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2人の出会い

 リーネは悪党たちに狙われていることなどつゆ知らず、剣を携えてひとりで冒険に出かけていた。


「ここが、ご先祖様と勇者様が出会ったという聖地ですのね……」


 リーネは、目の前に広がる光景を見渡し、感動に肩を震わせた。

 だが、その視線の先にあるのは、朽ち果てた女神像が立ち、雑草が石畳を突き破って生い茂る、見る影もない廃墟である。

 かつての栄華はどこへやら、今やそこは「聖地」というよりも、明日をも知れぬ浮浪者たちがたむろする、王都でも指折りのスラム街と化していた。


 並の令嬢であれば、悲鳴を上げて逃げ出すところだろう。だが、リーネは違った。

 彼女の脳内には、暗記するほど読み込んだ『下巻』の記述が、キラキラとした補正付きの映像として再生されていたのだ。


(……『【仲間探し成功】:勇者――神殿前の広場にて、生涯の友となる大剣士トゥーファンと出会う』……。ああ、まさにここですわ!)


 彼女は家宝の『下巻』を汚さぬよう大切に自室へ置いてきたが、その内容はすべて血肉となっている。

 今の自分は、成功への最短ルートを突き進む「完成されたヒロイン」なのだ。


「さあ、わたくしの仲間に相応しい方はどこかしら? ここは、大魔法使いマリアンヌと出会った市場の方を探してみるべきかしら?」


 リーネは、明らかに治安の悪そうな狭い路地へと、迷うことなく足を踏み入れた。

 カツ、カツと、上質なブーツが汚泥の混じった地面を叩く。

 周囲の家々の窓から、飢えた獣のような視線が彼女の背中に突き刺さるが、リーネはそれを「英雄を見つめる畏怖の眼差し」だと信じて疑わない。


 しかし、その無防備な行軍は、長くは続かなかった。

 路地を三つほど曲がったところで、リーネはふと足を止めた。

 前方の行き止まりに、樽や木箱がうず高く積まれている。そしてその陰から、ゆらり、ゆらりと——人影が現れた。

 ひとり、ふたり、みたり。

 いずれも目つきの悪い男たちだった。揃いの革鎧に、腰には錆びたナイフ。額には赤い布を巻いている。


(……あら。路地裏で待ち構える荒くれ者たち。まるで『下巻』の第三章『市場の邂逅』の導入部ですわね)


 リーネの目が、きらりと輝いた。恐怖ではない。歓喜である。

 彼女の脳内ではすでに、次の展開が自動再生されていた。

 ——曰く、『勇者は市場近くの路地裏にてならず者に絡まれるも、これを颯爽と退ける。その雄姿を見ていた大魔法使いマリアンヌが、勇者の器を確信し、自ら同行を申し出る』。


(つまり、ここでわたくしが華麗にこの方たちを打ち負かせば、物陰からわたくしの実力を見定めていた未来の仲間が、感動のあまり飛び出してくる——そういう筋書きですわ!)


 無論、そんな筋書きは彼女の脳内にしか存在しない。

 リーネは腰の細剣の柄にそっと手を添え、にこりと微笑んだ。


「ごきげんよう、そこのお方。道をお譲りいただけまして?」


 男たちは一瞬、面食らったように顔を見合わせた。

 この場末のスラムで、ドレスに近い仕立てのよい外套を纏った令嬢が、笑顔で挨拶をしてくる——それは彼らの人生において、まったく想定外の事象だったのだ。


 だが、面食らったのは、ほんの一瞬だけだった。

 男たちの目が、リーネの外套の裏地に刺繍された紋章——炎を象った赤い三角形、マークフレア家の家紋——を捉えた途端、その表情が驚きから、じわりと、醜い笑みへと変わっていく。

 先頭の男が、金歯を剥き出しにして、一歩前に出た。


「ようよう! 姉ちゃん、噂の『赤三角形のリーネ』ってやつじゃねぇのか!? 『下巻』を持ってるって噂は本当かよぉ!?」


 路地裏の湿った空気いっぱいに、下卑た笑い声が響き渡った。

 リーネは反射的に、家宝である『攻略本・下巻』を大切にしまっている自室を思い浮かべ、ぎくっと肩を震わせた。


(ど、どうしてそれを……! わたくし、誰にもお話ししていませんのに!)


 父からは、家宝の存在を口外してはならないと厳命されていた。

 だが、彼女が「成功ログ」をなぞって派手な戦果を上げるたび、周囲の憶測は膨れ上がり、いつの間にか「マークフレアの令嬢は、読むだけで成功者になれる魔法の本を持っている」という尾ひれ付きの噂が、こんな裏社会にまで届いていたのだ。


「いいよなぁー! 読むだけで誰でも成功者になれるんだろぉー!? 俺、ラッパーになりてぇんだけどさぁー! エビネムの成功ログとかねぇのぉー!?」


 読むだけで、誰でも成功者に。

 その一言が、リーネの胸に刺さった。


(毎夜目の下にクマを作って読み込み、関節が悲鳴を上げるまで素振りをして、それでも思い通りにいかずに、何度も何度も恥をかいた……あの日々は、一体なんだったの?)


