第3話 忘れ去られる者の運命
二人の距離が縮まったのも束の間、フローラの体が突如として透け始める異変が起きる。
彼女は衝撃の事実を告げる。「聖女の力は人々の信仰と記憶を源としている。世界から忘れられた私は、このまま消滅する運命にある」と。彼女は隠居していたのではなく、誰にも知られずに死ぬ時を待っていたのだ。
しかし、ノアはその残酷な運命を真っ向から否定する。
「世界中が忘れても、俺が覚えている」
彼は彼女を救うため、そして彼女と共に生きる未来を掴み取るため、この花園を出て旅立つことを決意する。
重ねた手の温もりが、永遠に続けばいい。
ノアがそう願った、その時だった。
「……っ、う……!」
唐突に、フローラの体が小さく跳ねた。
絡めていた指先から力が抜け、彼女は胸を押さえて苦しげに咳き込んだ。
「おい、どうした!?」
ノアは慌てて椅子を蹴倒し、彼女の体を支えようとした。
だが、その腕が空を切るような違和感――。
「な……っ!?」
ノアは目を見開いた。
支えた彼女の肩が、一瞬だけ陽炎のように透けて見えたのだ。
まるで、そこに存在していない幻であるかのように。
「はぁ、はぁ……ごめんなさい、驚かせちゃったわね……」
発作が治まったのか、フローラは力なく笑おうとしたが、その顔色は雪のように白い。
ノアは震える手で、彼女の肩を強く掴み直した。今度は確かな感触があったが、その体は氷のように冷たかった。
「今のはなんだ。……透けたぞ、お前の体」
「……」
「答えろ、フローラ! 『世界から忘れられた』というのは、比喩じゃなかったのか!?」
元魔王の怒気を含んだ問い詰めに、フローラは観念したように目を伏せた。
「……聖女の力は、人々の『祈り』と『信仰』を源にしているの」
彼女は静かに語り始めた。
「世界が平和になって、誰も祈らなくなれば、聖女の存在意義はなくなる。……人々の記憶から消えるということは、この世界から私の存在そのものが消滅するということなの」
ノアは言葉を失った。
彼女は隠居していたのではない。
世界に忘れられ、誰にも気づかれないまま、この花園で静かに消滅する時を待っていたのだ。
あの笑顔の下で、たった一人、死への恐怖と戦いながら。
「……ふざけるな」
ノアの口から、低い唸り声が漏れた。
世界を救った代償が、これだというのか。
命を賭けて守った人間たちに忘れられ、誰にも看取られずに消えていくなんて、そんな結末を俺は認めない。
「あと、どれくらいもつ?」
「……わからない。でも、もう長くはないわ。だからノア、あなたは……」
「黙れ」
ノアは彼女の言葉を遮り、かつての魔王の瞳で彼女を射抜いた。
そこには、絶望ではなく、燃え上がるような反骨の意志が宿っていた。
「俺がお前を忘れさせない。世界中が忘れても、俺が覚えている」
「ノア……」
「だが、それだけじゃ足りないんだろ? なら、世界中の人間に思い出させてやる」
ノアは立ち上がり、腰の剣を握りしめた。
「方法はあるはずだ。失われた信仰を取り戻すか、あるいは聖女のシステムそのものを書き換えるか。……俺の知識とお前の力があれば、不可能じゃない」
ノアはフローラに向かって手を差し伸べた。
それは、穏やかな隠居生活への誘いではない。
運命に抗う、新たな戦いへの誘いだった。
「行くぞ、フローラ。俺とお前の、生き残るための旅だ」




