隣の芝生は青く見える
「……ああ、もう、嫌ですわ。お家に帰りますわ。今すぐ、一刻も早く、馬車を飛ばして帰りますわ……っ!」
降り注ぐ万雷の拍手。王都中の人々が「新しい時代の剣姫だ!」と口々に自分を称える声。
普通なら、公爵令嬢として、そして一人の剣士として、これ以上の名誉はないはずの瞬間であった。
だが、リーネの視界は恥ずかしさのあまり真っ赤に染まり、耳の奥では「ぐわーん!」という自分自身のマヌケな叫び声が、無限のリフレインを刻んでいた。
――わたくし、叫びましたわ。
――大衆の面前で、いい年した令嬢が、全力で「ぐわーん!」と。
「……ううっ、……ひっ、ふぇ……」
表彰式を最短記録で終わらせ、這々の体で逃げ出したリーネは、公爵邸へと続く馬車の中で頭を抱えて丸まっていた。
顔は文字通り、茹で上がったタコのように真っ赤だった。あまりの羞恥心に脳がオーバーヒートを起こし、視界がふらふらと揺れていた。
お付きの侍女が「お嬢様、お顔色が……」と心配していたが、今のリーネの耳にかけられる言葉は、すべてが「ぐわーんの人」という嘲笑にしか聞こえなかった。
「……わたくしの、……わたくしの完璧な人生設計が……っ!」
自室の扉をバタン! と閉め、ベッドの上にダイブする。
「お、終わりましたわ……わたくしの人生、今日で完全に終了いたしましたわ……!」
枕に顔を埋めて足をジタバタさせる。
だが、非情な現実は、彼女の枕元で静かに光を放っていた。
ぼんやりと光る下巻を開くと、そこには案の定、新たな栄光の(と、この本が勝手に判断した)ログが刻まれていました。
『【技術開発・勝利成功】赤三角形のリーネ――裂帛の気合いを放つ事により、相手の動きを封じたうえでデルタスラッシュを放ち、反撃を受ける確率を減らす失われた技術、ローミング・デルタスラッシュに『開眼』。
武術大会で劇的な勝利をおさめ、その勇姿を広く国中に知らしめる』
「下巻ーーーーッ!!」
リーネは、またしても家宝に黒歴史が刻まれてしまった事実に、バタバタとベッドの上で暴れまわった。
なんですの『ローミング・デルタスラッシュ』って!? ただの「奇声による目眩まし」ではありませんの!
「下巻さんは、どうしてあれを成功に数えていますの!? というか失われた技術って、ご先祖様もわりと使ってましたの!? まさか一族の黒歴史を掘り起こしてしまうなんて……!」
じつは、デルタスラッシュは致命的な反撃の隙を生じる危険性があったため、大剣士トゥーファンの後の時代には、その隙を減じるためのテクニックがいくつか編み出されていたのだ。
その実用的なテクニックの一つが咆哮と共に放つ『ローミング・デルタスラッシュ』である。
だが、リーネの一族には、実利よりも見栄を重視した時代があった。
『上巻』のような失敗ログを恥として受け継がなくなった、見栄っ張りな時代。
その頃は実利よりも騎士道精神という名の「見栄」を重視しており、ローミング・デルタスラッシュも「なんか卑怯だし、叫ぶのが恥ずかしい」ということで意図的に失伝させられた……という記述を、リーネは古い資料で読んだことがある。
その時代の感性を、見事なまでに純粋培養で受け継いでしまっているリーネは、とにかく恥ずかしくて涙が出そうだった。
「もう……もう外を歩けませんわ……。わたくしの『赤三角形』の二つ名が、もうひとつの意味でも定着してしまいそうですわ……!」
恥ずかしさで涙が零れる。
だが、下巻は彼女の悶絶などお構いなしに、今日も他の誰かの『成功ログ』を淡々と刻み続けている。
『【討伐・冒険成功】:冒険者カイル――迷いの森で古代種ドッペルゲンガーを討伐する。メンバー全員とともに迷いの森からの脱出に成功する』
「また……! この人、また成功してる……!」
ページをめくるたびに出てくる「カイル」という名。
自分のような奇跡(迷走)による勝利ではなく、着実に、確実に困難を乗り越えているこの見知らぬ冒険者のことを、リーネはいつの間にか、勝手にライバル視し始めていた。
いつか会ってみたい。
会って、わたくしの正当なる(?)剣技を見せつけてやりたい。
……そう思う反面、下巻に綴られる彼らの日常は、どこか眩しく見えてしまうのだった。
『剣士アルト――毒消し草と一緒に煮るとだいたい食えるようになることを発見』
『罠師ロウ――ポーカーで100万ゴールドの勝ち』
『回復役ミーナ――同人誌をこっそり売ると大好評になる』
「いいなぁー! 楽しそうだなぁー!!」
リーネの心の叫びが夜にこだまする。
毒消し草で何かを煮込んだり、ポーカーで勝ったり、同人誌を売ったり。成功の形は人それぞれだが、少なくとも彼らからは「ぐわーん」という断末魔のような叫び声の気配は微塵も感じられない。
「わたくしも、そういう楽しそうな、せめて人道に外れない成功がしたいですわぁぁぁ!」
リーネは独りぼっちの豪華な部屋で、枕を抱きしめながら叫んだ。
完璧でなければならない。失敗してはならない。
そんな強迫観念に縛られた彼女の、切実な、けれど誰にも届かない心の叫びが、静かな夜の公爵邸にこだまするのだった。




