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上巻に正体を疑われる

 迷いの森は、一歩進むごとに濃密な霧がその密度を増していく。視界は最悪だ。先頭を行くアルトの真っ赤な鎧でさえ、数歩離れればその輪郭が滲んで見失いそうになるほどだった。


 不意に、霧の奥から不気味な羽音が響いた。

 現れたのは、蛍光の緑色をした珍しいコウモリだ。それが威嚇するように一行の頭上を旋回する。

 だが、今のアルトに隙はなかった。抜刀と同時に放たれた鋭い一撃が、空中の緑を正確に両断し、地面へと叩き伏せる。


「待て、触るな。おいロウ、こいつの関連ログがないか調べてくれ」


 カイルの制止を受け、ロウがすぐさま『上巻』をめくる。

 グリーン・バット。生息地によって特性を変える厄介なモンスターだ。

 もしこれが死に際に毒を撒くタイプや、他のモンスターを誘引する警笛代わりのタイプなら、すぐさま撤退も視野に入れなければならない。

 だが、ロウの回答は落ち着いていた。


「この森でグリーン・バットに関連する失敗ログは一つもないみたいだ……ただの雑魚っぽいな。アルト、食うなよ?」


「ああ、俺も時と場合くらいわきまえているよ。この森では何が起こるかわからないからな」


 そう言って、剣を鞘に納めるアルト。

 その冷静な判断力と頼もしい後ろ姿を、一行はどこか眩しそうに見送った。


「あいつ、本当に頼りになるようになったな」


「ああ、最初の頃だったら、コウモリ型のモンスターと戦ったことがないから、絶対に攻撃あてられなかっただろうけどな」


 などと言い合いながら、警戒を保ちつつ歩を進めようとした、その時だ。

『上巻』を持っていたロウの表情が、ぴしりと固まった。


 その手の中にあるボロボロの頁に、今までにはなかった異様なログが、今まさにインクが滲み出すように浮かび上がったのだ。


『【摂食失敗】剣士アルト――迷いの森でグリーン・バットを焼いて食べようとし、食中毒になる』


 そこに刻まれたすごく起こりそうなイベントと、獲物に見向きもせず悠然と歩を進めるアルトの背中を、ロウは何度も見比べた。


「なあ、カイル……俺にも『未来の失敗ログ』が見えるようになったみたいなんだが?」 


 ロウの手の中の上巻を覗き込んだミーナは、驚きに目を見開いて、上巻と前方を歩くアルトの背中を見比べた。


 2人同時に未来の失敗ログが見える能力に目覚めた、という事はないだろう。

 つまり現実に、目の前の上巻は彼らの仲間の失敗を感知して、失敗ログを浮かべているのだ。


「……ねえ、ロウさん。アルトさん、あんなに格好よく歩いてますけど、もうお腹壊してるんですか?」


「いや、あいつの背中を見てみろ。微塵も腹を下してる気配はねえぞ。……というか、あいつの手にコウモリなんて握られてない」


 ロウは、前方をゆくアルトに聞こえないよう、静かに言った。

 その声には、ギャンブラー特有の冷ややかな警戒心が混じっている。


「ははぁ、とうとう故障したか? このガラクタ」


「いや……ひょっとすると、こいつは罠かもしれない」


 カイルが歩みを緩め、上巻の文字を凝視する。

 上巻のログは常に正しい。だが、目の前の光景とは明らかに矛盾している。


「昔の伝説だけど、この森にドッペルゲンガーっていうモンスターがいたそうだ。

 なんでもパーティの誰かといつの間にか入れ替わってて、能力も記憶もそっくりコピーしちまうらしい」


 ロウが声を潜めて継ぎ足した。


「つまり……あのアルトは偽物で、本物のアルトは今ごろどこかの物陰で、いつものようにコウモリを食って腹を壊している……と?」


「えっ、だとしたら偽物のアルトさんでよくないですか? 本物のアルトさん捨てていきましょうよ?」


 ミーナのあまりにも合理的で冷酷な提案に、他の二人は一瞬その方向で行くべきか考えてしまった。


「……かもしれないって話だよ。もうずっと討伐報告もあがってないから、伝説の中にしか残ってないようなレベルだし……あれ、アルトどこに行った?」


 霧が一気に濃くなった。

 彼らが目を離したほんの一瞬、前方を歩いていたアルトの赤い鎧が、白い帳の向こうへと消えていた。


「おーい、助けてくれー」


 情けない声が、すぐ近くの足元から響いた。

 声のした方を見ると、地面にぽっかりと穴が開いていて、その落とし穴の底に、先ほどまで前を歩いていたはずのアルトが落ちて助けを求めているのだった。


 上巻に、ログがしずかに刻まれる。


『剣士アルト(?)――迷いの森で、落とし穴に落ちる』


「疑問形になってる……」

「上巻に正体を疑われてるぞ、こいつ」


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