 だれかに失望されることを恐れて積み重ねてきた、涙ぐましい努力の日々。

 それが「本を持っているだけ」の一言で片付けられた気がして、リーネのプライドは音を立てて崩れようとしていた。


 だが、チンピラは彼女の苦悩などお構いなしに、さらにリズムを刻みながらマシンガンのように言いつのった。


「Hey Yo! 嬢ちゃん俺が欲しいのは下巻(GE-KAN)!

 これがありゃ成功するのは簡単(KAN-TAN)!

 汗水垂らす?ノーサンキュー!

 欲しいのは結果、即『サンキュー』!

 努力、根性?”時代遅れ”!

 賢者の知恵だけ”俺にくれ”!」


 背後のチンピラたちが「下・巻(ge-kan)!」「Yo-ho!」などと合いの手を入れる。その不気味なほど統率の取れたステップと、やけに韻の踏まれた罵倒に、リーネは完全に気圧されていた。


(ど、どうしましょう……! マークフレア家の教育に、韻を踏みながら相手をディスるカリキュラムはございませんでしたもの!!)


 言い返せない悔しさと、窮地さえスマートに脱せない情けなさ。リーネの瞳に、うっすらと涙が浮かび始めた。


 そのときだった。


「――おい」


 低い声が、裏路地に落ちた。

 通りの向こうに、見知らぬ青年が立っていた。


「やめろ。その子が嫌がってるだろ」


 その言葉にかぶせるように、リーネはきっと顔を上げ、震える声で、必死に声を振り絞った。


「わ、わ、わ、わたくしはリーネ!

 かわいいネコにはすぐいいね!

 パンにはバターよりジャムがいいね!」


 彼らの間で、リーネのポンコツなライムだけが場違いに跳ねていた。


「私の下巻に触っちゃだめだからね!

パパに言いつけるからね! ――はっ」


 そこでようやく、リーネは気づいた。

 裏路地にやってきた青年の姿に。


「あなたは!?」


 カイルはわずかに眉をあげたが、すぐに視線をチンピラへ戻した。


「その子が嫌がっているという前提で話を進めるぞ……その子から離れろ」


 チンピラは、ぴくっとこめかみをひくつかせた。


「なにぃ~? てめぇもあの本を狙っているクチか!?」


 二人の視線が正面からぶつかり合う。

 その間で、リーネのラップだけが、まだ静かに余韻を残していた。


 カイルは、腰から一冊の本を取り出した。

 古びた装丁。

 だが、どこか見覚えのある意匠。


 カイルは、それを掲げて言った。


「あいにく本なら間に合ってる」


 もはや修正不可能なほど顔を真っ赤にしていたリーネは、その本に目を奪われた。


(……え? そ、その装丁……)


 古びてボロボロではあるが、表紙の意匠、綴じ糸の独特な結び目、そしてわずかに漏れ出す魔力の波長。

 それは、リーネが毎夜自室で慈しむように読み込んでいる『下巻』と、双子のように瓜二つだった。


「そんなに読みたきゃ、俺の上巻これでよければ読ませてやるよ。ほら」


 言いざま、カイルは伝説の勇者の遺産であるはずの魔導書を、そこら辺の石ころでも投げるような手つきで「ぽーい」と放り出した。


「ひぃぃ〜〜〜!? 勇者の遺産ですのよぉ〜〜〜!?」


 リーネは頭を抱えて絶叫した。

 彼女にとって、下巻は血統の証であり、人生の地図そのものだ。

 それをあんな、ジャガイモでも放るような手つきで扱う男の神経が信じられない。


 しかし、飛んできた本を反射的に受け取ったチンピラは、興奮を隠せない様子でその頁を乱暴にめくった。


「上巻!? 下巻じゃねぇのか!? 違いはよくわかんねぇけど、クールだぜぇ! これで俺も、ストリートの伝説に――」


 その瞬間、ボロボロの頁が怪しく淡い光を放った。

 チンピラの目が、真っ白な紙面にじわじわと浮かび上がってくる「新たなログ」に釘付けになる。


『【バトル失敗】ラップキング――上巻に気を取られている隙に、冒険者カイルに背後からの一撃を食らい、失神する』


「なっ! なにっ!? この本……どうして……俺の……名前……が……」


 そこまで言いかけたところで、チンピラの意識は途絶えた。

 その時にはもう、上巻を覗き込もうと前のめりになった彼のうなじに、カイルの容赦ない手刀が叩き込まれていたのだ。


 どさっ、という鈍い音を立てて、路地裏にうつ伏せに倒れるチンピラ。

 後ろの取り巻きは泡を食ったように逃げていった。

 カイルは地面に落ちた『上巻』を無造作に拾い上げ、パタパタと埃を払うと、再び腰へと戻した。


「……ふぅ。またポンコツなログが増えちまったな」


 カイルの呟きを、リーネは呆然と聞き届けていた。

 彼女の視線は、今しがた倒れた男へと向けられる。


「……そんなお名前ラップキングでしたの?」


 あまりにそのまんまな呼び名に、リーネは危機を脱した安堵感よりも先に、言いようのない虚脱感を漏らした。

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