮こまっていろと?」
すでにガタガタ震えて隅っこで縮こまっているアルト、ロウ、ミーナは、はっと顔をあげた。
「やばい、リーネがいつものつよつよお嬢様モードだ」
「いや逆に考えるんだ。この場合は相手の目を自分ひとりに引きつけ、犠牲になろうという高潔なお考えなのだ。
……さすがは公爵令嬢、マニュアル以上の覚悟だぜ……っ!」
リーネは迷うことなく暗闇に向かった。
だが、暗闇の奥から吹き付けてくる、冷気とは異なる「神聖な威圧感」に、思わず足が止まった。
暗闘の奥から現れたそれは、神聖な黄金の鎧に身を包んだ騎士のような姿をしていた。
まるで教会の儀式の行列をひとりで練習しているかのように、その歩みはあまりにも荘厳で、かつ異様だった。
剣をまっすぐに立て、右足で地面を踏みしめ、左足を引きずり、一歩一歩、一定のリズムを刻みながら前進し続けている。
おそらく、こいつに意識はない。だが、何かを守っている。それが何なのかは、誰にも分からない。
リーネはそのモンスターの進行方向に立ちはだかったまま、圧倒的な迫力に息が詰まっていた。
秘策はあった。
成功ログの断片に、その答えは確かにあったのだ。
だが、指先が痺れたように動かない。死への恐怖が、本能の鎖となって彼女の身体を縛り付けていた。
(動きなさい……! 動きなさい、わたくしの体……!)
答えを知っているのに、声が出ない。それが何よりも、リーネの矜持を打ち砕いた。
カイルは、見かねてリーネを庇うように前に出た。
「ミーナ!」
そして、後衛に声をかけた。
「回復だ! ありったけのMPを使って、イザの徘徊者を回復しろ!」
一同は驚きに目を見張った。
「はぁ!? 何言ってんだカイル! あいつはアンデッドじゃねぇぞ!?」
「いいからやれ! 『回復を試みて失敗した』というログだけは、上巻のどこにもなかったんだ!」
普通、回復魔法でダメージを与えられるのはアンデッド系だ。
神聖な鎧をまとうイザの徘徊者がアンデッド系なのかどうかは分からない。
だが、確かに「回復してみて失敗した」という記録がないということは、誰もそれを試していないか——。
あるいは、それが「成功」したからだ。
「信じてますからね、上巻さん! これでMPなくなって死んだら、末代まで呪いますからね!」
ミーナが半泣きで杖を掲げた。渾身の回復魔法が、神聖な鎧に吸い込まれていく。
その瞬間、イザの徘徊者の動きが止まった。
鎧の隙間から、濁った光ではなく、澄み渡るような回復の光が噴き出す。
空っぽだったはずの鎧の内部が、徐々に光で満たされていく。
規則的だったその足取りが乱れ、騎士は苦しむように地面に片膝をついた。
リーネは直感的に思った。
(……倒せる。今なら、わたくしの剣で——)
「……何やってるんだ! 逃げるぞ!」
カイルがリーネの手を強引に引いた。
「ええっ!? 倒さないのですか!? 今がチャンスですわ!」
「討伐クエストも出てないのに、倒す意味ねぇよ! 誰からも報酬もらえねぇって!」
ロウが素早く金貨の袋を——ちゃっかり——抱えて走り出す。
「リーネさん! 無益な殺生は騎士道に反します! マニュアル第5章『戦略的撤退の美学』です!」
アルトも、逃げる口実をマニュアルに求めて全速力で駆ける。
「お願い、これ以上、回復使わせないでぇ! 家計が火の車になっちゃいますぅー!」
ミーナは、走りながらMP回復薬をラッパ飲みし、ハイになったのか楽しそうに笑い出した。
徘徊者が光に満たされ、動けなくなった隙に、一行は遺跡の出口へとなりふり構わず走り出した。
リーネは、走りながらカイルの背中を見つめていた。
最初はただ、機転が利くだけの男だと思っていた。
(違う……。この人、『知っていた』んだわ)
リーネの知識によれば、成功ログに、イザの徘徊者に回復をかけて活動を停止させた人物の記述は確かにあった。
だが、その人物の記録はあまりにも古く、原本はすでに消滅しており、写本にしか残っていないはずのものだ。
——一千年前の勇者、その人である。
カイルの判断は、なぜか勇者の軌跡と直結しているように思えた。
けれども、そんな考えは馬鹿げている。
(それに——わたくしも、答えは知っていたのに)
知っていたのに、動けなかった。声すら出せなかった。
『下巻』の知識を持ちながら、いざという瞬間に何もできなかった自分と、失敗の記録しか持たないはずなのに正解を手繰り寄せたカイル。
その差が、リーネの胸に小さな——けれど確かな棘を残した。
リーネは結局、何も言わなかった。
「あーっ! 財宝の半分を取りそこねたー!」
ロウが叫ぶ。
「引き返すな! 騎士が一度撤退を決めたら振り返ることは許されんぞ!」
アルトがロウの首根っこを掴んで引きずっていく。
「お前がいなかったら罠が抜けられんだろうが! 前を見ろ!」
カイルの怒号が響く。
「あははは! あー、これはいいですよ! 命がけの逃避行……薄い本が厚くなりますね!」
そうして、一行は遺跡を飛び出し、全力で息を切らしながら、夕暮れの薬草畑へと舞い戻ったのだった。
沈みゆく太陽の光が、泥まみれの五人を優しく照らしていた。
結局、手に入ったのはほんの少しの金貨と、使い道のないアンティークの銀杯、そして「生き残った」という何よりの戦果。
カイルはボロボロの『上巻』を開き、静かにため息をついた。
そこには、新しく、けれどどこか清々しい失敗ログが刻まれていた。
『【クエスト中座の失敗】冒険者カイル——財宝を目の前にして、命惜しさに大半を置いて逃げ出す。結果、財布は少しだけ潤ったが、精神的な敗北感は拭えない』
それを見て、カイルはふっと笑った。
「ああ、ようやくわかった……。どうして俺がこいつらとパーティを組まなきゃならなかったのか……」
「どうしてですの?」
隣に来たリーネが、訊ねた。
「こいつらといると、『上巻から目が離せない』んだ」
カイルは夕日に目を細めながら、言葉を選ぶように続けた。
「目を離しているぶんだけリスクが大きくなる。……だから、安心して背中を任せられるような優秀な連中と組んでいたら、俺はきっと上巻を読まなくなる。
読まなくなったら、こいつの価値が分からなくなって——そのうち露店商にぼられた金を取り戻すために、売り払ってただろうな」
「では今なら、もっと優秀なパーティに移ればよろしいのではなくて?」
カイルは、肩をすくめた。
「……今さら、静かな旅なんてつまらないだろ」
そうして、仲間たちの騒がしい喧嘩の輪の中へと戻っていった。
リーネは、その後ろ姿を——眩しいものを見るように——いつまでも見つめていた。




