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陰謀の一幕

 どんよりとした闇が、王都の裏通りを塗りつぶしていた。

 湿った石壁に囲まれた地下室。

 脂ぎったランプの炎がチロチロと揺れ、卓を囲むガラの悪い男たちの影を不気味に引き伸ばしている。


「――手はずは整ったんだな?」


 低く、濁った声が響く。

 声の主は、顔に大きな火傷の跡がある大男だ。

 男は卓の上に広げられた屋敷の図面を、太い指で乱暴に叩いた。


「へっ、抜かりはねえよ。警ら兵の隊長には、すでに金貨をたっぷり握らせてある。

 あいつら、当日の夜は『たまたま』反対側の区画で酔っ払いの喧嘩を仲裁しなきゃならねえ予定だ」


「公爵家当主の留守も確認済みだ。あいつが隣国への親善訪問で屋敷を空ける三日間……そこが勝負だぜ。

 警備が薄くなるその隙に、俺たちが正面から堂々と乗り込んでやるのさ」


 下卑た笑い声が地下室に満ちる。彼らの目的は一つ。

 今や国中にその名を轟かせている、マークフレア家の令嬢――『赤三角形の魔法使い』にして『デルタスラッシュ』の使い手、リーネが隠し持っているという家宝。

 読むだけであらゆる成功を約束するという伝説の魔導書、『下巻』を奪取することだ。


「……勇者ゆかりのアイテムは、かつての仲間たちの子孫が厳重に保管しているって話だったが。

 まさかあんなじゃじゃ馬令嬢が持っていようとはな。だが間違いねえ、『下巻』はいま彼女の手元にある」


「相手はあの大会の覇者だぜ? 『ぐわーん』とかいう、わけのわからねえ咆哮一発で師範代を沈めたっていう化け物だ。本当に大丈夫なのかよ?」


「怖気づくな。大陸中から腕の立つ連中を集めている。多人数で囲んで、逃げ場をなくしてやりゃあ、三角形もクソもねえよ」


 男たちは完璧な作戦を突き合わせ、勝利を確信したように酒杯を煽る。

 彼らにとって、これは人生を逆転させるための「成功」への切符だった。


 そんな彼らの盛り上がりを、部屋の隅、影に溶け込むようにして眺めている男がいた。

 深く被ったフードの隙間から、冷徹な視線だけが覗いている。

 魔王の使徒。

 かつてこの世界を恐怖に陥れた魔王の復活を画策し、人間の肉体へと憑依を繰り返しながら千年の時を繋いできた、執念の化け物である。


(……愚かな。人間共が夢中になっている『下巻』など、単なるまやかしに過ぎないというのに)


 男は眠たげな半眼で、悪党たちの談合を傍聴していた。

 彼にとって、リーネが持っている「成功の記録」など、さらさら興味はない。

 彼が抹消すべきは、それとは別の……一千年前に魔王が勇者たちとどのように戦い、どのように敗れたのか、その不都合な真実が事細かに記された『写本』。

 いわば魔王軍にとっての「敗戦の記録」そのものだ。


 その写本こそが、マークフレア家の奥深くに、家宝の陰に隠されるようにして安置されていることを彼は知っていた。


(このゴミ共に、屋敷の深部まで襲撃を仕掛けさせる。

 混乱に乗じて私が『写本』を始末する。

 ついでに、こいつらが屋敷に火を放ったことにすれば、不自然な証拠も残らない……)


 すべては計算通りだった。

 犯人はこの悪党ども。彼らが王国の目を引き付けながら逃げ回ってくれればいい。

 最終的に捕まったとしても、背後にいる「依頼者」――すなわち、目の前の影に潜む自分へとは、絶対に辿り着けない仕組みになっている。

 男はただ、チェスの駒が動くのを待つプレイヤーのように、退屈な時間を浪費していた。


 しかし、あるとき、悪党の一人がふと疑問を口にした。


「……そういやさ、『下巻』を欲しがってるのはいったい誰なんだ? 俺たちにこんなに大量の金を前金で置いていくなんて、ただの成金じゃねえだろう」


「あぁ? そんなの、誰だって欲しいだろ。読めば成功できるんだぜ? どうせライバルの貴族あたりか、それとも宗教絡みの胡散臭い連中じゃねえか?」


「あるいは、もっとヤバい組織だったりしてな。へへっ、ひょっとするとこの依頼主、いま巷を騒がせてる……」


 悪党たちの話題が、自分の方に向けられた瞬間。

 いままで石像のように黙っていたフードの男から、どろりとした、ぞっとするような殺意が溢れ出した。


「「「…………っ!?」」」


 地下室の空気が、一瞬で凍りついた。

 ランプの炎が、恐怖に怯えるように小さく爆ぜる。

 卓を囲んでいた男たちは、まるで首筋に氷の刃を突きつけられたかのような衝撃に襲われ、言葉を失ってガチガチと歯を鳴らした。


「……余計な詮索はするな」


 フードの奥から響いたのは、感情の欠落した、低く平坦な声だった。

 それは警告ですらない。ただ、これ以上踏み込めば「消す」という、絶対的な宣告だった。


「……す、すまねえ。口が滑っただけだ……!」

「わ、わかってる。作戦に戻ろう、な?」


 男たちが戦々恐々としながら再び図面に顔を戻すのを確認すると、殺意は霧が晴れるように消え去った。

 男は再び、元通りに黙り込み、影へと沈んでいく。


 悪魔の化身は、ただ冷ややかに闇を見つめていた。

 人間たちの醜い欲。見栄。そして愚かな「成功」への渇望。

 それらすべてを燃料にして、千年前の悪夢を再びこの地に呼び戻すための舞台装置は、いま着実に組み上がりつつあった。

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