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ジビエチャレンジ

「……おい、次は俺の番だ。早く回せ」


 薄暗いダンジョンの通路、罠の点検を終えたロウが、急かすように手を差し出した。

 彼らが囲んでいるのは、宝箱でも地図でもない。ボロボロの表紙に『異世界完全攻略本・上巻』と記された、あの「失敗ログの塊」である。


 かつてはカイルひとりが忌々しげに眺めていたその本は、今やパーティ全員の「聖書バイブル」へと昇華していた。


 ひとりひとりが「二度とこんな恥ずかしい記録を書かれてたまるか!」と決意し、かつ仲間の欠点を共有することで、誰かが失敗しそうになった瞬間に周囲が自然とフォローに入る――という、奇跡的なチームワークが形成されつつあったのだ。


「ふむ……ここから先は、俺のレベルで回避できない罠はなさそうだな。モンスターの方が多い。……よし、次はアルト、お前の番だ」


「わかっている。俺も自分の至らなさをマニュアル化している最中だ」


 アルトは神妙な顔で本を受け取ると、懐から自分用の手帳を取り出した。

 最近の彼は、上巻のログをより高度に活用するため、自分の攻撃にいちいち細かな「技名」をつけるという奇行……もとい、独自の分析法を編み出していた。


 直後、通路の影から小刻みな足音が響く。

 現れたのは、この階層の嫌われ者、小型の魔獣『スパイクラット』の群れだ。


「来たな! 技名、セット! 食らえ――『低め切りマイナス2ポイント』ッ!」


 アルトが鋭く剣を振るう。だが、あまりに小回りの利くラットは、鼻先数センチのところでその刃をひらりと回避した。

 カイルの手元にある『上巻』に、すぐさま無慈悲な文字が浮かび上がる。


『戦闘失敗:剣士アルト――スパイクラットに『低め切りマイナス2P』を回避される。理由は「狙いがまだ高い」ため。』


「やはりラット系は小さすぎて、低め切りでも届きにくいか……次はマイナス3Pにしてみよう」


 アルトは悔しがるどころか、嬉々として手帳にメモを取る。こうして技に数値を振っておけば、後でログと照らし合わせた際、どの角度の攻撃がどの敵に効きづらいかが一目で把握できるというわけだ。マニュアル人間らしい、歪んだ合理性である。


「アルト、もっと思い切って低くした方がいいよ。横から見てたら、全然届いてなかったし」

「5Pぐらいにした方がいいんじゃない? 地面を叩くぐらいの勢いでさ」

「う、うむ、そうか」


 背後からロウとミーナが冷静なアドバイスを送る。

 以前なら「うるさい、俺の型は完璧だ!」と突っぱねていたアルトも、今は素直に頷いた。

 上巻に「仲間の助言を無視して空振りし、股関節を外した」などと書かれる恐怖に比べれば、プライドなど安いものだった。


 こうして対モンスター戦用の独自マニュアルを着々と整備し始めたアルトだったが、その探求心は、やがて危険な領域へと足を踏み入れ始める。


「……カイル、少しこれを見てくれ」


 戦闘後、獲物の解体もせずにログを読み耽っていたアルトが、妙に真剣な面持ちでページを指差した。


「ここには『スライムを生で食って食中毒になった冒険者のログ』が多数記録されている。

 ……ということは、だ。逆に言えば『焼いたら食える』のではないだろうか?」


 カイルは、持っていた水筒を落としそうになった。

「……お前、何言ってるんだ?」


「いいか、このマニュアル(上巻)には『焼いたスライムで腹を壊した』という記述はまだ一例も載っていない。つまり、マニュアルにダメと書かれていないことなら、何をやっても許される……いや、むしろ成功の可能性があるということだ!」


 まさに逆転の発想。

 アルトは「失敗を回避する本」を読み込むあまり、いつしか「書いていない失敗は、失敗ではない」と解釈する、極めて危険なマニュアル信者へと変貌を遂げていたのである。


「冒険には万一の食糧難が付き物だ。その時に食えるものと食えないものが分かれば、それが命を繋ぐかもしれない。俺は先駆者として、このジビエの可能性を切り拓く義務がある!」


「やめろよ。お前が倒れたら、回復するのはミーナなんだぞ」


「アルトさん、正気ですか……?」


 ロウが呆れ、ミーナが引きつった笑顔で一歩引く中、アルトはすでに焚き火の上に網をセットし、さっき捕獲したばかりのプルプルとした青い物体を乗せようとしていた。


「というかわたし、この人が食中毒で倒れたら回復するなんて一言でも言いましたか?」


 ミーナの冷ややかな一言が鋼のように突き刺さる。

 心配性の慈母のような顔をしつつも、その瞳には「MPの無駄遣いはお断りです」という不退転の決意が宿っていた。


「……おいアルト、その辺にしとけ」


 そのとき、カイルの脳裏には、未来の失敗ログが浮かんでいた。


『【実験失敗:剣士アルト】――「焼けば食える」という謎の理論に基づきスライムを加熱。結果、熱膨張したスライムが爆発し、メンバー一同が火傷を負う。重傷者一名。なお、味は「激辛の消しゴム」のようだったとのこと。』


「――らしいぞ」


「…………」


 アルトの手が、網の直前で止まった。


「……味は、激辛の、消しゴムか」

「そこかよ。爆発する方を気にしろよ」


 カイルのツッコミが響く中、アルトは静かに網を片付けた。

 失敗ログという名の「事前のダメ出し」のおかげで、今日もパーティの尊厳は、首の皮一枚で繋がったのである。


「さあ、無駄な実験はやめて先を急ぐぞ。……アルト、お前の手帳の『スライム調理法』のページにバツ印をつけておけ」


「……承知した。これもまた、次世代に繋ぐ貴重なマニュアルの一ページだ」


 こうして、失敗を共有し、笑い飛ばし(時には真剣に拒絶し)、彼らは一歩ずつダンジョンの奥へと進んでいく。

 伝説の成功などどこにも記されていないボロボロの本を、四人の「最強の共通言語」として携えながら。

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