失敗のログ
それから、数年の月日が流れた。
その間にカイルが何をしていたかといえば、 ひたすら失敗ログを読み、失敗ログを避け、 失敗ログに載らない道だけを選び続けるという、 気の遠くなるような消去法の冒険を繰り返していた。
(また増えた。失敗の記録が、また一つ)
カイルは本を閉じ、目を伏せた。
この本を手にしてからの数年間、彼が見てきたのは 「こうすれば死ぬ」という未来の残骸ばかりだ。
Aランクパーティがドラゴンに焼かれる未来。
Bランクパーティが内紛で崩壊する未来。
危険を察知しては、誰かと組む前に離れ、 誰かに誘われても断り続けた。
孤独になった。
誰かの死を「データ」として読む生活が、 少しずつ、彼の中の何かを摩耗させていた。
(俺はいつから、他人の失敗を読んでも何も感じなくなった?)
だからかもしれない……こう、ポンコツなログばかりが 増えていくと、逆に安心するようになったのは。
パチパチとはぜる焚き火の音が、静まり返った夜の森に響く。
数年前、安宿の片隅で絶望していたカイルの姿はそこになかった。
今の彼は、使い込まれた革鎧に身を包み、どこか悟りを開いたような、それでいてひどく疲れ切った顔で焚き火を見つめている。
「おい……起きろ。今日の『反省会』をするぞ」
カイルの声に、地面に突っ伏していた三人が重い腰を上げた。
一人は、立派な甲冑を泥だらけにした美青年。一人は、身の丈に合わない大きな袋を抱えた小柄な男。そしてもう一人は、杖を握りしめたままガタガタと震えている少女だ。
カイルは無言で、懐から一冊の本を取り出した。数年前よりさらにボロボロになり、表紙のタイトルすら判別不可能な『異世界完全攻略本・上巻』。
彼はそのページをめくり、今日新しく刻まれた忌々しい文字列を指でなぞった。
「剣士アルト……お前の今日の最大の失敗はこれだ」
カイルが読み上げる。
『剣士アルト――巨大ヤスデに対し騎士式受け流しを試みる。対象の体高が想定の1/5であったため空振り。転倒後、巻きつかれて3分間悲鳴を上げ続けた』
「う、うう……。まさか、あんなところでヤスデのモンスターが現れるとは……。
騎士道マニュアル第三章には『正面からの突進には半身で受け流せ』としか書かれていなかったんだ!
足元を這いずり回る不潔な蟲への対処法など、わが家の教育課程にはなかった!」
元貴族の三男坊であるアルトは、悔しそうに拳を握りしめる。
剣の腕自体は超一流なのだが、彼はマニュアルにない事態に直面すると、途端に生まれたての小鹿のように無力化する悪癖があった。
「足元を這ってるヤスデに騎士道スタイルで挑む奴がいるか。……次、ロウ。お前だ」
カイルは冷めた目で、隣に座るこびとの罠師を見た。
『罠師ロウ――重量式トリガーの閾値を正確に看破するも、自身の装備重量を加算せず起動。落下高度4m。穴の底に財宝はなかった』
「いや、待てよカイル! あれは計算ミスじゃない、攻めの姿勢だ!」
ロウはしどろもどろになりながら、必死に言い訳を並べる。
「ええと、ようは、30キロの物が乗ったら作動する仕組みだったんだよ。俺の体重は28キロ、『こびと』だかんな。理論上、俺は無敵のはずだったんだ!」
「装備の重量はどうした。お前が背負ってるその『お宝用』の空の巨大袋だけで5キロはあるだろ」
「……それは、その、誤差っていうか。でもよ! 落ちた穴の底に隠し通路があるかもしれないだろ? 昔、俺が伝説の銀貨を見つけた時も、そんな感じの落とし穴から――」
「で、隠し通路はあったのか?」
「……ネズミ専用の小さい穴ならあったけど……運が悪かっただけだって! 今度はぜったい成功するから!」
カイルは深くため息をつき、最後に、焚き火の影で小さくなっている少女へ視線を向けた。
「おい、ミーナ。いい加減こっちに来い」
「……はい」
回復役のミーナがおずおずと近寄ってくる。彼女の失敗ログは、もはやこのパーティの風物詩と化していた。
『【回復役ミーナ】――味方の毒状態を125秒間観察した後に回復を実行。適正タイミングより大幅に遅れたため、消費MPが通常の5倍となった』
「……毒状態を観察?」
「……125秒間?」
アルトとロウが、引きつった顔でミーナを見る。彼女は目に涙を浮かべ、消え入りそうな声で弁明した。
「ごめんなさい……。でも、MPは温存しないといけないから……。もし、回復した直後にもっとひどい怪我をしたらって思うと、怖くて……。アルトさんはまだ体力の半分以上残ってたし、顔色が青くなるまでなら耐えられるかなって、じっと見てたんです……」
「顔が青くなるまで待つな! 毒消し一発で済むところを、重症化してから回復魔法を使うから余計にMPを食うんだろ!」
彼女は過去、MP切れで仲間を救えなかったトラウマから、異常なまでの「出し惜しみ」癖――いわゆるラストエリクサー症候群に陥っていた。
カイルは天を仰いだ。
数年前、ギルドの規則改正で「4人パーティ必須」と言われた時、彼はこの『上巻』を駆使して最善の選択をしたはずだった。
かつて誘われたAランクパーティに入れば、三ヶ月後にドラゴンに焼かれるログが出た。
Bランクパーティに入れば、内紛で背中を刺されるログが出た。
それらをすべて回避し、「死なない未来」を繋ぎ合わせて選んだのが、このポンコツたちだったのだ。
(死なない。確かに誰も死んでいないが……なんだこの、じわじわと精神を削られる感じは)
「おいカイル、俺たちのことばっかり言いやがって! お前の失敗ログはないのかよ!」
ロウが反撃とばかりに叫んだ。
カイルは鼻で笑う。
「ふん、俺が失敗なんてするかよ。俺のログに載っている唯一の失敗は、数年前にこの本を法外な値段で掴まされたことだけだ」
それが彼の誇りだった。未来の失敗を予見し、それを回避し続ける完璧な舵取り。
どうしてこのポンコツたちとパーティを組んだのが失敗に数えられていないのか、不思議なくらい完璧な道のりを歩んでいたはずだ。
だが、彼が何気なく次のページをめくった瞬間、その表情が凍りついた。
そこには、今まで見たこともないほど禍々しい文字が、リアルタイムで刻まれていた。
『冒険者カイル――蟲の巣穴の攻略に失敗』
「…………は?」
カイルは二度見した。三度見した。
だが、文字は消えない。
――そうか、このパーティのリーダーは、俺だ。
パーティの失敗は、すなわち俺の失敗じゃないか。
それどころか、その下にさらなる追記が浮かび上がってくる。
『冒険者カイル――仲間のあまりの無能さに精神的限界を迎え、焚き火の前で発狂。パーティは空中分解し、明日の朝、魔物に襲われ全滅する予定』
「なんでだよぉぉぉぉぉぉ!」
静かな夜の森に、カイルの絶叫が虚しく響き渡った。




